関西本線 河内堅上付近
去る9日に行われたクローバー会行事「亀ノ瀬トンネル付近の鉄道遺産を巡る」、晴天に恵まれて、皆さんとウォーキングを楽しみながら、鉄道遺産を見聞しました。大阪鉄道の時代から、地すべり災害が頻発し、百年以上に渡って自然の脅威と共存しながら、最新の土木技術で、奈良と大阪の国境を護って来た、人々の英知を感じました。話には聞いていたものの、実際、現地に足を運ぶことにより、廃棄されたトンネルが偶然発見されたドラマなどを目の当たりにして、「鉄道遺産」への新たな興味が湧いて来ました。しばらく足を痛めていた私も久しぶりの山歩きを楽しんだのですが、なんとしたことか、案内人のどですかでんさんが、突如、同じ症状に見舞われて、みんなで抱えながら下山する緊急事態に見舞われましたが、無事、帰宅ができて何よりでした。
下車した河内堅上駅の付近は、昔から、大阪近郊の撮影地として有名で、佐竹保雄さんも、よく撮影されていました。佐竹さんに過日のことを話すと、ぜひデジ青でも、見てもらってくださいと、昭和32年に撮影された写真を提供いただきました。▲河内堅上から、大阪寄りの第五大和川橋梁は、上下線が離れていて、上路ガーダー橋で撮りやすかった、C58 31[奈]の牽く奈良発湊町行き433レ、この時期、10系気動車も走っていたものの、旅客の大部分は、蒸機の牽く客車列車で、キハ35系が大量投入されて、DC化されるのは数年先のことだった(以下、昭和32年11月21日)。
▲関西本線の優等列車として、名古屋~大阪に3往復のDC準急(愛称なし)と、夜行の急行「大和」があった。大阪~名古屋の所要時間は2時50分程度で、いっぽうの近鉄特急は2時間35分程度だが、まだ伊勢中川の乗り換えを強いられていた時代で、直通で名古屋まで行ける国鉄準急は十分に対抗できた。キハ55 15+51 14+55 14+キロハ18 8+55 3の5両編成。右端に当日もらったパンフの写真に載っていた採石ホッパーがチラリと写っている。▲貨物列車は竜華、奈良、亀山のD51の担当だった。D51 497[亀]の:牽引。この貨物は後部に客車を連結して、混合列車のような印象を受けるが、もちろん営業ではなく、長編成の回送のようだ。
▲そして、旅客では、美しい化粧煙突のC51が牽くシーンも見られた。おもに奈良区のC51で、まだ化粧煙突のC51が全国に多かった時代だった。C51 8[奈]
突然の足回りの故障により運行困難になり、皆様のお世話になりありがとうございました。すこし早く着いたので3枚目の写真とほぼ同じ所だと思いますが、そこで写真を撮りました。蒸機ではなく201系電車ですが、これもまもなく見ることができなくなるでしょう。佐竹さんの写真では稲刈りが終わった棚田が写っていますが、今は草ぼうぼうの荒れ地となっています。1970年ごろの学生時代に加太へよく行きましたが、このときはまだ棚田でした。稲刈りのころは車窓から稲刈りの光景が見ることができました。
どですかでん様
はい、電車でも足回りは大切ですから、大事にしてください。集合前の写真、佐竹さんの写真と較べると、山の形状などが同じです。ここは、河内堅上の少し大阪寄りになるのですね。103系が無くなり、いまや201系は最後の国鉄時代の生き残りですね。
たぶん同じ辺りで撮ったものと思いますが、どうやって行ったのか忘れました。キハ30系に置き換わった頃です。
米手さま
写真、ありがとうございます。同じ場所で撮られたものですね。大阪通信員さんから預かったカラースライドを見ていると、同じ場所から撮られた、当時の新快速のカラーが出てきました。あざやかな当時の113系新快速です。
ちょっと通勤で利用したものから訂正です。大和路緯線には新快速は走っていません。クーラーなしの113ですね。写真から見るとユニット窓のようですので、シートピッチが広くなった2000番台の113のようです。間違っているかもしれませんが。とにかくこれは乗り心地が良かった記憶があります。帰りは蓬莱の豚まんの匂いが充満した車内で、王寺到着前の車内放送が和歌山線乗り換えのアナウンスが長距離列車に乗っているような感じがしました。
佐竹様の貴重な写真をありがとうございます。
ちょうど1年前の4月10日に亀ノ瀬トンネル遺構を訪れておりました。
元々行きたいと思っていたところ、見学が平日予約限定だったのを試験的に土休日に予約なし可、と知っての訪問でした。
SLの撮影には間に合いませんでしたが、電化前に乗車した記憶は有り、河内堅上の砕石施設、特に対岸からの運搬設備(索道?)が印象に残っています。
宇都家さま
コメントありがとうございます。いつもイベントに参加していただく宇都家さんが、今回に限って不参加でしたので、どうしたものかと思っていましたよ。やっぱりもう行っておられましたか。私も前から行きたいと思っていた場所で、改めて鉄道遺産と呼ばれる分野への興味を深めました。河内堅上の採石設備については、当日配布のパンフにも写真が載っていました。