2012年冬の中国鉄路の旅 Part2 国境の橋

第3日目 11月14日

① ホテル7:30(車)→9:01上河口駅→10:55长甸駅→丹東駅
② 丹東14:42(K7378)→翌日11:38龙井

 朝7時前に目覚めました。昨夕の新義州駅の列車が気になります。急いで屋上に上がって見ました。逆光の向こうに新義州駅があります。

▲ 300㎜(450㎜)で見てみましたが、昨日の長編成客車列車は消えていました。夕刻から夜のうちに移動したものと思われます。
▲ 丹東駅方向を見ますと、2両の北朝鮮から来た車両が留置されていました。

7:30過ぎにお迎えに来ていただいた藤先生運転の車に乗って、丹東から国境線の鴨緑江沿いの省道319号線を北東へと約60キロ上がって行きました。
▲ 9:01に北朝鮮との国境沿いにある上河口駅に着きました。とても立派な站ですが、人気はありません。
2006年10月に完成しましたが、列車が走ったのは、今年の6~9月のみ。1日1本の丹東からの6両(食堂車込)編成の観光列車だったそうです。所要時間は片道約7時間、国境に近い秘境と言うだけで、さしての観光地ではありません。よく観光客が来たものですね。
また、列車が走行していないのに信号機だけは点灯していました。

この路線は、満鉄時代の1943年5月に鳳灌線(鳳凰城~灌水)78.2キロが開業しました。
日本侵略時の1941年に開業していた朝鮮平北鉄道(定州~鴨綠江中心)121. 6キロと結ぶ計画で鉄橋も完成し、道床工事まで進んでいましたが、この時点で敗戦を迎えたようです。
朝鮮戦争時代にソ連が軍事用として線路を敷設しましたが、その後は使われることなく放置されていたそうです。新しい駅舎の前には、ソ連が建築した当時の駅舎があって、現在は老夫婦の住居となっています。

小竹先生は、この駅にまつわる歴史に非常に興味をもたれたようで、私とお会いする前日にも来られ、今日は聞き洩らしたことをもっと詳しく聞きたいと、老夫婦からの聞き取り調査をされていました。まさしくプロの顔でした。

老夫婦の話では、ここに訪れた日本人は我々で2組目でした。前回来られた方は、飼っていた豚をさばいて振舞ったら、200元を置いて帰られた。でも送ると約束した写真がまだ届かないと少し残念がっておられました。

上河口駅から先は車止めで行けなくなっていますが、レールは敷設されたままで、今も北朝鮮とつながっています。有事の際は走行できるパイプを残しておきたいとの思惑があるのでしょうね。
いつの日にか有事ではなく、誰もが乗車できる路線になってもらいたいと願いました。
▲ 长甸~上河口は不定期運行路線。上河口~永丰は未運行路線です。国境の橋は軍隊もいて厳重な警戒体制が引かれていました。近くで写真を撮りたかったのですが、ハッキリと拒否されました。愛車を運転して案内いただいた藤先生からは、越境する脱北者以外にも、援助名目に金儲けに走る中国人対策のために警戒は厳しいと言われていました。
▲ 山間から見た国境の橋。名前が分かりませんが、长甸鎮河口村の鉄橋です。中央にトラス橋がありました。朝鮮側もゲートで固めて列車の往来が出来ないようにしてありますが、有事の際は即通行可能なように見えます。

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▲ こちらは通り過ぎてから見た国境の橋です。この時に小竹先生から真っ直ぐの北朝鮮側対岸にDLらしき機関車がいると申されましたので、ファインダー内を探しますが分かりません。取り合えず1カット撮りましたが、この1枚が先生を唸らせました。
▲ ご覧のように曇天でねむい画像です。焦点距離112mm、AF-Cモード、手ブレ補正Off、ISO100、露出補正-0.3段、1/500秒、露出は開放に近いF6.3がDATAで、ピント合わせ位置は四角す。DLはもう少し中央右側にいましたので前ピンですが、拡大した写真は下です。ピントがバッチリでないのに、ハッキリとDLが見えます。D300Sでは捉え切れなかった驚くべき解像力です。
「ここまでいけるとは・・・。良い買物をしましたね。これは中々のカメラでレンズもベストマッチングですよ。」と、絶賛のお言葉をいただきました。
▲ このDLは動いていましたので、北朝鮮側の列車の往来はあるようです。できれば、煙が出ていればもっと良かったですね。▲ 10:55、凤上線定期列車の終着駅の长甸駅に到着しました。現在、丹東と瀋陽から1往復づつの列車が発着しています。ローカル線ではありますが、9両編成の客車列車でした。

お忙しい中、ご案内いただいた藤先生は午後から会議があるのでと、私たちを丹東駅前まで送り届けて、学校へと向かわれました。北朝鮮の国境沿いを行くのは、脱北者問題もあり大変気を使わなくてはならない行動です。
現地を熟知した案内人なければ訪れることは難しいところです。貴重な体験をさせていただきました。藤先生、本当にありがとうございました。

これから私たちは、丹東から1,066キロ先の龙井まで20時間56分の夜行列車の旅です。どんな出会いがあるか楽しみでもありました。  Part3へ続く

2012年冬の中国鉄路の旅 Part2 国境の橋」への2件のフィードバック

  1. マサマサこと織田です。川口には5月にいきました。ここは桃の花がきれいなところです。桃の花は中国人にとっては格別な花のようです。ですので五月は人があふれんばかりにいます。
    餅をふるまったりして大変にぎやかです。
    毛沢東の息子もここで戦死しております。ですので多くの中国人が訪れます。

  2. 織田 様、コメントをいただきましてありがとうございました。
    確かに駅の周りは一面の桃の木でした。これが咲く頃は桃源郷にもなるんでしょうね。
    毛沢東の息子が亡くなった地とは知りませんでした。それもあって人民が訪れるのですね。

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