2012年冬の中国鉄路の旅 Part6 国境の町、绥芬河(綏分河)へ  その1

第7日目 11月18日

长春19:46(2727次)→翌日9:10绥芬河

長春から乗車した2727次は、ロシアとの国境の町「绥芬河」までの794キロを13時間24分で走破します。丹東駅で切符購入の際に軟臥下鋪を要求しましたら、ありません。なぜかなと思っていましたら、この列車には軟臥車の連結そのものがありませんでした。
取れた切符は硬臥下鋪でしたが、運良く2階建て車両の2階席で見晴らしも良くて大変快適でした。また 同室者は牡丹江へ行くという若い女性3人です。日本人と話すのは初めてなので、日本の事を教えて欲しいと深夜まで質問の嵐を受けました。

▲ 6:45、浜綏線下城子駅にて日の出をむかえました。終着駅はもうすぐです。


▲ 北海道を思わせるような車窓が続く中、綏分河に定刻到着しました。終着まで乗車する乗客は少なく、駅員から追い立てられるように改札口を出ました。

 绥芬河站は、哈尔滨から548キロにあり、1898年に建築されました。1900年1月14日に臨時開業、1903年7月14日に正式開業されています。以降、ロシアとの活発な貿易窓口となっています。年間貿易額は約350万トン、旅客は約100万人と言われています。左は、イミグレのある駅舎、右は中国鉄路国内線の綏分河駅舎です。

▲ 上のイミグレはドアを開けると、直ぐに出国検査場になっていましたので、即刻退去を命じられました。下は、国内線の待合室です。この右手に切符売場がありました。

 

▲ 待合室に掲示されていた時刻表です。到着時は気が付きませんでしたが、満州里の1週間にわずか1回の国際列車とは違って、毎日2往復もの旅客ダイヤがあります。到着時に隣のホームに発車待ちをしていた列車には、多くのロシア人が乗車していました
▲ 駅前にある長距離バスターミナルに寄って、2日後に向かう鶏西へのバス便を確認してからTaxiに乗って、1945年8月9日、ソ連が突然の侵攻を始めたロシアとの国境へと向かいました。〇〇の歩き方では、約25キロ強もありTaxiはぼったくりがあるので旅行社に依頼するようにと記載されていましたが、復路は町の中心街にあるホテルまでと交渉すると、30元(約400円)で成立しました。凍てつく道を走る事、約20分で到着です。中心街のホテルに飛び込みチェックイン後は、徒歩で駅周りのロケハンに出かけました。
▲ 13:33、哈尔滨寄りに歩道橋を見つけられました。道路橋が邪魔ですが、入替機が動いているのを俯瞰できました。
 ▲ こちらは、反対方向です。ゲージはすべて1,435㎜です。
 ▲ 14:08、駅から反対のロシア側にある道路橋に移動しました。こちらは1,525㎜ですが、右側の線路は、珍しい1,435㎜との4線化になっています。
▲ ヤードには、ロシアから輸入された木材を積んだ貨車が並んでいました。ゲージは1.525㎜ゲージになっています。ここを走行する中国側のDLは改軌されています。
▲ 14:47、国境の彼方からの4線区間を中国側の車両編成が戻ってきました。6両編成です。

まだ15時前ですが、陽は傾いて来ています。飲み疲れ、夜行疲れもありますので無理は禁物です。今日の撮影はこれで終了にして、 Busに乗って市内へと戻りました。
綏分河には、休養を含めてきています。 明日朝は、ゆっくりとして昼からでも撮影に出かけることにしました。   Part7  へ続く