第13日目 5月13日
① 丹東 前日14:42(K7378次)→10:29和龍
② 和龍(Taxi)→南坪→開山屯→延吉
今日は、終点までは乗らず手前の和龍で下車して国境を目指します。緊張地帯を行きますので何かあった時のために朝鮮語もできるガイドを延吉から呼んであります。
日本を出発する前に小竹先生から若い美人ぞろいの写真入りの候補者リストをいただきました。一応私好みはお伝えしてありますが、誰にお決めになったのか聞いていません。会ってからの楽しみにしておりました。
丹東の「虎山長城」で会った喜び組のような美貌のガイドさんが来られれば旅も楽しくなります。1駅1駅、列車が和龍に近づく度にワクワクと期待感は高まります。
▲ 乗車したK7378次は、丹東~和龍 1,015キロ(これは、東京から鹿児島本線八代~水俣の中間点あたりに相当)を19時間47分をかけて走破します。長距離列車が多い中国鉄路では一般的な乗車距離、乗車時間です。1等寝台下段で247.5元(約4,100円)ですから乗り鉄にはこたえきれない安さです。
5:30、久しぶりの列車内での目覚めです。先日訪れた通化を午前3時に出た列車は快調に走行し、この地で暮らす人々が聖地と崇める長白山山系へと入っていました。
町のバックに見えるのが長白山です。
まだ冠雪が残っていました。
8:05、朝食をとりたいのですが車内販売のおばちゃまが回ってきません。隣の食堂車に行くと、お客は誰もいませんが「ここで用意できるよ」と、コックさんが申されますので、久しぶりに食堂車内で食べる事にしました。
定番の朝のお粥定食です。これで15元(約250円)、昨夜の弁当と同じ値段です。
見てのとおり大して美味しくはないのですが、山河を越えて走る車窓を見ながら食べるとなぜかご馳走にもなります。
貧しかった学生時代には食堂車には入れなかった跳ね返しでもありました。
白河では長白山へ向かう乗客の多くが下車しました。白河~和龍、約103キロは、2011年2月10日に開業した新しい路線です。
この列車の所要時間は1時間49分です。ちなみにこの区間を走行する旅客列車は、この列車1本ともう1本(通化~龍井)の2本だけです。
▲ ちなみに中朝、中露国境地帯を走る中国東北東部鉄道は、最後に残された吉林省通化~遼寧省灌水 179.54mが2012年9月26日に開通しました。これで日本統治下に構想されていた鴨北鉄道がようやく全線開業したことになりました。但し運行はまだ貨物列車のみで旅客列車はこれからになる模様です。
▲ 下車駅和龍の手前では新しく建設された鉄路と交差しました。
今日最初に訪問するのはこの先の終点、北朝鮮との国境駅の南坪です。
▲ 10:27、途中少し遅れていましたが和龍には若干早くに到着しました。駅舎は開業してまだ1年半しか経っていませんのでピカピカです。
駅前広場も1日4本の発着とは思えないほど立派なものです。
さて到着後小竹先生に手配していただきました喜び組の案内人を探しますが、そんな美貌の持ち主は見当たりません。お声をかけてくださったのは、元気の良いおば様でした。
先生は「あれね~、うん。ネットで問合せを入れては見たんだけれど、以前にアップロードされていたみたいで今はいなかった。よくある話だねぇ~」です。期待したのがいけなかったようでした。
文句を言ってはいけません。おば様ガイドさんは我々の到着に間に合わせるために約70キロ離れた延吉からバスで2時間もかけて来られていました。ありがたい事です。ご苦労様です。
早速おば様に今日のTaxiチャーターの予算を言って交渉をお願いしました。結果400元(約6,800円)で交渉成立です。
早速、北朝鮮との国境の町南坪鎮を目指して向かいました。
新線は盛り土区間もありましたが、多くは谷を越える高いコンクリート橋と山を抜けるトンネルで構築されていました。
急なカーブのない非電化の単線区間です。
▲ 上がって軌道を見てみますと、レールの敷設まで終わっていますが、錆びていてまだ営業列車が通った形跡はありません。本来は2012年内に開通しているはずの鉄路でしたが、どうしたんでしょうかね。
山間の道を抜けると白頭山(長白山)に源を発した豆満江沿いに出ました。道の側には鉄条網が張り巡らされています。
▲ 豆満江の対岸は勿論北朝鮮です。中国側と比べると山に木が生えていないので一目瞭然で分かります。この辺りの家にはオンドルが完備されています。厳しい冬の寒さから身を守るためにマキにされてしまったのでしょうね。ただ耕作地は結構あります。日本の報道から見る飢餓の雰囲気はここからは見受けられません。
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上の写真は離れた道路から捕りました。
ご覧のとおり駅には運搬する貨車は見当たりませんが、鉱石と思える山ができています。開業直前の準備段階に入っているように見えます。
線路は開通したが、何らかの事情で作業は止まっているようです。
グーグル地図をご覧いただければ、豆満江に橋が架かりイミグレがあるのを確認できます。
※ 地図左下の「Google」をクリックいただければ開けます。
行く道中でおば様は、よく日本のTV局や新聞社から案内を依頼されることも多い。この間も来たばかりですよ。この駅はまだできたばかりで当局も神経を尖らせています。側に行けるかどうか難しいと思いますが聞いてきましょう。私が帰ってくるまでは車を離れずに大きなカメラを出すのは控えて待っていてくださいと言って警備員がいる方向に歩いて行かれました。
待っている間、豆満江対岸を見ますと鉱石を積んだダンプカーが砂煙をあげて下りてきていました。山を越えて運ばれてきています。この山の向こうは→
→ かつて日本統治下時代に開発がすすめられた露天掘りの茂山鉄山です。ここで採掘された鉄鉱石は清津製鉄所に送られて製鉄されていました。
資源不足に悩む中国です。特に国内では良質の鉄鉱石がなく、良質の北朝鮮最大の鉄鉱山に目をつけて開発援助を餌に持っていこうとしているのは容易に考えられます。南坪への新線はそのための重要な輸送ルートです。鉄鉱石はこれまた日本の統治下時代の鞍山製鉄所に輸送されます。統治下時代の日本帝国の遺産は中国と北朝鮮にとっては、現在そして将来への大きな貴重な遺産です。また長白朝鮮族自治県でも2015年までに道路101キロ、鉄道126キロが整備される予定です。こちらは北朝鮮最大の銅鉱山である恵山青年銅鉱をにらんでのものと言われています。
中国が北朝鮮から輸入する鉱物資源は2008年は248万トンで、09年は373万3000トン、2010年は479万9000トンに増加し、11年1~9月は842万トンに達しています。中国が北朝鮮を援助しなければならない要因の一端でもあります。
南坪の国境の橋はいつに建設されたものかは分かりませんが、対岸を走る白茂線と茂山線は日本統治下時代に建設されました。
白茂線は北鮮森林開拓を目的として恵山線白岩から昭和7(1932)年7月11日から762㎜のナローゲージにより建設が始まり、4回の区間営業を経て昭和19(1944)年12月1日に茂山までの191.6キロ全線が開業しました。本線一帯は海抜1,000m以上の高山鉄道で起点白岩駅は、1,400m以上、途中の北渓水駅は1,720mの鮮内一の高地停留場でした。冬は零下40数度にもなるこの地の工事は難航を極めたそうです。最高勾配は33‰、最少半径は70m、牽引は蒸気機関車だったでしょうから絶好の撮影地だったでしょうね。
一方の茂山線は鉄鉱石を輸送するために朝鮮鉄道威北線(開業;昭和4(1929)年11月15日)を北鮮拓殖鉄道が昭和15(1940)年5月1日に買収、その後昭和19(1944)年4月1日に鮮鉄が買収して茂山線となりました。こちらは標準軌ながら33‰の勾配路線で、ミカシ25が活躍しました。
ガイドのおば様が戻ってこられましたが、やはり立ち入りはNOです。まだ列車が走っていない路線ですので長居は無用です。次の撮影地に向けて移動することにしました。
長くになりましたので続編は、Part 13 で投稿させていただきます。