総本家青信号特派員氏が梅小路蒸気機関車館の閉館について紹介して頂きました。開館が昭和47年10月10日ですから あれから43年が経とうとしています。特派員氏は社会人1年生、私はDRFC5年生の時でした。実は梅小路の開館には我がDRFCもひと役かっています。と言うのも当時のDRFCには数名の女性会員(今でこそ鉄子と言われますが、DRFCは時代を先取りしていた?!)がいました。どういうルートで話が来たのか判りませんが、開館前日の10月9日には竣工記念セレモニーが行われたようで、そのセレモニーで2名の女性会員が和服姿でテープカットや花束贈呈を行ったのです。そして記念品やパンフレットを頂いています。それらの品は我が家のちょっとした家宝となっていますので ご紹介します。ただ残念ながら当日のスナップ写真等は残っていません。
開館当時のパンフレットを抜粋してご紹介します。当時は勿論国鉄で、大阪鉄道管理局発行です。
記念品の動輪はこれを模したものだろう。
来年春に京都鉄道博物館がオープンすれば孫たちを連れて見学しながら、孫たちに 「44年前にね、おばあちゃんがね ここでね・・・・・」という話をすることになるのでしょうか。
西村さま
昭和47年10月9日のことですね、よ~く覚えていますよ。実は、式典で国鉄総裁に花束を渡し、一緒に除幕をする女性二名は、国鉄から鉄道友の会京都支部に要請があったのです。ところが、友の会に女性会員は一人しかいなく、困った当会顧問で、友の会事務局長をされていた大西友三郎さんから、私のところに依頼があり、お二人にお願いした次第です。
当日は平日のため、私は初めて有給休暇を取って、大西さんとともに梅小路へ駆けつけ、立派に役目を果たされた姿を見に行きました。当日のスナップ写真がないとのことですが、私は磯崎叡国鉄総裁と一緒に除幕をされるシーンを写しています。
特派員様 大西氏から貴君経由だったとは。私は二人をクルマで送り迎えしたような ボンヤリした記憶しかありません。写真が残っているとは驚きです。「国鉄総裁」という言葉も死語ですね。うれしいコメントありがとうございました。