そもそもの始まりは、3月はじめ、DRFC-OB数人に に三連休に、大糸線「キハ52ありがとう号」を撮影しに行こうと話したことから、物語は始まります。関西組数人と関東組数人が「行こう」、「行く予定がある」と言っていたのですが、一人抜け二人抜け、最終的に参加したのは、関東組の大先輩の準特急氏と小生のみでした。
出発、数日前の週間天気も、三連休中日だけは、雨の予報!
いやな感じはしていましたが・・・
3月20日夜、家でほろ酔い気分になったあと、新宿23:54発の快速「ムーンライト信州81号」に乗車するために、最寄の私鉄駅に自転車で向かいましたが、猛烈な南からの向かい風で、歩いたほうが早いくらいでした。ギリギリ駅に到着。新宿を目指しました。
途中は、何の支障も無く、新宿に到着。
夜のとばりが降りた、中央線を一路、西に向かいます。
次のハプニングは、日野駅を過ぎたあたりで、豊田・八王子間に支障物があるということで、徐行運転開始、豊田駅で停車すること30分。支障物の撤去が終わり先行の電車が運転再開し、続いて、わが快速「ムーンライト信州81号」も運転再開です。所定0:40の八王子に30分延で到着。ここで、準特急さんが乗り込んでこられました。
快速「ムーンライト信州81号」は、更に西に向かいます。10分停車する塩尻の手前で目が覚め、塩尻で、ホームを駆け回り快速「ムーンライト信州81号」をカメラに納めました。もうこの頃には、所定の時刻に戻っていました。
塩尻駅停車中 快速ムーンライト信州81号 クハ183-1525
塩尻駅停車中 快速ムーンライト信州81号 クハ183-1528
朝食後、5321Mの到着時間が近くなり、ホームに向かいます。定刻になっても5321Mは姿を現しません。ホームからは、これからの一日を暗示するような不気味な月の様な太陽が望めました。10数分遅れて、5321Mが到着。二両編成の車内は、鉄ばかり・・・南小谷に到着すると、7:51発の423Dは、本日強風のため、運休とのこと。手際よく、糸魚川バスの代行バスが用意されており、南小谷に残る準特急氏と別れ、代行バスの列に並びました。ただ、満員に近い20メートルのE127系二両の乗客を小型バス一台で受けるのは無理があります。やっと乗り込みましたが、車内はすし詰め!つり革につかまるのがやっとです。乗り込めない人は、何時来るかわからないが、バスを手配しているので、そちらを利用してほしいとのこと・・・そうこうしている内に、本日の「キハ52 ありがとう号」は、強風のため運転中止となったことがアナウンスされますと、超満員のバスからあきらめて降りる方がおり、何とか座席を確保。8時10分過ぎ、超満員の代行バスは、糸魚川に向けて出発しました。
糸魚川駅に到着した423D代行バス
途中、律儀に各駅に寄り、約1時間で糸魚川駅に到着。運転中止になった「キハ52 ありがとう号」は、JR西日本の粋な計らいで、4番線に据え付けられており、強風と雨の中、撮影会が行われていました。
糸魚川駅 4番線にて「キハ52 ありがとう号」
定刻から大幅遅れ1531M クモハ419-14と並ぶキハ52
北陸本線は、軒並み遅れ、運休続出なので、「キハ52 ありがとう号」を撮影後、早々退散し、帰京する事にしました。これには、昔の苦い記憶があるからです。
大学1年生の夏、青春18切符を使って関東地方と飯田線を追い求めて、893-2氏・大ミハ氏と旅を始めたものの、富士川橋梁の流失で行く手を阻まれ、やむなく豊橋の木賃宿に泊まることを余儀なくされ、退却するにも退路を阻まれ、豊橋から名鉄と名鉄の代行バス、その後東海道線の醒ヶ井あたりでも代行バスにお世話になって、ほうほうの呈で帰宅したことが脳裏をよぎりました。
定刻より大幅に遅れて入線したきた、1531M 419系D14のクモハ419-14の車中の人になり、直江津を目指します。この時点での計画では、直江津10:51発長岡12:21着・12:33発越後湯沢13:50着・15:05発水上15:43着・15:48発高崎16:51着・17:02発上野18:50着の予定でした。
クハ419-4 前面の列車愛称表示部分が埋められている 直江津駅
直江津に約30分遅れの10:10過ぎに到着。駅で聞いてみると10:51発の1333Mは運休。その後の12:16発1335Mも運転の見通しが立たないとのこと、何でも直江津~柏崎間は、9時から15時くらいまで、強風で運転見合わせとのことでした。気を取り直して、仕方なく、ほくほく線経由で帰ろうと、車中のアルコールを売店にて購入していたところ、10時50分過ぎに放送が入り、柏崎・長岡方面に行かれるお客様は、改札前に集合してくれとのこと。行ってみると、代行バスを柏崎まで手配したので、それを利用して欲しいとのことでした。迅速な対応に感謝・・・
駅の南口に誘導され、行ってみると既に頚城バスの大型観光バスが待機。16名のお客さんと直江津駅の主任さんが乗り込み11時20分前に柏崎駅に向けて出発。途中、笠島と青海川以外のすべての駅に停車。潟町は、6名が乗車。柿崎では、柏崎から直江津に向かう代行バスと離合しました。ただ、途中、運転抑止されているのに、不思議なことに踏切で、EF510の単機を待ったり、雨の中、青海川~鯨波の名撮影地では、3人の鉄チャンがカメラを構えていました。
バスが駅前に入れない駅では、雨の中、直江津駅の主任さんが制帽のあご紐を使用して風で、帽子を飛ばされないようにしながら、駅にお客さんが居ないか確認されており、鉄道員の真摯な対応に脱帽です。
直江津~柏崎間代行バス バスの団体名を表示するところにJRと書かれている。柏崎駅
そうこうしている内に12時40分過ぎに、柏崎に到着。接続の長岡行き13:09発1335Mを待つことにしました。この1335Mは、本来、直江津始発ですが、今日は、直江津~柏崎が不通なので、長岡方面から来る列車が折り返すことになるとのことです。ただ、その折り返し列車の到着が遅れ、出発が20分程度遅れるとのアナウンスが入りました。
手持ち無沙汰で、駅のベンチに座っていると、長岡方面に三つの光を発見、目を凝らしてみるとボンネット車ではありませんか?残念ながら写真の撮りやすい2番線には入線せず3番線に入線しましたが、先日、能登を引退した489系H1編成を使用の読売旅行が募集した団体臨時列車でした。帰ってから調べてみると、19~21日にかけて敦賀・舞浜間運転された団体臨時列車で、柏崎は、所定4:37通過のものです。柏崎で抑止かと思っていましたが、しばらく停車の後、直江津方面に向け、静かに出発していきました。また、下りのEF81牽引のコンテナも轟音とともに通過していきました。
団体臨時列車 クハ489-501 柏崎駅
同じく団体臨時列車 クハ489-1 柏崎駅
生活の足である定期の旅客列車を運休させておきながら、団体臨時列車や貨物を走らすJRの対応については、????です。
さて、出発が遅れた1335Mで長岡に到着。長岡14:31発115系二連の1740Mで越後湯沢15:51着 16:45発の1742Mまで時間があるので、駅構内の日本酒入りの温泉800円で、時間をつぶすことに。以前夏に来たときは、ほとんど人が居ませんでしたが、スキーシーズンということもあり駅構内は、大混雑!女性用のお風呂は、2~30分待ちのようでした。
16:45発の1742Mは、115系4連のL3編成です。今では、数少なくなった0番台MM`ユニットが組み込まれ、AU712で冷房改造されており珍車です。残念ながら水上駅の到着が遅れ、接続の17:29発750Mの時間もありも、撮影できず残念でした。
750Mで新前橋に出て、6分遅れの750Mを接続待ちしていた3940M快速アーバンのグリーン車二階席に座って、ほっとしたとたん睡魔に襲われ、目覚めたら日暮里を通過。長い一日が終わりました。
今月は北海道(純粋に撮影旅行)、九州(仕事ついでに少し撮影)に仕事が
タイトでとうとう15日に疲労でダウンしてしまい、大糸線のお誘いを
お断りしてしまい申し訳ありませんでした。こちらの件は携帯メールの速報で
少し聞いておりましたが、21日は体調が回復したのと仕事が思いのほか早めに
片付き三連休が可能になったため、近場の琴電に参戦することにしました。
(自宅から糸魚川440km、高松170km)丁度、T氏と大ミハ氏も行くとの
ことで途中合流により財布にもやさしくなりました。昨日の高松も午前中は
黄砂で視界がきかず、強風は終日で明石・鳴門大橋も速度規制がかかっており
ハンドルが取られそうになりました。顛末記を拝見して疲労と諦めの中色々と
観察されており流石と思います。途中まで同行の準特急氏にも合わせて
痛み入ります。
記中の学生時代の飯田線の件は、私の中でも最大級の徒労です。
帰途の炎天下の醒ヶ井の側線に留置された東京ブルトレは今でも脳裏に
焼きついています。
大糸線のキハ52はアンコール運転が8月頃まで断続的に行われるようですので
(3両運転ではないようですが)その時にでもご一緒しましょう。
お疲れ様でした。
お疲れさまでした。無事で何よりでした。八王子到着前にいろいろあったことがよくわかります。最初車内でご尊顔を拝した時、既に出来上がっているのに驚きましたが、これも理解できました。小生の「Give up キハ52の旅」は小雪混じり、姫川濁流沿いを行く電車撮影でした。
お疲れ様でした。当日のご様子は携帯メールに断片的にいただいておりましたが、写真付きで物語風に投稿されますと、当日の大変さが本当に伝わってまいります。
出発の頃から その予兆があり、現地についても運転中止や次のステップへの不安など、すっごい1日となったことがひしひしと伝わってきました。
今回は、同行できず申し訳けございませんでした。(私のようなものがいますと、こんな状況ではパニックとなり、余計なご迷惑をおかけすることになったと思ってしまいますが)
次回が ありましたら よろしくお願いします。