第13日目 8月14日 その2
15:00 一休みしたところでヤンゴン中央駅へと向かいました。
ヤンゴン中央駅はイギリス統治時代の1877年に建設されましたが日本軍の進攻により敗退するイギリス軍により1943年に破壊されています。その後1954年に伝統的なビルマ建築様式によって再建されました。
▲ いかにもビルマと思わせる建造物ですが補修が行き届いていないためか薄汚れています。駅前広場も整備されておらず閑散としています。
▲ 駅へ向かう道路橋からは留置線が見えます。休車となった?日本製のDCが放置されています。真ん中はRBE2571(JR四国キハ47116)、後方は松浦鉄道のMR200形?、左はRBE2539(北海道ちほく高原鉄道CR70-1)です。
▲ 後ろを振り返ってみれば、真ん中に見えるのが宿泊しているパノラマホテルです。そで看板があるわけでなく初めて来たら分らないですね。タクシーで来て正解でした。
▲ 道路橋から階段を下りると、駅の跨線橋とつながっています。ここできっぷを売っています。
▲ まずは1番ホームに降りて駅員室を探します。今回のバンコクの環状線訪問はキハ181系に会うためです。ネットで調べると、2013年9月7日~2014年12月28日は、ヤンゴンとチャイトー(Kyaikto)を結ぶ土日運用の特急列車「Kyaikto Special Express Train」として約1年4ヶ月間走行していました。しかし、利用客が伸びず運休となり環状線に転用されて、クーラー装備の特別列車として運行しているようです。駅構内を見渡しても時刻表を見かけませんので、いつ走るか知るには駅員に聞く以外なさそうです。
▲ バンコク環状線の路線図です。
上はヤンゴンのミニコミ誌からの転載の日本語、下左は駅構内に掲示されていたものです。
下右の環状線時刻表は駅員室で見せてもらいました。日本から来た特急用のクーラー列車の写真を撮りに来た。運用がわかる時刻表を見せて欲しいと頼んで出してもらいましたが、クーラー車運賃の300kと書いた列車がありません。駅員からは現在走っていないとの返答でした。では、いつ頃に運用されなくなったかを聞くと、約1年前との事でした。
折角遥々来たヤンゴンですが広電に続いて目的は果たせずです。着いて早々にガックリです。
▲ ついでに見せてもらった本線の時刻表です。左がヤンゴン始発、右は到着です。夜行列車は各4本あります。環状線と同じく手書きのコピーです。これを見ても近代化が遅れているミャンマーの鉄道だとわかります。これは、日常的に使用されているものなのか、それとも今日だけのものなのか?▲ こちらは駅構内に掲示されていた時刻表、数字もミャンマー語なのでさっぱり分かりません。マンダレー駅には英語表示の時刻表があったのでよく分かったのですが、かつての首都駅です。ない方が不思議です。
▲ 駅正面の中央コンコースです。KIOSKも設置されてお菓子やら飲み物類が売られていました。
▲ 環状線ホームで発車待ちの旧客車編成です。イギリスが持ち込んだディーゼルカーを客車に改造した車両で最後部車の正面中央上には大きかった前照灯を埋めた痕跡があります。前回来た時はこの客車編成が圧倒的でした。
▲ 今日は車内に物売りがいませんが、乗客が座っている姿はいつも通りです。車両間にジャンパせんはあるのかと見ますとエヤーホースはともかく、電線はむき出しのテープ止めになっています。
▲ 環状線左回りで入線してきたRBE25124先頭のJR東日本のキハ40系4両編成です。比較的最近の登場のRBE25124(キハ40-579)+RBE25119(キハ40-542)+RBE25127(キハ40-2025)+RBE25125(キハ40-581)
▲ RBE25102(JR東日本キハ38-3 )先頭の5両編成です。2014年8月からの運用です。
▲ RBE3027(JR東海キハ48-3814)を先頭としたキハ48とキハ47の混合4両編成です。車内はご覧のように座席はほぼ満席です。
▲ 右回りで到着したRBE3012(JR東海キハ11-113)先頭のキハ11系5両編成です。車内はFRPのロングシート化されていました。
▲ 中央駅を発車するRBE3020(JR東海キハ11-121)を先頭のキハ11系118+102+122+113との5両編成です。日本ではこれだけの長大編成はなかったのでは・・、
JR東海からは2015年3月に16両が譲渡されています。車体中央の窓上に見えるひさしは、冷房装置を積載するために低屋根化した屋根の排水口です。当初はキハ181系同様にクーラー車として特別料金の列車(300kyat=約25円)として運行されていましたが、今年2016年7月からは環状線運用列車は100kyat(約8円)に値下げ統一されて、クーラーは使用されていません。
▲ 長大編成のマンダレー行きの夜行急行列車です。3年前にはこの逆のマンダレーからヤンゴンまで寝台車に乗車しました。機関車はアルストム製のDF1200形1263号機です。この列車は17:00発でマンダレーには翌朝7:45に到着予定です。
▲ 列車の編成車両です。この他に寝台車(4人コンパートメント)もあり、15両編成です。食堂車の厨房では調理が始まっていましたがコンロは電機やガスでなくコークスです。
▲ 17:00 列車が発車していくと車内販売をしていたおばちゃまたちは走っている列車から飛び降りです。
3年前の2013年3月に来た時はDL客車列車が多く、日本製DCはわずかでしたが、完全に逆転していました。以前はDCといってもキハ52や第3セクターで余剰となった小型DCたちでしたが、今や20ⅿ車のキハ40、キハ48系、キハ11系が新たに大量に加わり、キハ181系すらも追い出したように見受けられました。この様子では既存の客車が淘汰されるのも早そうです。
▲ 18:00 W田さんから紹介していただきました同志社大卒のT原君がホテルロビーに来てくださいました。
残念ながら在学中はDRFCが活動を停止していたためか入部はされていませんでしたが熱心な鉄ちゃんです。
奈良の銀行に勤務されておられましたが転職されて、ヤンゴンで日本語の先生をしておられます。
先日はボンネットバス研究の丸谷さんも来られたようで、共通する友人を持っておられます。
ホテル近くの日本料理屋を紹介していただき、ミャンマーの鉄道談義に花が咲きました。
ヤンゴンにはインドネシアのシュガートレイン撮影でご一緒した地球公務員の落花生さんも10月からヤンゴン大使館に転勤されてこられます。次回訪問する時にはお二人に会えそうです。 Part19へ続く
日本から行ったディーゼルカーは、日鋼式密着自連をそのまま使っていますが、機関車牽引の列車は昔ながらのドロップフック連結器ですね。英国の軽便や植民地に多く使われ、インドでは広軌列車にも。日本でも2呎9吋軌間の官営釜石鉱山に英国から持ち込まれたのが最初で、そのレール、機関車一式譲り受けた阪堺鉄道がそのまま使用。他には摂津鉄道(機関車はスイス製)、西三軌道→西尾鉄道が採用しており、日本での使用例はこれだけです。東南アジアの1000mm軌間鉄道のこれで、戦時中に陸軍が1000mmに改軌してタイに持ち込み、大井川鉄道に里帰りしたC5644も、ドロップフック式連結器装着して帰還しました。取り外したものが確か千頭だったかに展示してあったと思います。
湯口大先輩様、コメントをいただきまして、ありがとうございます。
ここの連結器は前回来た時から変った形だと不思議の思っていましたが、英国ゆずりなのですね。勉強になりました。
軽便用にしては結構丈夫なのですね。本線では16両編成の客車を牽引しています。貨物列車はまだ見ていませんが、同じように長大編成を牽引しているのかも・・。