取り急ぎクハ1711、1712

湯口先輩より【10193】「北陸鉄道その6」能登鉄道のホハ、北陸鉄道統合後石川総線でのサハ611の超貴重な画像の公開があり、更に今回その続編とも言える内容の披瀝があり、唯感激するばかりである。いずれの画像も本邦初公開ではないかと思われる。
「北陸鉄道 昭和40年代シリーズ」は、写真と資料を見比べつつ仕事の合間にぼちぼち進めており、現在石川総線を進めているところであるが、不明な点も多々あり悪戦苦闘している。以降加南線、金沢市内線、能登線と進めて行きたいと思っているが、何とか全部終わらせたいと思っている。
表題のクハ1711と1712は現在進行中の「石川総線」の中で登場するが、取り急ぎ画像のみ貼りつけた。クハ1711は46年3月20日野町で、クハ1712は45年10月11日鶴来での撮影である。

 

取り急ぎクハ1711、1712」への2件のフィードバック

  1. いや神業のごとき素早いレスポンス、老人は感涙に咽んでおります。有難うございました。これで見ると、車体はまともなメーカー製にさしてヒケはとりませんね。1712は雨樋がない分窓上部分が重そうですが。台車は確かにTR10の新しい奴。電装したのだから「DT10もどき」と称すべきでしょうか。

  2. 2年半の富山生活で、北鉄には一応全線乗車をすることが出来た。先日の高橋御大の写真も見せて頂いて「ふと思い出した」ことがある。1961年秋、金名線服部駅脇の服部鉱業なる砕石屋に製品調査に商社マンと赴いた。「午後来社ありたし」と連絡があり、北陸本線を汽車で寺井へ向けスタートした。新寺井で待ち受けていたMT編成、Tは611号だった。古い客車が留置されていることは見ていたが、写真を撮ったことはない。もしあっても三八豪雪の後遺症で雲上へ昇天あそばしたから御披露申し上げることは不能である。611号はキャンバス張りののロングシートであったと思う。サハ2001、2は鋼体を日鉄自動車で作り、鶴来車庫で整備したと聞いたように思う。台車のホイルベースは2438ミリ、北鉄では611と共に最長であった。製品調査後、獅子孔高原に案内され、アカトンボの群れの中に身を沈めた。
    その後、麓の料亭で「ツキノワクマ」のステーキをごちそうになった。もちろん、
    製品調査は合格であった。

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