江若鉄道開業100年

1921年(大正10年)3月15日江若鉄道の三井寺-叡山間が開通しました。ちょうど100年前の今日のことです。滋賀県の湖西地方に鉄道を建設することは、住民の長年の夢でした。江若鉄道の建設については、その株式を沿線の市町村に割り当て、多くの住民がその株式を購入しました。自分たちの鉄道という意識が強かったのでしょうか、1969年10月31日に廃止となった後も江若鉄道への思慕の思いは強く、その節目ごとに当時をしのぶイベントが開催されています。当会の西村雅幸氏が造られた浜大津、三井寺下、白髭などのジオラマが展示された大津市歴史博物館の特別展などは記憶に新しいことでしょう。一昨年の廃止50年の際にもミニ展示が行われたのですが、残念ながら開業100年に当たる今年はコロナ禍の影響もあるのか、イベントの話は聞いていません。ただ先日会員の方にも協力いただいた旧近江今津駅舎保存運動など、みなさんの記憶にはまだまだ江若鉄道という名前は残っています。私はかろうじて廃止の前年くらいから撮影しただけですが、最初の始発駅であった三井寺駅(大正14年に三井寺下と改名)、三井寺下機関区を撮った写真を載せてみました。

↑ 浜大津側から三井寺下駅ホームを見る。浜大津から来た線路は大きく右にカーブし、ホームの一部はカーブしていました。

↑ ホーム端から浜大津側を見る。ちょうど浜大津からの列車が到着するところです。

↑ 駅の西側には本社と機関区があり多くの車両がみられました。

↑ 江若を代表する形であったキニ13、後ろには蒸機時代の名残の給水塔が見えます。

↑ この頃は貨物輸送もあまりなかったのか貨車には休車の文字が見えます。後ろに見える蔵のような建物は今も残っています。

↑ 一昨年廃止50年の記念展と合わせて行われた三井寺下付近廃線跡を巡るツアー。人のいるところが線路跡で、カーブして浜大津へ向かう線路跡はそのまま残っています。正面にある蔵も当時の建物です。

↑ 撮影日が廃止前日の10月30日となっていました。三井寺下駅で行われた社員の方?のお別れ会でしょうか。

江若鉄道開業100年」への10件のフィードバック

  1. 行っていた高校(京都市立堀川高校)の夏の寮(正確には「飯場のような木の掘っ立て小屋」)が青柳ガ浜(木戸と比良の間の夏季のみの臨時駅)から徒歩2分の浜辺にあったので、夏は放課後や週末には友人らと江若でよく行ってました。(三条京阪から京津線で浜大津乗り換え)

    よく見る昭和30年代中頃(1960年前後)の浜大津駅です。

  2. (続 江若浜大津駅)
    江若浜大津駅の東側(膳所方)からの写真です。
    左側の線路は京阪石坂線で、ほぼこの位置に今の京阪浜大津駅があります。
    真ん中の江若浜大津駅の本屋あたりは今はバスターミナルです。
    (最左側のビルは今も残る「旧大津公会堂」です)
    この写真のもう少し膳所方の(紺屋が関)踏切の手前で、江若の1067mmが京阪の1435mmに乗入れて膳所駅手前まで3線線路を形成していました。

  3. (続の続)
    江若浜大津駅横の踏切から見た西側(三井寺方)です。
    (「大津の86」氏の一番下の写真の反対側向き)
    この写真の左側に京阪京津線の突っ込み型の浜大津駅がありました。
    (写真の右側にはほどなく琵琶湖汽船の浜大津港)
    この江若の線路跡や京津線の浜大津駅跡などの界隈をまとめて大津市が1998年に再開発し「明日都」という商業施設とマンションを作りました。(今でも「明日都」の最大の地権者は江若交通です)
    今、愚生は何の因果かその江若の線路跡に建つマンションの13階に住んでいるわけです。

  4. 無印不良品様
    私が撮りだした頃より大分前の写真懐かしく拝見しました。3枚目の浜大津から三井寺側を撮った写真は初めてみました。地図から見ると今のお住まいはちょうど線路が単線で本線となるあたりでしょうか。まさか江若の線路の上に住むとは思われなかったことと思いますが、ご縁ですね。ほかにもいろいろ写真を撮られていたのではないでしょうか。またご披露お願いいたします。

    • 大津の86さま
      今回は「江若の三井寺下~叡山の開業100年」のことを載せられたのに、私は「江若」のことと早合点して今回のコメントを書いてしまいました。
      三井寺下~叡山が開業してから江若は今津方にボチボチ延伸していき、浜大津~三井寺下が開業したのは1925年4月のことでした。(この時点で浜大津~和邇間が開通)
      大変失礼いたしました。

      • たまたま三井寺下の写真がいくつか見つかったので並べてみましたが、3月15日は江若鉄道の開業日ですので、全般について書いていただくのが何よりかと思います。なんといっても当時の浜大津は3線が集まるターミナルでしたが、今は全く姿を変えていて、懐かしく拝見しました。

  5. 大津の86様、無印不良品様
    なつかしい江若の現役時代の写真をありがとうございます。コロナがなければ、開業100年の記念行事があって、大津に出向く筈でしたが久しくびわ湖を眺めておりません。さて86様の写真のなかで、ワムの後ろの土蔵と大勢の人達の後ろの土蔵が出てきますが、これら2つの土蔵は別物です。ワムの後ろの蔵は三井寺下の北方、皇子山運動場側の道路際のもので、大勢の人たちの背景の土蔵は三井寺下から浜大津に向かう線路跡遊歩道沿いのものです。北側の写真を添えておきます。早くコロナが収まって、86様や江若跡地の住人様と一献傾けたいものです。

    • 西村雅幸様
      失礼しました。スキャンした昔の写真を見て廃線ツアーの時に見た建物だと思っていましたが、別に同じような建物が残っていたのですね。ところでジオラマを作られた時にいろんな資料を調べられたことと思います。先日琵琶湖大津館の浜大津ジオラマを見に行った折、大橋堀の鉄橋も再現されていたのに気がつきましたが、どの資料から調べられたのでしょうか

  6. 唯一残る駅舎、今津駅の旧駅舎ですが、保存に向けて動き出すかも知れません。高島市の議員がその件で議会で質問をしていますが観光資源としても遺産としても重要であり市として対応を考えているみたいな返答だったと記憶しています。
    今日も前を通りましたが相変わらず駐車場の真ん中に残る駅舎はちょっと何とかなって欲しいものです。
    一方所有者のJA今津は本音は耐震補強全くなしのこの建物、年度内に取り壊すつもりもあったらしいですが思わぬ反対運動に押された形で踏みとどまっている模様です。農協自体が4月から合併で大組織に移行するのでそれが吉と出るか凶と出るかは市の対応次第ではないかと。

    • たかむら様
      駅舎保存運動の署名活動もされていましたね。私も一昨年でしたか江若鉄道の廃線跡をめぐるツアーに参加して旧近江今津駅舎を訪れました。近くにはヴォーリス建築もあって、うまく活用すれば観光コースができるのではと思います。保存されることを願っています。

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