クローバー会北九州ツアー余禄

あれからもう1ケ月近くが経とうとしており、間の抜けたレポートになりますが悪しからず。2日間のツアーが大変充実したものであったことは、参加者の皆様が異口同音に述べられている通りで、企画、お世話頂いた方々に改めて感謝申し上げます。せっかく北九州に行くなら少し寄り道をと考え、2日目は西鉄貝塚駅前で皆様と別れました。私の住む広島県三原市は小早川隆景の居城三原城のある城下町ですが、その隆景がまず1585年に伊予攻めの功により秀吉から伊予国を与えられ、次いで1586年に九州攻めの功によって筑前、筑後と肥前の一部を与えられます。そして海城として名島城を築き、博多の街づくりを行います。ということで、三原人にとって名島城の存在は有名なのですが、私自身は名島城を訪ねたことがなく、今回は絶好のチャンスと考え、名島城跡を訪ねた次第です。名島城跡訪問記は省略しまして、この日は和白で1泊し、翌日は香椎線の初乗りで西戸崎に行き、そのあと、若松、戸畑、スペースワールドと巡って帰路につきました。そんな寄り道旅の様子をご紹介します。

1.香椎線と西戸崎

宿泊したホテルAZ福岡和白店は有難いことに朝食は6:00からなので、早々に朝食を済ませてJR和白駅に向かいました。JR香椎線和白駅は西鉄貝塚線和白駅と隣接しており、月曜日の7:00過ぎとあって、香椎、博多方面に向かう通勤、通学客で大変混み合っていました。しかし西戸崎方面に向かう人たちは少なく、西戸崎までの15分程ではありましたが、風景をゆっくり楽しめました。

和白駅風景 令和5年5月29日 左は西鉄貝塚線654+614、右はJR香椎線721C宇美行き

終点西戸崎駅は2面2線の簡素な駅でしたが、かつては志免炭鉱からの石炭を海軍用に積み出す設備もあり、終戦後は米軍基地もあって広い構内には多くの線路や建造物があったことでしょう。線路は現在の駅から更に先に伸びていたようですが、すっかり住宅地になっていました。駅舎は随分垢抜けのした近代的な建物でした。

西戸崎駅舎

西戸崎駅構内

殺風景な駅前でしたが、少し歩いてみることにしました。少し先に旅客船の波止場があり、丁度船が到着するところでした。

西戸崎旅客待合所

福岡市営渡船「きんいん」号、志賀島と言えば「金印」

海の中道から志賀島へ

この連絡船は博多港と西戸崎、そして金印で有名な志賀島を結んでいます。時間があれば志賀島も行ってみたかったのですが、駅に戻ります。通勤・通学時間帯とあって本数も多く、7:46発の2727C博多行きに乗りました。この列車は1日1本だけある西戸崎発博多行き直通列車で、博多着が8:27と好タイムなので、途中駅ごとに乗客が多く満員でした。最後部の運転台横でがんばることにしました。

中道信号所で交換

海の中道と雁ノ巣駅間に中道信号所があり、ここで交換しました。この信号所は元の海の中道駅だそうですが、「マリンワールド海の中道」が出来た際に新駅ができ、旧駅は信号所として残ったそうです。

中道信号所

中道信号所を過ぎると、玄界灘に面した砂丘地帯を走ります。最後部で過ぎ行く景色を見ていたために目撃できたのですが、列車が砂塵を巻き上げて走る光景を初めて見ました。

海の中道-雁ノ巣間の砂丘地帯を砂塵を巻き上げながら走る

砂丘地帯の様子

かつて国鉄大湊線の砂丘地帯を走ったことがありますが、砂塵を巻き上げて走ったのは初体験でした。車両の保守にも砂対策が欠かせないのではと感じました。短い区間ですので、もう和白に戻ってきました。

和白を過ぎて西鉄貝塚線と並走しながら勾配を登って香椎に向かう

2.八幡製鉄所の機関車たち

初めての香椎線の香椎・宇美間は未乗のまま、折尾から若松へ向かいました。折尾の変貌ぶりは特派員殿他が詳しく紹介されているので省略し、折尾・若松間の様子だけをご紹介するに留めます。

奥洞海付近で折尾行き6639Mとすれ違う

折尾・若松間は複線のままで、かつての筑豊本線のプライドを留めているような印象を受けました。しかし線路内の雑草や車体をこするような伸び放題の草木の状態は半世紀前には考えられない景色でしょう。15分で若松到着です。

若松駅

若松駅の変貌ぶりについても、特派員氏が詳しく紹介されていますので重複を避けますが、石炭で活況だった当時とは比較にもならない寂れ様でした。駅前のセムや19633を見ましたが傷みがひどく、余計に哀れさを感じました。駅の展示のなかに、かつての配線図が飾ってありましたが、これを見れば凋落ぶりは一目瞭然でした。

若松駅構内配線図  現在は太線で書かれた本線のみ。広大な構内や機関区は想像できない。

若松駅をあとにして海岸通りに並ぶ歴史的建造物を見学しながら、若戸渡船乗り場に向かいました。渡船は15分毎に出ており、3分で対岸の戸畑に着きます。

若戸渡船で戸畑に到着

戸畑駅から次の目的地であるスペースワールド駅に向かいます。ここには八幡製鉄所関連の産業遺産があり、保存展示されている大型凸電のE601を撮影するのが主たる目的でした。駅から15分程のところに東田第一高炉史跡広場があり、E601が展示されているのを楽しみに重い荷物を下げて、探しながら歩きました。ようやく場所を見つけて、人けのない階段を登ると広場入口に着きました。

東田第一高炉史跡広場入口

ところが、何と危険個所があるらしく再開時期未定で閉鎖されているのです。巨大な高炉建造物の向こうに目当てのE601は見えるのですが、フェンスを乗り越えるほどの勇気もなく、遠くから眺めて引き返すことにしました。残念!!

臨時閉鎖の看板

E601遠望

日本製鉄八幡製鉄所はJFE福山製鉄所と並んで、国内でのレール生産の拠点です。その構内には専用線があって、くろがね線用のE8501~E8504、D704、D705が在籍している筈です。その1両でも撮れないかなと思いながら工場外側の道を歩きました。また構内で最後まで活躍した蒸気機関車370号機も保管されている筈です。スペースワールド駅のすぐ北側に370号機の上半分が見えていたので、どこかから何とか撮れないかと期待して近くまで行きましたが、2mほどの塀の向こうでどこからも撮れません。脚立があれば撮れるのでしょうが、それは無理なので仕方なく手を一杯伸ばして撮りましたが、これが精一杯でした。

370号機

370号機

370号機は昭和26年6月日立製の38TonCタンクです。屋外保管ですが、状態は良いようです。この種の産業用機関車の保存機はそれほど多くないので、積極的に公開展示して頂きたいものです。高炉史跡広場ともう1ヶ所行きたい場所がありました。官営八幡製鉄所旧本館が眺められる眺望スペースです。旧本館もさることながら、その前に広がる構内線路上の現役の特殊な貨車たちが見たかったのです。せっせと歩いてようやく着きました。それにしても人気が無いのか、全く人の姿がありません。何と月曜日は休みなのです。これは事前の調査不足でした。世界文化遺産ならいつでも見ることができるだろうと思い込んでいたのが間違いでした。またしてもガッカリ!!

世界文化遺産 官営八幡製鉄所旧本事務所の説明看板

重い足を引きずりながら塀沿いの道をスペースワールド駅まで戻ることにしました。すると塀の向こうにパンタを上げた電機の姿がありました。今度も塀の上へ手を伸ばしたり、塀の僅かな隙間から撮影です。

E8502  奥に停まっているのは構内専用のD616

このE8502は昭和51年3月 三菱三原製の85TonED機です。まともな写真は撮れませんでしたが、もう数少なくなった三原生まれの現役車両を撮ることができて、旅の最後の思い出となりました。

 

 

クローバー会北九州ツアー余禄」への6件のフィードバック

  1. 玉稿ありがとうございました。
    元九州人の私にはとてもありがたくよく判る内容で、福岡近郊の香椎線の終点付近の現状や、若松の衰退、また八幡製鉄の火が消えた遺産だけになった製鉄所の現状が痛いようによく伝わってきました。
    添付の写真は同志社に入学した1979年の12月に帰省して、年末に地元の友人と行った年の暮れ迫る西戸崎駅の風景です。
    この日の訪問は他に雁の巣駅、海の中道、また西鉄宮地岳線の津屋崎終点、そして夜間になり香椎線の奥地の土井駅と終点宇美駅を訪ねました。
    これは主観的な感覚ですが九州の人は寂れた、衰退したと言われることに地元の人の認識はあっても外側の人間が言うことに抵抗感があるようで、いつも私は神経を使います。
    懐かしい郷里であっても「言うな」と遮られたことが何度かあり、九州人同士が関西で話すのと違う配慮の難しさ、一人勝ちと言われる福岡市であっても、さらに奥地に行き半世紀前の写真と並べると如実なのですが、それを言われることには強い抵抗感があることを感じます。
    西村様の原稿の中立感、自分の父が働いた八幡製鐵所の現実、皆様より1週間早く入った九州で見てきたことなどが脳裏を巡りました。

    • K.H.生様
      早速のコメントありがとうございます。九州人の精神風土については考えたこともなく、示唆に富んだご指摘は通りすがりの旅行者には知り得ない部分です。西戸崎駅の旧駅舎の写真もありがとうございます。香椎・西戸崎しか乗っていないので何とも言えませんが、交換駅の線路有効長が意外と短く、石炭輸送を行っていた路線らしくない感じがしました。私鉄 博多湾鉄道の痕跡と見れば良いのかとも思いながら、蒸機が走っていた頃の情景を思い描きながらの乗り鉄旅でした。

  2. 西村雅幸様
    三原城は小早川だったのですか。昨日ブラタモリを見ていましたが舞台は関ヶ原でした。関ヶ原では西軍の石田三成と東軍の徳川家康から応援すれば領地を与えるように口説かれていたようです。小早川は19才の若きハンサムな武将に描かれていますが何となく自信のなさそうな顔がおもしろいです。八幡製鉄やスペースワールド跡も残念でしたね。ご報告ありがとうございます。

    • 準特急様
      ブラタモリ、私も見ました。小早川秀秋は裏切り者というイメージが出来上がってしまっていて、お気の毒です。三原から北九州へは、その気になればそれほど遠くないので、再チャレンジも考えているところです。コメントありがとうございました。

  3. 西村様
    北九州ツアーの解散後は、皆さん、自分なりの旅を続けられましたね。この歳になると、人が集まるイベントには背を向けて、自分なりのテーマ性を求めて一人旅に出るようになります。西村さんならではの「香椎線」「八幡製鉄」を楽しませてもらいました。と、思っていたら、もう北海道へも行かれたとのですか。北九州行きの新幹線のなかでも聞いていたことですが、その行動力には脱帽です。
    地元の小早川隆景にちなむ旅をされたように、地元と旅先を結びつけるテーマ旅として、私は、以前に住んでいた「天神」という住居表示を求めて福岡県下を旅したことがありました。福岡県には大宰府天満宮があるため、「天神」の地名がたくさんあります。代表は福岡市の天神です。私が住んでいた同じ地番の「天神〇-〇-〇」のプレートを繁華街のなかで見つけて大喜びしました。宮地岳線沿線でも、廃止された区間の古賀駅の周辺が「天神」で、駅前の地図で、同じ地番があることも確認しました。ほかにも福岡県には数市町に同じ地番があるようです。写真は、2007年3月に廃止された宮地岳線の記念ポスターです。

    • 総本家青信号特派員殿
      コメントありがとうございます。「天神」を求めての旅とは、おもしろい切り口ですね。今回の北海道もそうですが、結構あちこち旅をした方だと思っていますが、それでも日本は広く、多様性に富んでいて あと何年あっても訪ねきれないなと実感します。とにかく健康を維持して、旅が続けられればなと思いつつ、次なるプランを考え始めています。

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