鉄道少年の時代に戻ってみる  〈1〉

京都市電北野線に乗る

ついに後期高齢者となりました。市から送られて来た「後期高齢者保険証」を感慨深く見入っていました。“高齢者”の前に“後期”が付く、紛れもない年寄りです。こんな記念すべき時期(?)に、デジ青でやるべきことは何か、やはり鉄道写真を始めた原点に戻ってみようと思います。鉄道写真を撮り始めてから、もう65年の歳月が流れました。親に買ってもらった子供向けのカメラで小学校の時から写し、鉄道を撮った写真は抜き出してスクラップブックに貼り付け、自分だけの鉄道アルバムを作っていました。最初のページには、昭和36年廃止の京都市電北野線の写真が貼られていました。2022年開催の第9回クローバー会写真展のサブテーマ「私の蔵出しお宝写真」に出品した、堀川丸太町に到着する京都市電北野線の写真は、文字通り、自分で最初に撮った鉄道写真第一号だった。(以下、昭和36/1961年6月25日)。

 

 

そのあとも、旅行の途中に撮った写真、自転車で撮りに行った高倉陸橋や山科の大カーブなど、小・中学生の頃の写真が貼られています。貼ったあとは、1枚1枚、撮影データを記入し、自分だけのデータベースができて行くのが無上の喜びでした。一部はデジ青でも紹介しましたが、大部分の写真はアルバムに貼っただけで、活かすことなく眠ったままでした。フィルムの状態も悪く、傷だらけですが、修復に修復を重ねると、なんとか見られる状態にまでなりました。こんな個人的な投稿ができるのも、写真・ネガをずっと保存・継承してきたこと、そして、デジ青という投稿の場が用意されてきたからこそと感謝しています。さて、その少年は何を撮っていたのでしょうか。

この日は6月25日、“天神さん”の日で、堀川丸太町から父親と満員のN電に揺られて、あと1ヵ月後の廃止が迫った北野線の乗り納めを行った。堀川の水が、大量に流れている。左手では、京都国際ホテルが足場を組んで建設中。

北野に着いたN電は、ポールを上げ下げして、折り返しの準備。右手木造2階建ては相馬病院、のちに亡母の入院先となり、ある期間、ほぼ毎日通うところとなった。このあと、少し前に廃止になった京福北野駅の跡地を見に行った。板囲いの隙間からのぞくと、駅舎がそのまま残っていた。この8号に乗って、京都駅前まで向かった。ここでもすぐにポールの上げ下げに掛かる。左手は竣工したばかりの京都中央郵便局、周囲にビルはなく、ずいぶん高く見える。

京都駅前のN電乗り場は、塩小路通りの中央にあった。左手は関西電力京都支店、N電背後の日光社、松本旅館も懐かしい。

 

 鉄道少年の時代に戻ってみる  〈1〉」への2件のフィードバック

  1. 堀川丸太町の写真を始めて拝見した時、「これが小学生の撮った写真か!」と驚いたのを覚えています。今回、他のカットも拝見して、やはり驚くばかりです。周りの風景や人物を巧みに取り入れた構図は、この頃から意識されてたのでしょうか? 車掌さんや乗客が主役で、電車は背景のひとつ(そうは言っても大事ですが)のようにも感じます。
    人が画面に写っていることで動きが生まれ、周りの風景から時代や季節が読み取れる、素晴らしい写真ですね。ただ、現在では人物を入れた写真は撮りづらくなりました。それでも私は画面の端にでも、何とかして人物を入れようとするのですが、思うような写真は撮れません。

    • 紫の1863様
      昨日は、長時間ありがとうございました。はい、小学校6年生の撮った写真ですよ。できれば、「鉄道ファン」に載ったような、人が邪魔していない、N電だけの入った写真を撮りたかったのですが、街の中では、そうはいきません。渋々、人が入ったままの写真を撮ったまでです。それに、さすがにこの歳では感じませんが、若い頃は、カメラを構えた時は、恥ずかしさで、人の視線がいつも気になりました。“いま誰も見ていない!”と思った時に、サッと撮っていました。

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