阪神電鉄国道線(3)甲子園線

 さてさて、3回目は甲子園線です。当線は先の国道線建設のように、阪急や省線との対抗や、それらの防衛対策上から建設されたのではない。

『大正末期から昭和初期にかけて、阪神電鉄で推進された支線計画のうち、その使命がもっとも純粋に輸送・開発機能に置かれたのが、甲子園線である。当社は、大正1110月に買収した武庫川の支流であり、洪水対策から廃川になった枝川・申川の廃川地の開発のため、大正14年甲子園・甲子園浜間および甲子園・上甲子園問の軌道敷設特許を申請し、それぞれ翌大正15年に特許を得た。そして、早くも716日から甲子園・甲子園浜問、昭和3711日には甲子園・上甲子園間の営業を開始した。甲子園線はさらに昭和579日には、今津出屋敷線の一部である浜甲子園・中津浜問(複線、42チェーン13リンク)の営業を開始し、上甲子園。中津浜間を通常4車両で営業する体制となって、甲子園開発のバックボーンを形成した』のである。(阪神電気鉄道八十年史、阪神電鉄より)

 さらに、『昭和初期までに、大阪・神戸の2大都市よりも阪神問地域に人口増加が著しく進行し、市街化、住宅地化が拡がるようになった。昭和初期における支線展開やバス路線の開設は、こうした趨勢に対応するものである。』(中略)

『当社は,単なる路線展開にとどまらず、地域開発の形でこのような趣勢を積極的にリードした。その最大のものが甲子園開発である。甲子園は、大正1110月に兵庫県から410万円で譲渡された224000坪の枝川・中川廃川敷の開発から始まり、大正137月に完成した野球場が開発の初めであった。甲子園の住宅地としての開発は,大正151025日、株主総会で「食堂業及び土地家屋の売買等」を定款に追加を決議することから出発した。昭和371日から「甲子園住宅経営地」の第1回分譲が始まった。この第1回分譲地は、阪神本線の甲子園停留場の北側、旧国道付近から甲子園線沿いに拡がる中甲子園であった。』(出展:同上)

 このように、甲子園地区は北側の甲子園一番町から、海側の十番町に至るまでの街づくりがはじまり、甲子園線が活用されたのです。現在も、十番町を除いて地名番地がそのまま残っています。

国道側から眺めた甲子園線。今ちょうど211号が終点に到着して、客扱いを始めている。ドアーは車道側でなく、反対の軌道側を開けている。遠い画像だがステップの降りているのが見えます。

91号が軌道の下り車線側に入って来た。この後、客扱いと、Yゲルを転換し出発する。終点手前にX字クロスポイントがあり、亘ってから客扱いし直進で折り返す方法(上の写真)と、直進後客扱い(先のカラー写真)し、その後亘って折り返す二方法が採られていました。

同じ91号の反対側。右手が進行方向の浜甲子園側、電柱に駅名票が見える。乗車待ちらしき女性の姿も。左手が本線上甲子園。9191号。終戦直後の1947年、製造割当が少なく3両だけの製造になった内の1両。汽車製造製。

211号の出発。客扱いを終わりYゲルを転換、少し先のクロスで下り線に亘り、甲子園浜に向かう。右手に駅名票、カラーでよく判る。進行方向にに第一生命のビルが、現在もこの地で同じ姿で残っています。


71
号。上甲子園行き。この71号は74号と共に、後にパンタグラフに付け替え、武庫川線に転出。その後尼崎市の公園に静態保存されています。(後述)

 
71号の後ろ姿。周りは敷地の広い戸建ちの、静かな住宅街です。

211号。甲子園駅の北側。緩やかなカーブを経て、北の方向上甲子園に向かう。

阪神本線甲子園。高架上が甲子園駅の西側部分。高架下の甲子園線甲子園駅を出発、北に向かう。付近の電柱に赤い“ワシとんかつソース”の看板が目立つ。近畿地方にとんかつソースメーカーは多いけれど今も残っているのかしら。電車と全く無関係な話でした。
 これで甲子園線と国道線の紹介はお仕舞いです。阪神パーク前や浜甲子園の写真はありません。子供たちを連れて阪神パークにレオポンを見に行ったことはあるのですが、子供たちに精一杯で電車どころでなかったのでした。

 

 尼崎市の公園2か所に、71号と74号が静態保存されています。

尼崎市藻川公園。フェンスが車両ぎりぎりに作ってあり、姿をよく撮影できません。上の覆いも屋根ギリギリです。腰下のマルーン色がすっかり褪せていました。近くで見るとさすがに大きいです。バスよりも大きいでしょう。電車側面に案内板がありました。

 

上の公園の近く、尼崎市水明公園。尼崎センタープール(競艇場)の北側にあります。ここもフェンスが二重。木が生い茂り全容が見えません。わずかに往年の姿を思い浮かべられる程度でした。寂しさが一層増しました。 

 電車好きの少年の頃、尼崎から神戸・平野の叔母宅へのルートが34通りありました。阪神電車本線出屋敷→三宮→神戸市電→平野。国道線→東神戸→脇の浜→市電。国道線→住吉駅前→省線電車→三宮→市電。省線立花→三宮→市電。 

 住宅が尼崎市の中南部でしたこの頃、阪急電車は全く利用しなかったですね。そして国道線、神戸市電がもうとっくに無くなった今、同じ尼崎市の阪急沿線に住んでいます。

1 thought on “阪神電鉄国道線(3)甲子園線

  1. 「甲子園、甲子園野球場前でございます。上甲子園、浜甲子園方面は甲子園線へお乗換え願います」。 阪神本線の電車が甲子園に着く前に当時の車掌はこれを丁寧に2回案内放送していました。合計10回も甲子園の名前を聞くと人によっては「うるさいな!」と怒る人も居たのでしょう。経営統合した阪急のKさんからも2回案内は苦情が多くてやめたと聞いたことがあります。漫才のネタになりそうな案内放送でしたが、それはさておき今回も素晴らしい記録を有り難うございます。国道線の撮影は皆無で私が撮ったのは本線甲子園駅の下での甲子園線の金魚鉢だけでした。

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