韓国1971年その4

 ソウルの南約40km、世界遺産の町水原。今は地下鉄も開通してソウルのベッドタウンと化したが、当時でも列車に乗ると簡単に行けた。4月26日、同行の友人と別れて一人やってきた。今回、紹介するナロー762ミリゲージの存在は勿論知らなかったが、小生の1週間後の5月2日にここをグループで訪れた訪問記が鉄道ピクトリアル1971年9月号No255に掲載されているのでお持ちの方は参考にされたし。このナロー鉄道は水原を拠点に西は南仁川まで52km、東は驪州まで73.4kmあり、西側は7往復、東側は5往復の列車が運行されていた。形式はヒョーキと称しており、ハングル字のナンバープレートでも判読できるが、何故ヒョーキと称したのかご存知の方が居られたらご教示願いたい。なお、蒸気機関車のヒョーキ11形は汽車会社蒸気機関車製造史昭和47年交友社発行によると1D1形テンダ機関車を、昭和12年に7両(Nos.900~906)、昭和19年に2両(Nos.910~911)を朝鮮鉄道株式会社に製造納入したとあり、それらの一部を撮影したものと思われる。なお、本機の設計は高田隆雄氏の処女作との記述あり。他の車両も日本製が多いと思われるが、研究不足でこれまた、ご教示いただければ幸いです。

ヒョーキ11-7 番号7だけの表示である

ヒョーキ11-7牽引混合列車の出発

ヒョーキ11-8

ヒョーキ11-14 戦時設計のドームと2軸テンダ特徴

休車中のヒョーキ8-28タンクロコ

庫内のヒョーキ1

客車18016

客車内 板張りシーと裸電球 凡その大きさがわかる

韓国1971年その4」への4件のフィードバック

  1. 待ちに待った記事が始まりました。
    最近のテレビと同じで長~い予告編を長期間見せておいて期待を高めておいていざ始まると期待倒れ、という事のないようにお願いします。
    と、言いましたがこれは期待に違わない力作ですね。
    私が行こうとしたのは、前にも書いたようにずっと後で、すでに台風で線路が流されて長期運休中でした。結局再開されることなく廃止となったので見ることも乗ることもできなかった幻の鉄道です。
    さてハングルの「ヒョーキ」ですが写真が小さくヒョーキと書いてあるのかヒキと書いてあるのか読めません。但しヒョ-キと書いてあっても「表記」ではありません。また「ヒョーキ11-7」とありますが11はどこに書いてあるのですか?
    いずれにしても貴重な写真をありがたく拝み見ております。
    ついでながら昔釜山にも市電があり、釜山駅から北の端の温泉地・東莱温泉まで走っていました。その時の写真が東莱温泉の大型風呂屋のロビーに飾ってありいつも見ていますがこれについて知っている方はいないでしょうね。

  2. おひさしぶりです。山下です。
    現在また韓国に出張で来ております。

    記事の写真中あります「ヒョーギ8-28号」ですが、記憶でどこかで見たと思って、
    いろいろ探していたら、ソウル市内のソウル国立科学館に現在も展示されています。
    私も2006年に訪問しており、その時に写した写真を見ていたら、
    説明文に「ヒョプキキカンチャ」(狭軌機関車)との説明がありました。
    型式の「ヒョーギ」というのは、もしかしたらナローを表すヒョプキの「ヒョ」と
    キカンチャの「キ」を取って、狭軌用の機関車を現したのではないでしょうか?

    ちなみに、記載されていた仕様では、速度 50km、軌間760mm、
    長さ9.6m、高さ3.2m、重量32トンと書かれています。

    運行区間は、水原~仁川、水原~ヨジュだったとの記載がありました。

  3. 田野城喬様
     DRFC現役時代は語学にお強い方ばかりで、中には語再連なる4年間みっちり勉強する方の集まりもあったことを思い出します。それにしましても最近話題の韓国語にこれほどお強い方が居られるとは驚きです。古い写真で恐縮ですが、ナンバープレートをよく見ると田野城様ご指摘のとおり「ヒキ」と読めそうですね。また、ヒョーキ11-7の11は省略されており、ヒョーキ11-8はヒョーキ11が省略されて8のみ、ヒョーキ11-14は省略されていないようです。製造後の姿を見ると900~906ですが、その後いろいろと変遷して最後はこのような表示状態になったのではないでしょうか。
     ソウルの市電は南山に保存されていましたが、釜山は知りませんでした。海外の路面電車に詳しい方、趣味誌に載っているかも含めて教えていただきたいですね。

    山下敬司様
     韓国よりご指摘有り難うございます。狭軌機関車ですね。軌間は762mmだと思います。 汽車会社製造史には762mmとあります。小生このあたりは詳しくはありませんが、日本の鉄道は1067mmと1435mmが主体で、前者を狭軌、後者を標準軌または広軌と呼んでいることが多いようです。このような中で一般にナローとか軽便とか呼んでいるのが日本では762mmで現在近鉄内部線・八王子線や三岐鉄道北勢線等に見られますが、既に廃止された路線は数多く、610mmとかまだあるようですが、このあたりは小生の出る幕ではありません。日韓併合(韓国からは日帝侵略)時代の朝鮮半島や満州(現在の中国東北地方)の幹線はご存知の通り1435mmですが、俗に軽便とか森林鉄道は762mmが多かったのではないかと推察します。ついでに1372mmと言う軌間も関東地方と北方の都市に存在します。
     水原から西は正式には南仁川と思います。東はご指摘のヨジュです。

  4. 準特急さま、
    ご指摘の通り、軌間760mmはおかしいですね。
    私の勘違いで、写真をよく見ると、76cmと書かれていました。
    センチ表記のため、小数になる部分が省略されて記載されていたものと
    思われます。
    およそ、博物館など、科学的な機関が、軌間をセンチで表記してしまうあたり、
    アバウトな韓国的と言えそうです。
    なお、このソウル国立科学館には、ソウル市電 363号が保存されており、
    説明書きには当時のソウル市内の路線図も掲示されていました。

    また、同じくソウル市内のオリニ大公園にはヒョギ1型
    (号機番号不明、プレートが交換されている)が保存されています。
    こちらの説明では、運行区間は南仁川までとなっていました。

    上記の小生ブログ記事のアドレスを参考までに記載させていただきます。
    <国立ソウル科学館>
    http://yama-taka.at.webry.info/200609/article_5.html
    <オリニ大公園>
    http://yama-taka.at.webry.info/200609/article_1.html

工-’79 山下敬司 へ返信する コメントをキャンセル

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