山陰線の馬堀へは学生時代にはよく行ったものである。ところが卒業後はほとんど、ご無沙汰である。馬堀で撮った写真で気になっているものが一枚あり、これを撮った所がどのようなところであったか、もう一度行ってみたいと思っていた。そして40年あまり過ぎた4月15日に行ってみた。京都からの電車内は観光客でいっぱいで特に海外からの観光客が多い。40年ほど前ではこんなことはなかった。昔は気動車もあったがほとんどが客レ(客車列車のこと)であったし、乗客も少なかった。そして駅周辺は田んぼだらけであった。今は馬堀駅の南側は住宅地が広がっている。京都から馬堀まで電車で25分ほどであるから通勤などには便利がいいからであろう。
馬堀には嵯峨野トロッコ列車の終点であるトロッコ亀岡駅があり、馬堀駅は40年前と違って多くの観光客が降りる。特に海外からの観光客が目立つ。観光客はトロッコ馬堀駅へと行くが、私は急いで桑田神社へと向かった。40年前の撮影場所と目星を付けていたからである。特急きのさきや気動車特急はしだてとなっているKTRタンゴディスカバリーもやってくる。とにかく神社へと急ぎ、撮影場所を決めなければならない。散りかけているがまだ満開のような桜とともに列車を撮れるところを見つけた。
最初にやって来た優等列車「特急きのさき号」である。トンネルの出口がすぐ近くにあるからか「ゴォー」という走行音が少し前から聞こえてくる。そして“特急こだま号色”の特急電車が亀岡盆地に駆け下りていった。いつも思うのであるが国鉄色というより“特急こだま号色”なのである。歩いている時にすれ違った60才代と思われる夫婦連れはたまたま通過した特急きのさき号を見て、“特急こだま号と同じ色やね”と言っていた。この“特急こだま号色”はどの車両にも合う絶妙の配色だと思う。また、381系振り子電車であるので屋根の上にでっぱりがなく、流れるようなラインが美しい。その後に京都行の特急はしだてを撮って、問題の撮影場所を探索することにした。
馬堀の写真で俯瞰して撮ったものがある。この撮影場所も確認しておきたかった。
手前に少し桜が写っている。神社の境内より撮ったものと思われるが、今回行ってみると桜の木や樹木が成長していて線路を俯瞰した写真が撮ることができなかった。どこか俯瞰して撮るところがないか探してみると、山を少し登った所に秋葉社があり、そこへ行く参道から木の間から線路を見ることができる。まずはお参りをしてから撮影をした。
線路の手前には田んぼがあるので40年前の雰囲気を感じることができるがやはり時の流れを感じてしまう。
さて、どこで撮ったか気になる写真はというと、神社にお参りに来た時、ちょっと線路の方を見ると汽車が走り過ぎていったという感じのものである。
写真を見ると左側に建物の軒先が見える。この写真から考えてみると列車が見えるところは非常に狭い範囲である。とにかく、撮影に失敗する確率が高いところである。ではどのようにして撮影したのであろうか。少し思い出してみよう。神社の灯篭と田んぼ、そしてその向こうを走る汽車という日本の典型的な田舎の風景、あっそうそう新日本紀行にでてくるような風景写真をイメージしたのかもしれない。難問は何時来るかわからない汽車をどのように仕留めるかである。この場所は馬堀駅に近いのであるから到着時間がわかればなんとかなると楽観的に考えて、到着時間の5分前、いや10分前ぐらいからカメラのファインダーを覗いて待ち構えていたのではないかと思う。そして、汽車が通り過ぎていくところをちょうどいいところで“えいやっ”と気合を入れてシャッターを切ったような具合で、それはサイレントで一瞬の出来事であったと思う。たった一枚しか撮れなかったのである。ところで撮影場所であるが、どうもよくわからなかった。灯篭と何やら屋根のあるものがヒントとなってわかった。
屋根のあるものは定書が取り付けるところであった。その後ろの木の形も40年前とよく似ていることから間違いない。この場所である。それは神社への入り口であった。ただ、今は線路が見えない。バイクの後になるのであるが、新しく物置のような建物ができていたのである。以前と同じ写真が撮れないのは残念であるが、それはそれで致し方ない。場所がわかってよかった。
では40年前に撮った写真から・・・
⇧ 京都行の客レ 年配の人が乗車するにはしんどい。 扉も自分で開けなければならない。そんな時代であった。
⇧ 寂しきコンテナ 当時、室町BOXでこの写真を見せたら“なんやこれは”と言われた。
⇧ さくらから飛び出してきたC575
⇧ 梅小路機関区に所属する機関車はきれいに整備されていた。なかでもこのC575は美しかった。
⇧ めずらしくC57重連の客レ 田植えが終わった頃であった。
そして、いまは・・・
⇧ KTRタンゴディスカバリーの特急はしだて かつての気動車特急の感じがしない。アッという間に走っていった。
⇧ かつての山陰本線をトロッコ列車が走る。
線路沿いに桜が植えられているので以前のような感じで撮れない。
⇧ それならと桜の中を走るトロッコ列車を流し撮りをしてみた。手前に桜があるのとゆっくり走るので意外と撮影は難しい。何回か試みたが、この写真だけがOKだった。
そして、最後にやはり馬堀は馬堀であった。
40年前に撮った写真から
心休まるモノクロ画像、思わずじっと眺めました。
荒れたお宮さんから眺めた蒸気機関車が牽く旧型客車。貧しかったけど元気だったころ、あちこちにあった鉄道のある田舎の景色です。新日本紀行の音楽が頭に流れました。刺激が与えられ認知症の予防に効き目がありそうです。
馬堀の駅名標もいいですね。何気ない写真ですが年配の女性の着物姿。羽織をはおって、よそ行きのようです。これまたありふれた日常でした。福フチの表記のある旧型客車もいいですね。
福知山客車区へは、現会長のT.T.(自称旧型客車の鬼)氏と訪れたのを思い出します。T.T.氏はもともとですが二人とも小太り爺さんになってしまいました。
旧型客車と旧型気動車だいすきなので、モノクロ写真の良さとともに良き週末と黄金週間の始まりを迎えることができました。
大阪通信員様
写真を見て、何かを感じていただいてありがとうございます。写真を撮った者としてこんなにうれしいことはありません。これ以上書くのはやめときます。ほんとうにありがとうございました。
はじめまして車石・車道研究会の久保と申します。奈良県の民家の「車石」に関心があります。所在地が分かりましたら教えて頂けないでしょうか。よろしくお願い致します。
久保様
私が「車石」について興味を持った経緯は【21315 車石と中国少数民族イ族のこと】に記載しました。また、今回お尋ねの奈良県の民家の「車石」については【22114 車石 それから】に寸法測定結果やこの民家について文献で調べたことなどを記載しています。この投稿にあるコメントの内容で所在地がわかると思います。「車石」については大津の86さんに案内していただいて閑栖寺や大津市歴史博物館に行き研究紀要1にある京津間の車石敷設工事という樋爪修氏の論文も拝見しました。もちろん、企画展の図録も購入して拝読いたしました。現在も「車石」に関連して違った視点で考察を続けています。あらためて車石・車道研究会のHPにある問い合わせもしくは久保様にメールをお送りいたします。