老人が大井川鐡道に目をつけ、年に一度は顔出しするようになったのは白井昭さんから「お宅の3000が新金谷に近日入りますよ」と、1994年春の彼岸の日に声を掛けられた事に起因している。それを前に澤村君から白井さんとのやり取りの一端を耳にしており、関西ではあまり話題にならない大井川鐡道に喰らい付いてみよう、との気持ちが沸いたのであった。この年5月に東京出張があり、その帰路に金屋口に顔出し1回目があった。その時の光景の一端を紹介しょう。
翌1995年、盆休みに行ってみると南海21000系が走っていた。高野線の山登りの機能を備えたズームカーは20001+20002のMTc編成となり冷房化されていた。続いて近鉄養老線の421+521のMTc編成、こちらは非冷房編成で近鉄一般車の赤紫色であり、共に関東勢に負けずに走っていた。この頃に澤村君から「京阪のコントローラーではアカンらしいので営団の中古を手配したと連絡があった」と、耳にしていた。それで京阪3000系冷房電車のお披露目が1年遅れとなったようだ。京阪特急が変化に富むコースを走ると期待していたのにがっくりとなった。この年がご先祖様に不義理をした最初となった。また始めて吉川屋旅館に世話になった年でもあった。
元南海ズームカーを形式説明では21000系としましたが、車号での20001+20002は間違いで正確には21001+21002が正しいので、訂正と共にお詫びいたします。