電化は良いが、電車一両の高畠線

以前、老人は山形鉄道三山線を紹介した(デジ青44556)。続いて訪問した日の午前中に訪ねた高畠線を紹介する筈が、すっかり忘れてしまい今日に至っている。訪問したのは1959(昭34)年9月15日で、56年も前の話である。今回メモを整理し、足らぬ箇所をピクトリアル128号((昭37年刊行)を参考にして補ってみた。印象に残っているのは石造りの本社事務所で、京都から来たと言ったら事務所の方はびっくりされ、応接室に招き入れ図面その他の書類を閲覧させて頂いた。三山線では社員休憩室(空弁当箱があった)だっただけに思い出深い。京都の鉄道ファンがよくぞ尋ねてくれたと、感激されたのではないかと今も思っている。

奥羽線・糠の目を起点とする高畠線は、大正11(1923)年3月16日に高畠までを開業した。この時は蒸気鉄道で、二井宿迄延長されたのは大正13年8月31日、全線電化は昭和4年9月1日であった。電化と共に電気機関車1両、電車1両を購入している。これで質問させて頂いた。「電車故障の時はどうしていたのですか?」。「電気機関車がハフを引っ張って代用していた。両方ダメになった時や停電した時などは蒸気機関車の出番となった。」との話であった。なるほど、一日の運行回数が少ない鉄道ではそんなものかと思った。道理で国鉄糠の目から乗った列車(7時52分発二井宿行き)はデキ1牽引の混合列車で、客車代用のデハニ2の客は京都人を含めて10人位だったと思う。

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昭和13年1月の時刻表によれば糠の目~二井宿間は、初発6時30分から終発18時28分の間に6列車、区間運転は糠の目~高畠間に4列車(終発は21時05分)である。反対方向の運行も同じ本数で、それでも電車1両を電化4年後に増備したのは、経営が軌道に乗り検査回期を踏まえてのことであろう。貨車を省く在籍車両は一覧表の7両で、車両説明は京都鉄道趣味同好会会誌「急電101号」から転載することにしよう。

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デハニ1は昭34-8、所沢工で更新を受けたのでタイプが変わってしまい、窓配置も1D8D・D2から現在の形状に変わったが、原型は今の如く角ばったものではなく、日車初期のタイプにみられる如く丸味の多いものであった由。

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デハニ2はその所謂日車の小型ボギ-の典型ともいえる好ましいタイプで、デハニの原型より窓高が大きい。

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デハ3は昭33-8に西武から入線したもので当線のピカ一。さすがに東京に近いところを走っていただけあって出足は早いが牽引力に欠けるのが欠点。

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ハフ1、2は当線開通以来のもので、同僚は羽越交通や庄内交通に散ったとか。文句なしのマッチ箱でシートは帆布のゴツゴツしたもの。電燈線はデハから給電される。

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ハフ3は戦後の払い下げで、ラッシュ専用。車内は長いロングシートといった代物。

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(ED1については記述がないが、近鉄南大阪線デキ1,2号と同型である)

メモでは貨車はワフ1、ワ1,2、ワ3,4、ワ5,6、ワ11,12、ト1,2、ト3,4。と13両も抱えていた。沿線は高畠、二井宿を除けば完全な農村地帯で、貨物運輸は活発であったようだ。写真を見れば貨車の制動装置は直通制動空気管を備えているので、10トン車といえども国鉄線直通だったのだろう。

また昭和34年9月22日実施ダイヤ改正時刻表では、糠の目~二井宿間17往復、糠の目~高畠間1列車、高畠~二井宿間3列車、二井宿~高畠間2列車、計39列車が設定されており、戦中、戦後は沿線に工場建設があり客貨共に賑わったようだ。電車も川造スタイルと言われていたリベットだらけの旧西武鉄道の中古車を、電動車に再生したものをモハ4として1966年に増備したが、1968年10月1日を以って旅客営業は閉じた。

写真はいずれもNEOPAN SSを自家現像したままのものを30年ばかり前に故高橋弘さんにプリントしてもらった。ところが現像のスカタンか、保存が悪かったのか、両方なのか、ごめんなさい。

2 thoughts on “電化は良いが、電車一両の高畠線

  1. 乙訓の長老様 
    東北の片田舎を走った小私鉄を訪問する草の根的研究に感服です。
    地図と首っ引きで読ませていただきました。
    小生ごとき薄っぺらな、単なる電車ファンとは違って、これぞ本当の『鉄ちゃん』と尊敬の念が有ります。

  2. 河さん、くすぐったくなるコメント頂戴いたしまして有難う御座いました。父親の本箱に富国房なる出版社の百科事典が有り、その中に日本帝国地図なる1冊が有りました。小学校中学年頃から兄の三省堂・新制最新日本地図(増訂版)を見て鉄道線路を追って居りましたが。高学年になってからは富国房に乗り替え、赤線が電鉄であると知り行って見たいなぁーとなりました。実現したのは中学2年で、信州から東京を経て帰宅のコースで昭和27年のことでした。その後、連れ合いが出来た39年までの間に北海道を覗き殆んどの地方私鉄を何らかのかたちで覗いたり乗ったりしてきましたが、全線乗車では有りません。高畠線は高畠止まりで、11:04には糠ノ目へ、11:29発で山形へ、乗り換えて高松着で移動、そして終点間沢の車庫訪問でした。ピクトリアル誌で地方私鉄の現状紹介が始まると共に乗り鉄となり、沿線観察が主流となり今日に至っております。車庫訪問が適ったところは1986年鉄ちゃん復活後、2度目の訪問を可能な限りしております。

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