乙訓ご老人投稿#77497「東海道の電車を楽しむ―その3―」中、最初から15枚目、最後から6枚目のクハ5に関し、誠に失礼ながらこれは須磨老人の縄張り?車輌である。すなわち戦災車ではない。
静岡鉄道クハ5 1954年8月12日鷹匠町 吉川文夫撮影
何はともあれ、妻面下部の斜めになった部分をしっかとご記憶ありたい。で、次の写真を。
八日市鉄道キハ50 大橋一央撮影 これが静岡クハ5の原型で、妻下部をご覧あれ。
近江鉄道キハ50 1949年頃 高橋 弘撮影 八日市鉄道は1944年3月1日近江鉄道に合併し、その後電化。旧蒸気動車は客車化されたが、ガソリンカーのカハニ1、2(日車東京支店1934年10月製)は1948年5月14日廃車後野上電気鉄道でデハ23、24に再起。旧芸備キハ2から省キハ40309を経たカハ100(日車本店1929年2月製)も同日廃車、尾道鉄道キ61として再起している。この車輌を獲得した代替に、八日市鉄道は老朽してどうしょうもない単端式のカハ1(加藤車輌製作所1930年10月製)を、1942年11月出石鉄道に譲渡(当時の用語で「供出」)したのであった。
で、1両残ったキハ50(加藤車輌製作所1937年4月製)は上のように荒廃していたが、静岡鉄道が購入し、車体を窓4個分延長、妻面を3枚窓にして、クハに改造したのであった。妻面下部がキハ50のままであるのがお分かりになろう。
このクハ5に関しては、流石の吉川文夫氏も出自をご存じなかったのである。2軸のガソリンカーを延長改造してボギー車にしたとは、思いつきもしなかったとのお手紙を頂いたのは何年前だったか。とことん車輌不足時期の出来事である。
須磨さん、真相をお聞かせ下さりありがとうございました。老人が貴兄の労作「内燃動車発達史」上巻を事前に読んでから今回の稿を起こせばよかったのに、と思っております。1959年の東北旅行のついでにのぞいた静岡鉄道ですが、1966年秋に三島出張があり、その帰途に長沼車庫に立ち寄り、在籍車の要目調査をした時のメモがスカタンのスタートのように思われます。何が原因なのかわかりませんが、戦災車の中に初代302号があり→モハ12→2代目クハ5とつながっており、その経歴が八日市鉄道キハ50を引いたものだとは、教えてくれた社員さんは夢にも思わなかったのではないかと思います。吉川さんもこのあたりで壁につき当たったのでは?貴兄の気動車を追いかけていた原点の車両調査の先端に現れたのが、大型化された静岡の戦災車両の身変わりの姿だったのではないでしょうか。古いものを掘り起し、それがなんだったかという事がわかれば鬼の首を取ったような気持ちになれるでしょうね。考古者の多くはそのように語っています。鉄道趣味の世界でもそのような気分になれるのでしょうか?ありがとうございました。謎が一つ解明できたことになります。
8日早朝より9日日没まで外出しておりました。反応おそく、すみません。