49年前の山陽電軌


山陽電軌505/昭和44年3月27日 御裳川
団塊世代より上の世代の方で、この風景に見覚えのある方がおられると思う。

Tsurukame先輩より昭和37年3月の山陽電軌をご紹介いただいたが、更に7年後の状況を紹介する。
昭和44年3月27日、九州旅行の途中、前日に下関に戻って「火の山YH」に宿泊、朝8時頃から9時半頃まで山陽電軌を撮影後、再度九州に戻った。
データは少し古いが、昭和38年6月末時点での在籍車両は、単車のモ101形8両(101~108)、109形8両(109~116)、ボギー車モ201形5両(201~205)、モ206形2両(206・207)、モ301形7両(301~305、501・502)、モ503形4両(503~506)、511形5両(511~515)、601形5両(601~605)、701形4両(701~704)、801形5両(801~805)、811形2両(811・812)で、単車16両、ボギー車39両、合計55両である。
3月27日の朝ラッシュ時に撮影したが、単車は全く見かけなかったので、使用休止になったか、完全に予備車化してしまい余程のことがない限り使用されなくなったのかもしれない。
以下、撮影した車両を解説する。

モ201形
201は、昭和5年藤永田造船所製、202と203は、昭和5年梅鉢鐵工所製、204と205は昭和7年藤永田造船所製で、窓配置は201、204、205と202、203では異なる。
201/昭和5年藤永田造船所製。

202/昭和5年梅鉢鐵工所製。

203/昭和5年梅鉢鐵工所製。

204/昭和7年藤永田造船所製。

205/昭和7年藤永田造船所製。
この年の10月30日に下関駅~彦島口(42年8月12日より平日朝夕のみ運行)、唐戸~長府駅間の廃止により、ボギー車最古参の200形が廃車になると思ったのか、えらく熱心に撮影している。

モ206形
206、207の2両は、201~205より車長が伸びて3扉となり、台車も異なるため、形式が分けられた。
206/昭和11年日本車輌製
中央扉は昭和29年に閉鎖され、画像のようなスタイルになった。

207/昭和11年日本車輌製

モ301形
301~305は、昭和15年日本車輌製、501と502は、昭和22年日本鉄道自動車製で、メーカー、製造年が異なるがスタイルが同じのため同一形式としたものと思われる。
301/昭和15年日本車輌製
200形と206形は全車両撮影しているのに、こちらは何故か301号車1両しか撮影していない。

501/昭和22年日本鉄道自動車製

502/昭和22年日本鉄道自動車製
扉が異様な形をしているが、こちらが原形のようである。

503形
503~506の4両は昭和24年日立製作所で製作され、501、502とは台車が異なり、形式はモ503形として区分された。
504/昭和24日立製作所製

506/昭和24日立製作所製
505は既出、扉の形状が各車微妙に異なるが、こちらが原形のようである。

モ511形
511~515は、三重交通から譲受けた車両で、511~513は、昭和26年8月、514、515は、翌27年7月に入線している。
511、512は大正15年12月汽車製造、513、514は昭和2年11月、515は昭和3年9月日本車輌で製作された。車号は三重交通神都線時代と同じである。
514/昭和2年日本車輌製
まともに撮影できたのは、この1両のみであった。

モ601形
601~605は、昭和29年汽車会社で製作され、車体は全金製となり、台車は新型の汽車K-10を履いた。正面左右の窓は当初曲面ガラスであったが、後に改造された。

603/昭和29年汽車会社製
撮影場所は、市内線と長関の分岐点の唐戸である。

604/昭和29年汽車会社製

605/昭和29年汽車会社製
モ601形はワンマン改造の対象にならなかった。

モ701形
701~704は、昭和33年ナニワ工機で製作された。当時としては当時としては垢抜けした近代的なスタイルであった。台車はナニワ工機製のNK-11を履いていた。
廃止後701、702、704は土佐電気鉄道に譲渡され、順に701~703となり現在も健在である。
704/昭和33年ナニワ工機製

モ801形
801~805は、701形に続き、昭和34年ナニワ工機で製作された。台車はナニワ工機製のNK-12を履いている。
こちらも廃止後801~804が土佐電気鉄道に譲渡され、そのままの車号で活躍している。
805/昭和34年ナニワ工機製

モ811形
811、812は、元三重交通神都線の木製車531、532(明治39年日本車輌製/昭和32年4月譲受け)を、昭和37年ナニワ工機でモ801形と同形の全金製の車体に乗せ換えた車両である。
台車は元々ブリル21Eマキシマムトラクションを履いていたが、神都線時代昭和6年に田中車輌製のC形台車に履き替えた。
車体は新しかったが、電装品、台車が古かったため、他社に譲渡されることなく廃車になった。
811/昭和37年ナニワ工機製

812/昭和37年ナニワ工機製

昭和44年10月31日下関駅~彦島口、唐戸~長府駅前間が廃止され路線が約半減、残った路線もワンマン化等、経費節減の努力が行われたが、僅か1年半後の昭和46年2月7日廃止され、本州最西端の路面電車は姿を消してしまった。現在はサンデン交通に社名を変更してバス会社として盛業中である。
以上、単車の撮影できず、ボギー車についても一部不完全な部分があるが、山陽電軌の紹介を終了する。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

wp-puzzle.com logo

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください