24年前の南阿蘇鉄道


南阿蘇鉄道の軽動車 高森

5月6日(#7991)、8日(#8015)にぶんしゅう氏の南阿蘇鉄道がアップされた。半月出遅れたが、拙老も1986年に南阿蘇鉄道を「ひと覗き」し、早いもので23年半たってしまったが、この3セク鉄道開業は同年4月1日だから、半年後である。

1986年10月18日天気不良の中で甘木鉄道を往復し、その日の内に高森へ。土曜日の午後とあって乗客(非地元民)は結構あったが、大方は阿蘇下田までに降りてしまった。新潟製の非貫通軽動車は1軸駆動にしては33‰を苦にせず上る。車内はネジ頭が丸見えのバス並で安かろう、上等でなかろう(これでも内燃動車ファンのはしくれだからあえて「悪かろう」とはいわない)だが、本年2月の登場だから、この時点まだピカピカだった。今年なら車令24年になる。


立野駅 かつてC58、96、C12が躍動した面影はカケラもない

この時点乙女チックな駅舎は立野だけだったように記憶するが、高森は「インテリジェント・バレー」を目指しといるとかで、木造でひなびた駅舎をぶっ潰し、数千万円をかけてニューメディア・特産品展示、陶芸教室などを併設した新駅舎に建て替えるんだと、駅員は力説していた。当時のことだから、農水省等の補助金での町興しの一環だったのだろう。

そのニューメディアの一端というか、実験か、待合室にキャプテンの端末があった、といっても今では完全に死語になってしまったが、Character And Pattern Telephone Information System の略。物の本によると「電話回線を使って受像機と情報センターを結び、センターに蓄積されている各種情報を利用者の選択に応じ呼び出し、受像機の画面に文字と図形で映し出すシステム。国際的にはビデオテックスと呼ばれ、キャプテンは日本での呼称」とある。

NTTがこのサービスを開始したのが1984年だったが、端末機がやたら高価ででっかく、技術未熟、何にもまして魅力あるコンテンツに乏しく、公共施設などに端末を無理やり設置はしたが、利用者も極めて少なく、結局ほぼ普及しないまま消滅した。

高森駅では列車の時間表がプリントアウトできるという表示があったので、早速トライ。ところが出てきたのは改正前ダイヤで、これじゃ何の役にも立たない。修正されていない―誰も利用していないのが歴然だった。政府はずいぶん金を投じたはずだが、全く無駄な投資ではあった。


高森に保存されていたC12241

高森の町はかつて木材で賑わい、営林署、簡易裁判所、専売公社支所(葉タバコ集積)等、官公庁出先機関も多数あったのだが、すっかり寂れてしまっていた。それでもリーズナブルな旅籠を見つけ投宿。晩飯はいらんと宣言したらヘンな顔をされ、何かいいたそうだったが、それっきり。

下駄履きで町へ出てヘンな顔の意味がわかった。飯屋、飲み屋の類も何軒かはあるのだが、一軒も営業していないのである。土曜日の晩だったからかもしれない。散々歩き回ってシケた料理屋が何と開いていたので、板長か主人かに、かくかくしかじか、何か腹のふくれるものと酒をと嘆願。

親父は見習いと思しき若者に、何か作って上げなさい、酒も、と指示し、恐らく若者の実地研修の一環で、無人のカウンターで一人淋しく、それでもともかく餓死からは逃れられた。

 翌朝はカルデラ内で軽動車を撮ったが、やはり平地では面白くない。立野11時18分発トロッコ列車は日曜とあって、沿線温泉宿泊客がかなり乗車し、かつ寒いため、標準編成の後尾にディーゼルカーを連結した珍編成だった。折り返し立野行き上りの乗客は約30人だったが、半分が阿蘇下田で降り、以後乗降なし。出入り口はチェーンと数字合わせ錠で固められ、必要の都度ガチャガチャと開閉する。

そのトロッコ列車は、2両の協三工業製「半キャブ」(国鉄貨車移動機の再生車)間に2軸無蓋貨車(トラ)を改造したテント屋根の客車が2両。中には木製の椅子、テーブルがしつらえてあり、貫通路もある。先頭機関車でキーを回すと、前後の機関車のセルモーターが回り、エンジンが始動した。総括制御だったのである。


高原の秋は結構寒く、心底燗酒がほしかった

この機関車は現在二代目が就役しており、初代は確か旧門司港駅構内を往復しているはずである。

なお高森線には私事ながら想い出がある。新婚旅行で伊丹から飛行機で福岡へ、列車で長崎、雲仙、三角から熊本、ここから大奮発で特急「はやぶさ」に乗り鹿児島へ。フェリーで櫻島へ渡り、袴腰から国鉄バスで海潟へ。古江線、日南線を全線乗車し、宮崎へ。更に日ノ影線に乗るはずが、手違いで宮崎交通バスで高千穂へ。翌日高森へ抜けたが途中でパンクし、予定が狂って高森線の13時10分発116レ(C12牽引)に間に合わなかった。それでも貨物が来るというので、嫁様を待合室に荷物と共にほったらかし、彼女曰く「右も左も分からないのに走って行ってしまった」。これはかなり後まで祟った。

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