備後落合 つかの間の賑わい そして、かつての宿屋は

 備後落合駅では一日1回だけ三方向から列車が集います。まづ、三次から、次に新見から、そして最後に木次からの列車が集合します。備後落合駅では1日に1回の賑わいとなります。とくに青春18きっぷが利用できる期間は駅ホームは大変な賑わいとなります。

 三次から最初の列車がやってきました。1両です。

 1両なのに大勢の人が降りてきました。やはり、4月9日の日曜日だからでしょうか。今日は青春18きっぷが利用できる最後の日曜日です。見ているとかつて青春だった人が多いように見受けられますが。あまり、他の人のことは言えませんが。

三次からの列車が着いてから4分ほどで新見からの列車が来ました。3番線に到着です。ホームの人は新見行に乗るようです。

両方の列車の乗客を合わせると結構な人数になります。二本の列車でこの賑わいですから、木次からの列車が来るとさらに人が増えそうです。

ミラーに映った左が新見ー備後落合間の列車、右が三次ー備後落合間の列車です。しかし、同じキハ120なのに車体のラインが色と塗っている位置で違ったものに見えます。

最後に木次からの列車が来ました。

木次線の列車からも大勢降りてきました。乗客のそれぞれが各方面の列車に乗り換えます。そして、最初に出発するのは新見行です。最後の出発は三次行となります。私は新見行に乗って、備後落合をあとにしました。1日1回の20分ほどの備後落合での賑わいはこれにておしまい。

 ところで、クモハ73106東ウラさんが備後落合で泊まられた宿屋は、この前の投稿「備後落合にクモハ73106東ウラさんの撮影ポイントを訪ねて」のコメントに駅近くの宿屋ということとありました。泊まられたのは1971年3月ということです。たぶん、この次の写真にある民家がその宿屋だと思います。いま、家の中に入ろうとしているおばさんにお聞きしたのですが、一見みたところ店をしておられたような感じだったので店かなにかやっておられたのですか、と聞いたところ宿屋をしていたとの返事でした。

そうすると、松本清張さんが泊まったのもここでしょうか。

 私がこの前に備後落合に来たのは44年前の1973年12月のことでした。その時の備後落合はというと

あの時は急行列車が走っていたのですね。ああ~、すでにC56はDE10に、しかし今はそのDE10もいません。

備後落合 つかの間の賑わい そして、かつての宿屋は」への3件のフィードバック

  1. たしかに1日1回の賑わいですが、第2木曜は木次線の出雲横田-備後落合が運休になって3本揃いません。とんでもない所ですね。代行輸送は人数によってタクシーやバスになるのでしょうか。
    ところで、上から2枚目の写真は新見からの443D~444Dで、
    3枚目の写真はホームに停車中が356D~359D(「三次」の表示があります)で、左奥からやって来るのが新見からの443D~444Dです。時系列がてれこになっているのではありませんか。
    備後落合駅坂の下の家が元旅館でしたか。まわりの民家(ほとんどありませんが)と比較してやはり大きいですね。

    • 運休の時は代行があるようです。JR西のHPにありました。たぶんタクシーやら人数によってはジャンボタクシーのようです。木次線ツアーの時のような大勢の乗客がいる場合は希じゃないでしょうか。ここでの乗り換えですが、ところで、木次から来たら新見行か三次行かよく見ないと乗りまちがえるかもしれませんね。

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