先日、阪和線が諸先輩の間で話題となっていました。私にとっては遠い記憶となりますが思い出しつつ捜してみました。多少年代は新しくなりますが例によって「こんなんもありました」でご覧ください。1972年1月9日の日根野付近のEF527です。それと今になってあらためて気が付いたのですがEF524が補機(?)となっています。撮影当時全く意識していなくて今頃になって驚いています。当時は補機が付いていたのですね?それとも回送でしょうか?それと、これもデータなしで申し訳ありません。型番不明ですが70系との異形式連結です。1973年1月4日撮影です。
wakuhiro様
この写真を見るとEF52も堂々たるもんですね。
さすが、出だしが国鉄の看板路線に投入された電機だけ有って、落ちぶれた(阪和線と阪和線ファンには失礼!)とは言え貫禄を感じますね。
小生が阪和線を訪問していたのは1960年代でしたが、当時は阪和形電車に夢中で、電機を見過ごしていたようです。
補機の件、EF52はどちらかと言うと客車用電機で、その貨車用改造車がEF14でしたので、ひょっとして撮られた貨物列車の総重量が規定トンを超えていて、雄の山の峠越えに備えての補機だったのかも知れませんね。
3枚目の写真は快速が6連に増結された時期の70系+クモハ60+クハ55のようですね。
ご存知の通り70系快速の末期には人口増に対応するため、編成を2両増結の6連に改めましたが、その時、既に70系は地方ローカル線にバラ撒かれた後で、今更の70系調達が出来ず苦肉の策がこの混結編成でした。
因みに、70系の混結編成は70系のみの4連時代にもあり、それは70系の入場時に2両単位で4連の半分をクモハ20+クハ25の阪和形が代行する編成でした。
河 様
丁寧なコメントありがとうございます。今から思いますと、中学生の頃から天王寺駅で時々EF52を見かけており、阪和線にこんな大きな機関車が走っているのは珍しいと思って見ていました。70系も快速で走っていたのは覚えています、オレンジの車両の中では何か居心地が悪そうに感じました、車体色もスカ色でなくブルーの部分が緑(?)であったように思います。
wakuhiro様
実は小生、阪和線の70系の色が大好きでした。
仰せの通り腰板部と幕板部が緑でした。 そして窓周りはオレンジでした。
ただし、夫々がタダ者では無い色でした。
つまり、単なり緑+オレンジではありませんでした。
共に淡いパステルカラー調で、何ともいえぬ明るさを振りまいていました。
そして、この色調は頭の固い国鉄では、それまで考えられ無かった色で、初めて目にした時には本当に感銘を受けたものです。
・・・って思っていたのに、時が経って或る時フト気付くと、後発のクロネコヤマトの宅急便がほぼ同一の色分けをトラックに塗りだしたため、ガッカリ!!(笑)
wakuhiroさま
貴重な阪和線の写真、拝見しました。EF52の補機ですが、私も撮ったことがあります。この時は、ED60が本務、EF52が補機でした。wakuhiroさんのように、両方EF52と言うのは珍しいと思います。府県境の雄ノ山峠付近の勾配に対処するための補機と思いますが、聞くところによると、阪和線は私鉄だったため、駅構内の有効長が十分でなく、機関車もできるだけ車体長の短い機関車が好まれ、ED60導入の契機になったそうです。そういう意味で、デッキも付いて長いEF52は、使いにくかったことと思われます。
【阪和線今昔】
「日根野」ってキーワードに反応します。 (^^;)
じつは先日、新大阪→和歌山を走る2909Mの前面展望を録画しました。
https://www.youtube.com/watch?v=tXPwJgsrd_A
阪和線内も大阪方の高架化は終り、東岸和田駅の下り線が高架完了(47分頃)です。
日根野を過ぎて(56分過ぎ)関空行の高架橋が目立ちます。
素人動画で81分の長編ですが、お暇潰しにどうぞ。