国鉄モハ52型 投稿日時: 2018年2月15日 投稿者: 米手作市 先日来、京阪の1000・1100型や飯田線のモハ52型の写真で盛り上がりましたが、本日の産経新聞には関三平先生が国鉄モハ52型のオリジナルを描いてくださいました。飯田線の写真とはずいぶん違う気品の良さ!戦争の時代に入る直前の豊かなひとときを醸し出す電車です。 ところでこの場所は桂川付近とありますが正確にはどの位置でしょうか?電車は上りか下りか? この記事を共有:TwitterFacebook印刷 関連 関連記事: 関連記事がありません。
米手作市 様 一世を風靡した流電ですが、『コメント0』のまま。 今や鉄の世界では意外と忘れられた存在になってしまっているんですね。 かく言う小生も、京阪神で急行電車バリバリの頃の記憶も定かでは無く、ただ小学生低学年の頃何故かオヤジと『省線』に乗っていた時に、さ~っとすれ違った青い急電の細い赤線が鮮烈な記憶として蘇って来るくらいで・・・・。 その後、小生の記憶からは『忽然と』姿を消してしまった急電でした。 暫くして80系に追われて阪和線に居る事が判ったのですが、立花に住んでいた当時小学生~中学生の小生にしては阪和線は『遠~い所』で・・・。 結局、ずっと時間が経った後、飯田線でクスぶっていた時代に対面したのが最初で最後の遭遇でした。 静トヨで間近に見て、半径1200ミリの突き出した前面に強烈なインパクトがあって、興奮を覚えたものです。 反面、かつて『さ~っとすれ違った』クモハ52には、その時飯田線でヨタヨタ走っていた哀れさのみを感じ落胆したものです。 返信 ↓
河 昭一郎様、 ありがとうございます。 52系は現在の会員にはなじみが少なく、それでいてビッグネーム過ぎるのではないでしょうか?かく言う私も全く記憶にない電車です。『青い急電』の記憶もありません。でも、茶色とクリーム色の『急』マークをつけた電車は見た覚えがあるのですが、さて、どんな車両であったのか定かではありません。 いつも河さんのコメントには感銘を覚えております。これからもご教授ください。 返信 ↓
米手作市 様
一世を風靡した流電ですが、『コメント0』のまま。
今や鉄の世界では意外と忘れられた存在になってしまっているんですね。
かく言う小生も、京阪神で急行電車バリバリの頃の記憶も定かでは無く、ただ小学生低学年の頃何故かオヤジと『省線』に乗っていた時に、さ~っとすれ違った青い急電の細い赤線が鮮烈な記憶として蘇って来るくらいで・・・・。
その後、小生の記憶からは『忽然と』姿を消してしまった急電でした。
暫くして80系に追われて阪和線に居る事が判ったのですが、立花に住んでいた当時小学生~中学生の小生にしては阪和線は『遠~い所』で・・・。
結局、ずっと時間が経った後、飯田線でクスぶっていた時代に対面したのが最初で最後の遭遇でした。
静トヨで間近に見て、半径1200ミリの突き出した前面に強烈なインパクトがあって、興奮を覚えたものです。
反面、かつて『さ~っとすれ違った』クモハ52には、その時飯田線でヨタヨタ走っていた哀れさのみを感じ落胆したものです。
河 昭一郎様、
ありがとうございます。
52系は現在の会員にはなじみが少なく、それでいてビッグネーム過ぎるのではないでしょうか?かく言う私も全く記憶にない電車です。『青い急電』の記憶もありません。でも、茶色とクリーム色の『急』マークをつけた電車は見た覚えがあるのですが、さて、どんな車両であったのか定かではありません。
いつも河さんのコメントには感銘を覚えております。これからもご教授ください。