私も撮っていた阪急東口

大阪市電1001型からOSミュージックの話になっていましたが、私も阪急東口で撮ったことがありましたのでご覧にいれます。地震があったので遅くなりました。撮影メモがなく、撮影日は不明です。大阪市電や市バスについては全く知識がなく解説はできませんので画像をただ並べるだけで申し訳ありません。

▲朝のラッシュのピークが過ぎたところですが市電がひしめき合っていて、空気がこんなに汚れていたのでしょうか。OSミュージックの袖看板も霞んでいます。左端2681の向こうにトロリーバスがいます。

▲終端はY字形の単線になっていて、降車客は市電の画面右側から降り、乗車客は画面左側から乗ります。市電は単線・道路の中央にいて、乗降客は歩行者信号が青でないと身動きできず、これではスムーズなラッシュ対応などとても無理です。市電の右にトロリーバスが見えます。

▲シネラマは一度だけ見たことがあります。「世界の七不思議」で、ダージリン・ヒマラヤ鉄道の列車が山を転がり落ちるように逆走するシーンが印象的でした。

 

 

 

私も撮っていた阪急東口」への5件のフィードバック

  1. 井原様 懐かしい風景です。シネラマには小学校の時に映画観賞会で行ったことがあります。シネラマで見たのは写真に写っている「ベンハー」と「西部開拓史」「2001年宇宙の旅」ぐらいではないかと、それぐらいしか覚えていません。神埼橋行のトロリーバスが懐かしい。大阪駅から家に帰る時はいつもこれに乗っていました。最初は神崎橋ー大阪駅前でしたが守口車庫前まで延伸して廃止となりました。映画の看板に1968年10月公開の「肉弾」とあることから1968年ごろではないでしょうか。私が「ベンハー」を見たのは高校生の時でしたから。

    • ありがとうございます。そういえば現役時代どですかでんさんに「十三に帰るのか」と聞くと必ず「十三といっしょにせんといてくれ」と怒っていましたね。十三には特急が停まるのにと不思議でした。燕-三条と似たようなものでしょうか。

  2. 1968年10月中頃の撮影でしょうね。
    OS劇場に『ベン・ハー』が懸かっていましたので調べたら、1960年4月1日から封切りと出ていました。しかし、大谷直子主演の『肉弾』が封切られたのが1968年10月12日ですから一致しません。もう一つ写っていた『コマンド戦略』が1968年9月10日封切りですから北野シネマとニューOS劇場が封切館だとして撮影は10月中旬だと思います。OS劇場の『ベン・ハー』はリバイバル上映でしょう。

    • ありがとうございます。1968年10月12日以降ということになりますか。服装からして冬ではありませんね。「肉弾」は岡本喜八監督、大谷直子のデビュー作でセーラー服が良いですね。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

wp-puzzle.com logo

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください