【98206】東海道旧線を訪ねて-大津編②

4.大津駅裏逢坂小学校通学用トンネル

東海道旧線は現在の国道1号線部分を築堤で走っていた。明治22年大日本帝国陸地測量部の地図を見ると現在の大津駅の裏あたりに小道があり、東海道旧線の築堤をくぐるトンネルとして記載されている。東海道旧線の南側には高山寺(向山寺)墓地、霊山正福寺があり、明治10年の西南の役の出征兵にコレラ患者が出たときに霊山正福寺境内を借りて病室にしたが、その後明治12年のコレラ発生の時にも借り上げて施設を作り、以来昭和12年までこの地に避病院があった。築堤は現在の国道1号線を見てもわかるようにその両側とは4mほどの高低差があって、避病院に患者を運ぶためにトンネルとなっていたようである。図2:現大津駅裏逢坂小学校のトンネル(明治22年大日本帝国陸地測量部測量1/20000膳所)このトンネルの位置は先に記した旧東海道を越える橋梁の東側橋台から直線で600mの距離となるが、これと同じ場所には現在国道の南側にある逢坂学校へ行くためのトンネルがある。入り口はコンクリート造りで内部はコンクリートが吹き付けされているため、そんなに古い物ではないのではと気に留めていなかったが、よく見ると内部の下部は石積み、アーチは煉瓦積みとなっている。この煉瓦の大きさは長辺約220㎜厚み約65㎜で現在の規格の長辺210㎜X厚み60㎜とは明らかに異なる。大正末まで煉瓦の寸法は規格化されておらず、1925年にJES(日本標準規格)によって長辺210㎜X短辺100㎜X厚み60mmと決められた。尚、これは現在のJIS規格と同じである。したがってこのトンネルは少なくともこれ以前のもので、先に述べた避病院への道とほぼ同じ位置にあることから、東海道旧線を作る時、先にこのアーチ状のトンネルを作り、そこに盛土して築堤を作ったと考えるのが妥当ではないだろうか。
写真8:逢坂小通学用トンネル、高さは低く中央部を歩かないと頭がつかえる。

写真9:トンネルの内部、下部は三段の石積みで、上部が煉瓦積み

5.新線、旧線合流地点

さらに東海道旧線は現在の国道1号線を通り、本宮1丁目西交差点付近で現在の東海道線に合流した。交差点の東にある「三幸本宮ビル」の裏側はJRの土地が三角形になっており、この部分が旧線が通っていた痕跡となる。さらに東にある浅井山観世音講堂の裏手は小高くなっており、東海道旧線敷設のため、切通が作られたが、その後の複々線化等で当時の石垣などの痕跡は残っていない。写真10:新線と旧線の合流点、交差点西側にあるホテルα1あたりで現在の国道1号線から離れ、正面のビルの裏側につながる。

写真11:東側から合流地点を見る

写真12:この切通は明治13年開通時に開削されたが、その後の線増で石垣は当時の物ではない。

6.諸子川橋梁
現在の膳所駅の手前に東海道線と交差するガードがある。このガードは新しいものであるが、その横を流れる諸子川が東海道線と交差するトンネルが煉瓦作りのアーチ型のもので、トンネルの入り口には上り線明治22年、下り線昭和18年竣工の銘板がつけられている。明治22年は馬場以東の東海道線が全通し、馬場は今までのスイッチバック駅から通過駅となった時であった。明治22年以前の馬場駅の配置図は見当たらないが、明治13年の開通当時の馬場駅は基幹駅であったものの、停車場本屋の他は機関車庫、水溜、石炭置き場程度で、明治22年の東海道線全通の折、駅の位置、配置が大幅に変更されたらしく、この時にこのあたりの線路の位置も変わってトンネルができたのかもしれない。あるいは明治13年当初のものだが明治22年に何らかの変更がされ、それを竣工としているのかもしれない。いずれにしても東海道旧線時代のものだと思われる。写真13:諸子川トンネル入口部、柵で囲われているので内部はよく見えないが、きれいなアーチ状の煉瓦積みが年代を感じさせる。写真14:トンネル上部につけられた標識、下り線は昭和19年の京都-膳所間三線化と関係があるのかもしれない。

東海道旧線を訪ねて-大津編②” への2件のコメント

  1. 大津の86さま
    続けての投稿、興味深く拝見しました。“避病院”の存在を初めて知りました。患者を運ぶために、旧線の築堤に設けられたトンネルとは、歴史的に見ても興味深いものです。煉瓦の寸法で、年代を特定することも興味深いです。小野田滋著「鉄道と煉瓦」では、煉瓦の寸法別に、その分布を研究していました。寸法規定以前のため、地域的な偏りがあったようです。ところで、現在の1号線のトンネルは、旧線時代と比べると、少し延長されていると思いますが、実際、トンネル内部で延長された痕跡はあるのでしょうか。

    • 総本家青信号特派員様
      コメントありがとうございます。
      N氏から教えて頂いた煉瓦の話、なかなか興味深いものでした。お話をお伺いした後で逢坂山トンネルの煉瓦の寸法を測りましたが、約230㎜X60㎜で逢坂小のトンネルのものとは少し違います。ただ逢坂山トンネルの煉瓦にも220㎜のものがあったりして一定していないようです。煉瓦の刻印がわかればいいのですが、モルタル状のものが吹き付けられているのと平面部が見える部分がないため確定できません。逢坂小のトンネルの両入り口側約2~3mはコンクリート造りで後年延長されたものと思われます。中央部には繋ぎ部分は見当たりません。

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