2013年 春の中国鉄路の旅 Part5 四川省広元の栄山鉄道(監獄鉄路) その3

00_雨の日のお届け物▲ 雨が本降りになってきた栄山駅。お父さんかお母さんに傘を届けに行くのでしょうかね。お嬢ちゃんが来られました。ちょっとカメラ目線にはずかしそうです。物心がつき始めた頃なのでしょうね。

00_雨上がりの栄山駅
▲ 7:07、今日も早朝起きで栄山駅に参りました。雨上がりの駅のホームは、勤め先に向かわれるのでしょうか、上の集落からの皆さんが通られています。
丁度できた水たまりの傍を歩いて来られました。水鏡となった光景にコンデジを水面上に置いて狙ってみました。会心のショットでしたので小竹先生にお見せしますと、これは静けさの中に人や犬までも動きがある。雨上がりの朝のどんよりとした空気感も表現されています。構図もバッチリですね。
私は他人の作品をけなすことはあっても褒めるのは数作品しかありませんが、これは素晴らしい。最高のショットですよと、お褒めのお言葉をいただきました。老体ですのでお世辞も入っているでしょうが褒められると、木の上に登ってしまいます。
【DATA】 Nikon COOLPIX P310 1/40秒 F2.8 24㎜(35㎜判換算)

前回の旅からD800Eでは重くて機動性を損なう場合があるので、こういった閃いた時に直ぐに撮れるようにと、より広角で明るいレンズを持つサブカメラとしてのコンデジを求めていました。結果、最も希望に近い性能を持つNikonP310(24㎜・F1,8)を購入しましたが、希望に答えてくれました。800Eと比べると約1/30の購入価格でしたが、期待通りによくやってくれました。カメラさんに撮らせていただいたショットです。カメラさんに感謝感謝です。

第5日目 5月5日

朝から小竹先生よりお褒めの言葉をいただいて気持ちの良いスタートとなりました。写真のバックに写っている客車を紹介します。
03_客車03_客車2▲ かつて囚人たちを護送した客車は1番下の車両です。まだ車体には表示が残っています。
かつては、この車両を撮るのはご法度でした。

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2013年 春の中国鉄路の旅 Part4 四川省広元の栄山鉄道(監獄鉄路) その2

11_採炭場4▲ 山の採炭場駅でお迎えしてくれた頭の上で髪を2つに結んだお嬢ちゃん。素朴な笑顔がとっても素敵でした。

第4日目 5月4日 その2

01_給水2

04_C2▲ 10:52、単機回送で戻った218号機はここでも高圧水蒸気洗浄をしてもらって給水されました。

08_栄山8

08_栄山9 ▲ 11時を過ぎると朝市でお買い物をすませたおばちゃまたちの帰宅ラッシュとなります。皆さんお手製の竹籠にお買い物品を入れて背負っての家路です。顔を見なくても後ろから籠を見ると誰だか分ると言います。籠つくりには代々先祖から受け継がれてきた歴史もあるそうです。
我々には同じような籠にしか見えませんが、奥が深いようですね。

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2013年 春の中国鉄路の旅 Part3 四川省広元の栄山鉄道(監獄鉄路) その1

04_おばあさんとお孫さん_1▲ 今迄公式には撮影を許されなかった广元の監獄鉄道の栄山駅。初めて訪れた駅で迎えてくださったのは、最近訪れています東南アジアの皆さんにも増してのさわやかな笑顔のおばあさんとしっかり寄り添うお孫さんでした。これで天候に恵まれない重い気持ちが吹っ飛びました。ありがとうございました。

02_全体地図いよいよ今日から3日間、監獄鉄道を走るC2型蒸気機関車の撮影開始です。
この鉄路は、四川省广元市郊外の栄山から山の石炭採掘場までの約6キロを走る762㎜ナローゲージの石炭輸送鉄道です。しかし途中には刑務所があって軍の管理下にあるために一帯は未開放地区に指定されています。立ち入りは不許可で勿論、撮影等許されるものではありませんが、蒸気機関車が大好きな鉄ちゃんにはそう言われれば言われるほど興味が膨らみ撮りに行きたくなるものです。
02_路線図そして禁止と言われてもここは中国です。できないことは何もないと信ずる鉄ちゃんはあの手この手を使っても果敢に挑みます。結果、私の聞いているだけでも数10人が捕まり拘束されて始末書を書かされ、折角撮影したフイルムは没収、デジカメデータは削除されて追い返されておられます。しかしデータは現場で消されても復元ソフトで復旧できますので、確信犯覚悟で行かれているわけです。

処がこの厄介な刑務所が昨年6月に移転されて、外国人がこの地区に入る障害が消えました。政府発表はなかったそうですが、これで堂々と撮影が出来るようになったと勝手に理解した鉄ちゃんは8月の稲刈りシーズンを待って参られましたが、現地はまだ厳戒体勢はとかれてはおらず、また島の問題勃発もあって、あえなく御用となられたそうです。
しかしながら優秀な案内人のおかげをもって無事に撮影を何度も続けられておられた方もおられます。この案内人は銀川の寧夏招商国際旅遊有限公司国際中心鄧さんでよく知っています方でしたので、昨年10月にはO氏と一緒に行く予定を立てていました。しかし島の問題は沈静化せずむしろ拡大化してきましたので「君子危うくは近づかず」の精神で取りやめることにしました。

今回も予定には入っていませんでしたが、小竹直人先生企画の興隆鎮森林鉄道ツアーが都合で中止になり代替案として監獄鉄道が上がりました。小竹先生と案内人の鄧さんは先生が中国鉄にハマられてより20数年来の旧知の朋友です。私もいつかは行かねばと思っていましたので、もろ手を上げての参加となりました。

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2013年 春の中国鉄路の旅 Part2 四川省広元の栄山鉄道へと向かう その2 上海からZ122次に乗って成都へ

第2・3日目 5月2日、3日
① 人民広場13:40(地鉄)→13:46上海駅15:00(Z122)→翌日11:29成都
② 成都駅15:53(地鉄)→16:02錦江賓館16:20(リムジンバス)→16:47成都空港

01_切符売場02_切符今日は朝から散歩で鄭州鉄道日記さんから教えてもらったホテル近くの呉宮大酒店の代理切符売場に行って今日発売の切符購入です。
左奥がその場所です。市内の多くはホテルの1階の端にあるのが多いようです。
帰りに「新華書店」がありましたので寄ってみました。さすが中国一の書店だけあって7階まで各階にジャンル分けした本が並んでいます。03_新華書店1向かうは鉄ちゃんコーナーですが、まだまだ中国人鉄ちゃんが増えてきたとはいえそんなコーナーはありません。しかし店員に時刻表はあるかと聞きましたら6階と返事が来ました。行ってみますと鉄関係の本はありましたが殆どは専門書です。くだけた写真入りの鉄ちゃん向けは存在すらありませんでした。03_新華書店2

03_新華書店303_新華書店4▲ ご覧のように殆どの本の表紙は興味が湧くのですが中を見ますと中国語の羅列で専門書です。全国時刻表はそんな中に積んでありましたので買い求めましたが、何と2012年7月号でした。店員に2013年4月最新版があるはずだと申し上げましたが、今あるのはこれだとの返答でした。中国で最も進んだ町がこれですからどこに行っても多分ないのでしょうね。

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2013年 春の中国鉄路の旅 Part1 四川省広元の栄山鉄道へと向かう その1 上海

第1日目 5月1日
① 長岡京→大阪/梅田→なんば→関西空港
② 関西空港10:25(JL891)→11:55上海空港

ミャンマーから帰国してから1ケ月、今度は小竹直人先生からのお誘いを受けて中国へと向かうことになりました。当初は冬に行った興隆鎮森林鉄道の予定でしたが、都合で四川省广元市の有名な監獄鉄道(栄山鉄路)に変更になりました。昨年10月にO氏と行く予定でしたが島の問題発生で仕方なく訪問を断念した鉄路で、初めての訪問です。変更は大歓迎と喜んでの参加となりました。
行程は今年はまだ行っていない同じ四川省の芭石鉄道を先乗りして訪問する予定を組んでいました。丁度田植えの季節でいつもとは違った光景を撮って見たかったのですが、4月20日に芦山地震が発生しました。震源地は約100キロと近くで、成都から向かう高速道路は震災支援復旧輸送の専用道路となってしまいました。一般道は込み合いますので時間が読めません。直前で断念しましたが、集合場所の成都空港に直接行くのは乗り鉄魂が許さず、上海から運行が始まったZ列車(直通)で行く事にしました。

問題は列車の切符手配です。中国鉄路の残席情報を調べてみますと高い運賃の寝台専用列車だけあって当日でも購入できるほど空席があるのですが、乗車予定日の5月1日だけは中国の労働節休暇とあって満席です。いつものように鄭州鉄道日記さんに助けを求めますと、翌日なら平日同様に空席があります。地震の起こったこの時期に四川省に観光に行く人民は極めて少ないでしょう。乗車当日でも切符購入は大丈夫と思います。ただ切符を買って15時発の列車に乗車するのは、もしも飛行機が遅れたりすると無理があります。1日早く訪中されて前日に買って上海に宿泊してからをお奨めしますと教えられました。その通りです。これで出発日は決まりました。

01_ラウンジ上海は久しぶりの訪問です。関空のJGCラウンジは羽田や成田と比べるとしょぼいものでまともな朝食を食べられませんがいつものコンビニおにぎりに大阪もんブランドの「川上さん家の犬鳴豚のメンチカツサンド」が新たに加わっていました。JALの業績復調が原因か、LCCが増えだした関西空港での搭乗客略奪競争が始まったのが原因かどうかは分りませんが、少しでもサービスが向上されるのは大歓迎です。

02_機内食

機内食もグレードアップがされていました。わずか2時間半のフライトですので言うことはありませんが、私の好きな日本酒を乗せていないのは不満が残ります。

着いた上海はうららかな春晴れを迎えていました。こんなに晴れているのでしたら地下鉄に乗って行くのは勿体ないとリムジンバスで市内に向かいました。予約してあるホテルのある人民広場には近いというので乗車しましたが、降りてからたっぷりと30分を歩かされました。しかし良い事もあるものです。途中で鉄路切符の代理販売所がありました。昨夜予定をたてたばかりで最終決定ではありませんでしたが、迷っていても優柔不断の私には中々決められません。いつものように確保できたルートで参ろうと、小竹先生と一緒で決まっている分から買い求めました。

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2013年 はにかみの国、ミャンマーSL撮影の旅 最終稿 Part15 ヤンゴンを走る日本からの譲渡車両、キハ58、キハ47

第9・10日目 3月30日、4月1日 その2
① ヤンゴン10:08(国鉄環状線)→イノセン11:08
② ヤンゴン23:45(KE472)→8:05仁川9:15→10:05関空
③ 関空→難波→梅田/大阪→長岡京

DSC_58609:56、ミャンマー最終日はヤンゴン駅から環状線に乗車することにしました。跨線橋での撮影を終えた後、ヤンゴン駅に参りました。

環状線ホームに降りますと欧米人もお待ちです。

03_路線図

01_ホーム01_ホーム2▲ 環状線ホームにある切符売場です。時刻表が掲示されてあるのですが、現地語のために時間も行先も分りません。
02_キハ58_04
環状線の総延長は約48キロ。ヤンゴンの市内を約3時間弱をかけて最高速度約40km/hでノロノロと一周しますので、丁度いい市内観光が楽しめるそうです。現地人だけでなく観光客も利用しています。昨日撮り損ねたキハ52がいるかなあとホームに降りますと、今日はキハ58+キハ47が発車待ちでした。

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2013年 はにかみの国、ミャンマーSL撮影の旅 Part14 ヤンゴンを走る日本からの譲渡車両、キハ52、のと鉄道NT100

第9・10日目 3月30日、4月1日 その1

今日は深夜便で往路と同じくソウル経由で帰国します。昼間はたっぷりと時間がありますのでヤンゴン駅環状線を見てまわることにしました。まずは昨日ヤンゴン駅到着前に車窓から見つけておいた跨線橋を目指しました。

0832_2列車▲ 8:36、ヤンゴン駅を出発した混合列車ですがどうも入替中のようです。その横を6両編成の環状線の列車がヤンゴン駅から出発していきました。
0839_環状線列車▲ 8:39、ヤンゴン駅に向かう5両編成。これも環状線列車かな。
0843_長距離▲ 8:43、ヤンゴン駅に向かう6両編成。走行路線が違っているので本線のローカル列車と思われます。

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2013年 はにかみの国、ミャンマーSL撮影の旅 Part 13 ヤンゴン

第8日目 3月30日 

02_駅02_駅構内202_駅構内302_駅構内1▲ ミャンマー鉄道、総延長約5400キロの中心のヤンゴン駅は、英国植民地時代に建築されています。駅舎は東と西ホールに分けられていて天井が高く立派な駅でした。
今日は、皆さん疲れておられますので、駅構内をざっと見ただけで、まず食事をとった後はホテルへと向かいました。
02_駅構内 続きを読む

2013年 はにかみの国、ミャンマーSL撮影の旅 Part12 キハ47、181、183系発見、ミャンマーの蒸気機関車、マンダレー~ヤンゴン夜行列車の旅

08_マンダレー駅808_マンダレー駅9▲ マンダレー駅ホーム端にある水汲み場にボトルを持ってきていたお嬢さんたち、ちょっと振り向かれた時に出ましたはにかみ笑顔、久しぶりに見させていただきました。

 

第7日目 3月29日 その2
マンダレー 17:00(D4n)→9:15 ヤンゴン

08_マンダレー駅308_マンダレー駅615:15、マンダレー駅に到着しました。2階駐車場から構内を見ていますと見慣れたカラーのDC2両が入線してきました。飛ぶようにホームに向かいました。

2両のDCは2011年にJR四国から譲渡されたキハ47系です。

キハ47-116→RBE2571
キハ47-117→RBE2572
と、改番されていました。

車内を見たかったのですが、制止させられました。
列車は2時間遅れで到着したそうで、乗降が終わるとすぐに折り返していきました。
制止はそのためでした。
ドアは開けっぱなしで去って行きました。
行先は時刻表がなく分かりません。

08_マンダレー駅008_マンダレー駅108_マンダレー駅4▲ 車庫を覗くともう1両が留置されていました。

キハ47-1087→RBE2574
3両とも車体制限のため屋根上のベンチレーターは撤去されていました。
JR四国からはもう1台が譲渡されています。
こちらはヤンゴンに配車されているそうです。
キハ47-503→RBE2573

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2013年 はにかみの国、ミャンマーSL撮影の旅 Part11 マンダレー

07_踏切1 マンダレー駅周辺のロケハン途中の踏切前でお会いした洗濯をしていたお嬢さん。明るくさわやかな笑顔で答えてくださいました。それにしてもマンダレーの皆さん、昨日と同じく愛想良く元気です。またきたくなりますね

第7日目 3月29日 その1
マンダレー 17:00(D4n)→9:15 ヤンゴン

02_朝食2 02_朝食▲ 6:30、清々しい朝を迎えました。欧米人もかなり泊まっておられたSwanHotelでの朝食です。欧米人や我々にも口に合うような各種メニューが用意されていました。ほっとしてたくさん食べましたが、しばらくするとお腹の調子がおかしくなりました。Nさんも同じで、どうも二人とも食べ合わせが悪かったようです。私は正露丸を飲んで強制的に治めましたが、Nさんは持参されていた別の薬が効かなかったのか、重症になられました。一方のO氏はとても元気で人間性だけでなくお腹も違っておられるようで頑丈です。旅の途中での腹痛は大変です。今日はスタートで失敗しました。

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2013年 はにかみの国、ミャンマーSL撮影の旅 Part10 ナムツからマンダレーへ その2 マンダレー駅

02_空港前12_edited-102_空港前13▲ Paleik分岐駅で遊んでいた子供たち。底抜けに明るく踊って、お得意のポーズで決めてお迎えしてくれました。

第6日目 3月28日 その2
① ナムツ6:55(チャーター車)→8:55シッポー駅10:10→14:43マンダレー空港
② マンダレー空港14:50→パレイク駅16:15マンダレー駅

01_メイヨー1シッポー駅を出発する1日1本の列車の発車を撮ることなくマンダレーへと急ぎました。往路では途中で渓谷を上下する急ないろは坂がありました。車体が長いトラックは急なカーブを曲がるのは大変で、片側通行になって大渋滞しました。ここを超えるのがネックになっています。
運転手さんも飛行機に遅れてはいけないと渋滞を心配されておられましたが、復路では渋滞がなく無事通過しました。ほっと一安心でした。

01_メイヨー312:50、順調に走り続けてメイヨーに到着しました。メイヨーは植民地時代からの避暑地で海抜は約1000mもあります。ここからマンダレー空港までは100数10キロです。これでフライト時間には間に合います。これなら大丈夫とネイトンさんは申され、市内のとあるレストランに入りました。

01_メイヨー4▲ ドカ~ンと今まで食べていなかった料理の数々が出てきました。これがミャンマー料理なのでしょうね。美味しくいただきました。

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2013年 はにかみの国、ミャンマーSL撮影の旅 Part9 ナムツからマンダレーへ その1 シッポー駅

05_シッポー駅19▲ シッポー駅ホームの上で葉っぱに乗せたクーンと呼ばれる噛みタバコを売っていた少女。初めはとても恥ずかしそうで、中々表情を引き出せませんでしたが、お話をかけながら何枚かシャッターを切っていくうちに自然と、はにかみ笑顔が出ました。カメラに慣れていない素朴な表情がとっても素敵でした。
05_シッポー駅27▲ おばあちゃまにしっかりとおんぶされた可愛いお孫さん。べちゃこい笑顔は我が家の孫にそっくりです。思わず両手を差し伸べました。

 

第6日目 3月28日
① ナムツ6:55(チャーター車)→8:55シッポー駅
② シュポー駅10:10→14:43マンダレー空港→16:15マンダレー駅

01_朝食6:30、今日の朝食はパンではなく麺です。さっぱりとした味付けは日本人好みです。美味しく召しあがらせていただきました。
6:55、今日は朝からナムツを出発してマンダレーへと向かいます。マンダレー空港でM1さんとM2さんを見送りますが、当初予定していた時間よりフライトが1時間も早くなっていますので急ぐことになりました。 01_ナムツ→マンダレー地図701_時刻表▲ 赤線が移動した軌跡です。O氏がGPSロガーで記録されたDATAをいただきました。

国鉄線とはほぼ平行していますが、車窓からはほとんど見えず踏切を渡る時に分かる程度でした。
帰路のどこかで走行写真を撮ってみたかったのですが、急いでいました。初めてで車窓からのロケハンもできていません。従って走行写真は撮れずでした。

まあ、1往復の運行しかなく、待ち受けも遅延が日常的ですので、よほどラッキーでないと撮れないのが現実です。
次回の機会ができましたら、終着のラショー駅ナムツ鉱山鉄道の休止線沿いを辿って、ナンヨー駅も寄ってみたいですね。

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2013年 はにかみの国、ミャンマーSL撮影の旅 Part8 ナムツ鉱山鉄道(Namtu) 第3日目 その2 グース出動

30_洗う少女▲ グースが走る渓谷、岩肌から注ぐ水で洗い物をしていた少女。声をかけると、こちらを向いてくださいました。ちょっぴりと、はにかんだ笑顔はとっても素敵でした。ナムツ鉱山鉄道沿線で撮れた1番のショットです。

ナムツ鉱山鉄道 第3日目 3月27日 その2

ナムツ鉱山鉄道の指令所を出ますとリーダーのO氏より鉱山鉄道の管理者との話し合いの結果を皆さんに説明されました。
「 昨日の山火事発生で皆さんは大変心配されたと思います。昨日はあれほどの事態が起こるとは予想だにしていませんでした。皆さんが思われている通り、今日も昨日と同じように42号機を走らすと、昨日同様かそれ以上の災害が発生するかもしれません。
列車運行の責任は鉱山鉄道側にありますが、主催者は我々です。我々にも多少とも責任が生じる以上、危険は避けるべきとのご意見が出ました。極めて乾燥をしているこの時期の42号機の走行は止めた方が良いのではないか。我々は、代替案として皆さんの希望が出てきたグース運行を提案したい。 と、申し上げました。すると、管理者も案じておられたのか安堵の表情を表され、直ぐに上司に電話連絡をされた結果、許可が出ました。管理者は我々が心配じている以上に案じておられたようです。それと、一昨日はスイッチバックまでしか行けませんでしたが、今日はグースでその先まで行けることになりました。費用についても追加請求はありません。
」と、我々が思っていた以上の回答を引き出されたことをお聞きしました。

さすが大手鉄鋼会社の現場長を務められただけの人格者です。如何とも言い難い交渉力でもって鉱山鉄道側を説得、納得させられたのでしょうね。皆さんも万歳です。
01_グース1それからの鉱山鉄道側の対応は、非常に迅速に始まりました。
休日にも関わらずグースの運転手の呼び出し、グースの燃料の手配をして、10:37、グースはデルタ線に入って機回し準備完了となりました。
01_グース201_グース301_グース4▲ グースの駆動部分ですが、伝動ベルトには三ツ星ベルト(本社神戸市)製が使用されています。日野トラックといい、こんな所で日本製に会えるとは感激でした。

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2013年 はにかみの国、ミャンマーSL撮影の旅 Part7 ナムツ鉱山鉄道(Namtu) 第3日目 その1

02_市場5▲ 市場には、商品を卸す元気なおばちゃまたちが来られます。頭に乗せられるのは竹で編んだ籠です。この中に商品を入れて運んでこられます。主に新鮮野菜類です。カメラを向けると、はにかみ顔で答えてくださいました。

ナムツ鉱山鉄道 第3日目 3月27日 その1

01_運搬車今日はナムツ鉱山鉄道撮影の最終日です。迎賓館で朝食後、7時にナムツ駅に着きますと変わった車がありました。小型の人力運搬車のようですがちゃんとブレーキも付いていて、重量物も積めるしっかりとした造りです。
職員の皆さんは竹を積んで押して行かれます。

01_運搬車201_運搬車3▲ 勾配区間に入るとみんなで押します。後方左はナムツの町の唯一の市場です。

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2013年 はにかみの国、ミャンマーSL撮影の旅 Part6 ナムツ鉱山鉄道(Namtu) 第2日目

01_子供1▲ ナムツ駅構内で遊んでいた姉妹。仲の良い満身の笑顔はミャンマーに来て初めて見ました。01_子供2▲ タイガーキャンプのデルタ線にある大きな木の下で直射日光を避けてくつろぐ親子。穏やかな姿の中に強い信念を感じました。 ナムツ鉱山鉄道 第2日目 3月26日 6:24、今日は、朝の機関区の様子も分かったので、迎賓館で朝食後に出発することにしました。 01_朝食02_ナムツ駅1▲ 7:09、ナムツ駅に行きますと職員の皆さんは仕事を始めておられました。 今日は、昨日タイガーキャンプに残した13号機と、42号機との初めてのツーショットが狙いです。昨日はタイガーキャンプに着くのが遅く温かくなったので煙が出ませんでした。今日は途中での撮影は止めて、タイガーキャンプへ直行するように打ち合わせました。 03_42号機1▲ 7:13、雲間から朝日が見えてきました。朝日に照らされたグースのボンネットの向こうに42号機の煙が上がりました。 続きを読む

2013年 はにかみの国、ミャンマーSL撮影の旅 Part5 ナムツ鉱山鉄道(Namtu) 第1日目 その3

41_鉱山5▲ たくましい腕にお孫さんをしっかり抱いたおばあさん。はにかみ顔というより、自信に満ちた笑顔です。
41_鉱山6▲ 幼い子供さんは日焼け止めを顔一面に塗っています。ミャンマーでも色白は美顔になるのでしょうね。はにかみ顔のお母さんも大変です。

第2日目 その3

http://www.youtube.com/watch?v=wnWZEgmN5jw

▲ 動画の埋め込みコードが不調ですので上記をクリックしてください。

タイガーキャンプまでは急勾配です。DC303号機だけでは力が足りす。13号機も必死の力行を見せてくれました。コンデジでの動画撮影です。お見苦しい点はお許しください。

00_ループ_2[googlemap lat=”23.103816492828233″ lng=”97.32300341128735″ align=”left” width=”300px” height=”200px” zoom=”17″ type=”G_HYBRID_MAP”]マンダレー[/googlemap]

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2013年 はにかみの国、ミャンマーSL撮影の旅 Part6 ナムツ鉱山鉄道(Namtu) その3 第1日目 その3

37_こどもたち02

00_ループ_2▲ タイガーキャンプ直前に設けられた2重ループ線です。ここを上がるとタイガーキャンプのヤードに入ります。
34_ループ3▲ 12:33、まずはDLを先行させて、続行するSLと交差するシーンとしました。鉱山最盛期には多数の蒸気機関車が稼働していました。交換できる駅もわずかでしたので続行する列車運用も組まれていたのかも・・・。
しかし、610㎜ナローゲージにループは鉄ちゃんにはこたえきれない喜びです。これだけを見るだけでも十分な価値はあります。
35_タイガーキャンプ04 35_タイガーキャンプ0235_タイガーキャンプ00▲ 12:52、タイガーキャンプに到着しました。山間の広い場所に第一選鉱所、炭住と鉄路ヤードが広がっていました。

Part7へ続く

2013年 はにかみの国、ミャンマーSL撮影の旅 Part4 ナムツ鉱山鉄道(Namtu) 第1日目 その2

21_通学の子供たち

;▲ 通学の子供さんとお会いました。カメラを向けると凛々しい顔で答えてくれました。二人は兄弟なのでしょうね。子供らしくお菓子を食べながらの通学です。鉱山が休止してしまって斜陽の町のように思えますが、元気な子供たちはたくさんいます。子供の姿が見えて声が聞こえてくるのは、これからのこの町に再興への道が開かれていると思いました。

第3日目 3月25日 その2

00_ナムツ鉱山鉄道運行線00_標高表_ナムツ~タイガーキャンプ_1

▲ 今日のフォトランの軌跡と標高表です。Wallah渓谷に沿って急坂を上がっていきます(GPSロガー;O氏より提供)。ナムツから選鉱所のあるタイガーキャンプまでの標高差は243m。路線は1部40‰あまりあって、平均勾配は33.75‰にもなる登山鉄道でもあります。空車回送とはいえ山に向かって、喘ぎながら貨車を牽引していた様子は容易に想像できます。

蒸気機関車13号機をチャーターしてのフォトランが始まりました。610㎜のナローゲージを走行する蒸気機関車を見るのは初めてです。
01_Wallah渓谷鉄橋[googlemap lat=”23.087122072726036″ lng=”97.39197015760055″ align=”left” width=”340px” height=”150px” zoom=”17″ type=”G_HYBRID_MAP”]マンダレー[/googlemap]温度8時38分▲ 7:52、ナンヨー方面からナムツ駅へは、Wallah渓谷にかかるトラス橋を渡って進入します。ミャンマーは熱帯の国ですが、海抜520mのナムツの朝は15℃と涼しく白煙が上がりました。

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2013年 はにかみの国、ミャンマーSL撮影の旅 Part3 ナムツ鉱山鉄道(Namtu) その1 概要と車両

01_はにかむ少女

▲ ナムツ駅のロケハンに向かう道でお会いしました露天の八百屋さんの店開きをお手伝いしていた少女。カメラを向けると、はにかみながら返してくれた素朴な笑顔がとっても素敵でした。

第3日目 3月25日 その1

日本からはるばる2日間をかけてやってきましたミャンマーのナムツ鉱山鉄道の蒸気機関車撮影は、じっくりと3日間をかけて行います。今日は13号機をチャーターして選鉱所のある山のタイガーキャンプまでをフォトランしながら向かいます。

【 ナムツ鉱山鉄道 】

ナムツ鉱山は、銀を産出する鉱山として数100年前から採掘が始まりました。当時から世界的にも有名だったそうです。
1883年、英国植民地時代に入り1903年にマンダレーからの鉄道建設がラショーまで開通しました。これに伴いナムツ鉱山への鉄道建設は、1907年に610㎜(2フィート)ナローゲージにより始まりました。難工事の末1914年に国鉄線ナンヨー(Namyao)~バドウィン(Bawdwin)の全線43.7㎞が完成しています。鉄道ができたおかげで、大規模な採掘と輸送が可能となりました。鉱山鉄道はタイガーキャンプで一次選鉱された鉱石を製錬所のあるナムツへ運びます。ナムツで精錬された各金属はナンヨーへと運搬され、ここで積み替えられて国鉄線で西海岸の港町に向かい、その後は英国本土へと海上輸送されていったと思われます。優れた精錬技術により採取される金属は鉛、銀、亜鉛や銅と増えていきました。
00_ナムツ鉱山鉄道全盛期路線図00_標高表_ナムツ~タイガーキャンプ▲ ナムツ鉱山鉄道の路線図と路線の標高図です。黄色線は現在運行されている区間です。
00_ダイヤグラム_edited-1▲ 厚かましくも指令所でいただきました白紙のダイヤグラムです。表面が7時~19時と裏面が19時~7時までの両面仕様になっています。今回のチャーター列車が運行された時はきちんと線引きがありました。

蒸気機関車時代は1980年代で終わりましたが、FarRailからの要望で13号機と42号機が現役復活されました。鉱山は約3年前に坑道水没により閉鎖されています。殆どの鉱山は湧水との戦いです。鉱山で湧き出る水をいかに効率よく排出できるかが、鉱山運営のポイントの1つで何もしなければほとんどの鉱山は水没します。水がいくら湧き出ても、それを上回る排出能力を持てば鉱山は採掘を続けられますが、ナムツ鉱山の採掘現場は、海面以下になって効率的な水の排出が困難になって休止せざるを得なくなったそうです。

現在、新たな鉱脈発見作業が続いており、鉱山の従業員は解雇されず自宅待機で再開を待っておられます。その間の給料は支払われていますのは、国営なのと解雇してしまうと熟練の従業員が山を去って町に行きますので、辺ぴな山には2度と戻ってこない心配があるからなのだそうです。鉄道も同様で、再開までの保守点検が行われています。そして鉱山労働者家族が住まれる地域までは道路のインフラはないので、1週間に3回ほどの生活物資の運搬運行がレールバスにより続けられています。

ただ数年前にバドウィン手前の路線でがけ崩れがあって線路が流出したままで放置されています。今回も近くまでしか行けませんでした。鉱山再開の見通しが立った頃には修復されると思われますが、従業員の生活を守り、鉄路を維持管理するには莫大な費用が必要でしょうから大変ですね。
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2013年 はにかみの国、ミャンマーSL撮影の旅 Part2 ヤンゴンからマンダレー経由でナムツへ

第2日目 3月24日

① ヤンゴン7:00(Air Bagan;W9-201)→8:25マンダレー
② マンダレー10:20(チャーター車)→18:30ナム

00_地図00_edited-101_国内線01今日は、昨夜着いたヤンゴンから、飛行機で北へ約600キロ先のマンダレーへ、マンダレーからはチャーター車で、SL撮影目的地のナムツに向かいます。

早朝7時のフライトですので、5時には起床してホテルで軽い朝食後、空港へ着きました。

02_国内線ロビー

▲ 5:52、朝のフライトが多いのか狭い国内線ターミナル前は、送迎の車で一杯です。そして、観光目的の欧米人の姿が多く見かけられました。
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