2013年 春の中国鉄路の旅 Part25 北満一人旅 その8 大連から興隆鎮へ

第24・25日目 5月24日、25日
① 大連21:52(T261次)→翌日7:30哈尔滨
② 翌日 哈尔滨13:32(K7109次)→15:26興隆鎮

お好み焼き屋「かっちゃん」でゆっくり夕食とネット三昧後は、ホテルに預けた荷物を取りに行ってから大連站へと向かいました。
今夜乗車するのは特快261次哈尔滨行きです。乗車距離は946キロながら、停車駅は瀋陽のみで所要時間は9時間38分です。表定速度は99.6km/hと在来線を走る特快客レとしては速い列車です。
ちなみに哈大旅客専用鉄道(921キロ)ですと、大連北~哈尔滨西は夏季ダイヤで最短4時間7分で走破します。表定速度は238.2km/hとなっています。運賃は夏季は1等645.5元(約10,700円)、2等403.5元(6,700円)しますが、高架橋を走ります。トンネルは少なく車窓からは満州の広大な大地の眺望を楽しめます。私は開業時に乗車しましたのと、移動は夜の方がホテル代が浮くので今回選択しませんでしたが、まだの方は乗って見られる価値は十分にあるとお奨めします。

そして哈尔滨からは、今回最後の撮影地の興隆森林鉄道へと向かいます。

01_走行地図_101_切符01_T261
【 重複した切符 】

実はこの列車の切符は先に瀋陽で買ってあったのですが、忘れてしまっていて東方紅でも買ってしまい重複しました。気が付いたのは帰国してからで、351元(約5,800円)を無駄遣いしてしまいました。
しかし中国鉄路では実名制切符になっています。同じ人間が同じ日に他の列車切符を買うことができないシステムです。同じ列車切符購入はなおさら発券できません。なのになぜか買えてしまっています。どうしてなんだろうと切符を見ながら考えますと、印刷されているパスポート番号に謎解きがありました。
御覧のように左側は「083***」、右側は「TK083***」です。後から買った東方紅站の切符売り場で駅員が「TK08***」では発券拒否が出たので、気をきかせて「TK」を外して発券したものだろうと考えます。
01_切符3
最近、駅入場口には切符のQRコード読み取り機が設置されているのをよく見かけるようになってきました。切符を提示するとディスプレイに顔写真・名前・住所・生年月日・民族・身分証番号が表示されます。これを職員が見て切符を持っているのが本人かどうかを確認できるようになっています。
しかしこの読み取り機は、人民だけが持つ身分証のみしか対応しておらず、外国人パスポートは識別できません。切符とパスポートを目視確認しなければならないのですが、「TK」が外してあっても窓口で間違えたもの程度で済ませたのだろうと思われます。
盲点はあるものですね。本来、実名制切符はダフ屋撲滅と不穏分子の移動監視対策でもあるので外国人は除外されているのでしょうか。しかし、倹約の旅なのにもったいないことをしました。
今回は15枚もの切符を購入していました。チェックはしていたつもりだったのですが、ボケ進行が邪魔しました。

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2013年 春の中国鉄路の旅 Part24 北満一人旅 その7 大連の路面電車2

第24日目 5月24日
① ホテル5:30(徒歩)→8:50春海街(路面電車)9:00→9:45大連火車站

② 勝利橋12:03→12:08世紀街13:30→13:57市場街
② 市場街15:00→15:08大連火車站15:18→15:36世紀街20:30→20:55大連火車站
③ 大連21:52(T261次)→7:30哈尔滨

今日は夜行列車で哈尔滨へと向かいますが日中は大連の路面電車の撮影です。撮影地は昨日の反対方向にしました。朝夕は車の通勤ラッシュで路面電車撮影は難しくなりますので、早目の出発です。
00_201路線図02_イベント2
5:30、大連站前からは徒歩で向かうことにしました。

朝から威勢の良い太鼓の音が聞こえてきます。電車通りに面した電気屋さんの前で同じ紅い服を着た10数名のおばちゃま達が元気よく太鼓を叩いておられます。電気屋さんのイベントの予行演習なのでしょうか、面白そうなのでしばらく見学しました。
02_イベント100_駅名104_火車駅~勝利橋1▲ 5:57、駅前の電車通りのお店は早餐です。横を大連站前に向かう2267号車が走り抜けていきます。

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2013年 春の中国鉄路の旅 Part23 北満一人旅 その6 普蘭店駅、大連の路面電車

第23日目 5月23日
① 普蘭店10:15(2728次)→11:23大連
② 大連火車站(路面電車)13:54→14:15興工街

今日は復州湾塩場ナローを撮る予定でした。しかし是非に撮りたかった路線が運休となっていましたので、2日早くに大連に向かい路面電車撮影に切り替えました。

地図路線名・駅名_1
01_切符1
列車は普蘭店に来た時に乗車した2728次が時間的にも良かったので選択しました。
大連までの所要時間は約1時間です。
02_普蘭店時刻変更

昨日切符を買いましたが、切符売り場内には5月15日時刻改正についての公示が張り出してありました。
中国鉄路ではこんな風に公示されますが、見てみますと公示は5月9日と約1週間前です。日本では考えられませんね。

哈大旅客高速鉄道についても冬期最高速度200km/hから夏季300km/hへとスピードアップしたようで、5月25日からは増発もされていました。
01_哈大高速鉄道ダイヤ1▲ 哈大旅客高速鉄道(大連~哈尔滨西)の時刻表です。日本の新幹線駅では当たり前に掲示してありますが、中国鉄路で一覧になった時刻表を見るのは初めてでした。
※ 詳しくご覧になりたい方は、上の時刻表を一旦デスクトップにドラッグ&ドロップしてから開けて見てください。詳細が分かります。

また、大連北站へのアクセスが悪いので大連発着があればと思っていましたら、1/3は大連発着になっていました。これは便利になりました。そして新たに北京~大連の動車が設定されています。時刻表には載っておませんが、これ以外にも北京・天津~瀋陽・長春・哈尔滨西の動車があります。

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2013年 春の中国鉄路の旅 Part22 北満一人旅 その5 復州湾塩田ナロー

第22日目 5月22日
① ホテル5:40(Taxi)→6:20復州湾(チャーターTaxi)→五島運輸駅

② 五島運輸駅12:30(Bus)→13:40普蘭店駅

今日は、昨日ちょっとだけ訪問した復州湾で塩田を走るナローを撮影予定です。このナローは以前から注目していて、いつかは行こうと思っておりましたが中々機会に恵まれずでしたので、今回の旅のメインとして日程を空けての訪問としました。

【 復州湾塩場ナロー 】
大連からは車で約2時間、約90キロにある復州湾一帯は古くからの塩の産地で、広大な塩田が広がっている地域です。日本統治下時代には大連は自由港であったため関税収入が見込めず代わりに塩税が関東州の財政を支えていたそうです。関東州も積極的に塩の生産拡大を図り、やがて塩田の90%以上は日本企業の経営となり、ソーダ工業の原料用として内地に大量に輸出され、日本の化学工業を支えていました。
天日製塩のために広大な塩田が造られ、その輸送のために762㎜のナローゲージ鉄道が敷設されました。機関車は当初からDLだったようで蒸気機関車はなかったそうですが、北碚のグースが牽引したのと同じような小さなトロッコを牽いて海を渡る姿はとても可愛いと、ナローファンが訪れる所となりました。

地図_復州湾1

01_往路101_往路25:10、朝目覚めて外を見ますとさわやかな青空で、絶好の撮影日和です。
張り切ってホテルを出ましたが、駅までのバスが中々来ません。するとホテル前でたむろしていたTaxiの運転手からどこへ行くのかと声がかかりました。復州湾というと80元(約1,300円)でどうかと言います。

考えましたが、現地には早く着いた方が動きに余裕が出ます。OKを出しました。
途中の町中を除いては、片側1車線の田舎道ですが路面状況も良くTaxiはぶっ飛ばします。
6:00、バスの半分の約40分で復州湾の町中に着きました。
ナローが走るには十分余裕です。まずは腹ごしらえと市場の食堂に参りました。

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2013年 春の中国鉄路の旅 Part21 北満一人旅 その4 綏芬河から大連へ、復州湾塩田ナローへのアプローチ

第20・21日目 5月20日、21日
① 綏芬河 12:54(2728次)→翌日10:12普蘭店
② 普蘭店駅11:00(Taxi)→11:10ホテル13:30(Bus)→14:00普蘭店駅
③ 普蘭店14:30(Bus)→14:30復州湾16:00→17:00普蘭店
④ 普蘭店駅前17:30(Bus)→17:50

02_切符2国際列車撮影後の午後からは再び列車に乗って大連へと向かいます。綏芬河~大連は、走行距離1,494キロ、所要時間22時間29分です。

3連チャンの夜行列車の旅となりました。
3日間の移動距離は2,760キロと大したことはありませんが、3列車に乗っての所要時間は46時間19分はまずまずです。
狭いながらも我が家となった軟座寝台で大連への出発です。

ちなみに乗車するこの2728次は、5月14日に今までの瀋陽止まりが延長されてできたばかりの列車です。02_車内

01_2728次走行路線2

02_綏芬河2▲ 改札前の待合室です。座って待っていますと突然に切符と身分証を見せるようにと公安官がきました。全員の切符と身分証を見て確認しています。私がパスポートを出すと、手で「お前はいい」と無視されました。外国人はどうでもいいのでしょうか。国境の駅だけあって前回よりも警戒が厳しくなっていました。 待合室にWiFiの表示は初めて見ました。これは国際線接続駅としてのメンツなのでしょうか。
02_綏芬河
隣のホームには先ほど撮った国際列車が発車待ちです。まだ改札はされていないようで、機関車横では兵士が警戒しています。
ホームの真ん中に設置された柵だけが通関の境界線です。
窓越しにカメラを向けていると見つけたのか止めるように注意を促します。

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2013年 春の中国鉄路の旅 Part20 北満一人旅 その3 ロシアとの国境の町、綏芬河の国際列車

第20日目 5月20日
① 哈尔滨 前日21:25(K7023次)→ 7:47 綏芬河
② 綏芬河 12:54(2728次)→翌日11:23大連

今日は绥芬河到着後ロシアへと向かう国際列車を撮って、お昼の列車で大連へと向かいます。3連チャンの夜行列車乗り鉄旅です。
01_車窓1綏芬河に来ますのは、昨年11月18日に次いで2度目です。
前回は瀋陽からこの列車の後に続く2727次で参りましたが車窓は雪景色でした。
今日は新緑の森林地帯を走行していますが、空はどんよりとはっきりしない天気です。
午前中だけでも雨は降らないで欲しいと願っての到着でした。
02_;綏芬河駅1▲ 7:45、定刻より若干早くの到着です。このK7023次はDL+荷物車+硬座4両+硬臥6両+軟臥3両+電源車の15両編成でした。ロシア国境に向かう接続列車でもありますので同じ国境へ向かう黒河行きと同様に軟座寝台車の連結が3両と多くになっています。
绥芬河では東方紅と違ってたくさんの降車客がおられました。
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2013年 春の中国鉄路の旅 Part19 北満一人旅 その3 東方紅での1日、そしてまた哈尔滨へ

第18・19日目 5月18日、19日
① 東方江 20:55(K7082次)→翌日11:34 哈尔滨(ハルピン)

② 哈尔滨 翌日22:58(K7023次)→翌々日9:02 綏芬河

今日は夜の列車で哈尔滨に戻り、また夜の绥芬河行きに乗車します。東方江と同じパターンでの夜行列車2連チャンです。貧乏だった学生時代はユースに泊まるお金もなく、夜行列車が常宿でした。その頃に戻った感があります。

今日は乗車までたっぷりと時間があります。朝に発着する列車と昨日時間が分からず撮れなかった貨物列車撮影をしたいと思っていました。昨日、切符を購入した時に駅窓口の駅員に発車時刻を聞いたのですが、知らないと言って教えてはくれませんでした。
今日も別の駅員に聞きましたが同じ答えです。まさか駅員が知らない事はないと思いますが、旅客扱い担当者には知らされていないのかもと思ったりしますが、どうなんでしょうか?

02_朝の東方紅駅03_踏切から▲ 5:17、昨夜に降った雨があがった静寂の東方紅駅です。駅前広場には列車到着の1時間前なのにTaxiが列車の降車客を待っていました。

02_農地へ向かうレールに沿った道を行くと踏切があります。駅構内を見ますと昨日留置されていた貨車は見当たりません。夜に貨物の運用があったようです。

そろそろ稲作作業が始まります。農民の皆さんの朝は早くにおとずれます。出勤時間です。犬走りを耕作地へと向かう農民の姿が続いていました。

03_K7081次▲ 6:09、タイフォンを響かせて、来る時に乗車したK7081次がやってきました。今日も緑皮車14両編成の中国鉄路を代表する列車です。

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2013年 春の中国鉄路の旅 Part18 北満一人旅 その2 迎春駅、東方紅を歩く

第17日目 5月17日
① 延吉 前々日20:55(2038次)→前日9:06哈尔滨(ハルピン)

② 哈尔滨 前日15:49(K7081次)→6:10東方紅

01_車窓1乗車3日目
朝日が上がると共に目覚めますと、列車は水田が広がる稲作地帯を走っていました。この辺りはかつて日本政府の国策によって多くの満蒙開拓団が入植した地域です。00_牡丹江~東方紅

02_虎林駅14:54、虎林に到着しました。
列車は眠っている間に牡丹江から分岐したジャムスへの牡佳線に入り、林口からは東方紅へ向かう林東線を走っていました。
駅名板を見ますと、なぜか駅名表示に「站(駅)」がくっ付いています。多分初めて見た表示です。どこからこういう表示になったのか分かりませんが、どうしてなんでしょうね。
02_虎林駅2今回は駅名や現在位置確認のために日本鉄道旅行地図帳満州編を持ってきました。
満鉄全盛時代では、この虎林からソ連国境の要塞があった虎頭までの線路があったはずですが車窓からは見当たりません。列車は大きく左に曲がって北へと方向を変えます。

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2013年 春の中国鉄路の旅 Part17 北満一人旅 その1 延吉から東方紅へ、「北亜号」発見!

第16、17日目 5月16日、17日
① 延吉20:55(2038次)→翌日9:06哈尔滨(ハルピン)
② 哈尔滨 翌日15:49(K7081次)→翌々日6:10東方紅

今日からいつもの一人旅です。前回今年1月では、切符が確保できず途中で断念したことを教訓にして、20日前には切符が買えるように日程を組みましたので今回は、ほぼ確保できました。
今日の目的地はロシア国境に近い東方紅です。ここへ行く確固たる理由はなく、ただ終着駅だっただけの理由で目的地に選びました。地球の〇〇方にも載っていないのでどんなところなのか分かりません。行ってみて、見てみようとのぶらり旅です。01_延吉~東方紅_地図01
02_切符2上の乗車した路線をご覧のように東方へ行くには北へ上がって牡丹江に行き、ここで乗り換えて向かうのが最短ルートです。
しかし調べますと、延吉から牡丹江までの列車は1日1本のみ、牡丹江からは2本の接続が可能ですが、それより延吉発はあまりに早過ぎます。これでは延吉にもう1泊しなければなりません。

東方に着くのもK7077次では遅すぎて宿を探すのに支障があります。K7081次となると哈尔滨始発の列車ですので、途中乗車切符が限られていて確保が難しいと思いました。
一方、遠回りにはなりますが2038次に乗車しますと、未乗車区間の拉浜線を通りますのでこちらに魅力を感じました。よって、こちらを選択しました。

哈尔滨までは530キロ、所要時間は12時間11分、哈尔滨~東方は796キロ、所要時間は14時間21分です。
乗車後は疲れていましたので、ビールを飲んで直ぐの就寝としました。

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2013年 春の中国鉄路の旅 Part16 北朝鮮国境沿いの鉄路 その10 消えた駅「三峰洞駅」、朝鮮族の町「龍井」

第15日目 5月15日
① 延吉20:55(2038次)→9:06ハルピン
② ハルピン15:49(K7081次)→6:10東方紅

今日は小竹先生とご同行させていただく最終日です。14日間お世話になりましてありがとうございました。先生は12:57延吉発の夜行列車で大連に向かわれ帰国の飛行機に乗られます。一方の私は、夜の延吉発でハルピンへ、休憩してから午後の列車で東方紅へと2連チャン夜行列車の旅です。

01_消えた駅3

午前中は時間があります。先生はかつて蒸気機関車が走っていた時代に撮った思い出の撮影地が今はどうなっているのか見に行きたいと申されますので一緒に参ることにしました。

今日は昨日のように大雨も降っていなくホテル前から01_消えた駅6Taxiをチャーターでき、約30分で目的地「三峰洞」に着きました。

先生は杏子の花が満開の小高い山を指さされて、あの頂上に立つと龍井を発車した蒸気機関車をフカンで撮ることができた。爆煙を吐きながら勾配を上ってくるのは素晴らしかったと思い出に浸っておられました.

しかし、降りられた駅がありません。しばらく歩かれて、確かここが食堂だった。他に食べる所がなかったのでしかたなく食べたが、不味かったなあ。でも駅前には人通りもあったと申されます。

01_消えた駅1

駅があったであろう上には、工場もありますが既に閉鎖されていて、周りは廃墟と化して生活感はどこにもありません。

01_消えた駅4

散歩に来られたおじさんに以前にあった駅のことを聞きますと、確かにあったが3年前に田舎の小さな駅は廃止するとの鉄道省からの指示が出て壊されて撤去された。改築もされて間もない駅だったのにもう跡形もない。
01_消えた駅2そこが駅舎のあったところだと申されます。確かに石積みが残り建造物があった名残が確認できますが、消えた駅でした。

中国鉄路は各地で建設ラッシュを迎え総延長10万キロを超えていますが、本線やローカル線の小さな駅は、のきなみ閉鎖され廃駅となっています。
地方の小さな町や村々を結ぶ交通手段は整備された道路を走るバスへとシフトされています。

01_消えた駅5多くの中国鉄ちゃんが度々降りられた、この三峰洞駅は中国鉄路の合理化により忽然と消えた駅になっていました。

先生は、呆然と見ておられましたが、横をレールバスを両端にした保線車両が走り去っていきました。

準特急様からコメントをいただいておりました駅です。
まだ写真の整理前で、グーグル地図を見て安易にまだ健在と答えてしまっていたのですが、改めてPart16を編集する際に小竹先生に聞いてみますと訪問した駅が三峰洞駅でした。
よく確認せずで、まことに申し訳ありません。

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2013年 春の中国鉄路の旅 Part15 北朝鮮国境沿いの鉄路 その9 国境の橋「琿春図們橋」、またも来ました北朝鮮の列車!客車型電動車を見る!

第14日目 5月14日 その2

南陽図們橋を撮った後琿春図們橋へと向かいました。主要国道ですが重量トラックやダンプカーが通っていますので、舗装は剥がれ穴ぼこだらけで雨が降ったのでぬかるむ悪路です。穴ぼこを避けて右左にハンドルを切りながら最徐行で進みます。

車中で崔さんにどうして北朝鮮の列車が来るのが分かったのかと質問をしますと、以前に携帯で撮られた動画を見せてくださいました。「聞いてください。なんか壊れて走っている音でしょう。中国の列車とは音が違っています。だから来るのが分かりました。」と申されます。
確かにガタンゴトンではなくカタンコトン、シャカシャカと不調和音に聞こえる気がします。恐ろしや音で北朝鮮の列車の走行音を聞き分けるガイドさんでした。ご尊敬申し上げます。
10_レールカー4向かう途中で小竹先生はアッと言われて止まるように指示されました。そして車を降りて後方へと行かれます。何かあるのかと思いましたら並行する鉄路に保線工事用のレールカーが見えました。 盛り土の軌道に上がって見ますと、ワゴン車にレールを走行できる車輪を付けた、というよりレール台車にワゴン車を乗っけたような車両です。ワゴン車はTOYOTAのライトエースです。 10_レールカー3 10_レールカー210_レールカー1▲ ウン、中々よくできています。トラック改造は見かけますが、ワゴン車は初めて見ました。

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2013年 春の中国鉄路の旅 Part14 北朝鮮国境沿いの鉄路 その8 国境の橋「南陽図們橋」、撮りました北朝鮮の列車!

第14日目 5月14日

今日も中国と北朝鮮との国境の橋「南陽図們橋」「琿春図門橋」を訪問します。

01_朝食目覚めて外を見ますと、昨日までの好天とは打って変わって朝から雨が降り出しています。撮影には最悪のコンディションです。

泊まっています境浦酒店での朝食です。ここでは何とルームサービスで運ばれてきました。ご覧のように朝鮮式で品数もボリュームも満点です。味も良し、中国式は飽きあきしていましたので美味しくいただきました。これで20元(約350円)でした。お得です。

朝食後、図們へはバスで向かい、ここで道を熟知している地元Taxiをチャーターしようと決めていました。バスターミナルまではTaxiを探しますが、ラッシュ時と雨のために空車が全く通りません。困っていると、ガイドの崔さんから「良かったら、会社の車を出しましょうか。運転手は道も良く知っています。チャーター料はTaxiと同じでいいですよ。」と、助け舟がきました。条件が同じならここから乗った方が便利です。OKを出しました。

今日の撮影地は雨が降ると泥濘となりますので、延吉の町を出る前に大きな傘と長靴を買いました。予想は当たり、大変役に立ちました。どちらも使い捨てで傘は崔さんに、長靴は必需品となりましたので、最後まで持ち歩いていました。
02_図們までの田舎道103_江陽1雨が降る中を図們に向かいますが、崔さんは町はずれから本道を左折して細い地道を行くように運転手に命じます。どうしたのと聞くと、本道では検問があって身分証の確認と車内の荷物検査等があるので面倒です。逆に時間もかかると申されます。
そういえば我々も前回検問に会いました。あの時は後ろから路線バスが来たので途中で我々の検査は止めて、公安は後ろに行きましたので面倒にはなりませんでした。
崔さんはこれを回避するために裏道を行くようにと指示したのですね。ウン、日本のマスコミを案内するぐらいですから実力のほどが分かりました。中々のガイドです。

山越えをして図們手前で本道に戻りました。豆満江を挟んだ対岸には北朝鮮鉄路が見えます。駅がありましたので止まって撮りました。川岸には監視台が設置されています。
03_江陽2▲ 9:55、将軍様の写真が掲げられて、何やらスローガンが書かれた駅舎です。駅名はハングルですので読めませんが多分図们の対岸「南陽」の1つ手前の駅と思われますので「江陽」でしょうね。

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2013年 春の中国鉄路の旅 Part13 北朝鮮国境沿いの鉄路 その7 国境の駅「開山屯」と国境の橋「三峰橋」

第13日目 5月13日 その2

小竹先生と私が訪れております日本統治下時代の満州と日本(朝鮮)の国境の橋の位置図を作成しました。ご覧ください。
国境沿いには白頭山(中国名:長白山)を源に発しての鴨緑江と豆満江が流れていて、それぞれ黄海と日本海に注いでいます。この2つの川が国境線となっていました。川に面した2つの国を結ぶ鉄道橋はそれぞれ3つが建設されています。軍事物資や生活物資輸送の他、旅客輸送も行われていました。今日の午後からは前回も訪問しました三峰橋を訪ねます。00_日満間国境の橋110_南坪~延吉▲ 国境の町「南坪」を訪ねた後は、殆ど車の走っていない道を龍井に向かって快走しました。

道中でガイドの崔さんは、若い頃に日本に留学していた。大学は京都工業繊維大学で宇治に住んでいましたと申されます。
中国の方とは結構面識がありますが、京都の大学は珍しく工繊大と聞くのは初めてです。私も京都の同志社ですと名刺を渡すと、崔さんも喜ばれたようで、打ち解けて京都の話で盛り上がりました。

今日はさわやかな春の青空が広がっています。Taxiは、殆ど車の走っていない道を龍井に向かって快走しました。町の中でまずは腹ごしらえです。

11_昼食11_昼食2▲ 12:40、ガイドの崔さんが案内してくださったのは朝鮮料理のお店です。
石焼ビビンバを注文しました。久しぶりの丼ものは、やはり口に合います。とっても美味しく、全部平らげました。これで18元(約300円)は、とても安いです。
この値段、この味で日本で出せたらお客殺到でしょうね、

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2013年 春の中国鉄路の旅 Part12 北朝鮮国境沿いの鉄路 その6 国境の駅「南坪」、

第13日目 5月13日
① 丹東 前日14:42(K7378次)→10:29和龍
② 和龍(Taxi)→南坪→開山屯→延吉

今日は、終点までは乗らず手前の和龍で下車して国境を目指します。緊張地帯を行きますので何かあった時のために朝鮮語もできるガイドを延吉から呼んであります。
日本を出発する前に小竹先生から若い美人ぞろいの写真入りの候補者リストをいただきました。一応私好みはお伝えしてありますが、誰にお決めになったのか聞いていません。会ってからの楽しみにしておりました

丹東の「虎山長城」で会った喜び組のような美貌のガイドさんが来られれば旅も楽しくなります。1駅1駅、列車が和龍に近づく度にワクワクと期待感は高まります。

01_K7378次走行図_105_サボ05_切符1▲ 乗車したK7378次は、丹東~和龍 1,015キロ(これは、東京から鹿児島本線八代~水俣の中間点あたりに相当)を19時間47分をかけて走破します。長距離列車が多い中国鉄路では一般的な乗車距離、乗車時間です。1等寝台下段で247.5元(約4,100円)ですから乗り鉄にはこたえきれない安さです。
04_車窓204_車窓0
5:30、久しぶりの列車内での目覚めです。先日訪れた通化を午前3時に出た列車は快調に走行し、この地で暮らす人々が聖地と崇める長白山山系へと入っていました。
町のバックに見えるのが長白山です。
まだ冠雪が残っていました02_朝食

8:05、朝食をとりたいのですが車内販売のおばちゃまが回ってきません。隣の食堂車に行くと、お客は誰もいませんが「ここで用意できるよ」と、コックさんが申されますので、久しぶりに食堂車内で食べる事にしました。
定番の朝のお粥定食です。これで15元(約250円)、昨夜の弁当と同じ値段です。
見てのとおり大して美味しくはないのですが、山河を越えて走る車窓を見ながら食べるとなぜかご馳走にもなります。
貧しかった学生時代には食堂車には入れなかった跳ね返しでもありました。

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2013年 春の中国鉄路の旅 Part11 北朝鮮国境沿いの鉄路 その5 国境の町「丹東」、鴨綠江大橋を渡る国際列車と虎山長城

01_チョゴリ▲ 万里の長城の東端 丹東「虎山長城」で朝鮮の民族衣装チョゴリを着て記念写真を撮っておられたお嬢さん。真っ赤な衣装に白い顔がとっても印象的でした。聞けば、籐先生の大学の生徒さんで、観光にきておられていました。 一瞬、すぐそこの国境を越えて来られた「喜び組」の方かと思える美貌の持ち主でした。

 

第12日目 5月12日
 丹東14:42(K7378次)→翌10:29和龍

今日は、小竹先生と一緒に午後の列車で丹東を離れ、次の国境の町へと向かいます。
2日間厚かましくもお世話になりましたOさんの奥様、ご両親やご家族の皆様にお礼を申し上げて出発しました。まず目指すのは、朝に北京から到着して北朝鮮平壌へと向かう国際列車が北朝鮮へと渡る中朝友誼の橋です。撮影場所は前回北朝鮮に残る蒸気機関車?を撮影した中朝友誼の橋、すぐ近くの丹東中聯大酒店の屋上お立ち台です。

02_鴨緑江大橋1▲ 9:35、お立ち台から見た、日本統治下時代の1911年10月に竣工された鴨緑江大橋(中朝友誼の橋)です。全長は944.2m、幅は11m。併用軌道ではありませんが、片側を道路、もう片側を鉄道の両方で使用されています。道路は狭いために一方通行で、時間を区切って両方からの走行です。中国側から北朝鮮に向かうのはこれでもかと積載されたトラックですが、復路は空で戻ってきます。
03_丹東駅303_丹東駅5
今日はどうかなと見ますと、トラックは相も変わらずイミグレ前からの行列ですが、イミグレの様子が前回と変わっています。
前回見た日帰り北朝鮮ツアーの観光バスやチャーター車がいません。従って観光客も居なくガランとしています。
昨日に籐先生が北朝鮮の緊張感が高まり、今年の4月から中国人も北朝鮮に行かれなくなったよと話されていた通りです。

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2013年 春の中国鉄路の旅 Part10 北朝鮮国境沿いの鉄路 その4 国境の町「丹東」、新鴨綠江大橋

第11日目 5月11日

昨夜は丹東に住まわれるOさんの奥様のご実家で厚かましくも夕食をご馳走になり、宿泊までさせていただきました。久しぶりの家庭の味は山菜の天ぷらが出ました。天ぷら粉は日本から持ってこられたそうで、ほっと一息大変美味しくいただきました。ありがとうございました。04_花1

06_山菜採り今日は午前中、ご実家の裏にある裏山に登ってみることにしました。山は春を迎えていました。
綺麗な小さな花が咲き、たらの芽、こごみ、ゼンマイ等々の山菜の宝庫で近所の人たちも採りに来ておられました。昨夜のおかずも山で採ってこられたそうです。

01_山

かつて日本軍が要塞を築いていたそうで、登って見ますと塹壕や砲台の残跡が残り、丹東の街並みが見渡せる尾根づたいはハイキングコースになっていました。気温は20℃とさわやかな朝でした。
03_温度

 

05_餃子▲ お昼も奥様とお母様のお手製の山菜入りの焼き餃子です。これも絶品です。恥ずかしながら私の家内は味音痴ですので、こんな美味しい料理は作れません。ちょっとOさんを羨ましく思いましたね。
前回そして昨日も国境の橋を案内していただいた籐先生も来られました。籐先生はこちらの大学の先生です。今日は丹東に建設中の新鴨綠江大橋を見に行きましょうと案内していただきました。

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2013年 春の中国鉄路の旅 Part9 北朝鮮国境沿いの鉄路 その3 集安から丹東へ、水豊ダム

第10日目 5月10日
① 通化BT7:31(Bus)→11:40長甸
② 長甸(マイカー)→水豊ダム→上河口→丹東

今日はホテル横のバスターミナル(汽車站)から丹東行き長距離バスに乗って途中にある長甸にある次の北朝鮮との国境の橋へと向かいます。
鉄路&バス_比較_縮小1▲ 集安から長甸までのルートは鉄路も考えられない事はありませんでしたが、最短距離に鉄道は現在敷設されていなく、上のルート地図のように大きく迂回しなければなりません。3本の列車を乗り換えての所要時間は約24時間とバスの約4時間と比べると雲泥の差がありますのでバスでの移動となった次第です。
バス路線HP用▲ 地形図から見たバス路線です。鴨綠江に沿って走り、途中からは山間を走行します。高速道路はありませんので全線一般道です。
切符はすでに買ってもらいました。今日は天気も良くなさそうですので、ゆっくりとバスの乗り鉄旅です。長甸までの移動距離は約190キロ、所要時間は約4時間です。

01_バス切符▲ バスの切符ですが、保険料(1元=約17円)まで付いてきました。56元+1元=57元(約960円)が運賃になります。
朝起きると外は雨模様でした。1日ずれなくて良かったですね。ホテル食堂で朝飯を食べてからの出発です。
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2013年 春の中国鉄路の旅 Part8 北朝鮮国境沿いの鉄路 その2 高句麗の都「集安」、北朝鮮の国際列車Ⅱ

第9日目 5月9日

今日も集安にて北朝鮮からの国際列車撮影です。昨日の時間で来るのか教えてもらえないとは分かっていてもまず集安駅へと向かいました。01_集安駅01_集安駅2

01_集安駅4DSC_7123_1▲ 8:20、集安駅に到着。1日1往復しか走っていない駅だけあって、列車が発着しない時間帯は閑散としています。しかし駅前広場の池の前ではおばさんおじさんたちが一緒に朝の体操をしておられました。人けがあるのは、ここだけですね。

01_集安駅3

まずは駅構内を見てみますと、混合列車が止まっています。写真を撮りたかったのですが、監視員にマークされてカメラを出すことさえできませんでした。
しかし、この列車は何時に到着したのでしょうか? 昨日とは運用が違っています。

駅舎内に入ると切符売り場は営業中でしたので王さんに通訳してもらって、この列車はいつ出発するのか聞いてもらいました。10時過ぎとの返事ですが、本当なのかどうかの確認手段はありません。
イミグレは前に車は止まっていますが、動きはありませんので、すぐの発車はないようです。

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2013年 春の中国鉄路の旅 Part7 北朝鮮国境沿いの鉄路 その1 国境の町「集安」、北朝鮮の国際列車

第6~8日目 5月6日~8日
① 5月6日 ホテル(Taxi)→广元21:14(K292次)→
② 5月7日 →8:39咸阳(Taxi)→西安空港
③ 西安空港12:40(CZ6470)→14:00太原経由14:45→16:10瀋陽空港
④ 瀋陽空港(Bus)→太原街(地鉄)→瀋陽駅(バイクTaxi)→駅正面

④ 瀋陽21:46(K7385次)→翌日 7:05通化7:45(Taxi)→9:35集安

00_移動地図小竹先生と二人、今晩の夜行列車で四川省广元から北朝鮮国境の町、吉林省集安へと向かいます。鉄路で行けない事はないのですが、3泊を余儀なくされます。小竹先生の日程もあって途中の西安~瀋陽は飛行機での移動となりました。それでも車中連続泊、移動距離は約3,000キロ強、所要時間は約36時間の長旅です。

广元を6日夜に夜行列車に乗って出発、西安手前の咸阳で下車してTaxiで西安空港へ、CZ6470は途中で太原を経由しての3時間半のフライト。瀋陽空港到着後はTaxIで国鉄瀋陽駅へ、再び夜行列車K7385次に乗車してまずは通化へと向かいました。

11_切符25月6日、广元から乗車するK292次の切符は小竹先生から鄧さんに依頼して前もって購入してもらっていました。
中国鉄路の切符発売日が12日前から20日前に変更なったのは。この時に初めて知りました。依頼した旅行社の鄧さんも知らなかったそうで、广元からの寝台切符は取れず始発駅の成都からそれも硬座寝台になりました。四川からの復路鉄路切符は昔から蟻地獄ともいわれるぐらい四川に入ることが出来ても、出るのは非常に難しいと言われています。現在片道10本が運行されていますが、なぜか寝台切符は即日完売となる列車が多く、特に北京に向かうT8次はプラチナ切符です。
瀋陽からのK7385次の切符は、上海到着時に自力購入しました。こちらは列車本数が需要の割には6本と多く、多忙期と直前購入でもない限り確保しやすい切符でした。

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2013年 春の中国鉄路の旅 Part6 四川省広元の栄山鉄道(監獄鉄路) その4

第6日目 5月6日
① 广元21:14(K292次)→8:39咸阳(Taxi)→西安空港
② 西安空港12:40(CZ6470)→16:10瀋陽空港(Bus)→瀋陽駅
③ 瀋陽21:46(K7385次)→7:05通化(Taxi)→集安

今日は夜に広元から夜行列車に乗って西安へ、西安空港から飛行機で瀋陽へ、瀋陽から再び夜行列車に乗って通化へ、ここでTaxiに乗り換えて北朝鮮との国境の町、集安へと向かいます。移動距離は約2600キロ強、2日連続の車中泊での移動です。

02_登校202_登校37:10、今日も朝から3日連続で栄山駅に参りました。そして今日も雨です。
朝の駅構内は子供たちの通学路でもあります。色とりどりの傘をさしての登校です。
最終日ぐらいは好天を期待しましたが、この時期の四川はこんな天候が続きますので、余程運に恵まれないと難しいようです。しかし良い点もありました。晴天になりますと日中の温度は30℃を超えます。暑くなっては煙が見えませんが、この3日間の最低気温は何と3℃と寒いくらいになりました。十分とは言えませんが白煙ながら煙が見えました。

今日の1番列車の撮影は、駅から橋を越えた集落に行く事にしました。学校も橋を渡った所にあります。登校する子供たちにとって、橋も通学路です。
03_朝の列車03_朝の列車2▲ 7:45、大きな木の下をプッシュプルの混合列車がきました。傘をさして竹籠を背おったおばちゃまとのツーショットを撮ろうとしていましたら列車が来る直前で建物の陰に隠れてしまわれました。いい感じだったのに残念です。路地の家々をかすめるように列車は行ってしまいました。

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