沖縄に鉄道を求めて(その3)

3.沖縄都市モノレールに乗る

沖縄都市モノレール(愛称 ゆいレール)は平成15年8月10日に那覇空港・首里間12.9Km 15駅で開業しました。戦後はバスと自動車の生活が定着していたため モノレールが開業しても乗る人はいないだろうとまで言われたようです。今回初めて那覇を訪れてみて実感したのは、市内のあちこちでの交通渋滞でした。生活が豊かになってマイカーが増え、観光ブームの到来で観光バス、レンタカーが増えた一方、道路は狭いままでは渋滞するのは当然です。そんな中で開業したモノレールはフリークエントサービスと定時運行、そして高いところを走ることから眺めもよく、予想に反して人気の交通手段となったそうです。

平成28年9月26日 那覇空港駅に入線する1114+1214

平成28年9月26日 那覇空港駅に入線する1114+1214 X型のポイントを通過する。

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沖縄に鉄道を求めて(その2)

2.沖縄県鉄道 与那原駅

沖縄本島は那覇や首里のある南部の島尻地方、中部の中頭(なかがみ)地方、名護以北の国頭(くにがみ)地方に分かれます。特に北部は山原(やんばる)と呼ばれる原生林地帯のため昔は道路がなく 海岸に点在する集落への足は山原船(やんばるせん)という小舟に頼っていました。東シナ海側の那覇港は九州、奄美、石垣、中国、台湾などを結ぶ港ですが、北部や島回りの山原船の拠点は 太平洋側の与那原(よなばる)港でした。北部からは木材、木炭や黒砂糖が与那原に陸揚げされ、与那原からは生活物資が北部や離島に運ばれていました。那覇・与那原間の鉄道が大正3年12月に開業したことによって、那覇・与那原間の物流は従来の馬車輸送から鉄道に代わります。そんな物流拠点であった与那原駅が復元されているそうなので 見に行きました。なお地元では「軽便」のことを「けーびん」と呼びます。

平成28年10月1日 復元された与那原駅駅舎

平成28年10月1日 復元された与那原駅駅舎

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沖縄に鉄道を求めて(その1)

47都道府県のうち今まで一度も足を踏み入れたことがなかったのが沖縄県です。最大の理由は生きた鉄道が無かったためです。今回 別の目的で初めて沖縄県を訪れたついでに、かつての鉄道の名残を探してきました。沖縄にあった鉄道は、大正3年5月に開業した「沖縄電気軌道」と同じく大正3年12月に開業した「沖縄県鉄道」です。沖縄電軌は昭和8年8月にバスとの競争に敗れて廃止されています。一方の県鉄は 那覇を起点に与那原(よなばる)線、糸満線、嘉手納(かでな)線の3路線を有して県南部の主要な交通機関として機能していましたが、終戦直前のすさまじい艦砲射撃や空襲、地上戦などで壊滅し、戦後復興されることはありませんでした。この他にもサトウキビ輸送のための馬車軌道やトロッコ軌道もあったようです。そして平成15年8月の沖縄都市モノレールの開業まで 約60年近く鉄道のない時代が続きました。ただモノレールは鉄道であって鉄道ではないというイメージが強いのですが、ここでは鉄道として扱うことにします。

1.両備軽便鉄道 4号機のなれの果て

今回の沖縄鉄道探訪の最大目的はこの機関車に逢うことでした。かつて地元広島県下福山・府中間の両備軽便鉄道時代に4号機として活躍していたドイツ ヘンシェル製の蒸機の下回りだけが 那覇市内の公園にひっそりと保存されているのを見ないわけにはゆきません。

平成28年9月28日 那覇市壺川東公園にて

平成28年9月28日 那覇市壺川東公園にて

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広電貨51号 走り出す

カープ優勝を祝って花電車に仕立てた貨51号が広島市内を走り始めました。10月1日の中国新聞記事です。

平成28年10月1日 中国新聞朝刊

平成28年10月1日 中国新聞朝刊

雨の日にも運行されるかどうかはわかりませんが、運転台上にはビニールテントの簡易屋根があり、前面には透明プラ板の風防もあり少々の雨でも運転士が濡れる心配はありません。運行期間は未定となっていますが、12日から広島で始まるCS6連戦でカープが見事優勝すれば、22日からの日本シリーズ期間中も走るのは間違いありません。椋田社長からのお手紙には「戦後復興のシンボルとして、弊社とカープはともに戦後の広島の歴史を歩んでまいりました。第3代伊藤社長がカープ球団の創設に尽力するなど、長年にわたりカープとは深い絆で結ばれており ・・中略・・ カープの51番を背負い目覚ましい活躍を続けている鈴木誠也選手同様、貨51号にも輝かしい活躍の場を与えてやりたいと考えています」とのうれしい一節もありました。まずはCSを乗り切り 次は日本一になって11月に入っても51号が広島の街を駆け巡ることができるよう カープの一層のがんばりを期待しているところです。改めて広島に取材に出向き、報告したいと思います。

三江線廃止は2018年3月末

ここ1週間 旅に出ておりましたのでお知らせが遅くなりましたが、三江線の廃止、バスへの転換は少し先延ばしされ 平成30年(2018年)3月末として廃止届が出されました。中国新聞記事を転載します。

 

平成28年9月29日 中国新聞朝刊

平成28年9月29日 中国新聞朝刊

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緊急速報 広電 花電車の運行決定

カープ優勝を記念して 江波車庫の奥で眠っていた貨51号がカープレッドに塗られて 装いも新たに広島市内を走ることが広電ホームページで公表されました。9月30日(金)14:00に広島駅前で出発式が行われ、翌10月1日からは 江波→紙屋町→広島駅→西広島→横川→江波の第1便と そのあと江波→紙屋町→広島港→比治山線→広島駅→江波の第2便が走ります。詳しい通過時間は広電ホームページをご覧下さい。同ホームページのイラストをコピーさせて頂きました。

広電ホームページよりコピー

広電ホームページよりコピー

広電ホームページよりコピー (反対側面)

広電ホームページよりコピー (反対側面)

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三江線廃止 正式決定 他

沿線自治体での説明会が終わり、各自治体が鉄道存続断念の意思表示をして ようやくバスへの転換と鉄道廃止が決まりました。ただ新しいバス交通網の計画立案にはこれから約1年半かかるとか。世の中の変化のスピードに全くついてゆけていないと言うか、悠長なことです。

平成28年9月24日 中国新聞朝刊 

平成28年9月24日 中国新聞朝刊

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半世紀前の静岡駅で

寺田咲築氏の登場にうれしくなって、昭和39年に静岡駅で見かけた職用車をご紹介します。オハフ30をそのまま静岡運転所の通勤車にしたオヤ30です。もちろん地平ホーム時代です。

オヤ3054

オヤ3054  デッキの窓ガラスが割れたまま

オヤ3055

オヤ3055

お粗末さまでした。

三江線 小ネタ

全線廃止表明以降 地元のテレビや新聞には三江線ネタが急に増えています。今朝はこんな記事が載りました。

平成28年9月23日 中国新聞朝刊

平成28年9月23日 中国新聞朝刊

三江南線の初列車に乗務したOBの回顧談です。当時は「2両編成で機関士2人、車掌2人」とは 写真に写っているキハ02の2連のことでしょう。気になるのはそのキハ02の下の写真です。明らかにキハ02ではないので、当時の配置表を見てみると 三次区にキハ41500(後のキハ06)が1両配置されていたことがわかりました。また三江南線開業時にはまだキハ02(当時はキハ10000)は配置されておらず、どうもキハ41500 1両で三次、口羽間を往復していたようです。キハ02の写真は後年のもののようです。このOB氏が最初に配属されたのが備後十日市車掌区だそうですが、昭和28年当時は三次機関区ではなく、備後十日市分区と呼ばれていたようです。昭和28年には8620が19両、C58が14両配置されています。芸備線の三次以南をC58、三次以北や福塩線に8620が活躍していた時代だったようです。

 

三江線情報 他

毎度 新聞ネタで失礼します。三江線廃止表明から3週間ほどが経って沿線6市町での住民説明会が済んだようです。

平成28年9月22日 中国新聞朝刊

平成28年9月22日 中国新聞朝刊

住民側がいくら存続を希望したところで 廃止と決めたJRが心変わりする筈もなく 説明会や廃止容認表明という通過儀礼も必要かもしれませんが 代替えバスについての前向きな議論を早く始めれば良いのにと思います。

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10月の中国地方の臨時列車

鉄道記念日をはさんで10月8日から23日までの間は青春18のミニ版である「秋の乗り放題パス」が使えます。3日間で7,710円ですからお手ごろです。私も山陰をひと回りしてこようと、いろいろ情報を集めていたのですが 皆様の参考になればと 10月の中国地方の臨時列車についてその一部をご紹介します。

10月 中国地方臨時列車カレンダー

10月 中国地方臨時列車カレンダー

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広電ビール電車、ワイン電車他

「青の交響曲」が現役諸君の努力によって成功裡に実施されたことはご同慶の至りです。さて吉野山ほど豪華ではないにせよ、広島の街にも「トランジュール」が走っています。元大阪市電1801型である768号を改装し、今年7月1日から「ビール電車」として走り始めました。好評を博して予約が殺到したため 当初8月末までとされていた運行予定が9月末まで延長されました。カープ優勝で盛り上がる広島ですので、その勢いを得て さらに10月から12月末まで「ワイン電車」として走ることになりました。詳しくは「トランジュール専用サイト」http://www.trainrouge.com/top.shtml をご覧下さい。

昨年12月の広島ツアーの際、解散後にF氏、I氏と一緒に訪ねた江波車庫の奥で眠っていた768号です。上記専用サイトの写真と比較してみて下さい。台車も真っ赤に塗られて 見違えるような姿に変身しています。馬子にも衣装と言えば768号に叱られそうですね。

768号 平成27年12月6日 江波車庫

768号 平成27年12月6日 江波車庫

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尾道駅建て替え 他

駅舎ばかりを集めた画集があるように 駅舎は旅情を誘う題材でもあります。尾道駅が平成30年度までに建て替えられるそうです。尾道駅は駅舎単体ではなく 背景を含めた景観として好感を持たれているのでしょう。現在の駅舎より 先代の駅の方がなお良かったと思いますが・・・。まだしばらく先のことなのに 早やばやとさよならイベントとは気が早いことですが、「トワイライトエクスプレス瑞風」停車を追い風に集客を期待しているのでしょう。

平成28年9月17日 中国新聞朝刊

平成28年9月17日 中国新聞朝刊

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三江線 その後

沿線では住民報告会などが開催されていますが、次のステップへ向けてのスピード感が 三江線の列車同様感じられません。誰が意思決定するのかわからないような会議体で協議を続けていて 1年後にそれなりの代替バスが走り出せるのか心配になります。

平成28年9月10日 中国新聞朝刊

平成28年9月10日 中国新聞朝刊

同紙

同紙

錦織の80型

玉電の80型の話が京阪の80型の話に拡がっていますね。丁度1年前に錦織で写した写真がありましたので、大津のハチロク様をさしおいて恐縮ながら アップしてみました。

平成27年8月28日 錦織車庫の82号

平成27年8月28日 錦織車庫の82号

確か82号はすでに京阪から第三者の手に渡っているのに、しばらく置かせて欲しいということで置いてあったとどなたかに聞いたように思います。手狭な車庫故京阪も迷惑だったようです。ようやく搬出されていたのですね。この時点でも塗装が剥げて錆が浮き、せっかくの美男子が可哀想な状態でした。

ところで 81号の頭部だけが保存されていましたが、これは今もあるのでしょうか。これは何のための保存なのでしょうか。この81号はきれいな状態でしたが。

81号の頭部 

81号の頭部

こうして改めて見ると 片運に改造される前のポール時代の方が格段にかっこ良かったですね。

続々 三江線廃止正式表明

今朝の中国新聞の連載記事をご紹介します。

平成28年9月4日 中国新聞朝刊

平成28年9月4日 中国新聞朝刊

江津口側の様子はわかりませんが、三次口側の状況はと言うと、江の川に架かる橋が少ないため、対岸の住民は鉄道を利用したくても駅まで行くのが不便極まりないという状況です。道路も両岸に立派な道路があるわけではなく、ようやく片側の道路が整備されつつあり、対岸の細い道路は離合も難しいような区間が多くあります。鉄道に代わってバスが走るにしても、両岸の住民が便利なようなルート設定やダイヤ設定は容易ではないでしょう。結局対岸を走るバスに乗りたくても乗れないという今と同じような状況になることが予想されます。バスは鉄道より格段に自由なルートを設定できるとはいえ、積雪地帯でもあり 道路の改良や橋の増設などが伴わなければなりません。昨今「今までに経験したことのない」自然災害が各地で続発しています。今までに何度も災害を何とか乗り切ってきた三江線の歴史を考えれば、今まで以上のリスクも想定したプランが望まれますが、現実的には非常に難しい課題だと思います。現在三江線沿線には備北交通、美郷町営バス、石見交通のバス路線がありますが、基本的には沿線住民のための生活路線であり 相互の関連はありません。既存の路線をベースに観光客、通過客のことも少しは考慮に入れた新たな路線網を考えるのでしょうが、紆余曲折が予想されます。三江線の取組みが全国各地の類似案件の先進事例になれば良いのですが、今までの動きをみていると大きな期待はしないほうが良さそうです。