よみがえった昭和47年

今朝起きてデジ青を開くと もう特派員氏がホームカミングデーの様子を速報されているので驚きました。昼の部も夜の部もにぎやかに、和やかに時間が過ぎ、また現役を含む若い人たちの参加も多く 会長の想いが実現しているように感じたホームカミングデーでした。

1900生様の8mm上映では 登場したいくつかの現地に居合わせ、同じ情景を見た者として非常になつかしく拝見しました。そのなかで草津線、信楽線のシーンを写真でご紹介します。実は撮影年月日が定かではありませんが昭和47年の秋だと思います。いずれの写真も退色とゴミで見苦しいことをご容赦下さい。

草津線通勤列車 DD51+D51

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広電の「希少種」を追いかけて

動物の世界には夜に活動する夜行性の種がいて、昼間にはなかなかお目にかかれません。鉄道の世界の「夜行性」と言えば 保線車両でしょうか。ここで話題にしたいのは「夜行性」車両ではなく 広電の「パートタイマー」車両や「希少種」車両です。これも同じく昼間でもなかなか会えない車両たちです。先に花電車「貨51号」はたっぷりご紹介しましたが、貨51号は事業用車ですが、営業用車の中の希少種の近況です。

車庫では撮影していても、走行中を撮っていなかったのが3100型です。宮島線の荒手車庫所属で3101,3102,3103の3両(3編成)があるのですが、平日の朝のラッシュ時だけ車庫から出てきて、昼間は車庫の奥で寝ているのです。是非一度この3100型の働いているところを撮りたいと思っていたのですが、ようやく今朝その姿をとらえることが出来ました。実はINUBUSE氏に3100型の運用についてアドバイスを頂いたおかげで、確実にゲットできました。

平成28年11月9日 広電本社前にて 3101号

平成28年11月9日 広電本社前にて 3102号

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国鉄建造の最後の鉄道連絡船引退

かつて国鉄連絡船には各地でお世話になりました。車両航送を兼ねた青函、宇高連絡船。車両航送の無い関門航路、大島航路、仁堀航路、そして宮島航路がありました。さすがに我々の世代はここまでで、関釜航路や樺太(稚泊)航路には縁がありません。

さて青函トンネル、瀬戸大橋の開通によって車両航送はなくなり、その他の航路も廃止されて 宮島航路だけが生き残りました。幸い宮島航路は観光客の増加のおかげで活況を呈しています。この度「ななうら丸」が2代目から3代目にバトンタッチされました。「2代目ななうら丸」は国鉄が建造した最後の鉄道連絡船でした。1987年(昭和62年)2月18日に就航し、30年近くを経過し老朽化したため 3代目が新造されたようです。

第3代目ななうら丸就航

第3代目ななうら丸就航

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可部線延伸区間 来月試運転開始

たった1.6Kmの延伸ではありますが、一旦廃止した線区の一部を復活させるということで話題の可部線ですが、工事は順調に進んでいるようで12月23日から試運転を始めるということです。

平成28年11月4日 中国新聞朝刊

平成28年11月5日 中国新聞朝刊

ひとつ解せないのは「運賃の見通し」とはどういうことなのかです。1.6Kmであれば 地方交通線の3Km未満は140円と決まっているのに、なぜ「見通し」という言い方をするのでしょう。特別運賃でも考えていたのでしょうか? あるいは取材記者の認識不足による言い回しなのでしょうか。もうひとつ気がかりなのは まだ開業日が発表されていないことです。「来春」という表現のままです。築地のようなことはないでしょうが、もうそろそろ開業日を公表しても良いのではと思います。春のダイヤ改正のタイミングでもあるのでしょうが いつ発表されるのでしょうか。いずれにせよ試運転が始まれば、取材に出かけてレポートしたいと思っています。

優勝パレードと花電車

またカープか、また広電かと言わずにご覧下さい。11月5日はカープのセ・リーグ優勝記念パレードと優勝報告会が行われるということで、是非その賑わいの中の広電を撮ろうと早起きして広島へ出かけました。優勝パレードのスタートは10:30ですが、余裕をみて三原を7:00台のJRに乗り込みました。休日の早朝とあってなんとか座れましたが、どう見てもパレードを見に行くとしか見えない乗客も多く乗っています。115系4連は西条、八本松あたりで通路もぎっしりの平日並みの乗車率。海田市では積み残しが出るほどの混みようです。この日は土曜日ですから、普段なら休日ダイヤとなって、朝の通学・通勤時間帯の列車は間引かれるのですが JRは混雑を見越してあえて平日ダイヤで運行するとともに、増結もしていましたが それを上回る人出のようです。

さて 優勝パレードは平和大通りを西から東に進むのですが、どこで広電を撮るかで悩みました。結局 あえて最も人が集まりそうな鯉城通りの白神社(しらかみしゃ)前交差点で撮ることにしました。そのためにJR新白島駅でアストラムラインに乗り換えて、白神社交差点に近い本通駅まで行くことにしました。しかしこれは失敗でした。JRや広電が混雑を見越して平日ダイヤで運行しているのに、広島新交通は読みが浅く休日ダイヤだったのです。ドアが閉まらないほどの超満員で乗れないのです。1本はやむなく見送りましたが、遠慮していてはいつまでたっても乗れないと思い、次の列車に無理やり乗り込みました。こんな寿司詰めのアストラムは初めての経験でした。多分定員以上に乗っていたと思いますが、加速は悪くなく 余力のある走り振りで変なところで感心したアストラムラインでした。

本通駅終点で地上に出て平和大通り方面へ人波に流されるように歩きました。予告通り袋町電停は混雑を避けるため「電停封鎖」されていました。

H28-11-5 袋町電停は封鎖

H28-11-5 袋町電停は封鎖

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どこでもドア

視覚障害者のみならず歩きスマホも一因となってプラットフォームでの接触事故や転落事故が頻発し、ホームドアの普及の遅れが社会問題化しつつあります。ホームドアの国内メーカーはいくつかあるのですが、実は私が会社員生活の最後を送ったMHI-TES(三菱重工交通機器エンジニアリング)という会社でもホームドアを設計製作しています。そういうご縁だからご紹介するわけではないのですが、このたび「マルチドア対応ホームドア」愛称「どこでもドア」の実証実験についての記事が同社の社内報に載っていましたので ご紹介します。

MHI-TES 社内報 2016-11月号より転載

MHI-TES 社内報 2016-11月号より転載

その実証実験が先週から京急三浦海岸駅で始まっていて 約1年間試用されるそうです。近くなら見に行くところなのですがそうもゆかず、関東の皆様でもし同地に行かれるようなことがあれば、是非レポートをお願いできればと思い投稿しました。三浦海岸駅を通る京急車両については全く知識がないのですが、どうも列車種別によってドア数が異なるようですね。詳しくは同社ホームページに動画がありますのでそれをご覧下さい。http://www.mhi-tes.co.jp/products/pfd/index.html

今日のカープ電車

札幌でまさかの3連敗。そしてホームに戻っての崖っぷちの6戦目。なんとかリベンジを期待しつつ 貨51号を撮るべく広島へ向かいました。貨51号の追いかけは 前回小雨のため途中で運休となって空振り。今回3度目の正直です。まずは午前中の広島駅前から。

H28-10-29 広島駅前の貨51号

H28-10-29 広島駅前の貨51号

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三江線 その後

全線廃止が平成30年3月末と当初の予想より延びたことで、変な安堵感が漂うのか、あるいはカープの優勝騒ぎの陰に隠れてしまったのかここのところ 少し関心が遠のいた感があります。最近の中国新聞記事からいくつかご紹介します。

平成28年10月14日 中国新聞朝刊

平成28年10月14日 中国新聞朝刊

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陰陽横断3日旅 (後編 倉吉線跡探訪)

そもそも倉吉線跡を訪ねることになったいきさつを振り返ってみましょう。2016-2-21に私が「行商列車を読んで」という一文を投稿したことがコトの始まりです。この本には倉吉線を舞台にした行商の話が出てくるのですが これが伏線です。私の投稿に対して どですかでん氏がすばやく反応して頂き、続いて湯口大先輩からも 1963年に倉吉線を訪ねられた際の貴重な写真が投稿されました。話はさらに米手作市様にも拡散し、1週間後の2016-2-28にはぶんしゅう氏の「ダメ押し 倉吉線訪問記 1973年夏」が投稿されます。このぶんしゅう氏の写真の中に打吹駅前で子供たちがラジオ体操している写真がありました。実に素晴らしい情景だと感激したのですが、このとき倉吉か打吹に記念館があることを何となく知っていましたので ぶんしゅう氏にこの写真を倉吉に送ればきっと喜ばれますよとけしかけました。そして私の提案に乗って頂いたぶんしゅう氏が倉吉とコンタクトされ、いろいろなやりとりの末に倉吉観光マイス協会の塩川修氏のご尽力があって 倉吉線鉄道記念館にクローバー会の特設コーナーが設けられ、会員各位から提供して頂いた倉吉線のなつかしい写真が常設展示される運びとなった訳です。9月1日付けの倉吉市の広報誌にも我々の写真展示で同館がリニューアルされたことが紹介されました。半年ちょっとの間にこのような展開になるとは夢にも思っていませんでしたが、クローバー会と倉吉市とのつながりができたことはうれしい出来事でした。そんないきさつ故 一度倉吉を訪ねて見学しなければと思って今回の旅の目玉としたわけです。なお9月11日には米手作市様が記念館の一番乗りを果たされています。前置きが長くなりましたが、10月11日の朝 倉吉観光マイス協会の塩川修氏と初めてお会いし、この日の旅が始まりました。

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(続々)カープ花電車を追いかけて

広電H.Pで公表されている花電車のダイヤを見ると、土曜日曜には横川駅前で休日運転のレトロ電車と花電車のツーショットが狙えそうだと判りました。丁度15日の土曜日 ヒヤヒヤでしたがカープが日本シリーズ進出を決めてくれました。興奮冷めやらぬ翌日曜日は花電車とレトロ電車のツーショットを狙うには絶好の機会と 勇んで広島に向かいました。花電車が広島駅前に入って来る10:40にはまだ時間があるので 広島駅前でカープがらみの光景を探してみました。こんなキャッチコピーがありました。

平成28年10月16日 広島駅ビルにて

平成28年10月16日 広島駅ビルにて

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陰陽横断3日旅(前編 津山まなびの鉄道館)

青春18きっぷが最長5日間有効なのに対して、秋の乗り放題パスは2週間の中の連続3日間という制約はあるものの、うまく使えば乗り鉄には有難い切符なので あれこれと計画を立てました。プランの条件としては ①10月10日だけ走る「姫新線80周年記念号」乗車 ②倉吉線鉄道記念館訪問 ③木次鉄道部を訪ねて貸切列車についての情報収集 の3つでした。この旅を実現するには まず①の指定券を確保しなければなりません。1ケ月前の9月10日10:05頃に三原駅のみどりの窓口へ行き簡単に買えるものと思っていたら、「もう売切れです」との思わぬ返事に愕然。キハ47 2両の「みまさかノスタルジー」の座席定員は124名ですが、発売と同時に完売だったようです。イベント列車のことを甘くみていたことを反省しつつ、プランを一部変更することにしました。そこで 三原→岡山(岡山電軌撮影)→津山(機関区訪問と姫新線記念号駅撮り)→鳥取→倉吉(上記②)→木次(上記③)→江津→三次→広島→三原 というルートを2泊3日で回ることにしました。10月10日 ぶんしゅう氏と岡山で合流して 乗り鉄旅が始まりました。今回はその旅のうち 前編として「津山まなびの鉄道館」、後編として「倉吉線跡探訪」をご紹介します。まずは津山での約2時間の途中下車で訪問した「津山まなびの鉄道館」です。

平成28年10月10日 津山まなびの鉄道館

平成28年10月10日 津山まなびの鉄道館

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(続)カープ花電車を追いかけて

10月7日に広島市内を走る広電貨51号をINUBUSE氏と追いかけましたが、昨日はぶんしゅう氏と広島の街に出ました。まずは繁華街の紙屋町、本通り界隈で待ち受けることにしました。

平成28年10月12日 本通電停にて

平成28年10月12日 本通電停にて 広島港に向かう貨51号

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可部線延伸工事進む

来春開業予定の可部線延伸区間の工事は順調に進み、レール敷設が済んだようです。

平成28年10月8日 中国新聞朝刊

平成28年10月8日 中国新聞朝刊

距離は短いとは言え 新線開通となれば昔ならオヤ31おいらん車で車両限界、建築限界のチェックをしたり、重量のある機関車などで路盤を固めたりということをしたと思いますが、現在では電車しか走らない区間の開業前には どんな試験車両が乗り入れてくるのか興味があります。

一方 ほぼ同時期の来春山陽本線西条・八本松間で開業予定の寺家(じけ)駅の工事も進んでいます。西条・八本松間は6.0Kmと短いのですが、西条から2.2Km地点に建設中です。待避線はなく、上下線を挟む対向式のホームがすでに完成しています。事業費20億円は全額地元東広島市の負担だそうです。寺家地区は古墳や遺跡が多い地域でもありますが、宅地化が進み広島のベッドタウンとして駅の開設が望まれていた場所です。西条へ登ってゆく補機をホームから気楽に写せるポイントになるかもしれません。

カープ優勝記念花電車を追いかけて

9月30日に出発式が行われ、10月1日から広島市内を走りだした貨51号をINUBUSE氏と追いかけました。広電ホームページに運行スケジュールが公表されていますので、なるべく多くの地点で走行写真を撮ろうと欲張った計画を立てました。INUBUSE氏とは銀山町で落ち合って撮影開始です。

10:34 胡町歩道橋にて 江波車庫を出て広島駅に向かう51号がやってきた

平成28年10月7日10:34 胡町歩道橋にて 江波車庫を出て広島駅に向かう貨51号がやってきました

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沖縄に鉄道を求めて(その3)

3.沖縄都市モノレールに乗る

沖縄都市モノレール(愛称 ゆいレール)は平成15年8月10日に那覇空港・首里間12.9Km 15駅で開業しました。戦後はバスと自動車の生活が定着していたため モノレールが開業しても乗る人はいないだろうとまで言われたようです。今回初めて那覇を訪れてみて実感したのは、市内のあちこちでの交通渋滞でした。生活が豊かになってマイカーが増え、観光ブームの到来で観光バス、レンタカーが増えた一方、道路は狭いままでは渋滞するのは当然です。そんな中で開業したモノレールはフリークエントサービスと定時運行、そして高いところを走ることから眺めもよく、予想に反して人気の交通手段となったそうです。

平成28年9月26日 那覇空港駅に入線する1114+1214

平成28年9月26日 那覇空港駅に入線する1114+1214 X型のポイントを通過する。

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沖縄に鉄道を求めて(その2)

2.沖縄県鉄道 与那原駅

沖縄本島は那覇や首里のある南部の島尻地方、中部の中頭(なかがみ)地方、名護以北の国頭(くにがみ)地方に分かれます。特に北部は山原(やんばる)と呼ばれる原生林地帯のため昔は道路がなく 海岸に点在する集落への足は山原船(やんばるせん)という小舟に頼っていました。東シナ海側の那覇港は九州、奄美、石垣、中国、台湾などを結ぶ港ですが、北部や島回りの山原船の拠点は 太平洋側の与那原(よなばる)港でした。北部からは木材、木炭や黒砂糖が与那原に陸揚げされ、与那原からは生活物資が北部や離島に運ばれていました。那覇・与那原間の鉄道が大正3年12月に開業したことによって、那覇・与那原間の物流は従来の馬車輸送から鉄道に代わります。そんな物流拠点であった与那原駅が復元されているそうなので 見に行きました。なお地元では「軽便」のことを「けーびん」と呼びます。

平成28年10月1日 復元された与那原駅駅舎

平成28年10月1日 復元された与那原駅駅舎

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沖縄に鉄道を求めて(その1)

47都道府県のうち今まで一度も足を踏み入れたことがなかったのが沖縄県です。最大の理由は生きた鉄道が無かったためです。今回 別の目的で初めて沖縄県を訪れたついでに、かつての鉄道の名残を探してきました。沖縄にあった鉄道は、大正3年5月に開業した「沖縄電気軌道」と同じく大正3年12月に開業した「沖縄県鉄道」です。沖縄電軌は昭和8年8月にバスとの競争に敗れて廃止されています。一方の県鉄は 那覇を起点に与那原(よなばる)線、糸満線、嘉手納(かでな)線の3路線を有して県南部の主要な交通機関として機能していましたが、終戦直前のすさまじい艦砲射撃や空襲、地上戦などで壊滅し、戦後復興されることはありませんでした。この他にもサトウキビ輸送のための馬車軌道やトロッコ軌道もあったようです。そして平成15年8月の沖縄都市モノレールの開業まで 約60年近く鉄道のない時代が続きました。ただモノレールは鉄道であって鉄道ではないというイメージが強いのですが、ここでは鉄道として扱うことにします。

1.両備軽便鉄道 4号機のなれの果て

今回の沖縄鉄道探訪の最大目的はこの機関車に逢うことでした。かつて地元広島県下福山・府中間の両備軽便鉄道時代に4号機として活躍していたドイツ ヘンシェル製の蒸機の下回りだけが 那覇市内の公園にひっそりと保存されているのを見ないわけにはゆきません。

平成28年9月28日 那覇市壺川東公園にて

平成28年9月28日 那覇市壺川東公園にて

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広電貨51号 走り出す

カープ優勝を祝って花電車に仕立てた貨51号が広島市内を走り始めました。10月1日の中国新聞記事です。

平成28年10月1日 中国新聞朝刊

平成28年10月1日 中国新聞朝刊

雨の日にも運行されるかどうかはわかりませんが、運転台上にはビニールテントの簡易屋根があり、前面には透明プラ板の風防もあり少々の雨でも運転士が濡れる心配はありません。運行期間は未定となっていますが、12日から広島で始まるCS6連戦でカープが見事優勝すれば、22日からの日本シリーズ期間中も走るのは間違いありません。椋田社長からのお手紙には「戦後復興のシンボルとして、弊社とカープはともに戦後の広島の歴史を歩んでまいりました。第3代伊藤社長がカープ球団の創設に尽力するなど、長年にわたりカープとは深い絆で結ばれており ・・中略・・ カープの51番を背負い目覚ましい活躍を続けている鈴木誠也選手同様、貨51号にも輝かしい活躍の場を与えてやりたいと考えています」とのうれしい一節もありました。まずはCSを乗り切り 次は日本一になって11月に入っても51号が広島の街を駆け巡ることができるよう カープの一層のがんばりを期待しているところです。改めて広島に取材に出向き、報告したいと思います。