井原鉄道 乗り放題

今年最後の投稿はまたしても新聞ネタとなりました。新年1月8日(日)は井原鉄道が全線500円で乗り放題となるそうです。神辺・総社間は通常1100円ですから お得なことは間違いないようです。開業記念日が1月11日なのですが、来年は11日が平日のため8日に繰り上げたのでしょう。

平成28年12月31日 中国新聞朝刊

乗り放題といえば 今年は広電の1日乗車券(600円)に大変お世話になった年でした。鉄道各社でいろいろな乗り放題切符やワンデーパスが発売されていますので、利用される方も多いと思います。私は大津での江若イベントの合間に 近江鉄道のフリー切符(550円)で貴生川から彦根まで途中下車を繰り返しながら1日を楽しんだことを思い出します。

今年1年 三江線をはじめローカルニュース、新聞ネタでお騒がせ致しましたが、来年もよろしくおつきあい下さい。ありがとうございました。皆さま良いお年を!

 

出石の記憶をたどる

去る12月21日付けで投稿しました79547拙稿に対して 1900生様からコメントを頂きました。自分の記憶も定かではないので当時のメモを探してみたところ 確かに1900生様と出石に行ってはいるものの、どうも登場人物が違っているのです。

私が出石に行ったのは 昭和48年6月10日(日)で まず加悦に行ってキハ08を写し そのあと大江山鉱山跡を経由して出石に入っています。山越えしていますので、鉄道ではなく京都からクルマで行ったと思われます。出石駅跡のメモが残っていました。

昭和48年6月10日 出石駅跡付近の様子

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可部線試運転開始 他

格調高い投稿が続いたあとにまたしても新聞ネタで失礼します。先に可部線延伸区間の現地レポートをお届けしましたが、23日予定通り試運転が始まりました。試運転開始というと 何か特別な試運転車両が登場することを想像してしまいますが、定期列車が可部で乗客を降ろして 方向幕を「試運転」に変えて そのまま新線に乗り入れて折り返してくるということです。これなら多くの乗務員の訓練も兼ねて行えて効率的です。路盤固めにもいいでしょう。3月4日の開業まででも いつ行っても見られることでしょう。

平成28年12月24日 中国新聞朝刊

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三江線その後

全線廃止が決定し 焦点は代替え交通手段をどうするかに移っていますが その検討が始まりました。一方 どこでも同じですが廃止が決まると「お名残り乗車」が増えているようです。

平成28年12月22日 中国新聞朝刊

平成28年12月23日 中国新聞朝刊

糸崎以東に山陽鉄道の痕跡を探して

先に79394、79421で「糸崎に山陽鉄道の痕跡を探して」と題して 臨港線跡に残るレンガ積み橋台を中心に120年前の遺構をご紹介しました。引き続き 非常にローカルなレポートで恐縮ですが、糸崎から東に向かって尾道方面の山陽鉄道の遺構と思われるレンガ積み橋台を見て歩いた結果と そこから見えてきたこの区間の歴史に思いをはせてみました。なお大半が海岸近くですので橋台の観察は干潮時を狙わないと見れません。この日は天気の良い干潮時間帯でした。糸崎(いとざき)を出発した上り列車は山裾を左にカーブしながら糸碕(いとさき)神社の裏を抜けて海岸に出ます。この日私は糸碕神社に参拝したあと 神社の裏手にある短い糸崎川橋梁から観察を始めました。

糸崎川橋梁を通過するEF210-305牽く上り貨物列車  平成28年12月19日

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糸崎に山陽鉄道の痕跡を探して(2)

岡山県下の鉄道遺産については小西伸彦氏著「鉄道遺産を歩く 岡山の国有鉄道」という名著があり、山陽本線をはじめ津山線、宇野線、吉備線などのトンネル、橋梁、駅などの詳細な調査結果が解説されています。レンガに関しても詳しい説明があって、多くのヒントを得ています。まず松濱臨港線で発見して驚いた弧状レンガのことですが、時代の最先端であった鉄道建設には、意欲に満ちた技術者が橋台のような目立たない部分の外観や意匠にも意を払い デザイン重視で弧状レンガを使ったそうです。弧状レンガは通常レンガと違って特注品であり、当然高価なレンガでした。しかし時代が進み、路線の延伸が進むにつれて意匠よりコストが優先されて弧状レンガは使われなくなり、やがてレンガから石材に移行し 次に石材からコンクリートへと進化してゆきます。そんな技術的な流れから考えて 松濱臨港線で最も古い橋台をA1の弧状レンガだと推定しました。しかし弧状レンガが使われたのはA1の1ヶ所だけです。そこで明治30年測図の地図と考えあわせて導いたのが次の図です。

山陽鉄道開業時の松濱臨港線の推定図

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糸崎に山陽鉄道の痕跡を探して(1)

山陽鉄道が神戸から西進し、糸崎まで開通したのが1892年(明治25年)7月20日でした。もう124年も前のことになります。糸崎から広島へ伸びたのが2年後の明治27年6月10日ですから、糸崎は短期間ながら山陽鉄道の終着駅だったわけです。なぜ急にこんな古い話を取り上げるかと言いますと、私は三原市の市民学芸員活動もしていまして、三原市の近代化遺産なるものを調査していて 山陽鉄道のことを調べることになったわけです。手元に大日本帝國陸地測量部 明治30年測図の1/20000「松濱」という地図があります。山陽鉄道開業から5年後のものです。「糸」の字も「絲」が使われています。当時は貢郡東野村で瀬戸内海を往き来する船が立ち寄る松濱港を中心とした港町でした。

明治30年の糸崎(大日本帝國陸地測量部 明治30年測図1/20000「松濱」)

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可部線延伸区間を歩く

来年春に可部・あき亀山間1.6Kmが延伸開業予定で、今月23日からは試運転も始まることになっています。可部・三段峡間が廃止されたのは13年前の2003年(平成15年)12月1日。一旦廃止された区間が一部とは言え再び開業するのはJRになってから初めてということで話題になっています。今回延伸される区間は廃止後そのままの姿で残されていましたので、様子を見に平成23年の夏に廃線跡の一部を歩いたことがありました。それから5年が経ち、再起も近いということで再び訪ねてみました。廃線跡歩きは各地で何度も経験していますが、開業前歩きは初めてです。なお廃線跡歩きは通常路盤内を歩くことが多いのですが、今回はもちろん線路内ではなく 線路につかず離れずの道路歩きです。

まずは可部駅の風景の比較から。

平成23年7月15日 5年前の可部駅3番ホーム かつてこのホームから気動車が三段峡に向かっていた。構内踏切を渡って左手のバス乗り場に行けた。

平成28年12月12日 構内踏切は廃止され 跨線橋が完成。線路のカーブが緩和され、ホームの先端も左へカーブ。

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ちょっと立ち寄った水島臨海鉄道

下津井、玉野、三蟠と過去の遺産を巡ったあとは生きた鉄道を見て帰ろうと水島に立ち寄ってみました。今年の2月にも訪ねているので それほど大きな変化はないだろうと機関区の周囲から眺めただけです。

平成28年12月5日 キハ37101+キハ37102

平成28年12月5日 キハ37101+キハ37102  水島機関区

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玉野のモハ103に会いに行く

思いがけず多くの保存車両を見ることができた下津井から 海を眺めながら約20Km走って玉野市に入りました。前回玉野を訪れたのは平成21年の年末で 廃線跡を少し辿って満足したのですが、そのときすでに琴電からモハ103が里帰りしていたことを全く知らず、すぐ近くまで行きながら見ずに帰りました。それから7年も経ってようやく、保存場所を訪れました。

平成28年12月5日 玉野総合保険福祉センター

平成28年12月5日 玉野総合保険福祉センター

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下津井は生きていた

三蟠鉄道を訪ねる前に下津井に立ち寄りました。下津井にも保存会があって電車が残されていると聞いていましたので 30年ぶりに訪ねてみました。下津井電鉄には昭和44年、52年、60年の3度訪問していますが廃止後は初めてです。

平成28年12月5日 下津井駅跡

平成28年12月5日 下津井駅跡

駅本屋などの建物はありませんが、広い構内はほぼそっくり残っていて驚きました。

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短命だった三蟠軽便鉄道

三蟠(さんばん)軽便鉄道と言われても「えっ、どこにあった鉄道?」という感じかもしれませんが、1915年(大正4年)8月11日に開業し、1931年(昭和6年)6月30日に営業を終えた 16年という短命の鉄道でした。岡山市の南部 国清寺と岡山市の外港 旭川の河口にある三蟠港を結ぶ8Kmほどの鉄道でした。廃止が今から85年前の昭和6年ですから いかに歴史あるクローバー会と言えども、三蟠鉄道の現役時代を知っている会員はおられないでしょう。現在では瀬戸大橋線で四国に渡るのはあっと言う間ですが、かつては三蟠港から高松への連絡船が発着し、下津井などと同様四国への重要なルートとなっていました。明治42年に宇野線が開通し、明治43年には宇高連絡船が就航したことに加えて、旭川の浚渫が行われたことで大型船が岡山市部まで入れるようになったため三蟠鉄道の必要性がなくなり 短命な鉄道となって消えてしまったわけです。岡山県下の私鉄と言えば、東から片上、西大寺、岡電、玉野、下津井、水島、井笠と名前が出るのですが、三蟠は忘れ去られています。そんな悲運な軽便鉄道のことが以前から気になっていて、三蟠港には三蟠鉄道資料館があることは知っていたのですが クルマでしか行けない不便な地だったこともあって訪問が延び延びになっていました。

平成28年12月5日 三蟠鉄道資料館

平成28年12月5日 三蟠鉄道資料館

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47年前の札沼線

総本家青信号特派員氏が「秋の北海道 鉄道ひとり旅(3)」で札沼線の近況をご紹介頂きました。氏もかつて札沼線全線を乗り通されたようですが、私も昭和44年3月6日に乗っています。その日のことを「靑信号23号」に旅行記として載せていましたので、札沼線部分だけをスキャンしてみました。紙はすっかり変色しています。

靑信号23号から抜粋

靑信号23号から抜粋

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中央アジアのトラム

ぶんしゅう殿に続いて湯口殿から北欧のトラムが紹介されました。実は私が奥様のお供で中央アジアのキルギスに鉄分の無い旅をした際に、中継地となった隣国カザフスタンのアルマトイという都市で数枚のトラムを写していたことを思い出しました。しかしこの車両の情報が全く無いので、海外トラムにお詳しい諸先生方にご教授願いたく 悪乗り投稿した次第です。

2012-7-25 アルマトイ市電1038号

2012-7-25 アルマトイ市電1038号

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