白鬚駅工事の木工と粘土細工に少々飽きてきて いつでも窓抜きから始められるように書きためてあるペーパー車体の材料が気になって 浮気をして1両だけ ハフ8を作りました。昔からですが なぜか気動車のトレーラー(国鉄ではキサハ04とかキクユニ04とか)が好きで 江若でもすでにハフ2、ハフ3が完成しており その流れでハフ8となった次第。模型的にはありふれたペーパー車体で 2週間ほどで完成しました。トレーラーばかりが増えて 動力車が増えてないので運用に困りますネ。次はキハ5121-ハ5010-キハ5122の3連をやっつけるつもりですが、特にハ5010は窓抜きがうんざりしそうです。と言うようなことで白鬚駅の工事は足踏み状態です。いまだに松の木をどのように作ろうかと名案がないのも 工事が進まない理由かも。
投稿者「西村雅幸」のアーカイブ
江若鉄道白鬚駅復元工事(その3)
ぷるぷるさんのD50に圧倒されながら、当方は相変わらず江若にのめりこんでいます。当初計画では高島町が完成すればそれでよし としていて、続いて白鬚駅もと考えていなかったため、コントロールパネルなど制御系でいろいろ問題が発生してきました。白鬚駅は交換駅なのですが、ポイント切換えをあたかもCTCのように 高島町から遠隔操作するかどうかで迷ったのですが、白鬚駅単独でポイントの自動切換えをすることにしました。今回新たな試みとして 角型の9V電池を電源とし、高島町で実績のあるDCソレノイドを駆動させることにしました。運転会を想定すると 白鬚駅に駅員を1名配置してポイント切換えのみを行ってもらう。但し高島町駅からポイント切換えの指示を出すというイメージです。その指示のためのLEDランプを設けてあります。自作のポイントマシンも調子がよく 白鬚駅でもパチン、パチンといい音で動いてくれています。
江若鉄道白鬚駅復元工事近況(その2)
江若鉄道白鬚駅復元工事の近況
高島町に続いて白鬚駅復元工事に着工しておりますが、3ブロックの基板は出来上がり、レールのスパイクが始められるところまできました。不安だった湖岸の擁壁も何とか格好になり、案ずるより生むが易しといったところです。いつもラジオを聴きながら作業しているのですが、今日は朝から津波警報のニュースばかりで、湖岸の作業をしていると 早く避難しなければならないような錯覚に陥りました。先は長いのですが、ぼちぼち進めてゆきます。それにしても松の木をどのように作ろうかと名案がありません。ゆっくり悩むことにします。では1カットだけ写真を添付します。白鬚駅の北側、湯口先輩著「丹波の煙 伊勢の径 上巻」の表紙を飾る写真の場所がこのブロックです。
江若鉄道高島町駅のお披露目


こつこつと工事を進めておりました高島町駅の復元工事がようやく終了し、開業式を済ませました。皆様からいろいろな情報を頂き、なんとか晩年の姿を再現できました。拙作ながら ご紹介致します。このレイアウトセクションは 自宅内の固定レイアウトではなく 広い会場での運転会をイメージした組立式レイアウトとして基本設計しました。主なブロック3ブロックと 上り、下り両方向に引き上げ用の単線部分(本線)2ブロックから構成されています。全長4.78mあり 息子たちが使っていた空き部屋をフルに使っています。ポイントはシノハラの#6番としました(実物は#8番らしい)。かつてDRFCのレイアウトをみんなでワイワイ作ったときのことを思い出しながら、木工の日々が続きました。この時点からポイントマシンをどうしようかと考えつつも、結論が出ないままフレキレールをスパイクする段階に入ったのですが、ポイントマシンの設計で工事が中断しました。広島県の片田舎では材料調達が思うに任せず、通販のお世話になりながらポイントマシン自製の目処がつき、テストを経て9つのポイントマシンを作りました。タカハ機工という会社が作っている直流電源で作動する自己保持型ソレノイドを採用しました。このソレノイドは自販機やOA機器などの中で小さな動きを作るのに使われているようで、一方向はバネ力で反発力を作り、反対方向は電磁石と永久磁石の力で直動するものです。今回は5Vで駆動させています。ここでバネ力をどうするかという問題で悩んだあげく、どこにでもある3色ボールペンに組み込まれているコイルバネが丁度良い大きさとバネ力があり、品質も揃っていて 何より使い古したボールペンを分解すればタダ同然ですぐに手に入ることに気づき、一気に工事が進みました。バラストや土の地面を作る材料は東京のモーリン製のものを通販で購入して これまた気長にバラストをレール内にまいて、木工用ボンドの水溶液をスポイトで垂らして固めるという方法でかなり実感的に仕上げることができました。駅舎やその他の建物はペーパー車体を作る要領で作りましたが、写真からの寸法割り出しのためあとになっておかしな部分がでてきました。駅本屋とホームの待合室、貨物上屋だけでは殺風景なため、ヒルマモデルクラフト製の便所、保線小屋、倉庫、タクシー営業所、日通事務所を適当に配置しました。従ってこれらは実物どおりではありません。ベンチや駅名票などの小物はエコーモデル製を多用。今津側にはこれも実物にはなかった踏切を作りました。警報機を点滅させようと、レイジージャック製の警報機キットと腕木信号機キットを買ったものの、実物に忠実すぎて還暦を迎える身には細かすぎてハンダ付けもままならずついに放棄(1万円のムダな出費となった)。結局津川洋行のプラ製の安い警報機、腕木信号機を使いました。腕木信号機は固定式ですが、改造し腕が上下するようにはしましたが、これも電動させてやろうと思いながら 上記のソレノイドを使った動力化だけが残工事となっています。あとは制御盤ですが、これも日曜大工の延長線上で一気に作りました。走行電源は12V、ポイントマシンは5Vと2電源方式ですが 両方の電圧、電流をそれぞれ1つの電圧計、電流計で表示させるために切り替えスイッチを設けています。ボックスの中にはちょっとした道工具やリレーラーなどを収納できる収納スペースと現場でもハンダ付けできるよう100Vのサービス電源を装備しています。運転会を想定してと書きましたが、本線部分を延長しないと単なる駅のレイアウトセクションなので ループ線などにするためにカトーのユニトラックとの接続部分を増設しました。この部分は33パーミルの勾配になりました。これで広い会場でユニトラックとつないで運転会ができます。建屋などの実物の色がわからず、適当に彩色しました。当時はモノクロが普通の時代だったのでこれもやむをえません。実物しゃしんとの対比で写真を添付しますのでご笑覧ください。次は白鬚駅の再現に取り組もうと情報収集と基本設計にかかっています。いずれの日にか 関西方面、できれば高島市で運転会を開きたいと思っています(マイカーに積み込める大きさに設計してありますので)。一方で車両の製作がSTOPしていますのでこちらも進めなくては・・・・。今後ともよろしくお願いします。
江若鉄道 白鬚駅について
久々に江若鉄道のことで皆さんにお願いがあります。以前から工事を続けていました高島町駅も完成に近づき(まだ大々的にご紹介するところまで至っていませんが)、そろそろ第2弾の構想を練りはじめています。お隣の白鬚駅を作ろうと考えているのですが、またしても情報がありません。特に駅舎の写真がほしいのです。プラットフォームや白鬚駅での車両の写真は散見されますが、道路側から駅本屋を写したか写っている写真をお持ちなら、あるいは何かの図書などに出ていることをご存知なら 是非お教えください。唯一 参考になるのは昭和44年9月6日付け京都新聞土曜版のカラー写真です。唐破風をもった瓦屋根がうまく作れるか自信はないのですが、護岸と湖水面、できれば鳥居を入れたジオラマを描いています。よろしくお願いします。
DD91の取扱説明書
江若鉄道6号機のこと
懲りもせず江若鉄道の再現を進めています。珊瑚の古典大系A-8のキットが手に入ったので 江若で除雪用に最後まで生き残った6号機の晩年の姿にしようと、暇を見つけては組み立ててようやくかたちになって 試運転にこぎつけたところです。湯口先輩の「私鉄紀行No.39」の昭和29年当時の写真も大いに参考にさせて頂いたのですが、晩年の写真がなく多分発電機があったと思われるのですが、確証がないので どなたか6号機の晩年の写真をお持ちなら お教え頂きたく。炭庫は増炭仕様にかさ上げし、キャブには窓枠を入れましたが、これから面倒なコンプレッサとエアタンク、エア配管をしなければならず、上回りと下回りの切り離しをどうしようかと悩んでいるところです。煙突のチムニーキャップはなくして ストレートタイプにします。スノプローは両側に装着されていたのかもよくわからず、スノープローを付けると連結が難しくなるので これもどうしようかと考えているところです。
高島町駅の再現は足踏み状態ですが、6号機の前にキハ51とハフ2も完成し、車両の増備が先行している今日この頃です。
水泳シーズンに間に合いました
江若鉄道バスの色を教えてください
江若鉄道高島町駅の本屋がほぼ完成しました。数枚の写真からのでっちあげですが なんとか雰囲気だけは再現できたのではと自己満足にひたっています。この他にも上下ホームの待合所や貨物上屋も完成し、日通事務所、タクシー営業所、保線小屋、便所のキットも出来上がって建物関係は大体揃ったので いよいよベース基板の作成、レール敷設などの工事を始めます。以前にも写真を投稿しましたが、駅前に江若バスが停まっていて、藤本先生から日野BT31型であることを教えて頂きました。BT31の図面も作って自作しようと意気込んでいましたが、曲線の多いバス車体製作は私の手におえず、断念してオークションでボンネットバスを手に入れてこれを江若鉄道バスに変身させることにしました。このモデルは1966年式いすずTSD40型で 国際興業飯能営業所のさわらび号です。江若にこの形式がいたようには思えませんが、色だけを江若風に塗り替えて再現しようと思います。さてここでまた問題はバスの塗装色です。おおよその色は記憶にあるものの、やはりカラー写真があれば見てみたいのです。欲を言えばボンネットバスの場合の塗りわけが判ればなお有難いのですが・・・。写真そのものでも、どこかのWEBサイトの紹介でも 何か参考になる情報を教えてください。今年は車両製作は少しお休みして 高島町駅の完成に向けて慣れない工作に挑戦です。ではよろしくお願いします。
しつこく江若鉄道と法勝寺のこと
江若鉄道のキハ12が何とか完成し、先に完成したキハ5124と塗装を残すのみとなりました。キニ9のエッチング板をオークションで入手したものの、車両製作はひと休みとしましょう。(オハ27 3両の完成が先・・・) キハ12は棒型モータを床下にぶら下げ、ユニバーサルジョイントで駆動することにしたのですが、あえて1軸駆動にしたため動き始めは音ばかりで加速が悪く、またモーター付のキハ15などと連結運転すると 引っ張られたり押したりと実物そっくりの状態で うれしい限りです。
さてレイル67号に藤本先輩の法勝寺の記事があるとのこと、三原市内の本屋に行ってみたものの、三原の田舎に格調高い「レイル」があるわけもなく、その代わりになぜこんな本がという「鉄道連隊」の本があって これを買って帰りました。日の丸法勝寺の現役時代には訪れたこともなかったのですが、この正月休みに米子を訪ね、保存車両には会ってきました。南部町法勝寺の西伯小学校に保存のデハ203も米子市元町商店街に保存のフ50のいずれも状態は良く、当時を彷彿させてくれました。
ところで 木次線の亀嵩-出雲三成間の線路脇の空き地になぜかワキ10073と10120の2両が放置されていてびっくり。空気バネ台車を履いた高速貨車がなんで出雲の山の中にあるのか 夜も寝られません。どなたか事情を知っておられる方は薀蓄をかたむけてください。
汽車住宅や江若鉄道でお騒がせ致しておりますが、毎夜この掲示板を開くのを楽しみに正業にも励んでおります。明治村には行けそうになく残念至極でありますが、皆様とつながっていると実感しながら 鉄分補給しています。
DD16とEF55 そしてまたもや江若
EF55とDD16の完成ご同慶の至りです。DD16は私も多分同時期に買って いまだに完成しておりません。この調子でゆくとレールの上を走る日は来ないような・・・。 EF55もみごとな出来栄えで 工場長の力量に感服しきりです。あの台車を自作する元気は私にはとてもとても・・・。昨今は 度々この掲示板をにぎわしております江若鉄道シリーズの粗製乱造の一環として 先日キハ07キットの改造でキハ5124が一応出来上がり、現在キハ12にかかっているところです。特にキハ12は あの独特のマスクに手こずりました。屋根の曲げに失敗し、たたいて直しているうちに戦災復旧の70系客車のようにボコボコになって これからゴマカシ修理が必要です。これが終われば 次には仕掛かり中のオハ27 3両を完成させて復活シリーズは小休止しようかと思っていた矢先、Yahooオークションでキニ9のエッチング板が手に入りそうなので キニ9までやっつけようか、さりとてあの多くの窓抜きはうんざりだし・・・といったような具合です。そして車両復活はこれぐらいにして いよいよ高島町駅の復活に手をつけようかとネタ集めをしております。先輩諸氏からのアドバイスのおかげで まず日野BT31バスの図面ができました。そのうち 初めてのバス製作もやってみようと思っているところです。ジオラマ製作は全く経験がなく、わからないことだらけだけに かえって楽しい時間が過ごせそうです。それでは 橋本工房さんのご盛況ぶりに刺激されて当方も工場長の尻をたたくことにします。
「汽車住宅物語」という写真集をご存知ですか
高島町駅の写真ありがとうございます
我が家の江若鉄道に仲間が増えました

8月3日にDD1352とオハ4連、8月15日にワフ450の写真をご笑覧頂きましたが、その後YAHOOオークションで天賞堂のDD13を手に入れて、江若DD1351に改造しました。
DD1352、オハ4連、ワフ450の塗装も終えたのですが、特にワフには江若の社紋がないと ただのワフにしか見えず、思い切ってオリジナルの江若インレタを特注し お化粧してやりました。今後の江若車両の増加を見越して いろんな大きさの社紋を作り、全車に貼って ぐっと江若らしくなりました。
更にYAHOOオークションで珊瑚のキハ05キットを入手しましたので、これをキハ14に仕立てようとたくらんでいるところです。作りかけのオハ27 3両の完成がいつになるか・・・ 今年のスキーシーズンには間に合いそうにありません。車両ばかりでなく レイアウトセクションも作りたいと考えていて オハの留置されていた高島町駅を再現したいのですが、駅舎や駅構内の写真が少なく、行き詰まっています。諸先輩方で高島町駅の写真をお持ちであれば、是非お知らせ下さい。
永年の謎が解けました
昭和44年に初めて片上鉄道を訪れたとき、国土地理院1/25000の地図「片上」を入手したのですが、その地図は昭和31年発行版で まだ赤穂線もなく、片上鉄道だけというものでした。よく見ると 片上駅の先の煉瓦工場から西に向かって「特殊軌道」が伸びており、伊部の煉瓦工場に向かっているのがわかります。この特殊軌道がどんなものだったのかという疑問を永年抱いていたのですが、この度ようやく謎が解けました。とは言え、軌間、車両などはまだ判っていません。この軌道は「品川白煉瓦」の専用軌道であることが判ったのです。

先月 備前焼まつりに出かけたとき、東片上の郷土資料館を訪ねて 手がかりを掴み 岡山県総合文化センターから「品川白煉瓦株式会社100年史」を取り寄せて、このトロッコ軌道のことが見えてきました。
伊部にある煉瓦工場は当時 備前陶器株式会社の工場で 明治39年には製品を片上港(浦伊部)まで運ぶために3.2Kmの手押しのトロッコが敷設されていたそうです。 備前陶器は日本窯業株式会社を経て 品川白煉瓦の岡山第一工場と名前を変えてゆきますが、昭和3年に浦伊部 すなわち片上駅の先に第二工場が建設されると、第一工場と第二工場間の専用軌道となり、昭和32年頃まで使用されたようです。従って昭和31年版の地図に載っていてもおかしくないことになります。
明治38年当時は「中村組」が請け負って人力でトロッコ輸送していたが、明治末期には馬12頭を持って 常時5~6頭でトロッコを曳かせていたらしい。大正7年頃「難波組」に引き継がれ、御者1名を乗り込ませ馬にトロッコ2台を曳かせたが、単線のため 中間地点の殿土井橋付近に上下退避線を設け、御者と馬の休憩所とした。昭和4年頃には馬15~16頭を持ち、トロッコ台数も42台と増えている。ところが昭和6年に満州事変、12年の日華事変で次々と軍馬として徴発されてしまったため その代替としてガソリン機関車を購入したとある。社史には馬の曳くトロッコやガソリン機関車の写真は見当たらず、未だ謎のままです。どなたかこのトロッコや機関車についての情報をお持ちの方は教えてください。
なお第二工場には昭和19年10月に片上鉄道の側線0.6Kmが入り、その後製品は片上鉄道で出荷できるようになり、特に後年ワム80000などのパレット対応型貨車の登場で 効率化が図れたとの記事もありました。片上駅に多くのワム80000がたむろしていたのもうなずけます。
それにしても燃料が枯渇する戦時にあって 馬からガソリン機関車に切り替えるというのも、不思議な気がします。なおこの軌道跡は県道となっており、遺構を見つけることはできませんでした。広大だった片上駅跡には かつて柵原鉱山から到着した硫化鉱を船に積み込むためのハンプのような登り勾配の線路が一部残されていました。









































