茶内の思い出に添えて

先に特派員氏や津田氏の若き姿をご披露致しましたが、藤本先生から簡易軌道の紹介がありましたので、これまた茶内の思い出としてご紹介します。

ときどき江若鉄道でお騒がせしていますが、40年も前になくなったものを復元しようとして困るのは 当時はカラー写真が貴重だったためモノクロ写真しか残っておらず、一体どんな色をしていたのかが判らないことです。茶内浜中町営軌道はなぜかカラーで3コマだけ撮影していました。藤本先生の夏の写真とは一転 雪景色ですが かえって赤や緑色が雪のなかでは映えています。撮影日は昭和46年3月12日です。

この1週間ほど前に標茶町営軌道を訪ねて 標茶駅から車庫のある開運町まで行ったところ車輌は雪に埋もれたまま放置されていて がっかりした記憶があります。なんでも大雪で除雪が困難になり、そのまま廃止されたとのこと。そのあと茶内で元気な簡易軌道の姿を見ることが出来て、貴重なリバーサルを3コマ使ったようです。

茶内今昔へのお返しに

特派員殿

茶内駅でのスナップ ありがとうございます。キハ08と一緒のこんなスナップがあったとは うれしい限りです。昭和46年3月12日 この日の写真は白糠駅から始まっていますので、前日の長万部でのC62のあと 釧路行きの夜行普通列車から乗り継いで茶内へ入ったようです。茶内ー糸魚沢間は10Kmあり 確か中間地点付近まで歩いたと思います。混446レをかなり高い場所に登って俯瞰撮影し そのあと下り貨物列車を撮って 茶内へ戻ったと思います。よっぽど時間をもてあましたのか 特派員殿は雪の斜面ではしゃいでいました。それにしても 夜行列車で着いて、ろくな食事もとらず、厳冬のなかを10Km歩き、みんな あの頃は元気だったんだナーとつくづく思う今日此の頃です。

雪遊びに興じる特派員殿

雪遊びに興じる特派員殿

 

津田社長殿

津田社長殿

江若鉄道白鬚駅復元工事(その7)

梅雨明け、水泳シーズンの開業を目指して工事を進めてきましたが、何とか完成に近づいてきました。あとは松並木が残っていますが、車両や建物と勝手が違って 手が止まってしまいます。とりあえず開業し、木はぼちぼち植えてゆくことにしましょう。というわけで完成間近かの様子をご覧下さい。

高島町、白鬚とできたのですが、こうなると次はどうするかということになります。浜大津、三井寺下、近江今津・・・。浜大津を作るとなると京阪浜大津も作りたくなるし・・・、近江今津は実は行ったことがないし・・・、三井寺下は再現したいが、部屋に収まらないような大きさになりそうだし・・・とあれこれ思案を始めています。三井寺下の構内配線はほぼわかるのですが、駅本屋、本社社屋など建物の写真がないのです。三井寺下の駅前風景など車両以外の写真があれば 是非ご紹介ください。

田野城様のお探しの写真

田野城様がお探しの写真のなかで 私が撮影したものはこれだけしかなく ありったけを恥ずかしげもなくご紹介します。

D511  昭和43年3月27日 東北本線奥中山にて。高校を卒業し DRFCに入会する前の春休みに東北均一周遊券で東北を巡ったときのもの。盛岡以北も電化工事が始まっていて 架線柱が立ち並んでいたが 一部DD51も入っていたが 大半は蒸機牽引であった。今どきのようにダイヤ情報もなく 行き当たりばったりだったが、上り下りの客レ、貨物がひっきりなしに通過するので ダイヤ要らずであった。客レはほとんど単機だったが、貨物は重連か3重連、後補機も重連という迫力ある姿を堪能できた。そんな中でD511が上り列車の先頭でやってきた。更に時間をおいて 今度は下り3重連の先頭で戻ってきた。ただし 写っているというだけで お恥ずかしいコマである。

 

C1164 昭和43年3月30日? 早朝の会津若松駅にて。会津線の客レを牽く。確かこの列車に乗って会津線に入ったのだが、当時のメモを紛失して詳しいことが判らない。会津線もC11の天下だった。

 

C59164  昭和44年8月3日 呉線小屋浦 坂間にて。川中氏と暑い盛りの呉線を訪ねたときのひとコマ。上り42レ荷物列車。余りの暑さに 呉線もそこそこにフェリーで江田島に行った記憶がよみがえる。

 

C581 昭和46年3月6日 網走駅にて。 網走駅に入線する列車の窓からの撮影。スハ32がなつかしい。

 

あとは目名や長万部でのC622ですが、福田氏や津田氏とご一緒でしたので 省略します。 

江若鉄道白鬚駅復元工事(その6)

別府鉄道から返り咲いたDC301

別府鉄道から返り咲いたDC301

駅の復元工事は遅々として進んでいない分、車両の工事が割り込んでいます。キハ5122、ハ5010、キハ5121もかなり形になったのですが、通販頼みのパーツが品切れで工事がSTOP。一方アダチ製のキットを入手して、DC301が完成しました。別府鉄道から呼び戻したことになります。もう1両 このキットを手に入れて 下回りだけを使ってDC251を作ろうと考えていますが、アダチのキットも売り切れでガッカリ。そんなわけで車両製作の浮気の虫がおさまるまで 白鬚駅の開業は水泳シーズンに間に合いそうにない状態です。

江若鉄道白鬚駅復元工事(その5)

白鬚駅本屋
白鬚駅本屋

白鬚駅本屋がようやく出来上がりました。数少ない写真はプラットホーム側からのアングルばかりで、道路側や裏側がどうなっていたかわからず、適当に作りました。白鬚駅の特徴は何と言っても唐破風屋根の入り口で 結局加工しやすい桐の厚板から削り出して なんとか格好になりました。

白鬚神社の社務所の写真が大変参考になりました。

白鬚神社社務所

白鬚神社社務所

プラットホーム上にある小さな待合室もついでに作り、残る建物は便所だけです。

白鬚駅に到着するィ??15

まだバラストを撒いたり、砂浜を作ったり配線工事など工事は多く残っていますが、水泳シーズンまでには開業できるのではとボチボチやっています。
「その4」で書きましたが、キハ5121,5122、ハ5010の3連も製作中で当駅の開業列車に使う予定です。
 ところで 水中鳥居はどうも大きすぎたようですが 作り直す元気もないので できるだけ遠くに置いて 小さく見せるしかありません。あとは松林をどうするかが難問です。
道路をはさんで向かい側に食堂?のような建物があるようなのでこれもにぎやかしに作ろうかと
適当な建物キットを物色中です。              以上

 

奥出雲の旅

この連休中は好天との天気予報に気を良くして、急遽1泊旅行を計画し奥出雲に出かけることにした。早朝クルマで自宅を出発し 世羅、吉舎、三良坂を経て庄原へ。芸備線に沿って備後落合着8:15。芸備線のキハ120327を撮影後 木次線の次の駅 油木駅に向かう。途中 木次線備後落合行きキハ120206を撮影。
ィ??120206 備後落合・油木間

キハ120206 備後落合・油木間

無人駅の油木駅にクルマを置いて、今のキハ120206が戻って来るのを待つ。備後落合・木次間は極端に列車本数が少なく 列車でスイッチバックを通過するのは容易ではない。急に決めた旅のため 「奥出雲おろち号」の指定は取れないかと心配したが、前日に 最後の2席が取れたので、油木から出雲横田まで定期列車で向かい、おろち号で油木へ引き返してくるプランである。
油木駅 時刻表

油木駅 時刻表

時刻表のように日に4往復。おろち号は季節列車であり、またもう1往復は第二木曜日運休のため朝夕の2往復しかない日があることになる。風前の灯火のような路線であり、どこに存在意義があるのか不思議である。落合から戻ってきたキハ120206に乗り込んで いざ三井野原、出雲坂根へ。学生時代に夜行のちどりでこの区間を乗ったことはあるが、ようやく景色を楽しみながらの峠越えが実現した。時速20から30キロぐらいでくねくねと30パーミルを登る。並行する国道314号のクルマがどんどん追い越してゆく。広島県から島根県に入り、三井野原駅に着く。何と30人ほどの団体客が乗り込んでくる。整理券を取ったり モタモタと乗り込むのに時間がかかる。3分延発。団体客に聞いてみると 読売旅行のミステリーツアーとのことで次の出雲坂根で下車するらしい。団体客が乗ったせいか、若い運転士は国道の奥出雲おろちループが見渡せるポイントで最徐行し、案内のアナウンスもするサービスぶり。出雲坂根のスイッチバックに差しかかる。最初の折り返し線で停車。運転士はブレーキハンドルを持って 反対側の運転席へ 乗客をかきわけて移動。ツアー客が何だ何だと騒がしい。
逆行運転で出雲坂根駅に降りてゆく。
出雲坂根のスイッチバックを下る

出雲坂根のスイッチバックを下る

出雲坂根に入線

出雲坂根に入線

 出雲坂根駅に入線。ドヤドヤとツアー客が下車。ようやく静かになる。坂根駅には「延命水」という名水があり、一般乗客が水を汲みに行きたいと言い出す。運転士は 遅れているのでダメと言うかと思いきや、あっさりOK。出発信号は青になっているが、運転士は列車無線で「団体客のため延発します。出発信号を一旦赤にしてください」と連絡。信号が赤に変わる。なんとものんびりした路線である。水汲み客が戻り ようやく出発。動き出すときは「変」(変速)であったが すぐ「直」(直結)に切換え、あとは「中」 (中立)で軽やかに勾配を下ってゆく。八川を過ぎ、出雲横田に到着。下車して 下り 奥出雲おろち号の到着まで約40分ぐらいあるので 駅に併設された雲州そろばん伝統産業会館の展示を見る。

出雲横田に到着した奥出雲おろち号

出雲横田に到着した奥出雲おろち号

定刻11:06におろち号到着。先頭のスハフ13801に乗り込む。親子連れの子供だけが乗り込み、親はクルマで追いかける(先回りする)という人もある。今来た道を今度はゆっくりと引き返す。八川駅では地元の人たちがホームに出雲ソバ弁当を売りに来ている。弁当を予約している人もいるらしく、ホームから○○さーんとお客を捜す声もする。のどかな風景である。出雲坂根に向けて勾配を登る。坂根駅は延命水やスイッチバック駅ということもあって国道314号のマイカー族などでにぎわっている。定刻発車。のろのろとスイッチバックを登る。途中眼下に今登ってきた線路と坂根駅が見える地点で最徐行し、乗客たちは車窓から写真撮影。車掌が乗車記念の絵はがきを配って歩く。DE10に押されて登ってゆくが エンジン音もほとんど聞こえず、社内の騒々しさだけで 峠越えの実感がわかない。往きに乗ったキハ120の方がよっぽど楽しかった。これがC56やキハ52ならと思わずにはいられなかった。

 とういことで 3時間半かけて 油木駅に戻ってきた。降りたのはわが夫婦のみ。なんでこんな無人駅で降りるの?という視線を浴びる。
 
 午前中は木次線を楽しみ、午後と翌日は野鳥撮影と船通山(海抜1142m)登山で過ごしたGWでした。
ではまた 江若鉄道シリーズでお会いしましょう。

江若鉄道白鬚駅復元工事(その4)

ハフ3両

ハフ3両

ハフ8
ハフ8

白鬚駅工事の木工と粘土細工に少々飽きてきて いつでも窓抜きから始められるように書きためてあるペーパー車体の材料が気になって 浮気をして1両だけ ハフ8を作りました。昔からですが なぜか気動車のトレーラー(国鉄ではキサハ04とかキクユニ04とか)が好きで 江若でもすでにハフ2、ハフ3が完成しており その流れでハフ8となった次第。模型的にはありふれたペーパー車体で 2週間ほどで完成しました。トレーラーばかりが増えて 動力車が増えてないので運用に困りますネ。次はキハ5121-ハ5010-キハ5122の3連をやっつけるつもりですが、特にハ5010は窓抜きがうんざりしそうです。と言うようなことで白鬚駅の工事は足踏み状態です。いまだに松の木をどのように作ろうかと名案がないのも 工事が進まない理由かも。

江若鉄道白鬚駅復元工事(その3)

ぷるぷるさんのD50に圧倒されながら、当方は相変わらず江若にのめりこんでいます。当初計画では高島町が完成すればそれでよし としていて、続いて白鬚駅もと考えていなかったため、コントロールパネルなど制御系でいろいろ問題が発生してきました。白鬚駅は交換駅なのですが、ポイント切換えをあたかもCTCのように 高島町から遠隔操作するかどうかで迷ったのですが、白鬚駅単独でポイントの自動切換えをすることにしました。今回新たな試みとして 角型の9V電池を電源とし、高島町で実績のあるDCソレノイドを駆動させることにしました。運転会を想定すると 白鬚駅に駅員を1名配置してポイント切換えのみを行ってもらう。但し高島町駅からポイント切換えの指示を出すというイメージです。その指示のためのLEDランプを設けてあります。自作のポイントマシンも調子がよく 白鬚駅でもパチン、パチンといい音で動いてくれています。

江若鉄道白鬚駅復元工事近況(その2)

水荳・?居1

水中鳥居1

水荳・?居2
水中鳥居2

白鬚駅のイメージはなんと言っても水中鳥居でしょう。この1ケ月の成果は鳥居の完成です。高島町では駅舎などを初めて作りましたが、さすがに鳥居は作ったこともなく、まず情報集めから始めて 何とか出来上がりました。ちょっと大きすぎた感もありますが、そこはご愛嬌。ご笑覧あれ。

江若鉄道白鬚駅復元工事の近況

白鬚駅復元1

白鬚駅復元1

高島町に続いて白鬚駅復元工事に着工しておりますが、3ブロックの基板は出来上がり、レールのスパイクが始められるところまできました。不安だった湖岸の擁壁も何とか格好になり、案ずるより生むが易しといったところです。いつもラジオを聴きながら作業しているのですが、今日は朝から津波警報のニュースばかりで、湖岸の作業をしていると 早く避難しなければならないような錯覚に陥りました。先は長いのですが、ぼちぼち進めてゆきます。それにしても松の木をどのように作ろうかと名案がありません。ゆっくり悩むことにします。では1カットだけ写真を添付します。白鬚駅の北側、湯口先輩著「丹波の煙 伊勢の径 上巻」の表紙を飾る写真の場所がこのブロックです。

江若鉄道高島町駅のお披露目

実際にはない日通事務所

実際にはない日通事務所

下り客車列車到着
下り客車列車到着
タクシー営楦??
タクシー営業所
観光案内図(創作)
観光案内図(創作)
実際にはない保線小屋
実際にはない保線小屋
ホーム側から改朥??を
ホーム側から改札口を
ユニトラックとの接続部分
ユニトラックとの接続部分
踏切と腕木信号機
踏切と腕木信号機
駅名標
駅名標
ポイントマシン
ポイントマシン
コントャ??ルボックス2
コントロールボックス2
コントャ??ルボックス1
コントロールボックス1
上り方向から
上り方向から
上り列車到着2
上り列車到着2
上り列車到着1
上り列車到着1
貨物上屋2
貨物上屋2
貨物上屋1
貨物上屋1
下り列車発車2
下り列車発車2
下り列車発車1
下り列車発車1
下り方面2
下り方面2
下り方面1
下り方面1

 

オハ27 2オハ27 1

下りホーム2下りホーム1

駅棩??2駅棩??1
こつこつと工事を進めておりました高島町駅の復元工事がようやく終了し、開業式を済ませました。皆様からいろいろな情報を頂き、なんとか晩年の姿を再現できました。拙作ながら ご紹介致します。このレイアウトセクションは 自宅内の固定レイアウトではなく 広い会場での運転会をイメージした組立式レイアウトとして基本設計しました。主なブロック3ブロックと 上り、下り両方向に引き上げ用の単線部分(本線)2ブロックから構成されています。全長4.78mあり 息子たちが使っていた空き部屋をフルに使っています。ポイントはシノハラの#6番としました(実物は#8番らしい)。かつてDRFCのレイアウトをみんなでワイワイ作ったときのことを思い出しながら、木工の日々が続きました。この時点からポイントマシンをどうしようかと考えつつも、結論が出ないままフレキレールをスパイクする段階に入ったのですが、ポイントマシンの設計で工事が中断しました。広島県の片田舎では材料調達が思うに任せず、通販のお世話になりながらポイントマシン自製の目処がつき、テストを経て9つのポイントマシンを作りました。タカハ機工という会社が作っている直流電源で作動する自己保持型ソレノイドを採用しました。このソレノイドは自販機やOA機器などの中で小さな動きを作るのに使われているようで、一方向はバネ力で反発力を作り、反対方向は電磁石と永久磁石の力で直動するものです。今回は5Vで駆動させています。ここでバネ力をどうするかという問題で悩んだあげく、どこにでもある3色ボールペンに組み込まれているコイルバネが丁度良い大きさとバネ力があり、品質も揃っていて 何より使い古したボールペンを分解すればタダ同然ですぐに手に入ることに気づき、一気に工事が進みました。バラストや土の地面を作る材料は東京のモーリン製のものを通販で購入して これまた気長にバラストをレール内にまいて、木工用ボンドの水溶液をスポイトで垂らして固めるという方法でかなり実感的に仕上げることができました。駅舎やその他の建物はペーパー車体を作る要領で作りましたが、写真からの寸法割り出しのためあとになっておかしな部分がでてきました。駅本屋とホームの待合室、貨物上屋だけでは殺風景なため、ヒルマモデルクラフト製の便所、保線小屋、倉庫、タクシー営業所、日通事務所を適当に配置しました。従ってこれらは実物どおりではありません。ベンチや駅名票などの小物はエコーモデル製を多用。今津側にはこれも実物にはなかった踏切を作りました。警報機を点滅させようと、レイジージャック製の警報機キットと腕木信号機キットを買ったものの、実物に忠実すぎて還暦を迎える身には細かすぎてハンダ付けもままならずついに放棄(1万円のムダな出費となった)。結局津川洋行のプラ製の安い警報機、腕木信号機を使いました。腕木信号機は固定式ですが、改造し腕が上下するようにはしましたが、これも電動させてやろうと思いながら 上記のソレノイドを使った動力化だけが残工事となっています。あとは制御盤ですが、これも日曜大工の延長線上で一気に作りました。走行電源は12V、ポイントマシンは5Vと2電源方式ですが 両方の電圧、電流をそれぞれ1つの電圧計、電流計で表示させるために切り替えスイッチを設けています。ボックスの中にはちょっとした道工具やリレーラーなどを収納できる収納スペースと現場でもハンダ付けできるよう100Vのサービス電源を装備しています。運転会を想定してと書きましたが、本線部分を延長しないと単なる駅のレイアウトセクションなので ループ線などにするためにカトーのユニトラックとの接続部分を増設しました。この部分は33パーミルの勾配になりました。これで広い会場でユニトラックとつないで運転会ができます。建屋などの実物の色がわからず、適当に彩色しました。当時はモノクロが普通の時代だったのでこれもやむをえません。実物しゃしんとの対比で写真を添付しますのでご笑覧ください。次は白鬚駅の再現に取り組もうと情報収集と基本設計にかかっています。いずれの日にか 関西方面、できれば高島市で運転会を開きたいと思っています(マイカーに積み込める大きさに設計してありますので)。一方で車両の製作がSTOPしていますのでこちらも進めなくては・・・・。今後ともよろしくお願いします。

江若鉄道 白鬚駅について

白鬚駅

白鬚駅

久々に江若鉄道のことで皆さんにお願いがあります。以前から工事を続けていました高島町駅も完成に近づき(まだ大々的にご紹介するところまで至っていませんが)、そろそろ第2弾の構想を練りはじめています。お隣の白鬚駅を作ろうと考えているのですが、またしても情報がありません。特に駅舎の写真がほしいのです。プラットフォームや白鬚駅での車両の写真は散見されますが、道路側から駅本屋を写したか写っている写真をお持ちなら、あるいは何かの図書などに出ていることをご存知なら 是非お教えください。唯一 参考になるのは昭和44年9月6日付け京都新聞土曜版のカラー写真です。唐破風をもった瓦屋根がうまく作れるか自信はないのですが、護岸と湖水面、できれば鳥居を入れたジオラマを描いています。よろしくお願いします。

DD91の取扱説明書

中学校時代 亀岡から通学していた友人が 時々遅刻するので理由を聞くと DD91が故障して列車が遅れたとのこと。DD91はC57と重連で運用されていたような印象があります。ところでこのDD91の取扱説明書の表紙をお目にかけます。残念ながら表紙しかなく、中身は持ち合わせていません。

江若鉄道6号機のこと

懲りもせず江若鉄道の再現を進めています。珊瑚の古典大系A-8のキットが手に入ったので 江若で除雪用に最後まで生き残った6号機の晩年の姿にしようと、暇を見つけては組み立ててようやくかたちになって 試運転にこぎつけたところです。湯口先輩の「私鉄紀行No.39」の昭和29年当時の写真も大いに参考にさせて頂いたのですが、晩年の写真がなく多分発電機があったと思われるのですが、確証がないので どなたか6号機の晩年の写真をお持ちなら お教え頂きたく。炭庫は増炭仕様にかさ上げし、キャブには窓枠を入れましたが、これから面倒なコンプレッサとエアタンク、エア配管をしなければならず、上回りと下回りの切り離しをどうしようかと悩んでいるところです。煙突のチムニーキャップはなくして ストレートタイプにします。スノプローは両側に装着されていたのかもよくわからず、スノープローを付けると連結が難しくなるので これもどうしようかと考えているところです。

高島町駅の再現は足踏み状態ですが、6号機の前にキハ51とハフ2も完成し、車両の増備が先行している今日この頃です。

水泳シーズンに間に合いました

            昨年のスキーシーズンには間に合わなかったオハ27たちがようやく完成し、湖西の水泳客輸送に間に合いました。沖中先輩から頂いたダブルルーフ材をしっかり活用させていただいて完成しました。あとは塗装を残すのみです。高島町駅の製作は建屋関係は完成したものの、ベースの台板製作に未だ手がつかずにおります。ひとつにはポイントマシンをどうするかが決まらないためで 検討に時間がかかりそうです。ところで 結局交通科学館に出かける機会がないまま 会期が終了してしまって残念です。また何かの機会があれば 皆様にお目にかかりたいと思っています。

江若鉄道バスの色を教えてください

江若鉄道高島町駅の本屋がほぼ完成しました。数枚の写真からのでっちあげですが なんとか雰囲気だけは再現できたのではと自己満足にひたっています。この他にも上下ホームの待合所や貨物上屋も完成し、日通事務所、タクシー営業所、保線小屋、便所のキットも出来上がって建物関係は大体揃ったので いよいよベース基板の作成、レール敷設などの工事を始めます。以前にも写真を投稿しましたが、駅前に江若バスが停まっていて、藤本先生から日野BT31型であることを教えて頂きました。BT31の図面も作って自作しようと意気込んでいましたが、曲線の多いバス車体製作は私の手におえず、断念してオークションでボンネットバスを手に入れてこれを江若鉄道バスに変身させることにしました。このモデルは1966年式いすずTSD40型で 国際興業飯能営業所のさわらび号です。江若にこの形式がいたようには思えませんが、色だけを江若風に塗り替えて再現しようと思います。さてここでまた問題はバスの塗装色です。おおよその色は記憶にあるものの、やはりカラー写真があれば見てみたいのです。欲を言えばボンネットバスの場合の塗りわけが判ればなお有難いのですが・・・。写真そのものでも、どこかのWEBサイトの紹介でも 何か参考になる情報を教えてください。今年は車両製作は少しお休みして 高島町駅の完成に向けて慣れない工作に挑戦です。ではよろしくお願いします。 

しつこく江若鉄道と法勝寺のこと

江若鉄道のキハ12が何とか完成し、先に完成したキハ5124と塗装を残すのみとなりました。キニ9のエッチング板をオークションで入手したものの、車両製作はひと休みとしましょう。(オハ27 3両の完成が先・・・) キハ12は棒型モータを床下にぶら下げ、ユニバーサルジョイントで駆動することにしたのですが、あえて1軸駆動にしたため動き始めは音ばかりで加速が悪く、またモーター付のキハ15などと連結運転すると 引っ張られたり押したりと実物そっくりの状態で うれしい限りです。

さてレイル67号に藤本先輩の法勝寺の記事があるとのこと、三原市内の本屋に行ってみたものの、三原の田舎に格調高い「レイル」があるわけもなく、その代わりになぜこんな本がという「鉄道連隊」の本があって これを買って帰りました。日の丸法勝寺の現役時代には訪れたこともなかったのですが、この正月休みに米子を訪ね、保存車両には会ってきました。南部町法勝寺の西伯小学校に保存のデハ203も米子市元町商店街に保存のフ50のいずれも状態は良く、当時を彷彿させてくれました。

ところで 木次線の亀嵩-出雲三成間の線路脇の空き地になぜかワキ10073と10120の2両が放置されていてびっくり。空気バネ台車を履いた高速貨車がなんで出雲の山の中にあるのか 夜も寝られません。どなたか事情を知っておられる方は薀蓄をかたむけてください。

汽車住宅や江若鉄道でお騒がせ致しておりますが、毎夜この掲示板を開くのを楽しみに正業にも励んでおります。明治村には行けそうになく残念至極でありますが、皆様とつながっていると実感しながら 鉄分補給しています。

DD16とEF55 そしてまたもや江若

       ぷるぷる様

EF55とDD16の完成ご同慶の至りです。DD16は私も多分同時期に買って いまだに完成しておりません。この調子でゆくとレールの上を走る日は来ないような・・・。    EF55もみごとな出来栄えで 工場長の力量に感服しきりです。あの台車を自作する元気は私にはとてもとても・・・。昨今は 度々この掲示板をにぎわしております江若鉄道シリーズの粗製乱造の一環として 先日キハ07キットの改造でキハ5124が一応出来上がり、現在キハ12にかかっているところです。特にキハ12は あの独特のマスクに手こずりました。屋根の曲げに失敗し、たたいて直しているうちに戦災復旧の70系客車のようにボコボコになって これからゴマカシ修理が必要です。これが終われば 次には仕掛かり中のオハ27 3両を完成させて復活シリーズは小休止しようかと思っていた矢先、Yahooオークションでキニ9のエッチング板が手に入りそうなので キニ9までやっつけようか、さりとてあの多くの窓抜きはうんざりだし・・・といったような具合です。そして車両復活はこれぐらいにして いよいよ高島町駅の復活に手をつけようかとネタ集めをしております。先輩諸氏からのアドバイスのおかげで まず日野BT31バスの図面ができました。そのうち 初めてのバス製作もやってみようと思っているところです。ジオラマ製作は全く経験がなく、わからないことだらけだけに かえって楽しい時間が過ごせそうです。それでは 橋本工房さんのご盛況ぶりに刺激されて当方も工場長の尻をたたくことにします。                         

「汽車住宅物語」という写真集をご存知ですか

汽車住宅物語の表紙

汽車住宅物語の表紙

K.H生さまへ

大分交通の客車住宅の写真を見て、「汽車住宅物語 / 乗り物に住むということ」という小さな写真集が書棚にあるのを思い出しました。渡辺裕之著   1993年3月30日発行の INAX ALBUM No.13   A5版48ページの写真集です。終戦直後の住宅難の時代に客車や電車の台車を外して 住宅や教室に転用した風景の記録です。ナハ22000の車内を4世帯の住宅にした平面図もあります。表紙だけをスキャンして添付してみました。 ご興味があれば お知らせ下さい。小さな本ですので、簡単に送れますので お貸し致します。