井笠鉄道連載 その7 番外編

中国新聞の連載は6回で終了しましたが、番外編として あまり紹介されていないであろう井笠の車両たちのその後の様子などをご紹介して この連載の最後と致します。なお横着をしてアルバムに貼ってあるプリント写真をスキャンしましたので お見苦しい点はご容赦を。

笠岡駅構内の西側に県道34号線の跨線橋があり、その跨線橋の海側の高架下にホジ9が保存されていました(現在もあるかどうか未確認)。この2枚は昭和51年撮影ですが、その後昭和52年9月も同じ状態でした。高架下で雨がかかる心配はないので車体は比較的痛みは少なく 塗色もまずまずでしたが 窓ガラスや連結器もなく みすぼらしい姿でした。ちなみにこのホジ9は昭和6年梅鉢製。

昭和46年4月1日に全線廃止後長らく くじ場車庫には多くの車両が保管されていました。駅の敷地は板囲いで立ち入り禁止になってはいましたが 入るのは容易で 荒れ果てた車庫内で撮影しました。廃止後5年の昭和51年の状況です。カラー写真は昭和60年12月30日撮影、 下津井電鉄下津井駅に留置されていたi井笠ホジ3。平成3年1月1日に全線廃止された下津井鉄道で レール撤去工事などで最後のご奉公をしたホジ3でした。

上の写真が旧くじ場駅本屋で 井笠観光開発㈱旅行案内所の看板は上がっていますが この日は無人でした。バスの待合所でもあります。塀の中に入ると荒れた車両が多く残っていたのですが、残念ながら車番を記録していません。一番奥がホジ8、ホワフ、ホハ、ホワフでしょう。

山陽本線備後赤坂駅北側の丘陵地帯に赤坂遊園という 田舎版「ひらかたパーク」があって 子供を連れてよく遊びに行ったものでした。この遊園地のなかに なぜか井笠鉄道の車両が多く保存されていました。上の写真の左側に写っているのがコッペル3号機です。実機にはなぜか「2」の表記があるのですが 実際の2号機は岡山の池田動物園に行っているのに、製番6535の3号機がなぜか2号機になっていたようです。コッペルのほかにホハ11、ホハ12、ホワフ5、ホト2が保存されていました。

これらの井笠保存車の外側にゲージ600mm?のこども列車があり 加藤の3Ton ? 機関車がSLらしく改造されて 周回していました。製造年や前歴など詳しいことは不明です。芦田川などの河川工事にでも使われていたものかと想像します。この遊園地はいつのまにか閉園されて この機関車もどこへ行ったのか不明です(一説には太陽保育園?に行った)。また井笠の車両たちの行く末も調べていません。

この遊園列車の駅舎として使われていたのが、井笠鉄道薬師駅で わざわざここへ移設したようです。駅名標は「ふくやま」となっていますが 多分山陽線福山駅の高架化で不要になった地上ホームにあったものを持ってきたのでしょう。

ホワ2

ホワフ5

井笠の9号機は珍しい経歴の機関車で 1910年ベルギーのCockerill製。 釜石製鉄所から移ってきて井笠9号となり、昭和36年に廃車。その後昭和43年に上記の笠岡跨線橋下に保存、昭和48年にはなんと京都 桃山城に展示され、今度は井原鉄道井原駅建設予定地に移されたという 現役引退後もあちこち引っ張りまわされたSLでした。ベルギー製の機関車は珍しいのですが、あちこち改造されて結局シリンダ回りだけが製造当初のものと言われているようです。次の写真は平成5年8月14日撮影ですが、井原鉄道開業に伴い また場所を移されて 駅の東の七日市公園に屋根なしの状態で保存されました。

 井原駅予定地にて

 七日市公園にて(H11,1,30)

コッペル製のSLは1,2,3,6,7号機の5両がありましたが 7号機は昭和45年にスクラップとして売られ、姫路市網干区北在家のパチンコ店「百万ドル」の駐車場に放置されていました。撮影は平成9年7月24日です。 サイドタンクとキャブに「ホリデー号」と書かれていますので何らかの使い方をされたあと お役ご免でこの駐車場の隅に放置されたのでしょう。由緒正しきコッペル機がこのような姿をさらしているのは つらいものがありました。サイドタンクには井笠の社紋や7の文字がリベット止めされて残っていました。

最後に 笠岡駅にあった1067mmと762mmの平面クロスをご紹介します。笠岡駅の線路配置が北から国鉄の貨物引き込み線、次いで井笠鉄道、そして国鉄本線となっていましたので 井笠の列車は必ず国鉄の貨物引き込み線を横切っていたわけです。そのため異ゲージの平面クロスがあったのです。撮影したのは昭和51年ですから 井笠の廃止後です。このクロッシング前後の井笠のレールは撤去されていましたが、国鉄の貨物線は生きていたので、この部分だけが元の姿で残っていたものと思います。このような場合の保安方式がどうなっていたのか 今頃になって興味が湧いてきますが どなたかご存じなら教えてください。市電などは別として 平面クロスを見る機会はほとんどなくなりましたが 余談ながら糸崎駅構内にも珍しい平面クロスがあったのですが写真に残しておらず 悔やんでいます。それは三菱三原から糸崎港に向かう1067と1435のデユアルゲージと日本セメントへの引込線(1067)とのクロッシングです。

とりとめのない番外編となりましたが、何かの参考になれば幸いです。以上

 

井笠鉄道連載 その6

7月8日は休載でした。7月9日掲載分で連載最終回となりました。

湯口様 神高鉄道に関する解説コメント ありがとうございました。

井笠鉄道連載 その4

平成23年7月6日掲載分をご紹介します。

同紙面に井原鉄道のイベント列車の記事がありましたので 付録として添付します。

井笠鉄道 連載その3

平成23年7月5日掲載分をご紹介します。

旧矢掛駅駅舎が北振バス本社となっているとあります。私が訪ねたのは平成11年1月30日で もう10年以上前ですから 今の様子はわかりませんが、10年前の様子もご紹介します。給水塔?の残骸もありました。駅舎のスレート屋根の骨材や給水塔の骨組みはすべてレールです。

 

新聞記事と同じアングル

改札口方向を望む

  給水塔?の残骸

井笠鉄道創立100周年

中国新聞井笠おかやま版に「井笠鉄道創立100周年 懐かしの24駅・停留所」という連載記事が掲載されたので これから順次ご紹介してゆきます。第1回は7月3日掲載分です。1回につき4駅のようですから 6回で24駅が紹介されるようです。

江若鉄道三井寺下駅再現(その8)

クローバー会総会、懇親会での久方ぶりの鉄分補給のせいか、翌朝も早くから目が覚めて 午後の浜大津での打ち合わせまでの時間を有効に使おうと 朝食もそこそこに湖西線の電車に乗り込む。湖西線の景色を見るのは初めてである。山科からトンネルを出て大津市内を抜けてゆくが 高層ビルが立ち並ぶ風景に驚く。江若廃止から もう50年以上経っているのだから当然の変化なのでしょうが、50年間 時計が停まっていた身には軽いショックでした。高島市駅付近を散策後、近江今津まで足を伸ばし、往時を偲ぶ。また湖西の景色を楽しんで大津京まで引き返して下車。ここから線路跡を浜大津まで歩くことにする。皇子山総合運動公園と皇子山中学の間の道を進み 三井寺下駅跡に近づいてゆく。すると見覚えのある土蔵が目に飛び込んできた。廃車になった貨車などの留置線横にあった蔵に違いなく、興奮する。写真を撮っていると 通行人から不審の眼を向けられる。蔵は少し改修されてはいるものの くぐり戸のある塀も当時のままで よく50年も残っていてくれたと感激。このあとゆっくりと三井寺下跡、疏水の鉄橋など思い出を確かめながら浜大津に到着。浜大津ターミナルや湖岸の風景の変わり様に改めて過ぎし年月を感じる。沖中先輩、福田氏と合流し 秋の運転会の打ち合わせに臨む。「浜大津なつかしの写真展と鉄道模型走行会」は一応 10月29日から11月3日までの6日間の予定となった。いよいよ話が具体化し、後には引けない状況となり工事にもはずみがつく。三原に帰って やはりあの蔵のことが忘れられず、3連休を利用して再現してみました。

平成23年4月24日撮影

昭和43年5月17日撮影

平成23年5月2日復元

というようなわけでまた一つ三井寺下の再現がすすみましたが、三井寺下構内に隣接した民家群をこの調子で再現するのは容易ではなく(日本家屋は瓦屋根を含め、細工が面倒で大変)、今秋とは言わずゆっくりと気の向くままに再現してゆきます。秋の運転会に向けて クローバー会の皆様には何かとお世話になりますが、よろしくお願いします。

並走1件

準特急さんの並走写真を拝見して 思い出したのが上毛電鉄と東武の並走シーンです。高崎での4年間の単身生活の楽しみは 上毛、上信、秩父、わたらせなどの私鉄めぐりで 上毛にも足しげく通いました。上毛は天王宿-赤城間、東武桐生線は相生-赤城間ということになります。いずれも単線区間で列車本数も少なく、たまたま並走(に近い)シーンを撮影できました。

まず 中央前橋行きのクハ721+デハ711が通り過ぎます。後ろから東武5652・・・が追ってきます。

東武が通り過ぎるのを待って 線路内に入って後追いで撮ったのが下の写真です。

 

撮影日時は平成11年8月29日です。

吉都線と霧島連山

連日 霧島連山の新燃岳の噴火が報じられています。学生時代の最後 昭和49年3月に九州を巡り 吉都線のC55, 山野線のC56などとの出会いがなつかしく思い出されます。当時のメモを紛失し、撮影場所や列車名が判りませんが、高崎新田、日向前田、高原あたりであったと思います。そのときは霧島連山としか認識がなく、どの頂きが何岳なのか判然としませんが、とにかく天候に恵まれて 山が美しかったのが印象的でした。現在は宮崎自動車道がこのあたりを走っているようで、多分景色は大きく変わっているのでしょう。

 キハ17、キハ20

 D51

 C55、オハユニ61

 門デフD51

 高原にて 

 D51

平成16年2月に広島から鹿児島まで 日本エアコミューター(JAC)で飛んだことがあります。36人乗りのプロペラ機で 低空を飛んでゆくため 地上の様子が手に取るように見えて 1時間の飛行中 地図と見比べながらずっと外を見ていました。鹿児島に着く手前で霧島連山の上を飛びます。それぞれの山頂が 上空から見るとまさに火口であることがよくわかり 感動しました。この写真も何岳かわからないのですが 新燃岳ではないようです。広島西飛行場も今は営業終了し、コミューター便もなくなってしまって寂しいかぎりです。 

特派員さんの「ユースの旅シリーズ」に刺激されて投稿しました。 

江若鉄道三井寺下駅再現(その8)

今年初めての投稿です。正月休みも専ら三井寺下で過ごしました。来週の梅小路での運転会にお誘いを頂いたのですが、残念ながら参加できない代わりに 今日時点での三井寺下の状況をご紹介します。

駅本屋、本社屋、2棟の車庫、給油所、給炭・給水所、ホームの上屋、洗浄線など主な設備がかなり揃ってきました。各路盤の裏にこれからポイントマシンを仕込んでゆくことになるのですが、ポイントマシンの製作が結構面倒です。ポイントマシンの取り付けと調整が済まないと、レールへのバラスト撒きや固定ができません。

駅本屋とその前の給油所の裏側です。

本社屋も何とかそれらしく出来ました。これもまた外装の色がわからないので 適当な色にしました。この本社屋の左側にももう1棟木造2階建てがあり(後年 組合事務所?)、これから着工です。日本瓦や波板(スレート)はエコーモデルのパーツを使っていますが、本社屋や車庫のように大きな屋根が日本瓦や波板の場合は 屋根だけで数千円にもなってしまうので、雰囲気が出ればよしとしてペーパー屋根にして 必ずしも実物通りではありません。

エコーモデルのレイアウトパーツは種類も豊富で出来も良いのですが、何といっても高くつきます。困るのがブロック塀です。駅構内の周辺の民家にブロック塀が多いのですが、これをエコーのものを使おうものなら 万円になってしまいます。給油所もブロック塀で囲わねばならないのですが、厚紙にスジを入れ、 厚さを出すために張り合わせて作ったのですが、水性アクリル塗料で色付けしたりしているうちに、どんどん反ってきて不気味なブロック塀になり 改善が必要です。全体写真の右側の車庫への引き込み線沿いの境界には延々と古枕木の柵が続いていて この枕木柵の製作もうんざりしそうです。

そして駅周辺の民家をどう再現しようかと 最初から判っていた課題が現実のものになりつつあります。あの市街地の中の三井寺下のムードをどう再現するか・・・・。何か良い知恵がありましたら アドバイスをお願いします。

江若鉄道三井寺下駅再現(その7)

車両の増備にうつつをぬかしていましたが、ようやく土木工事を再開し、三井寺下の敷地に線路の敷設を終えました。2個のカーブポイントを含む合計17個のポイントからなるにぎやかな配線です。まずは全貌が見える形になりましたが、我が工房の床を全面占領する大きさで 足の踏み場がない状態です。1次工事は済みましたが、これから17個のポイントマシンの自製、制御システムの設計、制御盤の製作、そして駅舎や車庫など数多くの建物の製作と これから先が思いやられます。無謀にも工事を始めたからには 開業の日を夢みて がんばることにします。敷地周辺の住宅地の雰囲気をどのように再現しようかと悩んでいます。1/80で仕舞屋風の民家を再現して作れば 立体的で最もリアルなのですが さすがにこれは自信と根気がなく 絵を書く案が有力ですが、これは平面的でかえって違和感を生じるかなどと考えているところです。
三井寺下構内1
三井寺下構内1
三井寺下構内2

三井寺下構内2

江若鉄道三井寺下駅再現(その6)

平成18年に大津市歴史博物館で開催された企画展「ありし日の江若鉄道」の資料を藤本先輩からお借りして 三井寺下付近の航空写真を虫メガネで見ながら建物の配置などを割り出しはじめましたが、先に作った設計図に間違いが多いことが判明。適当に妥協することにして 工事を進めることにします。建設工事は足踏み状態ですが、またしても浮気の産物として ホハ100型客車3両がほぼ出来上がりました。これで 時代考証的に SL1118やC111に牽かせる相手が出来ました。今回も湯口先輩の「丹波の煙 伊勢の径」の写真があったればこそ 製作意欲も湧き 再現できたと思います。ところで このホハ100の色は 後年のナハやオハと同じく緑色で良いのでしょうか?仮に違っていたとしても まだ緑色のマッハの塗料がたくさん残っているので 緑色に塗装するつもりですが・・・。さて 車輌製作は一時休止にして これからはレイアウトの方に励むことにしましょう。

1118牽くホハ3両(旧関西鉄道)

1118牽くホハ3両(旧関西鉄道)

江若鉄道三井寺下再現(その5)

当方も毎度お騒がせ致しております。レイアウトの工事が進まない代りに 蒸機が1両増えました。戦時中の昭和18年に入線した100号機で もと宇部鉄道100→省205→江若100という1B1サドルタンク機です。日本では数少ないバルカンアイアン製。昭和23年には神戸製鋼へ転出したため 江若鉄道では5年余しか在籍しておらず、我々には馴染みのないカマです。オークションに中村精密製のB1バルカンアイアンの完成品が出たので これを落札して入手。サドルタンクを煙突部分まで延長し、キャブは作り直してコールバンカーを短くし、先輪を取り付けたりして100号らしくなりました。この100号については臼井茂信著「機関車の系譜図」と牧野俊介著「岡山より汽車を求めて」に宇部時代の写真があり それを参考にしました。これで私の江若鉄道にはC111,1118、6,100の4両の蒸機が揃いました。今後蒸機を増備するなら ダベンポート製の1号機関車、コッペル製3号機、ボールドウイン製5号機といったところになるでしょう。車輌の増備より 早くレイアウト工事を進めろと株主から責められそうですので、あまり浮気はしないことにしましょう。

江若鉄道三井寺下再現(その4)

(その2)でハ11の更衣室を紹介しましたが、藤本先輩からのアドバイスもあって 塗装(と言ってもアクリル絵の具の筆塗りですが)してそれらしくなりました。ついでにニ1(ヤ4574)のなれの果てであるペンキ小屋も作ってしまいました。お飾りばかりが先に出来て、本体工事はちっとも進んでいません。これらのダルマさんを置ける日はいつになるやら・・・。デジカメ写真にすると 出来の悪さ アラが目立ちます。遠目には満足しているのですが・・・。
ハ11の更衣室
ハ11の更衣室

 

二代目ニ1のペン繧・?屋

二代目ニ1のペンキ小屋

江若鉄道三井寺下再現(その3)

琵琶湖疎水鉄橋を渡る1118

琵琶湖疎水鉄橋を渡る1118

三井寺下の工事はボチボチですが、車輌の方に浮気をして オークションで入手したサンゴのB10キットを改造して 1118が完成しました。1118(国鉄1070形)とB10はよく似ていますが 動輪径がφ1400のB10に比べてφ1524と大きいという違いがあります。でも1/80にすれば1ミリ強の違いなので 気にしないことにしてサイドタンクやコンプレッサー、エアタンクの位置を変えて1118らしくなりました。これで当社のSLはC111、6号機に次いで3両となりました。こうなるといよいよ木造のホハ101~103を作らねばならないかと夢をふくらませています。実は今 オークションでバルカンアイアンのB1 サドルタンクを入札中で 落札して1B1の100号(元宇部鉄道100→国鉄205)に改造して 4両目のSLにと目論んでいます。と言うようなわけで 三井寺下の工事は足踏み状態です。

江若鉄道三井寺下再現(その2)

撤??鉄道ハ11

播但鉄道ハ11

連日の猛暑にうんざりしながら、工事が停滞していますが、ようやく朝晩が涼しくなってきて工事を再開する気分になってきました。まずは気分転換のために 三井寺下車庫に鎮座していた旧播但鉄道のハ11を一晩で作りました。ここでも湯口先輩の「丹波の煙 伊勢の径」の写真が大変役立っています。走らせるための模型は数多く作ってきましたが、廃車体を作ったのは初めてです。レイアウトが完成した暁には アクセントになってくれるでしょう。ところで またまたこの廃車体の色がわかりません。塗り分けではなさそうで、それもかなり薄い色のように見えるのですが、ご存知の方があれば 教えてください。実物の屋根にはキャンバスがダラリと掛けられているのをどのように表現しようかと 思い悩んでいるところです。

ところで 藤本氏の標茶、茶内 そして歌登の簡易軌道の写真と解説を興味深く拝見しました。湯口先輩の「簡易軌道見聞録」の話が出てきますが、以前から入手したいと思っていて いまだに手にすることができず どなたかにお借りして拝見したいと思っています。

標茶町営軌道に添えて

 

藤本先輩の標茶訪問記を拝見し、廃止される前の最後の冬 昭和46年3月7日の写真をご紹介します。先の茶内浜中を訪れる約1週間前に開運町へ行ったときのものです。藤本氏の記事を読みながら、標茶駅から開運町まで1.7kmもあったのかとか、標茶川を渡ったのかなど全く記憶にありませんが、多分誰かに場所を聞いて、黙々と雪道を歩いたのでしょう。着いたところが 車輌は雪に埋もれ 運休していると聞いてガッカリした記憶だけが残っています。ニチユ製のDA57と 運輸工業の牽引客車、釧路製作所製6TonDL(No.3), 北炭夕張製の6TonDL, 車庫内で眠る泰和製?自走客車の5両が撮影したすべてです。

 

ニチユ DA57

ニチユ DA57

 運輸工楨??牽引客車

江若鉄道三井寺下再現(その1)

琵琶湖疎水鉄橋

琵琶湖疎水鉄橋

三井寺下駅の再現に向けて、全体配置図も出来たので工事にとりかかることにしました。とは言え、5ブロックに分けて 自室になんとか収まる大きさで ポイントの数も17個、本社屋、駅舎、車庫2棟、数多くの詰所類、給水塔、播但鉄道の客車廃車体等々これから先の工程を考えると完成がいつになるのか見通しがたちませんが(資金繰りも)、車輌の増備も並行して 気長に工事を進めるつもりです。高島町と白鬚を作った際の残材がそれなりにあって、この残材だけで1ブロックができることがわかり、急ごしらえながら先行着手しました。三井寺下の浜大津側の1ブロックです。このブロックのハイライトは琵琶湖疎水を渡る鉄橋と2つの踏切(1つは遮断機があり警手もいる踏切)、そして場内信号機(腕木)で、小さなブロックながら単独でも展示台として使えるものです。琵琶湖疎水鉄橋部分だけが出来たので ご紹介します。ガーダーは真鍮板で作りました。これまたカラー写真がなく、客車たちを塗装した緑色のラッカーの残りを使って 薄緑色にしました。実際は赤茶色(さび止め色)だったかもしれません。ご笑覧あれ。

江若鉄道 夏の陣

連日の猛暑で白鬚、近江舞子に向かう水泳客をさばききれない中、ようやくオハ27 3両が戦力に加わりました。永らく未塗装のままで放置してあったオハ27とDC30の塗装を大汗をかきながら済ませました。特注のインレタを貼り付けるとグッとそれらしくなり、ビールのおいしいこと。まだ6号機、キハ12、キハ5124、ハフ2、ハフ7が塗装待ち状態、キハ5121-ハ5010-キハ5122、が工場の中と仕掛りが多いのですが、オークションでB10のキットを手に入れたので、1118に改造を目論んでいます。キニ9やキハ20、キハ51も控えていて 当分楽しめそうです。