井笠鉄道 連載その2 投稿日時: 2011年7月5日 投稿者: 西村雅幸 平成23年7月4日掲載分を紹介します。 この記事を共有:TwitterFacebook印刷 関連 関連記事: 井笠鉄道 4題 井笠鉄道 連載その3
ぶんしゅうさん、雅幸さん、米手作市さん、軽便の沿線に田舎(先祖の出所)ある方をうらやましく思います。老人の父は現JR桜井駅から東南へ二山越えたところから京都に出てきたのですが、幼ない時に行った時、既に参宮急行電鉄が開通しておりました。榛原駅南方2里の地点、木津川の上流でした。母は岩国から北西へ、錦川沿いに遡上、一山超えた地の宿場でした。省営バス【岩日線】の中間点になります。伯父は予定線であった岩日線建設期成会(島根県側)の最後の会長でした。レイル敷設を見ることなく1981年3月になくなりました。戦後1946年夏休み(小学2年)は伯父宅で過ごしましたが、伯父は「そのうち汽車がここを走る」といっていた土地は25年後に築堤になりましたが、軽便鉄道すら開通しませんでした。その築提は、中国自動車道建設の際一部流用されましたが、6年前の墓参りでは跡形もなく、一部は老人ホーム、そして温泉宿に化けていました。 返信 ↓
父が整理した写真アルバムを探して見ましたら、山の上から井笠鉄道の橋梁を撮った写真と切符がありました。降りた駅は「備中小田駅」と分かりました。 残念ながらネガがまだ見つかっていませんが、あれば当時の車両・駅等があるはずです。発見でき次第に投稿させていただきます。 返信 ↓
ぶんしゅうさん、雅幸さん、米手作市さん、軽便の沿線に田舎(先祖の出所)ある方をうらやましく思います。老人の父は現JR桜井駅から東南へ二山越えたところから京都に出てきたのですが、幼ない時に行った時、既に参宮急行電鉄が開通しておりました。榛原駅南方2里の地点、木津川の上流でした。母は岩国から北西へ、錦川沿いに遡上、一山超えた地の宿場でした。省営バス【岩日線】の中間点になります。伯父は予定線であった岩日線建設期成会(島根県側)の最後の会長でした。レイル敷設を見ることなく1981年3月になくなりました。戦後1946年夏休み(小学2年)は伯父宅で過ごしましたが、伯父は「そのうち汽車がここを走る」といっていた土地は25年後に築堤になりましたが、軽便鉄道すら開通しませんでした。その築提は、中国自動車道建設の際一部流用されましたが、6年前の墓参りでは跡形もなく、一部は老人ホーム、そして温泉宿に化けていました。
父が整理した写真アルバムを探して見ましたら、山の上から井笠鉄道の橋梁を撮った写真と切符がありました。降りた駅は「備中小田駅」と分かりました。
残念ながらネガがまだ見つかっていませんが、あれば当時の車両・駅等があるはずです。発見でき次第に投稿させていただきます。
橋梁は多分小田川橋梁でしょう。次なる発見が楽しみです。