散歩道で見つけました6

東海道線の国電

河 昭一郎様には申し訳ないのですが、旧型国電(と言うのかも知りませんが・・)終末期は京都駅に毎日通っていて見ていました。しかし、興味が無いというのは恐ろしいものでほとんど写真を撮っておりません。藤田さんの作品を見ていて全てに見覚えがあります。というより乗っていました。クロハにも乗りましたし廃止時も覚えております。でも写真が無いのです。
で、今回国電を投稿するに際して、どれが貴重なのか、どこが違うのかさえ分かりません。客車や気動車を「電車」という若い衆と同じです。それ以下かもしれません。後悔至極であります。ですから写真の解説はできませんので前回同様お助けください。

①高槻 クハ7936 右はクハ79300番台

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散歩道で見つけました5

藤田さんがパソコンをお持ちで無いため読めない、を解決するために全ページ(リプライを含めて)プリントアウトしてお届けしました。大変喜んでご覧になってましたが、改めて国電のアルバムを貸してくださいました。ところがコピー用紙に名刺判の白黒写真を貼っただけのアルバムですから、場所や日時はもとより車両形式も書いてありません。なんとなく阪和線、片町線、東海道線などで分けてみましたが電車音痴の私には酷というものです。そこで伝家の宝刀・得意技の「皆様にお願い」攻撃をかけますので皆様で撮影場所や撮影年代、車両の形式など投稿で書いてください。写真には番号を振っておきますので国電担当者の方、よろしくお願いいたします。

①阪和線天王寺駅 クハ25

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お待ちかね、京阪・流線型1000系

折しも、準特急氏の「流線型」シリーズが始まったばかり。当会にもファンが多い京阪の1000系が登場です。
ついでに近鉄京都駅に停車中の1000系もご覧に入れます。

散歩道で見つけました4

今回でお借りした写真はいったん終わります。先ほど藤田さんにアルバムをお返しに上がったときに、あの写真で会員諸氏から反響が返っていましたと言いましたところ、パソコンが無いから見られないと残念がっておられました。なんとかしてご覧に入れたいと考えております。

今回は阪急です。
取られた場所は例によって分かりません。皆様のご判断にゆだねます。

阪急100系P-6

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散歩道で見つけました3

藤田さんは呉線にも足を伸ばされています。
ただ、あまり歩き回る方では無いようで写真は駅周りで撮られた物が多いです。
これらは呉線広駅で撮った写真です。

当時の呉線は山陽線より旅客大型蒸機が多かった

西村さんの地元ですから解説はお任せしますが、通勤列車がC59、C62などが牽く贅沢な物でした。C59大好き!の準特急さんなど垂涎の的でしょうな。

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散歩道で見つけました2

さっそく菱屋・藤田光一さんの次の作品をご紹介します。
なお、写真にはデータが付いておりません。撮影時期や場所は皆様の知識にお任せしますのでおわかりの方は投稿してお知らせください。

今回は国電です。藤田さんによると「飯田線へ行ったときに撮った物」だそうです。時期は聞いておりませんので塗装や風景で判断してください。

プリントが退色しているがほとんど補正はしていない 湘南色

↑ これは河様のご解説にお任せしますが豊橋でしょうか?新城行きです。

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散歩道で見つけました

毎日散歩をしています。
その途中にいつも気になるお店があります。うっかりすると見過ごすようなお店ですが、島原の大門の前にある明治19年創業のおかきや「菱屋」さんです。
このお店には、かつて近くにあった旧丹波口駅で撮った列車の写真がいつも貼ってあります。そこでおかきを買うために入ってみました。さて、ここのおかき・”うすばね”は絶品です!いつも家内が他家へのお土産に買っているのですが、私が買うのは初めてです。

老舗・菱屋さんの外観 左端のガラス戸に写真が貼ってある

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鉄鈍爺さん、1900生さん、DD14が生きていたとは!

ご両人、昨日お話に出たDD14が、私が昭和40年に名寄で見たDD142と同じ形式とは!!

53年も前に名寄で見かけたDLが現在も現役で除雪に使われているのは、小野田寛郎さん横井庄一さん以来の驚きです。まだ信じられません。
これで間違いないかご確認ください。

DD142(名寄)

DD142(名寄)

まさか同一人物とは思えないのですが・・・

西村氏の北陸トンネル切手と1億5000万円客車の写真!

我が汚名を晴らしてくださった西村さんの北陸トンネル開通記念切手にあるキハ82の写真を載せますので見比べてください。

西村さんが送ってくれた北陸トンネル開通記念切手

キハ82の「みどり」向日町

それと「客車廃車体訪問記 北海道編13」にあったオハ538の前後賞、オハ537の写真も載せますので1億5000万円の値打ちがあると思ってご覧ください。

オハ537 旭川で改造待ち 

 

謹賀新年 ことしもよろしく!

明けましておめでとうございます

何がめでたい?と内心は思っていますが、世間に合わすのも年寄りの務めと心得ている年の初めです。

年賀の挨拶も今更白々しいので、福笑いならぬクイズを投稿します。
ネットで検索すれば答えは簡単に出ると思いますが、そこは誇り高きDRFC会員、そんな手は使わずに、ここだと思うその根拠を述べた上でお答えください。
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年末のご挨拶

今年もあとわずかとなりました。
振り返ると当会にとっては変化と発展の年だったように思えます。
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C571の”同級生”

今日の夕刊に表題のような記事が出ていました。
阪神大震災の折に、鷹取工場(当時)で修理中だったC571が転げ落ちて大破、再起不能か?との報道があったことを思い出しました。思えばこのC571は、記事にもあるように北陸地方で崖崩れに巻き込まれ、転落大破したことがありました。それでも「1号車」のおかげで廃車されずに今日まで生き残ったのです。記事によると保存されていた僚機・C575から部品を取って修理をしたと言うことです。考えて見れば部品と言っても最近の電車と違って規格など有ってないような時代で、C57同士でも合うかどうかなどやってみないとわからないだろうと思います。幸い川崎重工同士だったらしくうまくいったようです。
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名岐鉄道850系

昭和10年頃というと”流線型”が”流行”した時代でした。国鉄のモハ52系や京阪の1000系、阪急の250型など私には同じようなデザインにしか見えないのですが、現在でも車が同じような顔で売られているのと似ています。

湯口先輩の瀬野八に便乗する

湯口先輩に遅れること5年でこれほど変わってしまったのです。

昭和39年2月と4月の撮影です。電化されて変わったことは、美観が天と地ほど悪くなったことは当然ですが、旅客列車が電化されて列車長の長い貨物列車だけが蒸機で残ったため大カーブで補機まで入れることが難しくなったことでした。2月は大雪に見舞われ、4月は架線工事にジャマされました。
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これでご勘弁を! 井原さん!

探してみましたがオロ351はありませんでした。やはり私が戦後生まれであることが致命的でした。やむを得ずこれでお許しください。

昭和40年の夏休みに北海道へ行ったときに小樽(たぶん)で撮ったと思います。オロ3566

オエ61309←オハ531はこれでしょうか?

ちょっと旅行をしている間にたくさんの投稿があり今頃読んでいます。なかで気になったのが【91093】客車廃車体訪問記 北海道編4に出ていたオエ61309の現役客車時代で、オロ351の格下げ後のオハ531です。1966年(昭和41年)2月に小山で撮った写真ですが見てください。
字が小さくて見にくいのですがオハ531ではないでしょうか?車体はオロ35でしょう。

井原さん、判定やいかに!

知多鉄道デハ910号

昔の電車は国鉄も私鉄も貫禄と気品がありましたね。
最近の電車は色を塗らないからピカピカで品がない。その上、顔が同じ(に見える)だから形式の違いがわからない。従っておもしろくない。電車ファンの皆様、ゴメンナサイ!

関先生!この当時の国電もお願いします。

会費納入しました

今日の朝、クローバー会から封書が届いた。開けると懐かしいガリ版刷りの「青信号第1号」とクリアホルダーが出てきた。会費の振込用紙も入っている。

「青信号」は第一号の復刻版らしい。正確にはガリ版刷りではなかったが、開けてビックリ!読めない!!なにやらハングルでもなし、梵字でもなし。でも懐かしい諸先輩の名前があるので後で解読することにした。クリアホルダーはいくらあってもありがたいモノ。大切に使わせていただくとして、早速会費を送金しに郵便局へ行った。5000円を渡すと振込票を機械に入れていたが受け取りを出してくれた。今は手書きで処理はしないのでまたビックリ!「ありがとうございます」と言って澄ましているので「あのー手数料は?」と聞くと「受取人が支払うのでタダです」これにまたビックリ!年額2000円に上げた(これでも安いと思う)が、三年前払いだと6000円を5000円に値引きして、さらに送金手数料まで負担していただけるとは会員冥利に尽きるワイ、と感謝しながら帰途についた。

つくづく考えるに、世間的に70才を超えると活発な交友関係を持っているかどうかでその後の人生・健康が違ってくるそうだ。つまり、煩わしい利害や憎悪の交錯する付き合いではなく、趣味を中心にした気心の知れた交友関係は心身ともにいいそうである。であれば5000円の会費はなお安く思えてくる。
こう書けば20代、30代、40代の諸君は「なにを年寄り臭い!」と笑うだろうが、あと20年、30年、40年すれば諸君全員が年寄りになるのだ。そのとき会費を払い続けたことのありがたさに涙を流すこと間違いなしだ。この5000円は、会費ではなく健康(介護)保険の掛け金だと思って間違いがない!

「青信号第1号」に名前を連ねておられる大先輩が、そのとき以上の熱心さで今もデジ青に投稿されている有様は、デジ青健康(介護)保険説を証明するモノではないか?
どうか、若い会員諸氏も会費を払い続けるとともに投稿もしていただきたいと思う。

新しい役員諸氏におかれましては誠にご苦労なことと拝察しますが、介護費用の削減と、孤独な老人を一人でも減らすためにご助力をお願いして感謝の言葉とさせていただく。

会長様を”男”にする旅

会員諸氏にお尋ねするが、よもや大畑ループ、姨捨スイッチバックと木次三段スイッチバックに行ったことがない、などという者はいないだろう。
ところがいたのである。だれあろう我がDRFC会長のマルーン氏である。
ことの始まりは今年四月の木次線旅行でのこと。突然の崖崩れで予定の備後落合から木次へ行く列車が運休になり、JRが代行バスをだしたことで肝心の三井野原-出雲坂根のスイッチバックに乗れなくなった。マルーン会長様は当該区間は齢七十にして初めてのスイッチバックであったそうで、密かな期待で胸をときめかしていたそうな。ところが代行で乗れなくなったため泣きたくなるのを堪えながら「代行バスに乗ったからスイッチバックを通ったことと同じやな」と風呂につかりながら独りごちたのを居合わせた会員に聞かれてしまったのだ。
「夜行列車で通っても、寝ていたら乗車距離には入れてもらえない鉄の掟も知らぬ会長よ、三段スイッチバックも乗ったことのない会長よ」と後ろ指を指されるこれからの余生思うとき、マルーン会長様の屈辱はいかばかりか。
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