藤田さんは呉線にも足を伸ばされています。
ただ、あまり歩き回る方では無いようで写真は駅周りで撮られた物が多いです。
これらは呉線広駅で撮った写真です。
西村さんの地元ですから解説はお任せしますが、通勤列車がC59、C62などが牽く贅沢な物でした。C59大好き!の準特急さんなど垂涎の的でしょうな。
優等列車はすべて呉線廻りで、京都人には準急ななうらはおなじみでした。
向側のホームにオハ60系が止まっているが、おそらく区間の通勤列車用と思われます。今ならマナー知らずの撮り鉄が折り重なっていただろうと思う。
藤田さんからはアルバムを三冊、無作為抽出でお借りしたので呉線関連はこれだけですが、もっと探せばおもしろい物が発掘できるかもしれません。伺ってみます。
次回は阪急の巻
米手作市様
1枚目、2枚目は広駅ではなく、ホームのカーブの具合や生垣の感じから小屋浦駅ではないかと思われます。3枚目は広駅か?今でこそ私は広島県人じゃけど、この当時はれっきとした京都人どした。
それは失礼をしました。
こらえてつかーさい!(岡山弁?)
米手作市さま 西村雅幸さま
1葉目の駅は?、2葉目は広駅ではないだろうというのはわかりました。3葉目は広駅のようですね。小屋浦駅と推定されたのはさすがです。カーブの様子からそう思いますが、現在の周りの風景からは想像できませんね。
オハ61系の通勤列車は広始発だけでも数本ありました。糸崎発を含めるとほぼ半時間に1本の割でしたね。ななうらではありませんが後年急行「音戸」で広駅から通勤客レに乗りか変えて広島に向かったことがありました。その頃にはスハ43やブルーの近代化車も編成されていました。
先ほど藤田さんに確認したところ、西村さんのおっしゃるとおり小屋浦と広だとのことです。やはり西村さんは広島人ではと思います?ビンゴ!