家族で京都鉄道博物館へ行った。私にとっては初めてである。2階レストランで食事をしていると大阪方面から単機でEF65がやって来た。しかも国鉄色であった。しばらくすると、目の前の引込線に向かってきた。そして、C62と並んで停車。
やっぱりこれがええ。
何やらフェイスブック風・・・ところで、鉄博内でクローバー会の先輩御二方においした。これもびっくり。
家族で京都鉄道博物館へ行った。私にとっては初めてである。2階レストランで食事をしていると大阪方面から単機でEF65がやって来た。しかも国鉄色であった。しばらくすると、目の前の引込線に向かってきた。そして、C62と並んで停車。
やっぱりこれがええ。
何やらフェイスブック風・・・ところで、鉄博内でクローバー会の先輩御二方においした。これもびっくり。
伊那谷といえば「木枯し紋次郎」のイメージがつきまとう。「木枯し紋次郎」オープニングタイトルの最初の場面は背景に山々が連なっている道を紋次郎がこちらへ向かって歩いてくる。撮影された場所を調べている人がいて、それをネット上で見ると長野県伊那市高遠町にあるとのことである。やはり飯田線沿線の伊那谷であったようだ。
飯田線には学生の時に3回行っている。しかし、最近はご無沙汰である。よくテレビなどで秘境駅の紹介やツアーで秘境のローカル線乗車などと注目されているが、当時は蒸機に比べれば注目度は低かったと思う。それでも鉄道雑誌には時々紹介され、私が後に3回も飯田線へ行くきっかけになったのは「鉄道ファン1966年9月号」にある「鉄道ファン・フォトサロン 宮沢孝一作品集」である。宮沢氏はこの作品集に書かれている文によると特に金野、唐傘、千代あたりを好んで行かれて撮影されている。写真を見るにつけ、いつか行ってみようと思い続けていた。そして初めて飯田線に踏み入れたのは1970年夏の清里合宿の後である。ところが残念ながら写真はない。映像は頭の中。途中、温田の南宮ユースホステルに泊まったのであるが、少し早く着いてしまった。俳優の浪花千恵子さん(若い人は知らないと思うが)に似たおばさんがまだ利用時間前なのでユースに入ることできないと言われたので、近くをブラブラする。ちょうどユースは駅のすぐ裏であった。ここで次の年に夏期合宿をするとは・・・
西村さんが梅小路にKS50台車の存在を確認された写真を投稿されました。1900生さんのコメントに返事をしましたが、その時撮った写真を御披露いたしましょう。
あれは2年前の今頃です。近鉄九条駅近くにあるとある会社の本社建物の中にC57が保存されているのを見に行こうと有志が集まりました。見学後に弁天町から安治川隧道を通って西九条に行くという計画でした。その途中の弁天町にあった交通科学博物館がどのようになっているか周辺道路から見ていたのです。その時に見つけたのが京阪KS50台車でした。交通科学博物館は展示していなかったのに何でこんなところにあるのか不思議に思っていましたが、今になり梅小路に展示されることになっていたんだと、わかったのです。
知らないうちに投稿回数が今回で100回となりました。100回記念で盛大に超大作を投稿ということでもいいのですが、そんな超大作になるようなネタも、今のところないのです。ところで以前から気になっているのが学生時代のガリ版刷りの「青信号」と「補機」です。現在保有するもので一番古いのが1968年7月発行の「青信号20号」です。なぜこの「青信号20号」を持っているのかわかりません。だれかに頼んで余っているのをいただいたようです。掲載されている記事をみると1900生さんの「京阪1900のすべて」があります。たぶんこの記事を読みたくていただいたのかもしれません。それはともかく、40年以上もたっているガリ版刷りの本ですし、紙も周辺部が茶色に変色して読みづらくなり、またあるものは劣化が激しくなっています。このままでは読めなくなってしまいそうです。何とかしなけらばなりません。いろいろ考えていたのですが、本をバラバラにして画像データとしてスキャンすることにしました。思い出のある本をバラバラにするには忍びないですが、読むことを前提とすると仕方のないことです。
手始めに残しておきたい雑誌をデジタル化をしました。バラバラにして家族が所有しているシートフィードスキャナーを借りてPDFにして保存です。一般の雑誌は印刷屋さんで印刷したものですので、印刷面に濃淡のムラがありません。スキャン条件設定が普通に行えます。そんなに問題なくデジタル化が出来ました。さて、ガリ版印刷の「補機」と「青信号」は印刷ムラがどうしてもあります。しかも劣化しています。スキャナーはフラットベッドスキャナーを使うことにしました。
関三平さんの「国電ひょうきん族」でデジ青コメントが盛り上がっているようですが、富山に居た頃に何回か乗っていました。何やら車内は陰気な電車でした。しかし、わざわざ乗ろうとするような電車でもなく、乗ったからには何とかして楽しみを見つけるしかない電車でした。そんな電車を富山で1枚だけ撮りました。
住んでいるところが以前の北陸線の線路際でしたので、ここから富山地鉄の稲荷町にあるスーパーに行くのに線路際を歩いて行くのですが、カメラを持っていることが多く、たまたま撮ったものです。車内に入るといつも暗い、陰気な感じでした。ただし、対面シートの間隔が広いので、前に人が座っていてもゆったりした感じです。この電車のいいところはこれぐらいでしょうか。昼間特急として走っていた頃に名古屋から特急つばめとして岡山の方へ乗ったことがありました。その時は陰気な感じではなかったのですが・・・
デジ青上では私も伊勢や東京に行った時に乗った修学旅行電車から始まって米手作市さんの「こんなモンもありまっせ!」のお宝写真で賑わっております。私も久しぶりの「こんなん、出てきました。」です。古い写真を整理していると貨車を積んで航行している船の写真が出てきました。こんな写真があるとは思っていませんでした。だれが、いつ頃、どこで撮った写真かわかりません。しかし、よく考えてみると祖母と伯母がよく四国へ三十三カ所巡礼の旅に行っていたので、その時に撮ったものではないかと思われます。その写真というのは
準特急さんの「異形式連結電車-5-」のコメントで出てきた京阪1700+1800の編成ですが、DRFC現役の時にHOで模型にしていました。一般色で3扉の7連です。すでに車両は廃車解体されました。しかし、その時の残骸と図面が残っています。図面と言っても簡単なものです。京阪は標準軌なので最初は1/87で図面を書きました。
しかし、上の図面からもわかるように台車などの下回りとバランスが悪いので結局1/80にしました。
備後落合駅では一日1回だけ三方向から列車が集います。まづ、三次から、次に新見から、そして最後に木次からの列車が集合します。備後落合駅では1日に1回の賑わいとなります。とくに青春18きっぷが利用できる期間は駅ホームは大変な賑わいとなります。
3月のある日、「おろち号で備後落合まで行って、そこでどうするねん。」と言われて「おろち号を撮りますねん。」といったところ、「なにもないで。悪いこと言わんからやめとけ!」とありがたい忠告を受けたのであります。木次線ツアーに行く前に現役時代に2年先輩の人との会話なのですが、40年ほど前にもこのような会話がDRFCの室町BOXであったようななかったような・・・そんなことを言われても、とにかく行くことにしたのです。それより天気の方が心配でありました。備後落合に行く4月9日は週間天気予報の傾向から雨が降るような感じであったのです。しかし、実際は時々日ざしがあるまずまずの天気でありました。
時は過ぎ、あけまして おめでとうございますではなく、間もなく桃の節句になるという時節柄。今年は阪神電車からということで・・・
なぜ、阪神電車からというと、年末に阪急百貨店に行った時に鉄道模型売り場を覗くと目にとまったのが阪神電車がかつて梅田から三宮・元町まで特急として走っていた3両セットNゲージの模型である。値段を聞くと4,500円である。うう~んと思案をしてみたが、こういう時は衝動買いに走るのが常である。衝動買いするもう一つの理由は、子供の頃に神戸へ行くときはいつも阪神電車のこの特急に乗っていたので懐かしい。思い出深い電車だからである。子供の頃、神戸に行くには家からは十三から阪急電車で行くのがいいのであるが、そこをわざわざ梅田まで行って阪神電車に乗るのである。家族4人がふわふわしたクロスシートに席をとり、ちょっとした小旅行を楽しんでいたのである。
青の交響曲乗車ツアーでNゲージ模型をしておられる1回生の方と話をしていて、それに刺激され、以前に購入してほったらかしにしていた上信電鉄デキがやっとこさ、出来上がりました。しかし、まだ車番などのシールは貼っていないのです。
運行開始して間もない近鉄南大阪線、吉野線の観光特急貸切電車はたのしいものでした。このツアーを企画実行していただいたDRFC現役生の皆さんには頭が下がる思いですし、頼もしく思いました。ありがとうございました。
さて、乗車記念としておみやげに何を買ったらいいかと思っていたのですが、「青の交響曲カステラ・ラスク」がパッケージも面白そうで、値段も手ごろなので買うことにしました。おもちゃにもなりそうです。孫が2人いているので一つだと、とり合いのケンカになりそうなので2つにしました。
行方不明になっていた近鉄内部線の6コマ分1本のネガフィルムが見つかったと投稿しましたが、もう一本あったことに気が付いていませんでした。下津井電鉄の写真で6コマ分1本です。その写真はというと
行方不明のネガフィルムが一本あって、しかし一本と言っても6コマの一本でネガフィルムです。そのフィルムには近鉄内部線の内部で撮った写真で、その中でも気にいっているものが含まれていました。探すとべた焼きをしたものがあったので、それをスキャンして修正して画像として残すことにしていました。今回、発見出来て良かったと思っています。ただし、どのようないきさつで行方不明になったかわかりません。それはそれとして、この6コマ一本以外は例の酢酸臭がして隔離しています。使用不可になるような深刻な状態ではありませんが、ひどくならないように紙製フィルムホルダーにいれて保管しています。というのは樹脂シートでつくられたフィルムホルダーで保管していた時にフィルムが液状のようなものでべったりと樹脂製ホルダーに付着していたので取りだして以前に使用していた紙製フィルムホルダーに入れ換えました。酢酸臭がしますがそれほど悪くなっていません。今回、見つかった行方不明だったフィルムは紙製ホルダーに入っていて、酢酸臭がほとんどなく正常な状態です。そのフィルムの一コマの写真はというと
倉吉線、木次線、福塩線、三江線と少し前まで賑わったデジ青でしたが、このところご無沙汰です。そうすると西村さんが小ネタで久しぶりに三江線の話題が登場しました。呼び水に誘われるように5月21日(土曜日)に日帰りで行った三江線全線乗車記を・・・
というような書き出しで7月14日から投稿作成を開始したのですが、8月2日に西村さんが投稿された「早ければ2018年春にも」の内容に想定はしていたもののもう少し何とかならないかと思ってしまいます。それは列車本数が少ないから、乗車人数が少ないからということで廃止というのは利益を考えるならばそうなるのは当然と思いますが・・・とにかく、日帰り全線乗車記を
クローバー会富山ツアーの1日目はトロッコ乗車組として黒部峡谷鉄道に乗って黒薙に行くことになった。目的は温泉に入るために行くのではない。とにかく、行ってみよう。何かがあるかもしれない。
宇奈月駅からトロッコに乗り込む。いざ、黒薙へ・・・
黒部宇奈月温泉で1泊の富山旅行については既に投稿いたしました。ところで電鉄富山駅に集合の前に、私と偶然にも大阪駅で同じサンダーバードで同じ車両となったK氏と富山地鉄寺田駅と越中三郷駅を訪れたのでした。私がデジ青の最初の投稿が「駅風景 富山地鉄五百石駅」でした。その後、寺田駅のことを投稿しようと思っていたのですが、ながらくのお休みをしていました。今回、再び寺田、越中三郷の両駅を訪れたので「駅風景 富山地鉄寺田駅、越中三郷駅」としてご紹介いたします。