謹んでお知らせいたします。

乙訓の長老・沖中忠順さまが、昨日8日に84歳で逝去されました。1957年度生で曙期の鉄道同好会で活躍されDRFCの基礎を築かれたお一人です。祇園石段下での同志社チアーをはじめ色々な会合で一緒にチアーを叫ばれた方は沢山おられるでしょう。画像は1969年1月26日大阪駅4番ホーム急行丹波3号豊岡行きキロ28の前でチアーを送られる在りし日の沖中さんのお姿です。DRFCには心から愛着を持たれ、幾多の後輩を育てていただきました。
ご冥福をお祈りいたします。

画像は掲示板2017.1.26の記事を再掲したものです。

初代「伊予灘ものがたり」廃車回送

京都鉄道博物館から帰ってきて、高松運転所に留置されていた初代「伊予灘ものがたり」ですが、急に多度津駅まで回送されてきました。そのまま多度津工場に入場しましたので、ついに廃車かと思われます。

多度津工場入場の様子です。

お疲れ様でした。

 

 

DMV乗車記

28日に行われたDRFCクローバー会、多度津でのイベントに合わせて四国を巡ってきました。その中で26日に阿佐海岸鉄道のDMVに乗車しましたのでご報告します。
阿佐海岸鉄道は1992年に牟岐線海部から甲浦までを開業し、一部の列車は牟岐まで乗り入れていました。2020年11月1日阿波海南-海部間をJRから編入し、気動車による運行をしていましたが、DMV化工事のため1か月後の12月1日より阿波海南-甲浦間でバス代行輸送を開始し、昨年12月25日よりDMV車両を使って阿波海南文化村-阿波海南駅間と甲浦駅-道の駅宍喰温泉間をバスモードで、阿波海南駅-甲浦駅間を鉄道モードで運行を開始しました。(土曜、休日は室戸岬の「海の駅とろむ」まで運転されます)
↑ 始発駅の阿波海南文化村駅に停車中のDMVです。

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京都市営地下鉄の新車

米手作市さんから京都市営地下鉄の新車の報告はないのかとのことでしたが、撮影に行った帰りに初乗車しましたので、試乗記というほどではありませんが、少し報告させていただきます。ご承知の通り3月26日から新車20系が走り出し、4月12日からは近鉄線内でも走るようになりました。太陽の下で走る電車を撮りたくて先日新田辺に行ってきました。

↑ 車体の色は10系を踏襲していますが、扉部分が同じ薄緑で塗られているのと、車体の前面は丸みを帯びていて雰囲気は大分異なります。

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 頑張っている後輩たち(新歓風景) 

 諸先輩方の素晴らしい投稿のかたわら、現役生たちも4月の新入生を歓迎しようと、今年はキャンパス内の勧誘も復活して、先日までの数日間今出川と田辺に募集のテーブルを出店していました。私はtwitterで彼らのドメインをフォローして見ています。またそこでクローバー会の新規投稿もトゥイートしてくれるので、近年は情報入手が楽になりました。

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近鉄に新駅誕生か

【3月8日加筆】3月8日付の奈良新聞に、当該記事の訂正が掲載されていました。

「近鉄は八木西口を廃止し、新駅を設置する意向」でなく、「近鉄は八木西口と新駅を併存しない意向」とのことです。

尚、リンク先は現在閲覧できないようになっています。悪しからずご了承ください。

3月5日付の奈良新聞の記事です。近鉄が橿原線の八木西口駅を廃止し、移転する奈良県立医科大学の付近に新駅を設置するとのことです。

奈良県では以前から議論されていた話題です。

新駅の駅名は分かりやすく、「県立医科大前」や「医大前」でよいと思います。長い駅名は御勘弁ください。

https://www.nara-np.co.jp/news/20220305220711.html

 “こんな時だからこそ”の写真展 楽しんでいます。

雨の夕暮れはいっそうの風情が増す西木屋町通、京町家のギャラリー「高瀬川四季AIR」、3月8日(火)までやっています。阪急京都河原町駅から徒歩7分です。

勘秀峰さんから本欄にお知らせがありましたように、3月1日から下記の写真展を二人でやっています。

 第3回「市電と昭和の京都」特集 下京区を走った京都市電

  3月1日(火)~8日(火) 期間中無休 11:00~18:00

  「高瀬川 四季・AIR」 京都市下京区西木屋町仏光寺下る

一昨年、昨年と続いて開催し、ことし3回目の開催となる今回は、ギャラリーが所在する京都市下京区にスポットを当てた写真・資料展です。貴重な写真・資料や最新取材も交えて、懐かしい市電ワールドをご堪能いただけます。

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今年も冬期運休の木次線

今年の冬は全国的に例年になく雪が多いようですが、木次線では例年通り冬期運休が続いています。冬期運休するJR線区は全国でもここだけでしょう。そんな木次線の近況を中国新聞デジタル版が動画も交えて伝えてくれています。中国新聞は「冬眠」と言う表現で報道しています。「冬眠」で済めば良しとしなければなりませんが、「永眠」とならないことを祈るばかりです。下記をクリックして下さい。<下>にもリンクしています。

「冬眠」続くJR木次線<上> 雪に強いはずの列車、なぜ長期運休【動画】 | 中国新聞デジタル (chugoku-np.co.jp)

二代目『伊予灘ものがたり』

2月14日、多度津駅で赤いアンパンマンのキロハ、2803の出場回送の写真を撮っている時に、多度津工場内の車両の位置がかなり変わっているとの情報を得て、工場に寄ってみました。

二代目『伊予灘ものがたり』が車庫内ですが、見える位置に停まっていたので、遠いですが記念撮影しましたので披露します。デザインコンセプトは同じ様ですが、種車が異なるので、やっぱり違いますね。

引き続き観察していきたいと思います。

2月14日  JR多度津工場(敷地外、工場出入口踏切から撮影)

尾道鉄道跡をたどって(その4)

尾道鉄道の山越え区間であり、昭和32年にいち早く部分廃止された石畦(いしぐろ)・市間について大事故の慰霊碑、現存するトンネル、スイッチバックの諸原駅跡の様子を3回に分けてレポートしました。終点市駅周辺の取材ができていなかったので旧銀山街道宿場町としての街歩きも兼ねて、昨日歩いてきました。諸原から国道184号線を下ってゆくと右手に中国バスの車庫が見えてきます。そこが尾道鉄道市駅跡です。国道はほぼ線路跡であり、駅裏側になりますので、駅の正面側 即ち銀山街道とも呼ばれる旧道側から駅前に入ってゆくことにしました。

旧道から入るとすぐに橋があり、その先に古風な2階建ての民家が見えます。

令和4年1月29日 旧尾道鉄道終点 市駅前付近

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昨日のエトセトラとウエスト銀河

呉線の観光列車「エトセトラ」と下関行き観光特急「ウエストエキスプレス銀河」の運転日が重なると、備後赤坂駅で折り返し待ちの「エトセトラ」の横を「銀河」が通過してゆく筈なので、そのシーンを撮ろうとクルマで出かけることにしました。しかし、そのためだけにクルマを走らせるのは、燃料高騰の昨今不経済なので、先般連載しました「尾道鉄道跡探索」で まだ調査できていない、御調町市駅周辺の取材も兼ねて出かけました。「尾鉄」については別稿でご報告します。

まずは、尾道で乗客をおろしたあと、折り返し駅である備後赤坂駅まで回送で走ってくる「エトセトラ」を撮ることにして、東尾道・松永間の今津川鉄橋に行きました。丁度干潮で砂地がむき出しで、パッとしないのですがここで撮ることにしました。

令和4年1月29日 東尾道・松永間今津川鉄橋を行く上り回送エトセトラ

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写真展に行ってきました。

今日は総本家青信号特派員さんの写真展に行ってきました。今までいろんな写真展に出品されていましたが今回は個展で、これまでの写真展のいわば集大成として構成されていてます。過去にDRFCクローバー会の写真展も開催した祇園西利のギャラリー、会場の3階に上がり、エレベーターの扉が開くとまず目にするのがその圧倒的なボリュームです。100枚以上の作品が待ち構えていて、60年代の蒸機から始まり、四条通の京都市電、江若鉄道、叡電、などいくつかのテーマごとに展示されています。車両だけでなく人も一緒に写し込まれていて思わずにっこりとする写真もあります。一昨日から始まり、もうすでに歴代の会長はじめ、クローバー会のメンバーも続々来られています。会期は25日まで、皆様もぜひお越しください。

尾道鉄道跡をたどって(その2)

事故慰霊碑をあとに、国道184号線を北上することにします。まさに超満員の電車が逆走した勾配を登ってゆきます。

国道184号線開ノ木トンネルと尾鉄2号トンネル(北側出口側から)

左手が国道ですが、右手の歩道トンネルがかつての尾道鉄道の2号トンネルを修復したものです。ちょうどこの撮影地点付近に、「西校上駅」がありました。ここから坂を下りてゆくと、木ノ庄西小学校があります。

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初代伊予灘ものがたり 京都に向けて出発

昨年12月27日がラストランとなっていたキロ47伊予灘ものがたりですが、いよいよ京都鉄道博物館の特別展示に向けて回送出発しました。1/17朝、JR四国走行位置情報で回送を見つけたので、もしやと思い昼出動したら当たり。ゆっくり走って行く姿を見送りました。多度津駅で40分近く時間調整(?)した後、高松へ向けて出発。高松からはEF65の牽引でしょうか。

特別展示は1/21からのようです。お近くの方は観に行かれたらと思います。

海岸寺〜多度津間(後うち)の写真を添付します。

 

 

写真展「Rail-その先の世界へ」19日(火)から開場です。

一部の皆さまには、予告していましたが、写真展「Rail-その先の世界へ」、19日(水)~25日(火)の一週間、開催の運びとなりました。相変わらずの場当たり進行で、記事を書いている現在も、必死になって準備を進めています。

今まで、私もたくさんの写真展を経験してきましたが、小さな写真展を除いては、人と組んでの共催でした。共催は、それはそれで大きな意義はあるのですが、どこか人に頼っていた甘えがあったのではと思っていました。一度、自分だけで好き勝手な写真展をやりたい、と以前から思っていたところ、写真展会場から思っても見ない好条件で話をもらったのは、昨年11月、急に進めざるを得ない状況となりました。それから、2ヵ月余り、外での活動は断って、準備に専念しました。“一人で好き勝手にやる”と言った以上、もう後には引けません。手助けの申し出も断って(幸か不幸か、申し出は一切ありませんでしたが)、何をするにも、すべてが一人、歳を取るということは、こうもドン臭くて、間違いが多いものと痛感した準備作業でした。手作り感、素人感いっぱいの写真展になりそうです。京都・祇園「ぎゃらりぃ西利」(京阪「祇園四条」下車、東へ5分)でお待ちしています。  一昨年9月、緊急事態宣言が解除されて、ホント久しぶりに外出し、夕方に越美北線に乗った。列車の後部から見ると、レールの先の陰陽が面白く、思わずシャッターを押した。“コロナ禍の暗い世界から、未来の明るい光が見えるようや”とお知り合いがヨイショしてくださった。“これやっ”、先にプロモート写真が決まり、テーマは後付けとなった。

広島短信

中国新聞ネタを2題。年明けに一度広電を撮りに行こうと考えていた矢先、広島市でオミクロンの感染が急拡大し、次いで県下全域がまん延防止措置の対象となったおかげで、マジメな私は家から出るに出られず、またしても新聞ネタで失礼します。

令和4年1月16日 中国新聞朝刊

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