10月に北海道を訪れました。観光・仕事で行ったり、ぶんしゅうさんと一緒にクルマで回ったことはあるものの、鉄道目的で北海道へ一人旅したのは、現役以来44年ぶりのことでした。かつて見た、人と煙が渦巻いていた熱気はなく、どこまで行っても静かな光景が続いているばかりでした。
重大事故と不祥事が相次いで、経営再建中のJR北海道ですが、さらに暗雲が立ち込める事態が起こっています。さる8月以降に連続した大雨・台風によって、根室線、石勝線、石北線の路盤・橋梁が流失、訪問した時も、石北線は開通していたものの、あとの2線は不通のままでした。道東へのメイン路線である石勝線は、年内復旧の目途が付いたものの、根室線東鹿越~新得は開通の見通し立たずとされ、それどころか同区間を含む新得~滝川は廃止を匂わす発言まで飛び出す始末です。
すでに留萌線留萌~増毛は本年12月に廃止、石勝線(夕張支線)新夕張~夕張は地元自治体が廃止を逆提案、札沼線北海道医療大学~新十津川も、廃止を前提とした一日一往復化、さらに、前述の根室線新得~滝川も含めて、輸送密度(1キロ当たり平均乗客数)200人未満は「自社で経営維持できない路線」として、JR北海道は手放すことの方向性が示されています。
こんな悲観的な材料しか見当たらない北海道の鉄道をこの眼で確かめるべく、廃止が予定される終端駅や、懐かしの山線(長万部~倶知安~小樽)を中心に回ってきました。▲深川で発車を待つ留萌線のキハ54、女子高生3人が乗り込んだ
続きを読む
「紀行文」カテゴリーアーカイブ
江ノ電のあとは、初めての豊橋鉄道市内線(東田本線)へ 後編
江ノ電のあとは、初めての豊橋鉄道市内線(東田本線)へ 前編
江ノ電撮影、そして懇親会の後、私は豊橋へと向かいました。路面電車は大好きで海外に行くと必ずトラムの走る街を訪れています。そんな私ですがまだ訪問していない国内の路面電車が2路線あります。1つは鹿児島市電、もう1つが豊橋鉄道市内線です。いつかは訪問しようと思いつつ機会がないままでした。今回はこの機会に訪れようと決めました。
① 藤沢19:14⇒19:51小田原20:06(こだま683号)⇒21:40豊橋
微笑みの国、タイ王国鉄道の旅2016年 Part27 最後にウォンウェンヤイ駅で撮る、帰国
第16日目 8月17日 その3
インドネシア、タイ、ミャンマーと3カ国を回った旅も最終訪問地マハーチャイ線のウォンウェンヤイ駅へと参りました。タイ王国鉄道の駅でも気に入っている駅の1つです。前回は3回も訪問していますので変わりはないか見る程度です。
⑤ バンワー16:05(BTS)⇒16:15ウォンウェンヤイ
[googlemap lat=”13.724369336449033″ lng=”100.49116283655167″ align=”right” width=”250px” height=”200px” zoom=”18″ type=”G_NORMAL_MAP”]ウォンウェンヤイ駅[/googlemap]▲ 今回も神谷さんたちと参りましたメークロンですが鉄道で参りますと、市内からの路線は途中、運河で切れてマハーチャイ線とメークロン線に分かれています。この間の接続は運河を渡る鉄道連絡ボートが運航しているのが面白いところです。
ウォンウェンヤイ駅へ行くにはBTSシーロム線のウォンウェンヤイ駅で降りて約15分ばかし歩いて向かいます。
続きを読む
江ノ電のあとは 100系求めて伊豆急へ
江ノ電撮影会、夜の懇親会のあとの行動は、直帰もあれば、横須賀、藤沢、豊橋で宿泊して次の目的地へ向かうなど、各人さまざまでした。私は平塚の定宿に泊まり、翌日は一人で伊豆急へ向かいました。伊豆急に乗るのは、実は生まれて初めて、目的はこの日のイベント列車「レトロ電車ぶらり旅」で運転された、開業時から走っている100系103号でした。天気はあまり良くないものの、同業者もほとんど見当たらず。ゆっくり楽しむことができました。
▲いかにも“電車!”と言った、端正な顔つきの伊豆急100系、一日中追いかけて大満足だった
微笑みの国、タイ王国鉄道の旅2016年 Part26 バンコクの交通網 MTR・BTS・ARL・
第16日目 8月17日 その2
タイも3年ぶりの訪問でした。バンコク市内では視察したパープルラインの他にBTS(スカイトレイン)シーロム線の延伸されたバンワーまでの乗車と、メイクローン線の起点駅「ウォンウェンヤイ」、その他未乗車路線へと向かうことにしました。
続きを読む
読者の方々へ、山陽電鉄100型
今から5年も前のデジタル青信号#12139(2011.3.9)の記事を、直近にもご覧頂いている読者の方々がいらっしゃいます。姫路市飾磨区にお住まいだった方、神戸市長田区の小・中学校ご出身の方、今は神奈川県川崎市にご在住の方、などなど。筆者とは年齢が相当違いますが、山陽電車を利用したり、懐かしく思っていらっしゃるファンです。筆者も元は神戸市の小中高出身者で山陽電車を毎日見たり、あるいは通学に利用した一人ですから、上記の方々とは共通項が沢山あります。
その記事へのコメントが2016年の最近にも届き、古い画像があればとのご要望も寄せられていました。相当古い車両写真あるいは最近の車両は専門誌に沢山掲載されていますので割愛しますが、紹介が比較的少なく、筆者が撮影できた山陽電鉄100型を、ほんのわずかですが紹介します。
▲106+1006 1960.8.21 須磨浦公園付近
106:1928年4月藤永田造船所製造、この撮影の数ヵ月後(1960年)廃車。1923年創業の神姫電鉄の51型63、宇治川電気電鉄部に継承された後、1933年山陽電鉄に。1949年の改番で106となる。次に紹介の1006と併結運用されたが、2輌の間は非貫通でした。側面には路面停留所が存在した当時に設けられた一段ステップが両端の乗降口に残っていました。塗装は濃褐色一色です。
続きを読む
微笑みの国、タイ王国鉄道の旅2016年 Part25 タイ国鉄バンコク市内線(SRT)を撮る①
第16日目 8月17日 その1
今日は今回の旅の最終日です。帰国のフライトは23時ですので撮影には目一杯の時間があります。前回訪問した時はタイ国鉄(SRT)の市内線を撮りました。宿泊しているホテルも前回と同じですので、勝手知ったすぐ下を走るSRTを撮ることにしました。
▲ 9:51 ホテル前の路線に走ってきた保線用のモーターカー。写真では隠れているがもう一人乗っておられます。定員4人乗りによくぞ乗ったりの合計12人の作業員です。前回訪問時にはウドンタニの本線上でも走っているのを見ました。乗り心地はよくはないでしょうが一度乗ってみたい車両です。
続きを読む
クローバー会撮影会で 江ノ電をめぐる
クローバー会のイベント、江ノ電撮影会が10月29日(土)、多くの会員が参加して、にぎやかに行われました。写真展を来年5月に控え、その盛り上げの一環の行事として企画し、開催地を、多くの会員が在住する首都圏で行って、首都圏の在住者も参加しやすくしました。関西からも日帰りが可能な時間帯
に設定し、関西圏、首都圏の両会員の親睦を深めるのも目的でした。 その趣旨も理解してもらい、当日、集合場所の鎌倉駅に集合したのは、14人、そのあと途中での合流も含めて17人という盛会となりました。
宴会の楽しみは置いておき、主題はあくまで撮影会、取り急ぎ、写真で1日を振り返ってみました。▲江ノ電と言えばこのシーン、江の島を望んで鎌倉高校前を行く
はにかみの国、ミャンマーの旅 2016年 Part24 運休なったヤンゴン臨港線視察、広電に会う
はにかみの国、ミャンマーの旅 2016年 Part23 ヤンゴン環状線 バヤーラン~ヤンゴン~パズンダンを撮る
第15日目 8月16日 その1
今日は夕刻に飛行機でバンコクに戻りますが、フライトは17:00ですのでお昼過ぎまでは撮影できます。早朝から撮影しようと準備しましたが昨日同様に豪雨に見舞われました。昨日、今日と天候に恵まれません。美味しい朝食を食べて小雨になるのを待っての出発です。
ヤンゴン中央駅には行かず昨日気になった右回り1つ目の駅パヤーラン(Panhlaing Road)へ徒歩で向かいます。
はにかみの国、ミャンマーの旅 2016年 Part22 ヤンゴン環状線を撮る③ ロガーへも行く
はにかみの国、ミャンマーの旅 2016年 Part21 ヤンゴン環状線を撮る② 市場の中の駅、ダニンゴン
10:10 ヤンゴン中央駅から列車に乗って21.5㌔を1時間20分、来てみたいと思っていたダニンゴン(Danyingon)に到着しました。元々はヤンゴン~ピー(Pyay)までの路線として1877年に建設された路線です。ヤンゴン中央駅から右回りは、ぐるっと一周する列車(11本)の他、ピー(1本)、ロガー(15本)、コンピューター大学(2本)、途中のインセイン(17本)の計46本の列車が5:00~21:30に発車しています。1時間に約2.8本の列車本数ですのでまあまあですね。
続きを読む
はにかみの国、ミャンマーの旅 2016年 Part20 ヤンゴン環状線を撮る①
第14日目 8月15日 その1
ヤンゴンでの滞在は今日の早朝から明日までの2日間、バンコクに戻るフライトは明日午後17:30のフライトなので明日もお昼過ぎまでは撮りに回れます。広電撮影は明日にして今日は日本製の気動車が走るヤンゴン環状線を撮りに回ることにしました。
それでは朝1番から撮ろうと早朝起しましたが、支度をしていると突然の豪雨に見舞われました。
インドネシアといい、今年は雨に見舞われることが多くになります。今まで2回インドネシアには参りましたが、雨など一滴も降りませんでした。
今年の東南アジアは異常気象のようです。
それなら朝食をとってからゆっくり参ろうかとレストラン行きです。
続きを読む
はにかみの国、ミャンマーの旅 2016年 Part19 ヤンゴン中央駅で撮る
第13日目 8月14日 その2
15:00 一休みしたところでヤンゴン中央駅へと向かいました。
ヤンゴン中央駅はイギリス統治時代の1877年に建設されましたが日本軍の進攻により敗退するイギリス軍により1943年に破壊されています。その後1954年に伝統的なビルマ建築様式によって再建されました。
▲ いかにもビルマと思わせる建造物ですが補修が行き届いていないためか薄汚れています。駅前広場も整備されておらず閑散としています。
続きを読む
はにかみの国、ミャンマーの旅 2016年 Part18 微笑みの国から、はにかみの国へ、ヤンゴン空港でSIM購入
第13日目 8月14日 その1
今日は8月7日からご一緒させていただきました皆さんとはお別れです。皆さんは朝の日本行きの飛行機で帰国されますが私はお昼の飛行機でミャンマーに向かいます。
当初今年のインドネシアツアーのお話をいただいた時に昨年10月以降では久しぶりの海外になるのでついでに訪問したい国として発展著しいミャンマーを選びました。2013年以来の2度目の訪問となります。
前回訪問した時には通訳兼案内人からは、「昔は東南アジアでは最も進んだ国だったが、軍事政権が続いている間に最も遅れてしまった国になった。」と嘆かれました。その後2015年11月に実施されたミャンマー総選挙により開放民主化が進み出し、ようやく近代国家への一歩を踏み出しました。前回訪問してから3年間でどれほど違ってきたのか見てみたい、丁度今年1月に広島の路面電車がヤンゴンに贈られ、ミャンマー初めての電車運行されたとのニュースがあったのも選択した大きな要因でした。ただ飛行機やホテルの手配をした後で、突然の運行停止となったのは想定外でした。
▲ バンコクからヤンゴンまでのフライト距離は597㌔、所要時間はわずか1時間20分のフライトです。航空券も片道約7,000円(AirAsia)と格安でした。3年前に訪問したミャンマー国内のヤンゴンからナムツ鉱山へと比べても時間・距離ともはるかに近くです。
① バンコク(DMK)12:05(FD255)⇒12:55ヤンゴン(RGN) 続きを読む
陰陽横断3日旅 (後編 倉吉線跡探訪)
そもそも倉吉線跡を訪ねることになったいきさつを振り返ってみましょう。2016-2-21に私が「行商列車を読んで」という一文を投稿したことがコトの始まりです。この本には倉吉線を舞台にした行商の話が出てくるのですが これが伏線です。私の投稿に対して どですかでん氏がすばやく反応して頂き、続いて湯口大先輩からも 1963年に倉吉線を訪ねられた際の貴重な写真が投稿されました。話はさらに米手作市様にも拡散し、1週間後の2016-2-28にはぶんしゅう氏の「ダメ押し 倉吉線訪問記 1973年夏」が投稿されます。このぶんしゅう氏の写真の中に打吹駅前で子供たちがラジオ体操している写真がありました。実に素晴らしい情景だと感激したのですが、このとき倉吉か打吹に記念館があることを何となく知っていましたので ぶんしゅう氏にこの写真を倉吉に送ればきっと喜ばれますよとけしかけました。そして私の提案に乗って頂いたぶんしゅう氏が倉吉とコンタクトされ、いろいろなやりとりの末に倉吉観光マイス協会の塩川修氏のご尽力があって 倉吉線鉄道記念館にクローバー会の特設コーナーが設けられ、会員各位から提供して頂いた倉吉線のなつかしい写真が常設展示される運びとなった訳です。9月1日付けの倉吉市の広報誌にも我々の写真展示で同館がリニューアルされたことが紹介されました。半年ちょっとの間にこのような展開になるとは夢にも思っていませんでしたが、クローバー会と倉吉市とのつながりができたことはうれしい出来事でした。そんないきさつ故 一度倉吉を訪ねて見学しなければと思って今回の旅の目玉としたわけです。なお9月11日には米手作市様が記念館の一番乗りを果たされています。前置きが長くなりましたが、10月11日の朝 倉吉観光マイス協会の塩川修氏と初めてお会いし、この日の旅が始まりました。
50年前の撮影地を歩く -11-
米原駅での交直接続のD50を見る
米原市での鉄道資料展の様子を寄稿をしたところ、準特急さんやマルーンさんからの思い出コメントをいただきました。米原、というところは皆さん思い出の詰まった駅のようです。
私も、米原の名を聞くだけで“遠くへ来た”という感慨に浸ります。今では京都から新快速に乗れば1時間足らずで到着ですが、その思いは変わりません。草津、近江八幡、彦根と、停車駅のアナウンスを聞いても眠気を誘うだけですが、「つぎは米原」のアナウンスを聞いた途端に高揚感に包まれます。それは、米原からの乗り換えを心配する緊張感も含まれるのでしょうが、きっと中京圏、北陸圏と合流することの空気感の違いを身体で認識するのでしょうか。米原~田村の交直接続区間に働いていたD50を求めて、よく訪れましたが、改めて50年前の米原駅の思い出を綴ってみることにします(昭和41年8月1日撮影)。
▲朝の米原駅5番ホーム、米原発直江津行き233レ、D50201[米]、よく見ると駅弁売りも見える。右はD50200で、珍しい続き番号機。名鉄局らしく、ナンバープレートの地色はグリーンに塗られていた。
微笑みの国、タイ王国鉄道の旅2016年 Part17 バンコクMTRのパープルライン視察
第12日目 8月13日 その3
トンブリー機関区から次に向かったのは1週間前の8月6日に開業したばかりのバンコクMTRのパープルライン線のタオプーン駅です。
▲ バンコク市内にはすでに高架鉄道のグリーンラインと地下鉄道のブルーライン、そしてスワンナプーム国際空港と市内を結ぶ高架鉄道(2010年開業)のエアポートレールリンク(ARL)が運行されていますが、円借款を活用してバンコク北西郊外のノンタブリ県バンヤイとバンコク北部のバンスーを結ぶ高架鉄道のパープルラインが建設されました。バンコク初の日本製車両が走行することになりました。
※ 上の地図は朝日新聞デジタル版からの転載です。
続きを読む
陰陽横断3日旅(前編 津山まなびの鉄道館)
青春18きっぷが最長5日間有効なのに対して、秋の乗り放題パスは2週間の中の連続3日間という制約はあるものの、うまく使えば乗り鉄には有難い切符なので あれこれと計画を立てました。プランの条件としては ①10月10日だけ走る「姫新線80周年記念号」乗車 ②倉吉線鉄道記念館訪問 ③木次鉄道部を訪ねて貸切列車についての情報収集 の3つでした。この旅を実現するには まず①の指定券を確保しなければなりません。1ケ月前の9月10日10:05頃に三原駅のみどりの窓口へ行き簡単に買えるものと思っていたら、「もう売切れです」との思わぬ返事に愕然。キハ47 2両の「みまさかノスタルジー」の座席定員は124名ですが、発売と同時に完売だったようです。イベント列車のことを甘くみていたことを反省しつつ、プランを一部変更することにしました。そこで 三原→岡山(岡山電軌撮影)→津山(機関区訪問と姫新線記念号駅撮り)→鳥取→倉吉(上記②)→木次(上記③)→江津→三次→広島→三原 というルートを2泊3日で回ることにしました。10月10日 ぶんしゅう氏と岡山で合流して 乗り鉄旅が始まりました。今回はその旅のうち 前編として「津山まなびの鉄道館」、後編として「倉吉線跡探訪」をご紹介します。まずは津山での約2時間の途中下車で訪問した「津山まなびの鉄道館」です。










