西村雅幸君の力作、再び!

昨年、浜大津の「スカイプラザ浜大津」で展示されて大絶賛された、江若鉄道の精巧なジオラマがさらに精巧にバージョンアップされてかえってきます。今回は浜大津駅の再現で、会員諸兄の資料やアドバイスをはじめ、前回の展示会で集まられた江若鉄道OBの方々より資料のご提供を受けて、より精巧な浜大津駅が再現できたそうです。

今回は、京阪電鉄京津線開業100周年を記念するイベントで、京津線関係の珍しい写真や資料なども展示されるそうです。今回の見所は、駅付近のジオラマのみならず、当時の江若鉄道の車両群と、京津線を走った20型以降の車両達がOB会員達の協力で復元されたことです。

会員諸兄にお願いします。是非ともお出で頂き、素晴らしい作品を見て下さい。そしてご意見や思い出話を聞かせて下さい。遠く三原から来てくれる、西村君にエールを送ってあげて下さい。

10月27日(土)~28日(日)、11月3日(土)~4日(日) 10:00~17:00
浜大津駅隣接 スカイプラザ浜大津6F 
※申し訳ありませんが入場料200円が必要です。

以前に西村君が投稿した「お知らせ」を再度掲載してご案内いたします。

>昨年同様、スカイプラザ浜大津にて土曜、日曜だけの計4日間ですが、浜大津ターミナルの復元ジオラマ展示と江若、京阪の模型運転を行います。今回も多くの会員諸氏のご協力のおかげで 準備も最終段階に入っています。
場所は京阪浜大津駅の隣のビル6階で、開場は10:00~17:00です。皆様にお会いできるのを楽しみにしております。なお11月3日には京阪のイベントが錦織車庫で開催され、毎年多くのファンや家族連れでにぎわうようです。

被災地の鉄道は いま -1-

先日の青森写真展では、設営・受付のために現地に3日間滞在しましたが、ダイレクトに行って帰って来るだけでは、鉄道ファンの名が廃ります。青森へ駆けつけた各会員も思い思いに寄り道したようです。私の場合は、被災地の鉄道の乗車に一日を当てました。これまで被災地を訪れることは控えてきましたが、大震災から一年半が経過し、もう邪魔にもならないだろうと考え、現地の鉄道・代行バスを実体験することにしました。

10月9日、早朝の仙台から乗車が始まります。

仙石線

5時30分、新宿から乗ったJRバス東北の夜行バスが、早着も延着もなく、ピッタリ仙台駅東口に着いた。駅でもらった代行バスの時刻表をもとに、今日一日の乗車経路を再検討すると、代行バスの連絡が意外にうまく行くことが判明した。    早朝の仙台駅、震災の傷跡など微塵も感じられなかった

仙台(仙石線)→松島海岸(代行バス)→矢本(仙石線)→石巻(石巻線)→渡波(石巻線)→前谷地(気仙沼線)→柳津(代行バス)→気仙沼(大船渡線)→一関(東北本線)→盛岡(宿泊)と約300キロを列車・代行バスで回れる。手にした切符は「秋の乗り放題切符」だから運賃の心配も要らない。

仙石線は、現在、高城町~陸前小野間の11.7キロが震災の影響により不通で、その前後の区間、あおば通(仙台)~高城町、陸前小野~石巻で列車が運行されている。あおば通(仙台)~高城町は、仙台の近郊区間であり、震災前と同数の列車が確保されており、快速列車も運転されている。いっぽう陸前小野~石巻は、震災前の半分程度の列車であり、すべてDC列車(キハ110)となっている。代行バスは、駅員配置駅の松島海岸(高城町のひとつ仙台寄り)~矢本(陸前小野のふたつ石巻寄り)、鉄道営業距離で18.2キロを43分程度で運転している。代行バスの本数は、一日20本で、朝夕は一時間2本、昼間は一時間1本のネットダイヤで、列車との接続はとくに考慮されていないが、たまたま乗った列車とは、うまく接続していた。

仙石線始発のあおば通りまで行って、快速に乗る。仙石線用に改造の205系のうち、5編成の石巻方先頭車はクロス、ロングの両方に使えるデュアルシート車で、ここでは“2WAYシート”の愛称が与えられている。▲▲快速は高城町までだが、代行バス乗り場のある一つ手前の松島海岸で下車、乗車列車は、石巻出身の石ノ森章太郎のキャラクターラッピング車。

代行バスに乗ってしばらくは、松島海岸が続くが、陸前大塚付近から津波の被災区間となる。辛うじて残った家は1階部分が壊滅 ▲▲野蒜駅舎は改築されて、まだ真新しい駅舎だったが、被害を受けてベニヤ張り

不通区間のなかでは最も津波の被害の大きかった野蒜駅、まだ架線柱は傾いたまま

石巻方の代行バスの接続駅となる矢本。朝ラッシュ時、代行バスへ向かう乗客 ▲▲朝の代行バスは、3台続行で次つぎ発車、バスは近隣のバス会社から総動員している。中心はミヤコーバスだが、乗ったのは日本三景交通という貸切専業のバスだった

代行バスをはさみ仙台~石巻間を乗車すると、接続がうまく行っても2時間程度掛かってしまう。震災前は1時間20分程度であり、とくにラッシュ時のダメージは大きい。そこで、仙台~石巻間を東北本線・小牛田・石巻線経由で結ぶ臨時直通快速を朝夕に各1往復を運転している。この列車は途中ノンストップで小牛田にも停車しないため、1時間05分で、震災前より逆に短時間で走っており好評のようだ。

矢本駅に停車する石巻行き7723D列車、石巻方の営業区間は陸前小野~石巻間だが、代行バスの接続が矢本のため、矢本始発の列車が多い

不通区間の中では、とくに野蒜付近の津波被害が大きかった。震災当日、野蒜で交換直後の上下列車が行方不明になり、うち1本が津波で流された。地元自治体からは、高台への線路移設の要望も上がっており、現在、復旧工事は全く着手されていない。

ところが、青森からの帰宅後に、JR東日本仙台支社から、東北本線と仙石線を接続する計画が発表された。両線が近接している塩釜~松島間(東北本線)と松島海岸~高城町間(仙石線)を接続し、約400メートルの路線を新設するというもの。工事は、不通になっている仙石線の高城町~陸前小野間の復旧工事と並行して行い、2015年中の全線復旧にあわせて使用を開始とアナウンスされている。完成すると、東北本線と仙石線を経由した仙台~石巻間の直通列車が実現する。震災前より、さらに10分程度短縮する見込みである。東北本線が交流、仙石線が直流のため、気動車を使用する。出自の違いから、たまたま並行していた両線が有機的に結びつく訳だ。

8時9分、石巻に到着、かつては仙石線石巻駅と石巻線石巻駅は別にあって、乗り換えの際に戸惑ったものだが、今は統合されている(写真右)。秋の青空もと、駅前にバスがポツンと一台止まっている。左のピンク色の建物は廃業したさくら野百貨店の建物で、1階にスーパー、2階以上は石巻市役所として使っている。一見、平和そうに見えるが、震災時、駅前も1階部分が津波浸水にあったという

 

八月だ、もっと熱くなろう! 赤道直下のインドネシアSL撮影の旅 Part17          ジャカルタ鉄道博物館(Museum Transportasi)

第12日目 8月15日

① ジャカルタ空港 9:25(Bus)→10:50 カンプン・ランプータンターミナル
② 11:00(Taxi)→ 11:15 タマン・ミニ・インドネシア・インダー
③  タマン・ミニ・インドネシア・インダー14:30(Taxi)→18:04 ジャカルタ空港
④ ジャカルタ空港21:55(JL726)→7:25成田空港
⑤ 成田空港 8:27(京成アクセス特急)→10:18羽田空港
⑥ 羽田空港11:30(JL115)→12:35伊丹空港→長岡天神

今日から帰宅まではいつもの一人旅です。O氏からジャカルタには、鉄道博物館があって結構多くの蒸気機関車が展示されています。行って見てみる価値はあるよと入国時に聞いていましたので、行ってみることにしました。

と、いってもインドネシアで一人で行動するのは初めてです。どういって行けばいいのか分かりません。Taxi料金は安いと「地球の歩き方」には書いてありましたので、最悪Taxi。もしBus便が分かればもっと安いBusと決めて、空港内のバス乗り場で調べてみますと、鉄道博物館近くまで行くBusが見つかりました。

さすが国際空港です。切符売場では英語が通じました。切符(約210円)を買ってBusを待ちました。

10:50、乗ったBusはノンストップで鉄道博物館近くのカンプン・ランプータンターミナルまで直行しました。走行距離は約50キロ、所要時間は途中で渋滞もあり1時間25分でした。

ここからはTaxiですが、中国同様にメーターでは乗せてくれません。どこに行きたいかは地図で示して、料金交渉は数字を書いての筆談です。500,000Rp.提示を200,000Rp(約170円)に値切って交渉成立で向かいました。 続きを読む

八月だ、もっと熱くなろう! 赤道直下のインドネシアSL撮影の旅 Part16       PG.SRAGI(スラギ製糖工場)

神谷武志企画のテレマカシーツアー  第11日目 8月14日

am: Nirwana Hotel 7:30(約14キロ)→8:13スラギ製糖工場9:32→
pm: →(約115キロ)→14:47セマラン空港17:30→18:35ジャカルタ空港Jakarta Airport Hotel

今日は、神谷武志企画のテレマカシーツアー最終日です。A班とB班の行程を跨いで11日間は、私的には短い旅でしたが、初めてのインドネシアとあって見るもの聞くもの驚きの連続と、参加されておられた皆さんの撮影レベルが極めて高く大変勉強をさせていただきました。何よりも巨匠広田尚敬先生の衰えを感じさせない円熟なった鉄道への取り組み方には、今後の自分を見つけていく指針になりました。広田先生、企画をしていただきました神谷さん、そしてご参加されました皆様方、お世話になりまして本当にありがとうございました。

8:13、今日はいつもと違ってゆっくりとホテルを出てスラギ製糖工場へ着きました。
ヤード内では、3人乗り、4人乗りは当たり前のバイク(スクーター)が走っています。世界的に見てもインドネシアの二輪車保有台数は、中国、インドに次ぐ世界3位で、低廉で手軽な移動手段として需要が高いそうです。年間販売台数は、約800万台、9割を日系4社が占めていて、ホンダとヤマハがシュア争いをしています。売れ筋は、排気量100~125ccで日本円で10~15万円です。
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急ぐ時は 在来線に乗ろう

連日掲示板を占領してスミマセン。私の暮らす広島県三原市は山陽新幹線が停車する街なので、それなりの街だろうと思われるでしょうが、こと新幹線に関しては僻地並みの街です。JR西日本に知り合いがいないので、この掲示板に愚痴をこぼすことにします。時々、京都、大津に出かけるときに新幹線を利用するのですが、いつも腹立たしい気分で乗り降りします。九州新幹線開業や当地の乗降客減少もあって、度重なるダイヤ改正ごとに不便さが増しているように思えてなりません。上り下りすべての時間帯とは言いませんが、基本的に1時間に1本しか停まらないのです。例えば下りで例をとると、関西方面から三原に帰るときには岡山か福山で必ずこだまに乗り換えねばなりません。マアこれはよしとしましょう。この乗り換えが問題です。要は1時間に1本しかないので、中途半端な列車に乗ると随分待たねばなりません。大阪からさくら563号で16:31に福山に着くとすると17:22発のこだま749号まで51分待ちです。それではたまらないのでもう1本あとのさくら565号にすると17:03福山着で19分待ちでこだま749号に接続です。こだまは殆どが8両と長くなりましたが、1両に数名という感じです。これで目と鼻の先の三原にさっと着けば良いのですが、17:22に福山を出てノロノロと進み17:31新尾道着、「お急ぎのところ恐縮ですが、17:42の発車まで11分停車します」ということで、少なくとも2本の通過列車を待ち、やおら出発してまたノロノロと備後トンネルを抜けて17:49に三原着となります。営業キロ30.7Kmに27分かかります。表定速度68Kmです。もともとのさくら563号で16:31に福山に着き、山陽本線の465Mに乗り換えれば17:09には三原に着きます。まさに「急がば回れ」の世界です。のぞみの増発で長距離客は速くて便利になる一方でこういうことも起きているわけです。それではと他の交通機関にしようと思っても新幹線に乗るしかないので、苦々しい思いでキップを買います。隣接駅間は特定特急料金ということで福山-三原間だけ乗ると830円となっていますが、特急料金を返してくれと言いたくなります。競合路線の多い関西の私鉄ではかつて優等列車のあいだをすり抜けて走る高加速高減速のスーパーカーやラビットカーなどが次々登場し、サービス低下を抑えようとしのぎを削ったものでした。空気を運んでいるようなこだまに代わって、ロングシートの両開き車でもいいのでMc2両の高加減速ワンマン車を開発しようというようなアイデアは出てこないのでしょうか。15分程度なら座れなくてもいいのです。あるいは山陽本線に急行電車を復活させてくれた方が利用客が増えると思います。最近もうひとつ腹の立つことがありました。三原から確か新神戸以東に行く際に新幹線を往復利用すると三原駅駐車場が72H無料になるサービスがありました。田舎のこととて、駅に向かうにはマイカーか何千円かを払ってタクシーを呼ぶのです。関西に行くときにはこの72H無料(確か3000円分)は有難かったのですが、このサービスがなくなり 新横浜、東京往復のみになってしまったのです。まさに航空機との競争だけを考えて、どうせ他に手段のない関西行きの客は逃げないだろうという匂いがプンプンして気分が悪い昨今です。準特急さま、美しい日本はどこに行ってしまったのでしょう。うら若き女性車掌さんやみどりの窓口の女性に愚痴を言っても始まらないので、掲示板を利用させて頂きました。悪しからず。

青森写真展によせて      佐竹保雄

さまざまな方との出会いがあった一日だった

(佐竹保雄さんから青森写真展見学のレポートが届きました)

鉄道記念日の10月14日、南草津図書館の講演会も無事終わり、翌15日早朝、山科を出発して東京経由東北新幹線で、夜には青森に着きまし た。16日10時には同志社鉄道同好会OB会写真展「青森を走った汽車・電車」をギャラリーに見に行きました。

同志社校友会青森県支部事務局長桜 庭潔氏が、私に頭を下げて「京都から遠い青森までよくぞ鉄道の写真の撮影に来ていただき有り難うございました」と挨拶されましたのでびっくり しました。会場の道路側はガラス張りで外から中の写真がよく見え、特に入口左のD51重連のパネルは人目を引きます。この写真展は年代の古い道路側の写真がいいと多くの入場者が言っているとのことでした。

午前中は入場者はほとんど無く、同志社校友会青森県支 部顧問佐藤光彦氏(ブルーオーシャンKK代表取締役社長)を電話で呼び出してくれ、いろいろ楽しくお互いの学生時代の昔話をしました。午後にOB会の山田氏、夕方に津田氏が来る。入場者は10数人はあり、Hさん親子が私に会いに来てくれました。事務局長と二人のときは同志社大学のことやいろいろの話ができて大変楽しく、あっという間に17時になり退場しました。                                   雪のD51重連の大型ポスターが目を引く           ドアを入ると、そこには懐かしい写真があふれていた   

井笠バス 続々報

当地備後地方では井笠鉄道バスの突然の廃止が大問題になり、連日新聞、テレビで採り上げられています。廃止系統、廃止停留所、減便などをめぐり、丁度投票を控えた岡山知事選の争点にまで波紋がひろがっています。井笠のあとの運行継続を急に要請された中国バスさんも辛いことと思います。ところでこの中国バスは尾道鉄道の流れをくむバス会社です。まだ鞆鉄道バスも健在ですので、井笠、鞆、尾道と鉄分が残っている備後地域です。マア 一地方のバス路線のことなどには興味のない方も多いかと思いますので、このシリーズもこれで終わりにしますが、どういう展開になってゆくのかを見守ってゆくことにします。

中国新聞 福山エリア版

同日の中国新聞 井笠エリア版

クローバー会活動報告(最終回)

先日ご報告しました、草津市立南草津図書館における佐竹先輩の講演会に対しまして、本日、今井知春館長様より当会への礼状並びに記録写真三枚、第9回草津街あかりイベントのパンフレットをお送り頂きました。

お礼状の内容は、81名もの市民の方々が来られたこと、講演会の運営に会員が協力したことなどに対して感謝のお言葉です。

謹んでお手伝い頂きました会員諸兄並びに、全ての会員の皆様にご報告させて頂きます。

このような場を設営下さいました今井知春図書館長様には、改めましてお礼を申し上げます。
ありがとうございました。
                  同志社大学鉄道同好会クローバー会 会長 田野城 喬

左メニュー撤去のお知らせ

こちら管理人小西です。
掲示板改修後より、Firefox、ChromeではなくInternetExplorerを利用しているユーザーでは、正常に掲示板が表示されていないことが判明しました。
以前から左に表示されていたメニュー(左フレーム)と改修後の掲示板との相性が悪いのが原因でしたので、フレーム構造は時代に合わないなどその他の理由もあり、左メニューはこの際撤去しました。会則や沿革、活動記録、青信号へのリンクは、掲示板上部のメニュー「クローバー会」に移動しました。

また、現在コメントを投稿するには登録ユーザである必要がありましたが、FacebookやTwitterアカウントを持っていれば、未登録ユーザでもコメント投稿できるようにしました。

小湊・いすみ余話

このところDRFCイベントで盛り上がっている。このような時期に拙稿はどうかといささか躊躇していたが、意を決してデジタル元祖青信号[24168]ぶんしゅう旅日記さんの久留里線、いすみ・小湊鉄道撮影日記の追加を余話として報告したい。ぶんしゅうさんは中国、台湾、アフリカに続き、最近は赤道直下インドネシアの砂糖キビ輸送の蒸機を独特のカメラ・アイ、文章で発表されており、この調子で行くと日本の鉄道への興味はどんどん薄れていくのではないかと懸念していた。しかし、9月30日の房総3非電化鉄道撮影ではそのような心配は全くなく、内外ともに鉄道撮影への意欲倍増中とお察しした。

この日お約束した小湊の春・夏の風景やいすみの国鉄木原線時代を発表させていただく。

世の中便利になり過ぎてその弊害も指摘される昨今である。どなたか名前を忘れたが、その方が総理大臣になられた時のキャッチフレーズが「美しい日本」であった。私は簡易トイレはあるが、自販機もない不便この上ない上総大久保駅に何か忘れかけた「美しい日本」を感じた。 美しいとは勿論「風景」だけではなく「心」のこともいっていると思うが。

2011年4月10日 小湊鉄道上総大久保駅 養老渓谷行きキハ210 ↓

昔の日本の夏は朝晩涼しく、朝顔を眺めたり、午前中に夏休みの宿題をしたり、ほたるをとってきて蚊帳の中に放したり、それなりの風情があった。今は、特に都会では終日暑苦しくインドネシアの方がずっとしのぎやすいとのこと。上総大久保駅から五井方向に5分も歩けば大カーブが見えてくるが、夏の時期ご老人の撮影は熱中症予防に水や塩の用意はお忘れなく。

2011年7月16日 上総大久保~月崎 上総中野行きキハ211 ↓

小湊からいすみへの乗換駅上総中野。読者諸兄にもお馴染みのポイントであろう。

2012年9月30日 上総中野駅 左いすみキハ202、右小湊キハ204 ↓

1982年晩秋の同じ風景。大原からのキハ3557から小湊キハ212への乗り換えが終わった頃。左側の大きな木は少し育った感じだが小湊のキハはあまり変化はない。

1982年11月28日 上総中野駅 ↓

いすみの新車キハ300形クロスシート車。来年にはキハ350形ロングシート車が登場するという。

2012年8月19日 国吉~上総中川 大原行きキハ301+キハ302 ↓

新車より興味を引くのは、同社がキハ52125に続いてJR西日本よりキハ282346を導入し、10月21日には大多喜駅でボンネットバスとともに顔見世興行が行われることである。キハ52+キハ28はもう一つどうかなと思うが、またまた行かなくてはならない。続いて国鉄木原線時代の国吉駅でのキハ351、確かこのトップナンバーは総本家さんがどこかに発表されたと思うが、同社ではキハ30の導入の噂もありどうせならゆかりの車両を再現してもらいたい。

1982年11月28日 国吉駅 大原行きキハ351 ↓

最後に9月30日、国吉~上総中川間で大原行きキハ52125を迎撃するぶんしゅう旅日記さんの激写スタイルで締めくくりとさせていただく。↓

だんじり阪急踏切を渡る

阪急電車塚口駅の北側にある塚口神社の秋祭り。七つの町会に夫々だんじりがあり、阪急電車伊丹線の踏切2カ所、神戸線の踏切1か所を渡ります。

伊丹線塚口駅寄り踏切、先ず南町が渡りました。

続いて清水町が、伊丹線電車の通過後にわたります。それまで待機。

だんじりは画面左方向に進みます。踏切中央部が高く、滑り降り防止に棒ブレーキと人力で大変です。

南町のだんじりが阪急神戸線塚口駅西の踏切を渡ります。30分も前に着いただんじりが電車の合間を縫い、 多数の警官と阪急電鉄社員に見守られやっと通過です。このだんじりだけ2カ所、往復計4回踏切を渡ります。

10月14日日曜日、お昼前の阪急塚口駅近辺の様子でした。

京阪トロリーライン 揃い踏み

草津、大阪、青森とクローバー会の皆様は東奔西走の毎日で、次は11月11日のホームカミングデー、EVEと続くのですが その前に「浜大津 なつかしの写真展&鉄道模型走行会」がはさまります。スカイプラザ浜大津で10月27,28日、11月3,4日の土曜日曜のみの4日間です。浜大津ターミナルのジオラマはほぼ完成し、近日中に糸崎駅から浜大津貨物駅に向けてコンテナ8個で発送予定です。江若車両は昨年しっかり作りましたので今回の増備車はないのですが、京阪車両がないと格好がつかないため何両かを作りました。これにもまた大変なご支援を頂きました。ようやく京阪浜大津の役者が揃いましたので 写真にてご紹介致します。

左から20型、マキシマム台車の駆動にH君の腕をふるっていただきました。次は72号、びわこ、200型 これは昨年製作したものを動力化しただけです。右の2両は260型キットを350型に改造組立したものですが、またもH君に無理をお願いした秀作です。これ以外に4日間全部ではないにせよ 別の方から10型、20型、260型、ひょっとしたら80型も姿を見せてくれることになっています。そんなわけで クローバー会員はもとより、DRFC現役会員の皆様も是非京津線開業100周年の提灯行列に参加してください。

船場まつり2012(船場鉄道フェスティバル)無事に終わる!

初めての投稿です。見づらい箇所がございますがご了承ください。
10月12日(金)~14日(日)に行われた船場鉄道フェスティバルは無事に終了した。最終日は会場近辺で行われた「みどうすじカッポ2012」の影響もあり、1日で何と1340人の方にお越しいただけた。ここ数年の現役のイベントではおそらく一番の来場者数ではないだろうか。

先日行われた三条京阪イベントで当会の展示を気に入り、わざわざ京都からお越しいただいたご家族もいらっしゃった。当会のリピーター(再来場客)も年々増えており、嬉しい限りである。現在の実働会員数は約20名であり、少し余裕も出てきた。今後は鉄道模型展示だけでなく、研究発表や写真展示など他分野の展示発表にも力を注いでいきたい。現役会員の知識・技能を結集すれば必ずより豊かな展示発表ができるだろう。
「同志社大学といえば鉄道同好会!」そのように言われる日が必ず来ることを夢見て→お客様のみならず、会員もリラックスし、イベントを楽しんでいた。


 

→Bトレの展示。実はこの棚に並んでいるBトレのほぼすべてが、1人の会員の私物である。

→子どもも大人も鉄道模型にくぎ付け。最終日にはきかんしゃトーマス(トーマス、パーシー)も登場し、来場客を大いに喜ばせた。

クローバー会活動報告 (その2)

佐竹さん講演会の報告のつぎは、同時開催のクローバー会写真展in青森「青森を走った汽車・電車」の報告です。私は、10日に青森入り、11日の設営、12・13日の受付業務を、クローバー会会員および校友会青森支部員の協力で行い、東京での別業務を済ませて、昨晩戻ってきました。写真展は、まだ17日まで開催中、これから行かれる方のために、現地レポートをお送りしましょう。

        ▲人通りの多い青森・新町通りで、ひときわ目立つギャラリーNOVITA

写真展会場は、青森駅から歩いて5分で到着する地の利のよさ、コンパクトシティを目指す青森市の中心部にあります。都市中心部の空洞化とは無縁の、人通りの絶えない新町通りに面し、唯一の百貨店、さくら野百貨店の真向かいという絶好のロケーション。しかも会場は、全面ガラス張りで、白を基調にしたスタイリッシュな会場は、道行く人から注目度抜群です。ギャラリーというのは、内部の様子が伺えないと、入るのに抵抗感がありますが、ここは内部の様子が一目瞭然、吸い込まれるように会場へと入って行きます。

写真は、全部で51点、過去の写真、現在の写真に分け、おおよそ時代順に、2列に並べたものの、スペースがなくなり、急遽、通路にも並べることになりました。50年前の東北本線の蒸機から、2012年の「はやぶさ」まで、国鉄・JRあり、私鉄あり、形式写真あり、情景写真あり、白黒写真ありカラーありで、渾然とした写真展は、これぞ集団で行う写真展の魅力でしょう。

今回は、同志社大学の行事が青森県で行われたことに協賛して行われました。青森県の同志社大学への入学者は、2012年度たったの3名、全国最下位の入学者です。何とかこれを挽回したいものと、毎年、風間浦村で行われる新島襄碑前祭の翌日に、会場近くのホテルで受験生集めのキャンパスフェスタが行われ、その協賛行事として、同志社大学、校友会青森支部の後援のもとに行われました。

設営はクローバー会員、および校友会青森支部の皆さんにも協力していただいた。この期間に来場いただいたクローバー会会員は、準特急さん、ぶんしゅうさん、K林さん、埼玉の勘太郎さん

確かに来場者に、“京都にある同志社大学の卒業生が撮りました”と説明しても、なかなか大学の名まで意識が行かない様子。受験生にとっては、東京を通り越して、遠隔地へ行く必然性は希薄のようです。ただ、京都への憧れは、青森でも抜群のものがあります。青森は三内丸山遺跡に代表される古代遺跡はあるが、そこからの歴史がスッポリ抜けていると言っておられた方の言葉が印象的。京都のように連綿とした歴史のある都市は、畏敬にも似た憧れを持っておられる。受験生集めにも“京都にある大学”は必須の惹句になるでしょう。この写真展開催が、受験志望者の増加の一助になり、ひいては入学者の鉄道同好会入会の動機付けとなれば何よりです。

閑話休題-。来場者から出る質問に“青森に在住する卒業生が撮ったものですか”が多くありました。“ウンと昔に、京都・大阪から一昼夜、夜行に揺られて撮りに来たものです”と返すと、一様に“ヒェー”という声が返ってきました。

鉄道が元気だった時代に青春時代を送った、50歳以上の方からは、思い出話がつぎつぎと吐露され、中には展示した弘南鉄道のクハニ1263の特徴ある姿を見て、50年前まさにこの電車に乗って通学したと涙ながらに語る方もおられました。

時折、若い男女も来場、ひとつひとつをじっくり鑑賞していた

         ▲平日午前中でもこの賑わい、やはり中高年が圧倒的、女性客も多い 

         ▲灯ともし頃になると、いっそういい雰囲気になってくる。

         ▲52点の写真をほぼ時代順に配置、黒のマットが白い壁面に映えた

青森県の地元紙、東奥日報の要職にある方も同志社出身で、事前に校友会支部から取材を依頼、開催直後に取材があり、その翌日版に掲載された。

10/14 クローバー会活動報告(その1)

南草津図書館の会館10周年を記念するイベントが、鉄道記念日の10月14日に開催された。
この記念行事の一環として佐竹先輩の講演会が企画され、大人も子供も楽しいひとときを過ごした。

今回は、一般の親子連れが中心に集まるため、専門的な話よりもかえって難しく、企画段階から佐竹先輩、沖中顧問がかなり苦労されたことがうかがえた。スライドは、トーマスの絵本を交えて実写のSL写真を説明したり、半世紀前の地元写真と現在の草津付近の写真を交えたりして、新しく住み着いた若い人たちにも、子供達にも興味を持たせて飽きさせないようした気配りには感心した。

終わりにあたって、主催者の草津市から当会に対して懇篤なるお礼の言葉を頂いたことをご報告する。また、休みを返上して手伝ってくださった会員有志各位にお礼申し上げる。

お手伝い頂いた会員有志は以下の通り。
沖中(司会・進行)、玉田(模型運転担当)、弘津(記録写真)、井原(スライド・照明)、奥山、滝本、田野城、(敬称略)

話しに飽きた子供達には、壁を隔ててレイアウトとプラレールが用意されている。子供達へのサービスに努める玉田会員。ご苦労様でした。

八月だ、もっと熱くなろう!赤道直下のインドネシアSL撮影の旅 Part15 PG.SUMBERHARJO(スンバルハルジョ製糖工場)

神谷武志企画のテレマカシーツアー  第10日目 8月13日

am; Nirwana Hotel 6:30→7:52 スンバルハルジョ製糖工場→市内
pm; 市内→ スンバルハルジョ製糖工場 20:27→ 23:12  Hotel

▲ 集落の橋近くの揚げ物屋さんで撮影していたら集まってきた元気な近所の子供たち。お茶目な笑顔は小さい頃から得意のようです。

昨日晩かったにもかかわらず鉄ちゃん魂の入った猛者軍団は、早起きです。

5:30前には起きてホテルで朝食後の6時半には、スンバルハルジョ製糖工場へと向かいました。

機関庫前では、燃料の薪の運搬に皆さん総出で取り組んでおられます。
毎日消費する薪は相当な量です。どこで伐採して持って来るのでしょうかね? 続きを読む

井笠バス 続報

昨日 突如事業終了が公表されたため 岡山県西部と広島県東部で困惑の声がひろがっている。今朝の中国新聞も1面トップで扱っている。路線廃止まであと2週間ほどだが、引き継ぎ先も決まっておらず、 通学や高齢者の足が突然なくなる事態になりそうだ。道路運送法では廃止届は半年前に提出すべきとなっているそうだが、違反すると100万円以下の罰金も 会社がなくなれば取り立てられないということで、何の歯止めにもなっていない。全国の殆どの路線バス事業者が赤字経営に苦しんでいるわけで、いつどこでこのような事態が起こっても不思議ではない。

掲示板更新

管理人小西です。以前の掲示板システムの更新に加えて、本日テーマファイルの更新を行いました。

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以前使用していたテーマファイルは2002年度版”Kubrickカスタム”のため、今回適用した2011年度版”Twenty Eleven”では細部で見た目が異なります。できる限り以前の見た目・使用感に近づけるよう努力中ですが、気になる箇所などありましたら、こちらの記事にコメントをお願いします。