東欧のたび(その1)

10月12日より29日まで東欧に出かけきました。7月ごろから計画、手配していたため日程変更ができず、10月14日前後にはいろいろイベントがあったのに参加、お手伝いできず申し訳ありませんでした。

今回の目的は昨年行ったムスカウ森林鉄道で国際狭軌鉄道会議と言うのが開催され、10月14日にパレードがあるというのを知り、これを見に行く事、次にポーランドのポズナン近くに定期路線として走っているSLがだんだん縮小されもう1路線2往復しか走っていないとのことで、廃止までに一度見ておきたかった事。それにポーランド、スロバキアのローカル線に乗ってみたい、加えていろんなところに点在するトラムも訪問したいと今回も盛りだくさんの予定となりました。

国際軽便鉄道会議

国際狭軌鉄道会議の開催を知ったのは、ムスカウ森林鉄道のHPからです。かなり以前から載っていましたが、英語に翻訳されているのは開催されると言う事だけで、詳細のページはドイツ語しかありません。他のHPを検索してもムスカウ森林鉄道のHP参照となっているだけで、その開催母体も良くわかりませんでした。仕方なく30数年前のドイツ語の辞書を引っ張り出し読んだところ、10月14日がメインの日で、車両のパレードと、乗車体験があると言う事がなんとかわかりました。また英語訳では狭軌鉄道となっていたのが実は軽便鉄道の意味だったと言う事もわかりました。参加は登録制になっていましたが、単に撮影だけならかまわないだろうとぶっつけで行ってみることにしました。10月12日朝伊丹から成田経由でパリに行きパリで乗り換えまずはドイツのベルリンに入りました。翌日の午後、近くのコトブスに宿を取り、14日の日程がどうなっているのか開催地のヴァイスヴァッサーに行ってみました。昨年も行った森林鉄道の駅に行くと、駅はひっそりしていますが、周りの駐車場はいっぱい、キャンピングカーも留まっていて去年とは少し雰囲気が違います。少し歩いて博物館の方に行くと確かに22回国際軽便鉄道会議の標識が出ていて、名札をつけた人がいます。明日はどんな予定になっていると聞くとスケジュール表をくれました。これによると10時からパレードがあり、午後は13:20にバドムスカウ行き13:30にクロムラァウ行きのSL列車が運行されるとのこと、それだけ確認できればいいので宿に戻りました。翌日10月14日9時半に再び会場に行くと駅にはいっぱいの人が集まっていて、駅からバドムスカウ方面に列車が発車していきます。メイン会場は駅から少し離れた博物館のあたりで、そこにはさらに多くの人が集まっています。パレードが10時から始まることはわかったものの、どのような形になるのか見当がつきません。とりあえず、見通しのきく直線部分でカメラを構えて待ちました。何かアナウンスがあって、バドムスカウ方面からムスカウ森林鉄道の99 3312-8号が1両の客車と2両の貨車を引いてやってきます。

ムスカウ森林鉄道99 3312-8号

続いてチェコからやってきた99 3311号、ムスカウ森林鉄道の993317-7、ドイツビーレフェ

チェコから来た99 3311号

ルト近くにあるミューレンストロース狭軌鉄道の99 3462号と4台のSL列車がやって来ました。これに続いて様々な車両がやって来ます。

 

合計26種類の車両が2,3分おきにやってくる。これがパレードだったのです。内容は聞き取れませんが、列車が来るたびに車両の紹介がされます。車両はムスカウ森林鉄道のものが10種類、その他ドイツ国内はもとより、チェコ、フランス、イスラエルから来た車両もあるようです。

中にはロータリー式の除雪車のような珍品、バイク、自転車まであったのはご愛嬌でしょうか。もちろんどれもムスカウ森林鉄道と同じ600mmゲージのものです。パレードが終わった車両は、駅に集結、それなりに広い構内も車両で埋め尽くされました。その中でも主役はやはり4両のSLでしょうか。撮影会のために4両のSLが並べられ、一斉に汽笛と蒸気を吹き上げます。

一斉に蒸気を吹き上げる4台のSL

思い思いに撮影をした後、参加者全員で記念撮影があります。私もその中に紛れ込みましたが、参加者には東洋人らしいのは見当たりませんでした。

思い思いに撮影する参加者

参加者は昼食の後2班に別れてバドムスカウ行き、クロムラァウ行きの旅客列車で往復します。もちろん私はこれには参加できないので、この2本の列車を沿線で撮影しました。10時から2時頃までなかなか内容の濃い時間を過ごさせてもらいました。

クロムラァゥ行き旅客列車

ところでこの国際軽便鉄道会議の母体がどうなっているのか、もう一歩わからなかったのですが、どうもフランクフルトにある軽便鉄道博物館が中心となっているようです。ここのHP(http://www.feldbahn-ffm.de/feldbahntreffen.html)を見ると過去の開催地が出ています。第一回は1991年にフランクフルト軽便鉄道博物館で開催され、その後主にドイツ中心で行われていますが、オーストリア、フランス、オランダ、デンマークでも開催され、一昨年はルーマニアで行われています。規模としては全ヨーロッパ規模になっているようです。また、来年はドイツのケムニッツで10月11~13日に開催されることが決定しています。昨年ムスカウ森林鉄道を訪問したときは雨にたたられ満足な写真が撮れない事もあって、再訪したいと思っていた折、この開催を知り、ちょうどよい機会だと思い参加しましたが、なかなか面白い経験をさせてもらいました。またチャンスがあればこの開催に合わせて今度は正式登録した上での参加をしてみたいと思います。

 

2012年 秋のみちのく一人旅  Part8 C6120との対面

第8日目 10月16日

ウェスパ椿山 11:12(快速 リゾートしらかみ)→12:16 東能代
東能代 13:59→17:02 酒田 17:22→20:17 新発田 20:27→21:03新潟

 

▲ 東能代駅で予期せぬ出会いがありました。10月20日、21日と秋田~東能代を走行するイベント列車「あきた路」の試運転が行われていました。聞けば、機関士、助手とも初めての路線を走る場合は、5日間の試験走行が義務付けられているそうです。

昨夜は、久しぶりにゆっくりとできましたので熟睡でした。夜明けとともに起き上がり、昨日は入れなかった浜辺の露天風呂で日本海を見ながらの長湯をしました。
今日は、10:55にホテルを出る送迎バスに乗って駅へと向かいますので、十分に時間があります。朝食もゆっくりと食べて、出発時間までまた露天風呂に入りました。
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三山木駅は「みやまき」?「みやまぎ」?

 奈良の駅名研究家と名乗っている以上、適宜研究報告もせねばならない。記念すべき、駅名に関する初投稿内容は「三山木駅」についてである。
 さて、同志社大学京田辺キャンパス付近にはJR三山木駅、(近鉄)三山木駅があるが、同志社大学の鉄道ファンなら正しく読める駅名であることは間違いない。読み方は「みやまき」である。しかし、意外と大学生の中には「みやま」と濁点付で読む人もいる。駅名研究家としては、一般の方にも駅名を正しく読んで頂きたいという願望があるため、この間違え方はあまり気に入らないものである(だからこそ、私は全国の駅名を正しく読めるよう勉強している最中である)。
 そこで、次の写真をご覧いただきたい。これは某バス会社の「同志社大学正門2」停留所の行先案内である。「Miyamaki」と表記すべきものが「Miyamagi」となっている。ちなみに、このバス会社HPの運賃検索で「三山木駅」と入力するとしっかりと「みやまきえき」とふり仮名がふられる。
 「みやまぎ」と読む例もあるのか、ただの誤植なのか、真相は如何に。

↓「Miyamagi」は誤植なのか?

2012年 秋のみちのく一人旅  Part7 五能線 日本海に沈む夕日を求めて

第7日目 10月15日

① 弘前 9:02(快速 リゾートしらかみ)→10:53 深浦
② 深浦 18:18(快速 リゾートしらかみ)→18:32 ウェスパ椿山

【弘前からの帰路のルート選択】
当初の目的だった五能線のり鉄、「鉄道写真展in青森」、津軽鉄道弘南鉄道の乗り鉄と撮影は完了しました。後は自宅に戻るのですが、帰路のルートは決めていませんでした。失業者ですので何日に帰らなければならないという縛りはありません。ただ、「秋の乗り放題パス」 を使わなければ、旅費が莫大となります。また鈍行乗車で、連続3日間の使用といった制限もありますので、いかに効果的に使って楽しめる旅にするかで、迷っていました。選択肢は3ルートに絞りました。
青ルートは、かつて8620を撮った花輪線に乗れます。40数年経過した今、車窓をどうなったのか見てみたいと思いました。久しぶりに盛岡でわんこそばや、仙台でタン料理も食べたいと舌なめずりしました。
 緑ルートも40数年ぶりの奥羽本線に乗車できますので、紅葉には早いが山間の車窓を見られます。山形の美味しい蕎麦も味あえます。
赤のルートは、往路とほぼ同じですが、秋田~新潟は船便でしたので、笹川流れの車窓は見られませんでした。今回は、ゆっくりと車窓からの日本海を楽しめます。

迷いに迷った末に、赤ルートを選びました。決め手は時刻表を調べた結果、五能線での撮影と宿泊が可能だったということです。折角往路でロケハンをしていたのに行かないわけには行きません。青森の写真展で五能線の写真を見ていましたので、これを上回るものを撮ってみたいとの衝動にかられていました。
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大井川鉄道、臨時急行電車運転

去る10月27日(土)より、毎週土曜・日曜及び祝日に、元京阪特急電車を使用(原則)した臨時急行電車が1日1往復運転されています。行楽シーズンに合わせた期間限定、12月初旬までの13日間です。
途中停車駅は往路が家山、川根温泉笹間渡。復路は笹間渡、家山、新金谷です。元京阪特急車両は、今年4月初旬、運用中の車両故障発生後あまり運用されていませんでした。

10月27日(土)運用開始当日の往路。
大井川沿線は快晴、徳山の桜並木も紅葉していました。

復路、笹間渡の第一橋梁に夕闇が迫って来ました。

翌10月28日(日)、朝の各停として運用、曇り空の抜里を発車。

急行運転日は、各停として朝に1往復運転されていました。
金谷6:57――8:10千頭8:25――9:38金谷9:44――9:48新金谷
その後急行電車として運転です。
金谷11:32――家山11:55--笹間渡12:01――12:32千頭
各駅に案内と時刻ポスターが掲示されていました。
大井川鉄道ホームページにも下のような案内がありました。

11月11日(日)ホームカミングデーは現役生も熱い!

 11月11日(日)に行われるホームカミングデー(HCDと略されることもある)にて我々現役鉄道同好会が出展いたします。尚、当会はファミリー・子ども向けイベントを担当します。ぜひご覧にお越しくださいませ。

 11月11日(日) 10:00~16:15 至誠館23教室(S23)にて

展示内容
・鉄道模型走行展示(体験運転あり)
・Bトレ展示
・PV(プロモーションビデオ)放映(未定)
・青信号69号、バックナンバーの販売
・アルバムフォト写真展示(未定)
・ぬりえコーナー
・鉄道クイズ

諸事情により、当会は教室半分のスペースを使用することとなりました。展示スペースが狭いこと、ご了承願います。

企画責任者:奈良の駅名研究家

被災地の鉄道は いま -2-

仙石線で石巻へ行き、乗り換えて石巻線渡波まで向かう間、1時間30分の待ち時間があります。この間を利用して、石巻の被災状況を確認するため街なかへと出ました。駅前のメインストリートたる立町通は、もうすっかり復旧して営業店舗が続きますが、仔細に見ると、1階部分が壊滅した建物が見え隠れして、石巻の中心街も背丈程度まで水没したことが分かります。

石巻線

石巻の市街地を北上川の手前で右に折れて河口寄りへ行くと、途端にその状況は、厳しくなってきた。一面に荒廃した土地が続き、辛うじて残った家屋も、骨組みだけの伽藍堂、北上川を俎上した津波がすべてを奪い去って行ったことが分かる。

その先端に日和山がある。頂上の石巻城址が公園になっていて、市街地が望める。被災前の市街地写真が公園の柵に掲げられており、現況と対比できるようになっている。散歩中の地元の古老から、震災の状況をたっぷり聞くことができた。

真南に当たる門脇地区は一面の荒地、震災時は津波で壊滅し、火災も発生した。かつてはここに家がびっしり建っていた。奇跡的に1軒だけそのままの姿で残っている。海岸近くに積み上げられたのは被災自動車で、瓦礫は撤去されたものの、自動車だけはなかなか処分できないらしい。右手に伸びていた仙台臨海鉄道も大きな被害を受けた。

眼を北上川の市街地側に転じると、北上川に沿って被災地が続く。中央の中洲もすっかり建物が消えてしまったが、よく見ると、円形ドームの石ノ森章太郎記念館の横に、テントで覆われた建物が見える。これが、国内最古の木造教会といわれる石巻ハリストス正教会で、奇跡的に残って修復が始まるようだ。

石巻線は、小牛田-前谷地-石巻-渡波-女川の44.9キロで、小牛田~石巻間は、地震後すぐに運転を開始し、石巻~渡波間は、津波の被害を受けたが、今年3月に復旧している。石巻10:16発の1631Dで、列車で行ける渡波まで行くことにした。その先の海岸沿いを走る渡波-女川は今も運休中で、同区間には、列車に接続する代行バスが運転されているが、時間的に代行バスに乗って往復する無理で、2駅先の渡波まで行って折り返し列車で戻ることにした。

渡波~女川間は復旧工事に入ったが、女川駅付近は、駅を内陸部へ移転させる構想もあって抜本的な工事が必要で、まだ着手には至っていない。女川のひとつ手前の浦宿までが2013年度の開通とアナウンスされている。

被害を受けた石巻線だが、今年は、前身の仙北軽便鉄道によって小牛田―石巻間を開業してから100周年に当たる。12月には小牛田~石巻間でC11が引く「SL石巻線100周年号」が1日1往復運行される。

渡波の女川方、枕木の車両止めがあって、ここから先へは進めない。ワンマンカーの自動音声テープも「つぎは終着、渡波」と伝え、かなりの長期戦になると見ているようだ。

▲▲渡波駅前に停車する石巻線渡波~女川間の代行バス。JR東北バスによる運行。列車ダイヤに接続して一日8往復運転されている。続行便はなく1台のみの運行。

渡波駅舎。津波で浸水したものの、現在はその痕跡も感じられないほど駅前も復旧していた。端正なたたずまいの駅舎も、健在だった。

渡波に20分だけ滞在し、渡波10:37発の小牛田行き1632Dで折り返す。キハ48の2連、女川からの代行バスの乗客も乗り込んでまずまずの乗車となった。

前谷地に11:11に到着。駅は二面三線の標準的な構内だが、ここから、気仙沼線が分岐する。ホーム隣に待っていたのが、気仙沼線柳津行きのキハ110単行(右)

 

大阪通信員だより 井笠鉄道バスの巻

突然の発表であったが、井笠鉄道バスが10月末をもって会社破綻により廃業する。通信員宅のそば千日前通を日に三往復してきた神辺・笠岡~大阪(上本町)間の井笠鉄道バス「カブトガニ号」も見られなくなる。鉄道の名前がついたバスで、いつも懐かしく眺めていた。いっとき近鉄グループに入っていたので、井笠の高速バスや観光バスも色遣いに近鉄観光バスの面影を残している。旧新山駅跡にある井笠鉄道記念館(カブトガニ号新山下車すぐ)を訪ねたいと思っていたが、引き継ぐ中国バス(両備グループ)で行かねばならない。記念館はどうなるのだろう。
話のついでに45年ほど前と数年前の千日前通の同じ場所での画像をご覧いただく。地下鉄千日前線と近鉄難波乗り入れで道路が拡幅される前の活気ある風景と、天皇皇后両陛下がすぐ近くの国立文楽劇場に行幸されたときの通行規制状況です。11月25日には大阪マラソンも走ります。クローバー会員で参加される方はありますか。投炭や給水の応援いたします。


 

2012年 秋のみちのく一人旅   Part6   リンゴ一杯の弘南鉄道 大鰐線

第6日目 10月14日

① 弘前中央 8:00→8:18 義塾高校前 12:46→12:51 石川プール前
② 石川プール前 6:36→16:42 義塾高校前(徒歩)→16:52 石 川17:09→17:15弘前
③ 弘前バスセンター 17:50(Bus)→18:05 土手町十文字

【津軽フリーパス】

昨日、今日と切符は「津軽フリーパス」を青森駅で買い求め利用しました。弘南鉄道の1日切符だけでも1,000円しますので、青森→弘前の切符650円が安くになります。沿線のバスや、今回は行きませんでしたがフリー切符のない津軽鉄道(金木往復1,060円)にも使えて安くて便利です。乗り鉄には便利ですが、撮り鉄をする方には2日間はすこし足らないようです。 続きを読む

2012年 秋のみちのく一人旅   Part5   リンゴ一杯の弘南鉄道 大鰐線

第5日目 10月13日

① 青森9:08→10:11大鰐温泉
② 大鰐10:30→10:58弘前中央11:30→11:44津軽大沢13:44→13:57石川プール前
③ 石川プール前16:38→16:58弘前中央

▲ 弘南鉄道大鰐駅では、可愛い園児たちが遠足へと電車に乗って出かけようとしていました。乗客激減で廃止の噂が絶えないローカル私鉄ですが、園児にとってはお友達とみんなで一緒の大事な”でんしゃ”です。

 


朝、総本家さんと津軽新城へ行こうと約束したのにまた不覚にも寝過ごしました。急げば間に合ったのですが、窓の外を見ると、激しくアラレが降っています。今は出られないと、行く気をそがれてしまいました。

悪天候が収まってからバスに乗って青森駅へと向かいましたが、着く頃には、天候は一転してまばゆいばかりの青空が拡がってきました。 続きを読む

大阪通信員だより 浜大津の巻

日本晴れの10月27日、浜大津スカイプラザへと向かう。一年ぶりの再訪である。京阪電鉄京津線開業百周年の写真展と模型運転会が行われているのだ。訪れた目的は、クローバー会西村雅幸氏の新作による江若鉄道・京阪電鉄京津線の浜大津駅の精巧なジオラマを見学するためと会場警備である。

昨年は、江若鉄道三井寺下駅構内の忠実な再現と今津駅にいたるジオラマであったが、多数の要望に応えて今年は浜大津駅が主役となった。昭和中期の複雑な浜大津の駅と線路はもとより周辺の街並みを細かく再現したものである。江若線・京津線の車輌も在籍車をほぼ全て揃えてある。江若の車輌は狭い窓が多くならび、それも二段窓だ。カッター片手に奮闘される老眼を寄せ付けない西村氏の姿とあきれを通り越した奥様の様子が浮かぶ。
十人近い江若OBの古老やご家族も見えられ、回転する転車台や開閉とともに警手が飛び出してくるカラクリ踏切を見て、警手は?ちゃんやったなあ!このあたりで大ケガをした仲間がいたんや!など話の花が咲いていた。この後でOB昼食会があるとのこと、これも昨年の催しが種をまいたのだらう。もちろん通信社の取材もあり、京都新聞社をはじめとして数社の小姐記者が西村氏をアタックしていた。当クローバー会会員もヒマのある方が随時来場され、感心している様子だった。

通信員も、警備をお手伝いすることで、西村氏の楽屋裏をのぞくことができ、ジオラマ製作途上の走り書きから経費明細まで雑多な資料を几帳面に保存されたファイルを拝見した。エンジニア気性がほとばしるものであった。
なお、昨年の江若展をご覧になった「レイル」誌の前里孝編集長が、是非とも江若特集をと企画されクローバー会福田静二氏の暗躍を得て、「レイル84号」として今月発刊されている。江若鉄道の記録の集大成として、クローバー会会員の記事や写真の実力をめでるものとして、是非一家に一冊購入いただき書架のこやしとしていただきたい。

催しは11月3日4日にもおこなわれるので、詳細は掲示板25486号を精読ください。
「そうだ浜大津いこう!」

 

2012年 秋のみちのく一人旅  Part4 奥羽本線撮影、鉄道写真展in青森

第4日目 10月12日

① 青森 7:37(JR)→7:4 6津軽新城
② 戸田見通 11:42(弘南バス)→12:05 青森

「鉄道写真展in青森」の準備も終りましたので、総本家さんに了解をいただき、準特急先輩のお奨めの 奥羽本線津軽新城から南方面へと撮り鉄に出かけました。
歩くこと約30分余りで撮影地に到着しました。山間に築堤があってなかなかの撮影地です。
8:31、最初に来たのは「快速リゾートしらかみ」の弘前までの回送です。

▲ 続いては、コンテナ貨物ですが20両もの長編製でフレームに入りきれません。この後もコンテナ貨物はよく来ました。いずれも長編成です。これ程、貨物輸送があったとは、気づきませんでした。
▲ 9:42、今日の本命の「特急あけぼの」が参りました。電源車を入れての9両編成ですが、綺麗に全編成がフレーム収まりました。

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あの感動を再び! 浜大津イベント明日開幕

昨年、多くの人々に感動を提供しました江若鉄道をふり返るイベント第2章の「浜大津駅」が、今年も明日からスカイプラザ浜大津で開催されます。会場には、西村君が苦労を重ねて製作されたかつての「浜大津駅」がジオラマで再現されています。問題だったクロスポイントは林君の超力作でもあります。これは他では絶対に見られません。
会員諸君、是非とも会場にお運びいただき、力作をご覧ください。
開催日は、10月27日、28日と、11月3日、4日の土日のみです。
皆様方のご来場をお待ち申し上げております。よろしくお願いします。



2012年 秋のみちのく一人旅  Part3 弘南鉄道弘南線、黒石線、鉄道写真展in青森

第3日目 10月11日

① ホテル(徒歩)→弘前 10:00(弘南鉄道)→10:29 黒石
② 黒石 10:50→11:00 津軽尾上 12:30→12:48 弘前
③ 弘前 12:56(JR)→13:48 青森

▲ 平賀駅の改札鉄柵によじ登って、ED333の入換え光景を見ていた坊や。自分にもこういった時がありました。41年経った今、この子は鉄ちゃんに育ったのでしょうか?

朝起きて、窓の方を見ましたらまだ明けている様子はありません。まだ早いかなと思いながらゆっくりとシャワーを浴びてからTVをつけると、何と7時半です。嘘だろう、まだ暗いじゃないか。どうして?と、カーテンを上げると、すっかり明るくなっています。よく見ますと、寝る前にピッタリと閉めたカーテンは、遮光ロールスクリーンになっていて日中でも部屋内を暗くすることができるようになっています。おまけに目覚まし時計をセットするのを忘れていました。今日乗車する列車は8:09発で今からの用意では、駅まで遠いので間に合いません。翌日の移動に便利な駅近くのホテルにすればよかったと嘆いても始まりません。朝から大失敗です

大湊線に行く次の列車は、10:21発。復路時間を調べると青森着は16:06となって、今日のイベント準備お手伝いには遅すぎます。これでは大湊に行くわけには行きません。
気を取り直して、リンゴを求めての弘南鉄道ロケハンに切り替え、後の移動に便利なように弘南線黒石まで行くことにしました。
ホテルで朝食を食べてから駅に向かいましたが、雨が降ってきました。上手くいかない時は、こんなものです。傘をさして駅までトボトボと歩きました。
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青森余話

「クローバー会写真展in青森」も無事終了した。この写真展で嫌な顔一つせずに頑張った総本家青信号特派員さんはその後「ダイレクトに行って帰っただけでは鉄道ファンの名が廃る」と「東日本被災地の鉄道は今」を発表されている。私も写真展の前後に少しばかり撮影してきたので発表したい。

かつて青森駅は数々の優等列車が発着し、賑わいをみせていたが、今は津軽海峡方向を除けば寂しい限りである。そのような中、昭和の面影を残す唯一の本州内定期ブルートレイン「あけぼの」の発車待ちの姿を夜間撮影した。18時22分発で写真展終了後の宴会前の丁度よい撮影時間帯でこのためわざわざ三脚を持参した。2012年10月12日2022列車EF81139[青森車両センター]↓

青森から二つ先の奥羽本線津軽新城は手頃な撮影地。と言っても30分ほど歩く。このお立ち台は2度目でみちのく一人旅 のぶんしゅう旅日記さんをご案内する。二人以上で撮影すると気が散っていい写真が撮れないことがある。この日も「あけぼの」登場前にクラブのこと、海外旅行の話、はたまた神足会の話題などを喋くりまくっているうちに列車がサーと現れる。このあたり2~4両編成が多い中で寝台特急は長編成である。急いで望遠から広角に戻すもピンボケ。地元の人に声をかけられたり、あまり喋っていると失敗が多いが、プロでもないので、私は気の置けない仲間との撮影の方が好きだ。2012年10月12日津軽新城~鶴ケ坂2021列車EF81139[青森車両センター]↓

青森から上りの「あけぼの」は上越線経由で上野着は6時58分のラッシュ前。都心に近い家の建て込んだ所を避けるには初夏の日の出の早いころ高崎近くが望ましい。私は2年前の朝3時に車を出して、これもお立ち台のオカホンこと、岡部~本庄間で撮影した。2010年7月20日AM5:35 2022列車EF641031[長岡車両センター]↓

青森駅構内では連絡船に貨車を詰め込んだり、引っ張り出したりするキューロクの姿があった。写真展開催中に元国鉄の方からT先輩の 写真を見て、「キューロクは後ろに無蓋貨車をつないでいたが、これはキューロクが誤って連絡船の中まで入って行って船が沈んでレールに段差ができて戻ってこれないと困るので緩衝役としてつないでいた」とおっしゃられた。これは何という形式の貨車であったのであろうか。宇高連絡船にも同じものがあったのであろうか。戦前の稚泊航路(稚内~樺太大泊)はどうであったか。関釜連絡船は両岸ではゲージが異なるのでなかったのではないか。台湾は遠過ぎて連絡船の制度はなかったのではないか。何れにしてもよくわからないのでどなたか教えていただきたい。私の撮影は1965年8月31日早朝の9665で後ろの貨車は緩衝役なのか普通の無蓋車なのかよくわからない。T先輩には今回の写真展PRにも使われた雪のキューロクを拝借した。↓

最後の締め括りは青森駅で撮影中の総本家青信号特派員さんの勇姿。勇姿というよりも連日の準備作業等でお疲れ気味の撮影姿かもしれない。いろいろとご苦労様でした。2012年10月12日青森駅の青い森鉄道クハ700-4↓

 

 

 

2012年 秋のみちのく一人旅  Part2 秋田臨港鉄道、五能線、津軽鉄道

第2日目 10月10日

① 新潟 23:30(新日本海フェリー)→5:50 秋田フェリーターミナル(徒歩)→6:35 土崎
② 土崎6:41→6:48 秋田 8:25(快速リゾートしらかみ)→12:06 五所川原
   津軽五所川原1 2:35(津軽鉄道)→13:11 津軽中里 14:25→14:48 毘沙門
15:49→
16:05津 軽五所川原  
③ 五所川原 16:11→17:01弘 前

▲ 5:50、一晩でしたが船旅を楽しみ、朝焼けの秋田港には定刻着きました。
快速リゾートしらかみに乗車する秋田駅に向かうまでは十分な時間があります。目の前のある秋田臨港鉄道を見てみたいと下船してから向かいました。

秋田港駅は、1907年(明治40年)開業と古く、約105年の歴史をもっています。 続きを読む

2012年 秋のみちのく一人旅  Part1 北に向かって

第1日目 10月9日

① 長岡京 8:10(快速)→8:17 京都  8:22(新快速)→9:50 敦賀
② 敦賀 9:53→12:25 金沢
 13:42→14:37 富山 15:05→16:56 直江津
③ 直江津 17:31(快速くびき野)→19:29 新潟/
新潟駅  20:42(Bus)→
④ →20:58 末広橋(徒歩)→21:20 新潟港フェリーターミナル23:30→


インドネシアから帰国以降は、青春18きっぷを使って、北タンゴ鉄道、北条鉄道、三岐鉄道、播但線、加古川線等々、近辺のローカル鉄道の秋の撮影への新たな撮影ポイントを求めてのロケハンを続けて参りました。また大好きな中国鉄路の終焉を迎えている蒸気機関車を求めての長期撮影の旅も計画が出来上がりました。航空券の手配も終えていましたが、現地での反日運動の勃発激化が同行者のヤル気を失い、家族からもいつもと違って心配で安心して送り出せないとの状況になって、やむを得ず延期を強いられてしまいました。

ガックリとしていましたが、その前に予定していました大事なクローバー会の「鉄道写真展in青森」があります。お手伝いがてらに出かけるて見ることにしていました。当初は久しぶりにぶんしゅう7号に乗って北上を目指すつもりでしたが、都合で使用できなくなりました。お誘いしておりましたS崎先輩申し訳ありません。
車が使えないので、向かうに行くについて安いきっぷはないかと探してみますと、今年は、10月6日~21日まで利用できる「秋の乗り放題パス」が発売されています。ただ、青春18きっぷと違って、バラバラ使用ができない連続3日間使用との制限が設けられていて、1日当りの単価運賃も少し高い(7,500円÷3日)です。しかし、これを使用するしかわずかな収入しかない年金生活者には無理だろうと決めました。

出発日は、これも都合で10月9日となりました。鈍行で行く長岡京から青森へのルートは東京圣由と日本海沿いがありますが、どちらのルートを選んでも途中で泊まらなければなりません。どこで泊まろうかと考えていますと、北の大地に行った時の船旅が思い浮かびました。ビジネスホテルは4,000円前後は必要です。それなら新日本海フェリーに新潟~秋田の乗船で、移動と宿泊、そして船旅も味あえます。運賃は、4,000円とリーズナブルです。
秋田には5:50に着きますので、五能線や津軽鉄道にも乗車してのロケハンが出来ます。
これでおおよその予定ができましたので、後はインターネットのNAVITIMEで確認をとりながら詳細を詰めていきました。
▲ 青森手前の弘前までのルートです。切抜きの赤文字は乗継駅です。Busも入れると乗り継ぎ回数は14回でした。既にこのルートで行かれた方もあろうかと思いますが、青春18きっぷでの旅にも応用できますので、一度お試しください。
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蒲田の電車?

先日終わったNHKの朝ドラ「梅ちゃん先生」は、タイトルバックが楽しみでした。
そのタイトルバックは精巧にできた蒲田の町並みのジオラマで、人気があったようで、ジオラマを作った方が東京で作品展を開くとのニュースが、今日のネットで流れていました。

> NHK連続テレビ小説「梅ちゃん先生」は好評のうちに9月末で終了したが、そのタイトルバックに使われたジオラマ(立体模型)が、日本橋高島屋(東京都中央区)に展示されている。制作したのは、懐かしい街並みや庶民の暮らしをいきいきと再現するジオラマ作家、山本高樹さん(48)。初の本格的個展「昭和幻風景 ジオラマ展」が同店8階ホールで開かれている。<

毎日気になっていたのは、ジオラマで国電のような茶色の電車が2両で鉄橋を渡るシーンがあるのですが、この電車は何か?と言うことでした。窓は2段の引き上げ式、クハとクモハでどちらも2扉。場所は蒲田ですから国電か目蒲線でしょう。時代は昭和30年頃という設定ですからもちろん私は知りません。
このタイトルシーンは数組あるようで、夜のシーンでは、窓が少し大きく、はめ殺しのR付のようにも見えました。模型が2セットあるのかもしれません。

さて、この電車はなんでしょうか?推理できないでしょうか?教えて下さい。