▲右のガラス張りが写真展会場のNOVITA、青森の中心部、人通りも多い
▲会場NOVITAの内部、右の壁面が展示スペース、外を行くバスもよく見える
▼会場への道のり、駅からまっすぐ5分、さくら野百貨店の向かい
青森写真展が目前に迫ってきました。昨日、準備作業も終わり、写真を梱包して青森へ発送を完了。あとは、11日の設営を待つだけです。私は例によっての極貧旅で青森へ向かいますが、今回は、震災後初めての東北入りともなりますので、被災地の様子も見て行きます。
青森展の盛り上げの一助になるかは分かりませんが、何回かの青森行きで撮った写真の中から、惜しくも選に洩れた?写真の数々を、ランダムにご覧いただきましょう。
日本一の機関区、青森区
青森県を初めて訪れたのは、昭和43年8月、大学一年生の時だった。当会の龍ケ森での狂化合宿のあと、北海道へ向かうため、青森駅に降りた時である。ところが、連絡船のことばかりが気掛かりで、青森駅では撮影どころではなかった。列車が青森に着くと、脱兎の如く連絡船通路を走って連絡船改札へ向かった。連絡船は定員制だから、混雑時は積み残しの可能性もあり、以後のスケジュールに狂いが生じてしまう。東京~北海道の旅客のほとんどが連絡船を利用する時代、それほど左様に連絡船の混雑は激しかった。
だから、青森でゆっくり撮影できたのは、北海道からの帰途時だった。昭和43年8月の時も、まず機関区へ向かった。東北本線完全電化の直前で、青森機関区の蒸機は65両、小樽築港、門司を押さえ、日本一の蒸機配置区だった。ところが、大規模機関区の例に洩れず、駅からは見えないぐらいに遠い。長旅で痛む足を引きずって、やっと区に到着した。
ただ、実態は、電化直前のため休車も多く、国鉄争議のため蒸機の整備も良くなく、形式写真の決めも撮れないままで、青森区の最盛期は過ぎていた。
早々に退散し、駅へ戻ると、青森駅構内改良工事のため、列車はすべて運休で、奥羽本線では、次駅の津軽新城からの特発で、代行バスでの移動となった。このため、長い間、青森~津軽新城間のみが未乗区間として残っていた。
▲この地区としては珍しい長工デフのD51281 「青森」の標示も見える
▲形式写真としては、これぐらいしか撮れなかった C6010
▲落書き機関車の典型、石灰で書いた落書きとアジビラ
▲梅小路蒸気機関車館でいまも保存中のC612も団結号になっていた
▲その中でもC6030は美しく整備されていた 小デフつきのC6030
▲ラウンドハウス内部から見ると、絶えずターンテーブルに乗る蒸機が見えた
▲北国らしく、扉つきのラウンドハウスだった。本州では比較的珍しい