2011年冬から春への中国鉄路の旅 Part13 芭石鉄道 芭沟~蜜蜂岩

第11日目 3月4日

①蜜蜂岩6
:45(芭石鉄道)→7:25芭沟
②芭沟站 7:10(徒歩)→19:00蜜蜂岩站



昨夜は9時過ぎにバタンキューで寝てしまいましたので、朝5時半には起き上がれました。今日は1番列車に乗って芭沟に行き蜜蜂岩まで徒歩での撮影予定です。幸いにして、足の状態も良くなってきました。しかり無理は禁物ですので、様子を見ながらとしました。
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2010年 早春の中国一人旅 Part7 芭石鉄道 芭沟~菜子埧

第8日目 2010年3月9日

① 蜜蜂岩站6:32-(第1次)→7:10芭沟站
② 芭沟站-(徒歩)→焦埧站-(徒歩)→仙人脚站-(徒歩)→菜子坥站
③ 菜子坥站16:10-(第3次)→16:25蜜蜂岩站

昨夜は、大牟田市から来られたA・Kと、犬山市から来られたM・O氏、そして、芭石鉄道を案内してもらうために、遠く寧夏回族自治区の銀川市から、ご両名が呼びよせた、鉄ちゃんでもあるツアーコンダクターの鄧有貴さんと一緒に、中国鉄路の撮影談義に盛り上がりました。

A・K氏は、1993年から中国鉄路に魅入られ、30回以上も訪中して、撮影を続けておられる猛者。M・O氏は、6回目ですが、熱意たるもの相当な方でした。

鄧氏とは、以前からインターネットで知り合い、今回も日本人2名を引率して来られる事を確認済みでした。しかし、お会いするのは、初めてでした。中国鉄路のSL撮影専門のツアーコンダクターで、今まで数多くの日本人を中国各地に、案内されておられ、経験豊富です。

従って、最新現地情報は、熟知しておられますので、もし訪中される方がいらっしゃいましたら、ご指名されると良いと思います。費用は、それなりに必要ですが、何処へでも飛んで来てくださいます。
▲ 馬氏は、英国人の案内人です。英語が堪能な方は彼を、日本語のみの方は、鄧さんをご指名してください。どちらも、甲乙付けがたい熱心な鉄ちゃんです。

ご両名は、上海で合流されて、成都までは、空路で入られ、1週間のご滞在です。お二人ともビール好きで、昼間から水のように飲んでおられました。私も好きですが、今回は、長く歩くので、年齢を考えて、撮影後の楽しみにしました。

▲ 7:22 第1次、芭沟站到着。7:38、折り返しの下り列車、第1トンネルを出る。右側の小屋は、列車が走行する際に、トンネルに人が入らぬように注意するトンネル番人です。踏切番と同様に、通過時には何処からか現れます。

今日も一緒に始発列車で出発、芭沟を目指しました。朝の天気は、いつもと同様の雨です。ご両名とは、芭沟站で別れ、私は、第1トンネルを抜けた場所で、折り返しの石渓行き列車を待ちました。

撮影後は、朝食を食べに、芭沟の青空市場に行きましたら、食堂で、またお会いしました。小さな町ですので、食べに行く所は、まあ決まっています。お粥とマントウで3元=約42円です。昨日の朝食より、雰囲気もよく、美味しく格安でした。
▲ 魚、肉、野菜等々の朝市が広場で開催されます。芭石鉄道沿線の人々は、ここで新鮮な食料品を調達します。

他に、ミシンを持参して、靴や衣類の製造や修理もやっていました。

ご両名が、定番の撮影地、溜池に先に向かわれた後、青空市場を散策していたら、突然にSLの汽笛が聞こえました。どうやら、不定期の貨物列車が、今日は運行されたようです。站へと急ぎ、売店で通過したのを確認後、第1トンネルに向かうと、どこからか、踏切番が現れて、踏切の遮断機が降ろされていました。

折り返しの列車は何時に来るのかを聞きましたが、直ぐに来るだけの返事です。トンネル上に登って、待ちました。

9:18、石炭列車、芭沟を通過。芭石鉄道の踏切遮断機は、全て手動式です。

次の撮影予定地は、上り列車が、第2トンネルを出た所です。少し長い第1トンネルを地元の人と一緒に抜けて、向かいました。ここでは、トンネルも日常の生活道路です。

▲ 10:58 第2トンネルを出る、上り第2次▲ 11:16、第1トンネルを出て、第2トンネルに向かう下り第2次。

今日は、足の痛みが、幾分消えました。しかし、無理は禁物です。ゆっくりと歩き、昨日、休憩した焦埧站に、11:40到着。中国語を教えていただいた雑貨店のおばさんは、近所の人3人で、何か分りませんが、中国版花札のような物で、遊んでいました。この辺りでは、2人寄れば、トランプ、3人寄れば花札、4人寄れば麻雀をする。成都に近づくと、麻雀の音がするというぐらいゲーム好きな人々が多いそうです。

焦埧站から約8分で、観光列車のみ停車する溜池の站に到着しました。
芭石鉄道一の大築堤がある撮影地の山を登ってみましたが、最高部まで行っても、背景に菜の花畑はありません。
そうなんです。菜の花は、種を秋に蒔かないと、咲きません。毎年、菜の花畑の位置は変わっています。残念ながら、今年この地区には、種が蒔かれなかったのです。

今日も撮れる列車は、後3本です。買っておいたソーセージ等で昼食をとりながら、ここで撮ろうか、どうしようかと思案しましたが、今回はパスしました。

再び、徒歩でのロケハンを続けました。気に入った撮影地は、第4トンネルを出た背景に菜の花畑が見える場所でしたが、約2時間半もあります。時間つぶしが必要です。仙人脚站まで歩き、焦埧站と同様に、駅構内の雑貨店前の椅子に腰掛けて、寒くなってきましたので、火鉢にあたりながら、おばさんとの中国語勉強を始めました。

▲ しばらくすると、どこからか、地元のイケメン高校生がやってきて、バトンタッチです。聞けば、今日は学校が休みで、犍為の寄宿舎から自宅に戻ってきていると言います。

芭石鉄道沿線には、小学校が菜子坥站近くにありますが、中学校以降は、石渓站からバスに乗って犍為の町まで行かないとありません。授業時間は、8:00~21:00までですので、自宅からの通学は無理です。学生は、寄宿舎で合同生活をします。

彼との会話は、自己紹介に始まり、何処から何をしに来たか、学校で勉強した日本を、いろいろと聞いてきます。分らない言葉は、電子辞書を開けて、ノートに筆談です。

丁度、撮影に良い時刻になった頃、彼の友達が呼びに来ました。再見と次回の再開を約束して、撮影場所に向かいました。

▲ 15:20 上り第3次の撮影が終わった後、次の撮影地の菜子埧站までの、約2キロ強を約40分余りかけて、ロケハンしながら歩きました。

菜子埧站到着の菜の花畑の下り第3次を撮影後、すぐにその列車に乗車して、蜜蜂岩站に戻りました。

▲ 16:18 蜜蜂岩站到着。この站でのの撮影を忘れていましたので、第4次も含めて、発着を撮りました。

まだ、ご両名は撮影に没頭されているようでしたので、1本3元=約42円ビールを飲みながら、待ちました。今夜も4名だけの宿泊客の民宿です。

もう少しは、芭石鉄道での撮影を続けたかったのですが、既に明日のホテルを予約しています。鉄路切符も購入していましたので、予定変更が出来ません。今回、撮れなかったシーンは、来年に残しておこうと、決めました。

民宿の主人に明日の出発を伝えて、宿賃を支払いましたが、4泊と1朝食4夕食の合計は、210元=2,940円でした。ここに来るには、大変な苦労が必要ですが、短期滞在だけでしたら、多少散財しても、福澤諭吉さん1枚でお釣がきます。

この夜は、撮影した画像を見せ合いながらの昨日にも増して、盛り上がった夕食兼宴会タイムでした。 Part8 へ続く