EF55 さよなら運転

1月19日の【同軌講717】でロギング太郎さんよりご報告の通り、1月18日の「さよならEF55横川」号をもって営業運転を終了した。10月18日【738】でEF55の営業運転終了についてお知らせをしたが、最終日には是非見送りたいと思っていた。「さよなら運転」は12月に5回、1月に入って5回、計10回行われ、そのうち3回出かけたので、その時の模様等をお知らせしたい。

12月13日(土曜日)

この日は「さよならEF55みなかみ号」として高崎~水上間を運転された。たまたま高崎で仕事があり、先方とのアポが11時のため、新前橋~井野間で撮影した。赤羽駅7時過ぎの電車で出発したが、車内は一目で「鉄」とわかる乗客でほぼ満席、団塊の世代位の人が多く、中には「親子鉄」とおぼしき人もいた。高崎で107系や115系を少し撮影後、新前橋まで行き、井野寄りの陸橋で撮影した。EF55は単機で「磐越物語」用の12系客車を引いて通過した。時間があればもっと奥まで行きたかったが、今回はここで我慢せざるを得なかった。翌14日は水上まで行く予定をしていたが、朝から悪天気のため断念した。この日の水上は吹雪であったそうである。

 

         「さよならEF55みなかみ号」 新前橋~井野

1月16日(金曜日)

この日は、翌日上野発横川行で運転される「さよならEF55碓氷号」の送り込みが行われた。先頭にはEF641001が立ち、EF55は次位であることは判っていたが、たまたま休みが取れたので出かけた。赤羽駅を7時過ぎの電車に乗ったが、沿線には早くもカメラの列が見られた。取りあえず岡部で降り、通称「岡・本」で撮影しようと思ったが、激込みの様相であったので、深谷方面に戻った陸橋で撮影することにした。通過まで2時間以上もあるのに陸橋上には、すでに20名位の人がいた。電車や貨物列車が結構頻繁に通過するので退屈はしなかったが、電車にカメラを向けていた人は殆どなく、貨物列車にも無関心の人が多かった。人それぞれであるが、大半の人は「送り込み列車」の撮影のみが目的なのだろう。通過時刻が近付くにつれて、ますます人が多くなり最終的には80名位になり、パトカーが巡回する始末であった。

 

   翌日上野発の営業最終列車「さよならEF55碓氷号」の送り込み列車

 

                   赤羽駅通過

1月17日(土曜日)

この日は、上野発のEF55の最終日であった。EF55は戦後長く高崎線で活躍し、いわば「高崎線の機関車」であったので、以前から高崎線内で撮影しようと思っていた。(但し高崎線内は逆光)昨日と同じ電車で出発したが駅のホームの端や沿線には早くもカメラの砲列ができていた。どこで降りるか迷ったが、結局昨日と同じ岡部~深谷間の陸橋の反対側から撮ることにした。この場所は光線状態が今一つのため、人出は20名位であった。多くの人は順光で撮影できる信越線内に行ったのであろう。

その後、帰りの回送を撮影するため、信越線に移動した。群馬八幡で降りて、安中方面に歩き、碓氷川の「お立ち台鉄橋」の手前まで行ったが、今一つパッとしないため、結局引き返し、駅の近く踏切で撮影した。また、この日は、総本家青信号特派員さん、ロギング太郎さん、早川昭文さんが安中~磯部間で撮影され、その後、新島 襄先生の生家を訪ねられたそうである。ちなみに私は京阪沿線の中学校の時に「安中教会」と共に学校行事で訪ねている。撮影後、時間があるので久しぶりに両毛線を回って帰ろうと思い、211系5連の小山行きに乗車した。途中の下新田の車両基地には京浜東北線から引退した209系が4連と6連に組み直されて数本停められていた。トイレを設置して107系と115系の置換えに使用されると言われているが明らかにサービスダウンである。小山到着後、日光線の107系を見て帰ろうと思い宇都宮まで行ったが、発車まで30分以上あったので一旦駅の外に出た。宇都宮駅前には、地元資本の関東自動車、東武系の東野交通、JRバス関東の3社の路線バスが乗り入れているが、本数は関東自動車が圧倒的に多い。その関東自動車につい最近まで大阪市内を走っていた大阪市バスが入っておりビックリ。その他、元都バス、横浜市バス、川崎市バス、中扉両開き引き戸の京浜急行バス等が入り乱れて走っており、バスの博物館の様相を呈していた。話が横に逸れるが、7年位前は、関東自動車に元京阪宇治交通、東野交通に元京阪バスがおり、宇都宮駅前に両車が並び、樟葉の駅前のような光景が見られた。バスに見とれているうちに暗くなり、日光線は諦めて通勤快速で帰途に就いた。

         在りし日の思い出の高崎線を走る  岡部~深谷間

 

             折返しの回送列車   群馬八幡

1月18日(日曜日)

いよいよ営業最終日となり、赤羽をいつも電車で出発した。何処で撮影するか迷ったが、光線状態等を考慮し、安中~群馬八幡間の「お立ち台鉄橋」にした。今日は総本家青信号特派員さんが来られている筈で、高崎駅到着直後に携帯に電話すると「今コンコースにいる。同じ電車に早川さんと山川さんも乗っている筈」とのこと。エスカレーターを上がると特派員さんがおられ、暫くすると早川さんと山川さんとも合流することができた。満員の横川行(107系2連)に乗り、安中で下車。かなりの人が降りたが、行き先は全員「お立ち台鉄橋」である。約15分歩いて到着すると、既に150名位の物凄い人であったが、撮影場所は確保した。10時50分、定刻に営業運転の最終列車が通過した。上りの回送列車は、新島学園の先で撮影しようということになった。ここから現地までは4キロ以上の距離があるが、喋りながら歩いていると時間の経過を忘れてしまう。15人位の先客がいたが、なかなか良い場所であった。エンジン付きのパラグライダーで空から撮影していた人がいたのには驚いた。やがてDD51の引く回送列車の最後尾のEF55が目の前をゆっくりし通り過ぎて行った。

駅に戻り、「碓氷峠鉄道文化村」に行かれる、早川さん、山川さん、総本家青信号特派員さんとお別れして帰途に就いた。

久しぶりに皆さんと一緒に撮影して、楽しい一時を過ごさせていただき、時計の針が40年前に戻ったような日であった。 

             群馬八幡~安中(通称お立ち台鉄橋)

 

          安中~磯部間を行く最終営業列車の回送

かくしてEF55の「さよなら運転」は終了したが、自分でも不思議に思うくらいに拘った。昭和61年7月、営業復活運転の初日に撮影したことが原因かも知れない。

EF55に続く後ろの客車がいただけなかった。茶色の客車が既にないのならば致し方ないが、スハフ32、スハフ42、オハ47、オハニ36が現に在籍しているにも拘らず、12系が使用されたのは残念であった。昨今の諸情勢を考慮すると、安全性の見地から仕方がなかったのかも知れない。

EF55は、今回の復活運転に際し、大宮工場に入場して相当なお金と手間ひまをかけて整備をしており、このまま鉄道博物館に入れてしまうのは実にもったいない。もし、可能ならば、旧形客車を引いた元気な姿を再度見たいものである。

[番外]西北の杜号

平成5年3月7日早稲田大学鉄研の創立40周年記念列車で、上野~水上間を往復した。全区間EF5869が引き、高崎~水上間は先頭にEF551が連結された。編成は次の通りである。

←水上 EF551EF5889 +スハフ322357+オハ472261+オハニ3611+オハ472246+オハフ332555 (EF551は高崎~水上間のみ)

                  新前橋~群馬総社