もう正月も終わったようなもので今さらという気がするが、総本家さんの初詣客を沢山入れた阪堺詣でに対抗する訳ではないが表題を準備した。富士山と言えばJR御殿場か伊豆箱根の大場かどちらかに決めていたが昨年と同じ大場にした。ところが今年は晴天にもかかわらず終日富士山だけ雲がかかってしまった。すぐ下の写真がそれ。
2018.1.1 伊豆箱根鉄道駿豆線三島二日町-大場 2201修善寺行き▼
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もう正月も終わったようなもので今さらという気がするが、総本家さんの初詣客を沢山入れた阪堺詣でに対抗する訳ではないが表題を準備した。富士山と言えばJR御殿場か伊豆箱根の大場かどちらかに決めていたが昨年と同じ大場にした。ところが今年は晴天にもかかわらず終日富士山だけ雲がかかってしまった。すぐ下の写真がそれ。
2018.1.1 伊豆箱根鉄道駿豆線三島二日町-大場 2201修善寺行き▼
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【深川市納内町3丁目】
オエ61 59 43.729724, 142.136050 1996年8月4,6日撮影
納内町3丁目のセイコーマート(当時はローソン)の東隣にあったガソリンスタンドの倉庫であった。今はガソリンスタンド共々現存せず、「ふるさと」という食堂になっている。
1月も8日になり、出遅れた感もありますが本年もよろしくお願い申し上げます。お正月の総本家さんの投稿や、「報道ランナー」の昭和52年の「住吉の写真」に刺激を受けてやっぱり阪堺へ行きました。ただその前に折角あべのに行くのなら南大阪線!と思い八木・橿原神宮前経由としました(1月7日)。最近吉野川には出掛けていたのですが、今回は「尺土」「橿原神宮前」で途中下車しています。
尺土駅から大阪寄りの踏み切り近く(ネットでも紹介されていますが)でのサクラライナー(26000系№1編成)です。バックに二上山が望めます、ここでは4両編成が限度です。 続きを読む
1月7日の中国新聞福山版に10段抜きで福塩線の記事が載っていました。余程ニュースが無かったのでしょうか、大きな写真を3枚も入れてスペース稼ぎのようですが、採りあげてくれたことをよしとしましょう。分割してご紹介します。
紆余曲折がありましたが、京都電鉄(京電)は、市に買収され市電の一員となりました。ここで問題が生じました。線路幅が違うのです。京電はJR並みの1067ミリ、市電は新幹線と同じ1435ミリです。ご年配の方なら覚えていらっしゃると思うのですが、四条堀川~四条西洞院のこと。レールが3本2組敷いてありました。京電の路線を引き継いだ北野線は外側の一本と内側の一本を使って走っていました。三線区間と言っていました。 ▲四条西洞院で三線区間に入る北野線
第5日目 12月7日
今日はタイのバンコクからミャンマーのヤンゴンへと移動します。ただ年金生活者で少しでも費用を圧縮したい私と皆さんとでは航空機が違っています。またバンコクでの搭乗する空港も違っています。午前中は同行しますが途中から分かれて一人、ヤンゴンへと向かいます。
▲ 8:05 バイヨークスカイホテルの82階のレストランの屋根なしのオープンデッキから見えるBTS(バンコク スカイトレイン)です。バンコクの大動脈となっていますBTSですが、ホームやコンコースは狭く、車両編成も4両では輸送力不足でせめて6両編成での増結が望まれます。
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【旭川市 永山北二条11丁目】
オエ61 80 1997年8月24日撮影
宗谷本線永山駅から近い、道道761号のローソン旭川永山北2条店隣の某会社の倉庫のようである。【91093】、【91771】と同形式のオエ61であるが、こちらは生え抜き(?)の鋼体化客車である。オリジナルのマニ60後期車からオエ61に改造され、名寄機関区の救援車であった。
◆ナハ23876→(1954年鋼体化改造 輸送機)マニ60 410→(1959年電暖追設)マニ60 2410→(1979年改造 旭川車セ)オエ61 80→1986年廃車。
元旦に米手作市殿より「謹賀新年 ことしもよろしく」との一番乗りの投稿がありました。その北陸トンネルの写真の件で米手様にあらぬ嫌疑をかけることになりました。ここに氏の名誉回復のため、総本家氏のコメントの裏付けとしての証拠写真をお示ししたいと思います。まずは件の切手から。
第4日目 12月6日
今日はメークローン線の撮り鉄です。終点のレール上に設置された青空市場は今やバンコクの観光地と化して大勢の観光客がカメラを構えるようになっています。過去2回訪問していますのでもう撮りたい被写体ではありません。途中の路線はドロドロのバラスもない冠水した中にありました。線路はヨレヨレでいつ脱線してもおかしくなく、水しぶきをあげながら列車が走っていました。むしろ撮りたい被写体はこちらの方だとノミネートしていました。
カンチャナブリーでC56運行のイベントが中止になって目的を失ったクモハ73106さんと、ばけぺんさんは、代わりにメークローン線の乗り鉄を楽しんでおられました。そしていつの間にかヨレヨレ路線は整備されて列車は快走していたと言われるから失望と驚きです。でも本当かなと、疑心暗鬼の訪問でした。
▲ 7年前の2012年12月7日に初めて訪れたメイクローン線の軌道です。こんな風に水の中に軌道が水没した所を走る箇所はいたる所にあり、列車は水しぶきをあげて走行していました。こんな状態が続いていたらそのうちに脱線転覆する日も来るだろう、そして修理復元は行われずに廃線になるだろうなあと最悪の事も予想していました。
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第3日目 12月5日
12月5日は、毎年タイ国民から絶大な崇敬を集めていたプミポン前国王の誕生日を祝って日本製パシナ重連が牽引する列車が走っていました。またこの日は前国王の誕生日にちなんで「父の日」に制定されています。昨年の10月13日に国王が死去されると、1年間の服喪が発表され、12月5日は今まで同様にSL列車が「父の日」記念号として走ることになりました。今年は東線の観光地チャチューンサオ(Chachoengsao )までを往復します。
今まで2回この列車を撮っていますが、今回走る東線は初めての撮影地です。今日は運転手付きのタクシーをみんなでチャーターしました。追っかけしながら昨日ロケハンした撮影地を回ります。

▲ 7:10 父の日記念号の始発駅ファランボーン駅に参りました。例年、多くの皆さんが取り囲んでおられますが今年はそうでもないようです。10両編成の客車をパシナ重連が牽引します。
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新しい年が明けました。微力ですが、ことしも“デジ青”活性化に尽力できればと願っています。さて、ことし最初の鉄活動は……と思いを巡らすと、足は自然と住吉大社の初詣客への阪堺電車の大輸送に向かいます。住吉で思い出すのは、新春の恒例行事として長年続けられていた乙訓老人のことです。めっきり足腰が弱った老人が、阪堺詣でを止めてから数年が経ちます。その老人の思いを引き継ぐつもりで、私も何回か行きましたが、もう4年も訪れていません。この間に、住吉~住吉公園が廃止になり、車両面でも、新しい連接車が増備されて、旧型車の活躍もさらに狭められるなどの動きが出ています。しかし、正月だけは別です。すべての車両を総動員して、押し寄せる初詣客の輸送に当たります。旧型車両のとの再会を楽しみにしての住吉入りでした。
▲4年ぶりの阪堺詣で目についたのは、“堺トラム”こと連接車1001形の活躍ぶりだ。グッドデザイン大賞受賞のプレートも誇らしく、3連接車体で大量輸送に当たっていた。
第2日目 12月4日 その2
左はチャチューンサオ(Chachoengsao )から乗車した280列車の時刻表です。前回乗車した経験からタイ国鉄は日常的に遅延が多いと思っていました。今回も大幅ではないですが少し遅延していました。前はノンカイまでで約3時間以上遅れていましたので、まあ、想定内ですね。
時刻表はタイ国鉄の公式HPからの転載です。
http://www.railway.co.th/
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【旭川市 永山北二条7丁目交差点南】
▲オハ51 21 1997年8月24日撮影
◆オハ51 21(1980年新製 富士)→1991年廃車。
運輸会社の休憩室のようで、高い台座に乗っている。宙に浮いているみたいで、車窓からの眺めは気持ちよさそう。その下にはいろんなものが置いてあったが、20年後に再会しに行ったところ、駐車場になっていた。
明けましておめでとうございます
何がめでたい?と内心は思っていますが、世間に合わすのも年寄りの務めと心得ている年の初めです。
年賀の挨拶も今更白々しいので、福笑いならぬクイズを投稿します。
ネットで検索すれば答えは簡単に出ると思いますが、そこは誇り高きDRFC会員、そんな手は使わずに、ここだと思うその根拠を述べた上でお答えください。
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オエ61 301 2017年10月9日撮影
第12回【91714】のすぐ西、国道12号台場2条6丁目交差点近くの運輸会社の資材置場で倉庫として使用している。
敷地北側の道路から南を向いて1-3位側を撮影。永年の風雪で屋根が痛み、シートで保護されている。バックの山の塔は、旭川サンタプレゼントパークスキー場山頂の<恋人の聖地 旭川ニコラス展望タワー>である。全国「恋人の聖地」の一つに選定され、ここから見る昼景は勿論、夜景は函館にも負けないそうである。