山陽新幹線の新岩国で乗り換えが可能のためアクセスはよいのですが、なかなか乗る機会に恵まれないのが錦川清流線ではないかと思います。由利高原鉄道あたりも乗車難易度が高いですね。

廃止直前の加悦鉄道(3) 国鉄時代のキハ08 3
末期の加悦鉄道で使われていた車両は、国鉄オハ62客車を気動車化改造したキハ08 3でした。前述のように昭和49年に加悦へ導入されました。もう1両、昭和54年に入線したキハ10 18もありましたが、末期、日常的に使われていたのは、キハ08 3でした。そのキハ08 3、国鉄時代の姿も撮っていたこと、今回の投稿で初めて分かりました。
▲加悦に到着したキハ08 3、車体長は標準的な国鉄DCより130mm短い19870mmだが、車体高は屋根が深いため4085mmもあり、もう1両のキハ10 18の3710mmより、375mmも高く、デッカイ印象だった(昭和60年1月)。
▲国鉄時代の客車改造のキハ08・09は各所で撮っていたが、今までナンバーも確認していなかった。改めて調べると、釧路に配置されていたキハ08 3を何回か撮っていたことが分かった。写真は、厚岸にて、根室発釧路行き236D、キハ08 3+キハ21 18 ただし、加悦は1位側、厚岸は3位側から撮っているので、逆の角度となる(昭和44年9月)。
このシリーズの最終回です。奇しくも113系の日の投稿となりました。

市電に乗って朝の鹿児島中央駅へ。
9月6日(金)
鹿児島中央 9:41 ― <さくら>550号 新大阪行き → 新神戸 13:45
新神戸 13:52 ― <のぞみ>26号 東京行き → 京都 14:19
新年初めての投稿です、2026年もよろしくお願いいたします。今年の目標は第200回を達成することです。月2回のペースを維持できれば達成可能であります。
JR西日本の典型的な駅名標のため、地元感がありますね。唯一、「周防」が山口県にやってきたことを実感させてくれます。
廃止直前の加悦鉄道 カラー版 昭和60(1985)年1月4日
京都府の北部に、昭和の時代、ちょっと浮世離れした二つのローカル私鉄が走っていました。北丹鉄道と加悦鉄道であることは、高齢世代なら先刻知っているでしょぅが、廃止・休止されたのは昭和46年と昭和60年とあっては、若い世代には理解できないかもしれません。両鉄道とも、DRFC現役時代、貸切列車を走らせたり、合宿で行くなど、ずいぶんお世話になりましたが、地元のため、いつでも発表できる思いがあったのか今まで満足な発表もできていませんでした。ちょうど、加悦鉄道の廃止を控えて、最後の訪問をしたのが、40年前の正月明けの今頃の季節、積雪があって、空は日本海側独特の鉛色に覆われていました。
▲国鉄宮津線の丹後山田駅(現・京都丹後鉄道野田川)のホームで発車を待つ、加悦行きのキハ08 3、昭和60年3月を目途に鉄道廃止の方針が発表されていた。従来、13往復の列車が運転されていたが、ほとんどがバス代行になっていて、列車は午前3往復、午後1往復しかなかった。
第10日目 12月13日(土)後編
② ハノイ空港 01:40(VJ938)⇒7:50 関西空港
11:30 「HanoiTrain」の乗車は終わりました。この列車は午後13:00発の便もありますのでもし乗車してみたいと思われる方がおいででしたらこちらも選択できます。ツアー料金はNT$912(約4,559円)、ツアー会社はKlookです。他代理店でも予約は可能。
▲ 12:01 一旦ホテルに戻ってTrainStreetでハノイ発の列車を待ちます。
🕓Weekday 8:50 / 9:20 / 11:45 / 15:20 / 21:20 /22:00 🕓Weekend 8:50 / 9:20 / 11:45 / 15:20 / 17:30 / 18:20 / 21:20 / 22:00 運行ハ休日が2本多いです。
通過する列車時億は2025年末現在で上記のようですが当然当日に遅延や運休・臨時もありますので現地の店で確認する必要があります。
雨は小雨になってきましたので旧市街を散策です。 続きを読む
第10日目 12月13日(土)前編
今日はベトナムに来て滞在最終日です。一般にはあまり告知されていないハノイと中央駅から郊外駅へと走るイベント列車「ハノイ5クアオ ヘリテージ2階建て列車「Hanoi Train」132に乗車します。
▲ 最高速度80km/hにしか達しないメーターゲージとは思えない立派な客車です。見るまで本当なのかとワクワク楽しみでした。 続きを読む
第9日目 12月12日(金)
今日はハロン湾よりも評判の高いと言われる世界遺産のニンベンツアーを申し込みました。宿泊しているホテルでピックアップしてくれますが、このツアーは往復バスではなく列車利用もありました。
申し込みをしたのですがニンベン到着後のツアーバスの予約が取れません。仕方なくホテル発着にしました。
7:50 部屋で待っていましたらホテルの従業員からバスが来たよとお呼びが来ました。
バスの写真はいつもナンバーが分かるように撮っておきます。ツアーバスは観光地に行った時にどれか分からなくなるので必需です。 続きを読む
新年も穏やかに明けました。本年も〝デジ青〟、よろしくお願いいたします。当特派員も、懲りずに古典ネタを載せていきます。今年の干支は「午」、動物を表す漢字として「馬」があります。奈良の駅名研究家さんが、駅名喫茶店「干支の動物を含む駅名」のなかで、「午」「馬」のつく駅名を挙げています。駅名喫茶店(第10回:干支の動物(の漢字)を含む駅名) | DRFC-OB デジタル青信号
「午」の駅名は存在しないものの、「馬」の駅名は56もあることが分かります。調べると、駅名に使われている動物名の漢字としては最多で、人の暮らしのなかに馬が身近だったのかも理解できます。ただ56
のなかで、「うま」と読ませるのは、わずか3駅しかないのです。
小湊鉄道 馬立(うまたて)
山陰本線 馬堀(うまほり)
三岐鉄道北勢線 馬道(うまみち)
JR線のなかでは、「うま」の駅名は、「馬堀」だけだったことを初めて知りました。▲また山陰線が未電化で旧線時代の「馬堀」の駅名標、典型的な鳥居型、国鉄書体の駅名標だった。
馬堀、なんとも懐かしく思い出深い駅名です。蒸機が走っていた時代、何度、馬堀へ通ったことか。駅名を紹介するだけでは、もったいない。せっかくなので、馬堀を通り過ぎた蒸機列車、掲載済みもありますが、載せてみました(特記以外、昭和44~46年撮影)。
第8日目 12月11日(木)
今日は予定が変わってしまったのでラオカイからハノイへの移動日になりました。今夜の夜行列車で行けば効率的ですが車窓を見える昼間に移動したいと思いました。
▲ 駅待合室にはかつてのラオカイ站の様子が写真展示されていました。この機関車が中国昆明迄走っていたのでしょうか。
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〝三重連〟のメッカ 布原(ぬのはら)信号場
「布原の三重連」と言えば、蒸機時代を経験したことがない平成・令和世代にも、カーブした鉄橋をD51三重連が渡って行く、あのシーンかと頭に浮かぶことと思います。これほど左様に、布原信号場は、SLブームを象徴する撮影地として認知され、その狂騒状態は、SLブームの恰好のマスコミ素材ともなりました。いつも横目で見ていた私でしたが、話のネタにと、山陰旅行の行き帰りに三重連を見に行くことにしました(昭和46年9月)。
▲布原信号場は、伯備線新見~備中神代に昭和11年に開設された。備中神代から分岐する芸備線の列車も通るから、列車本数が多く、信号場の開設となったようだ。この時代、まだ客車列車があり、石灰岩輸送で貨物も多かったので、午前の時間帯では、一時間に3、4本の蒸機列車が見られた。布原付近には、両側から25‰勾配があり、とくに重量のある石灰岩輸送は、多くがD51の重連で、朝の1本がD51三重連となった。

このシリーズ、年内に終わるかと思っていましたが、もう少しだけ続きそうです。さて、ゴールまであと37.8kmのところで無念のダウンとなってしまいましたが、果たしてその後どうなったのでしょうか。続きをどうぞ。
第7日目 12月10日(水)
① サパ 8:30(路線バス)⇒9:45 ラオカイ駅
昨日サパ市内を十分に散策しましたので今日は朝からラオカイに戻って中越国境を越えてかつての河口駅を見に行くことにしました。
▲ 7:30 1階ロビーへ降りましたが朝食バイキングの用意はありません。昨夜宿泊したのは私だけだったのでフロントのお姉さんはフォを作って出しますと言われました。

▲ 選択肢はこれしかないようですし、美味しいので好きです。いただきました。
一応果物の付け合わせもでました。
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第6日目 12月9日(火)
① ハノイ22:40(SP7)⇒6:25 ラオカイ
6:25 寝台列車に爆睡で定刻にラオカイに到着です。ホームには白バスの運転手が客引きを熱心にやっておられます。いくらが相場なのかが分からずで、100,000vnd(約600円)の提示に仕方なく支払ってしまいました。バスは小型のミニバスで乗客は欧州人夫婦との3名だけでした。ローカルバスならもっと安いのでしょうが失敗しましたね。
今日は「インドシナの屋根」と呼ばれるベトナム最高峰であるファンシーパン山(3147.3m)へ登山鉄道とロープウエイ、ケーブルカーに乗って参ります。今回の旅のメインハイライトなのです。
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年内最後のメニューです。広電の駅前大橋ルート開業は2025年鉄道ニュースの上位にランクイン間違いなしの大きな出来事であったと思っています。秋旅行には参加できませんでしたが、先日乗車が叶いました。
今年は計55個のメニューを提供できました。来年もぼちぼち頑張ってまいります。

北海道のキハ82を投稿したところ1900生さんから特急「おおとり」の上り下りの間違いを指摘された。ここは午後2時過ぎの下り3D「おおとり」から日没までいた。この年は最後の仁山のスイッチバックと狩勝峠で1日を過ごしたが今振り返ってみると室蘭本線での「おおとり」の前後は勾配こそなく平凡な路線であったが実に多くの機関車を撮ることができた。平凡な写真であるが数は稼げたので行き交う当時の列車を見ていただきたい。
最初は岩見沢発上り228列車室蘭行きC5729[室蘭]である。14時50分前の通過であるがこの大カーブで望遠レンズを使ったのは誤りで5両の客車を牽くのはC56に見えてしまうがどうだろうか。▼
第4日目 12月8日(月)後編
① ハイフォン 15:00(LP8)⇒17:40 ハノイ・ロンビエン

▲ 14:16 ホテルに預けた荷物を受け取りハイフォン駅に着きました。 乗車する列車はホームに入線していますが改札はまだ開始されていません。構内の写真を見ながら待ちました。
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九州の信号場 南霧島信号場
しばらく途絶えていましたが、デジ青に復帰します。九州にも、当時はまだ単線、非電化の区間があった鹿児島、日豊、長崎の各本線にも信号場がありました。なかでも日豊本線の宮崎以南には、門石(田野~青井岳)、楠ヶ丘(青井岳~山之口)、南霧島(霧島神宮~国分)の信号場があり、それぞれ付近は撮影地として知られていたところでした。
▲当時、日豊本線にも夜行鈍行、門司港~西鹿児島の521レ、522レが走っていて、何度か利用した。この日は、夜行利用ではなく、宮崎に泊まって、朝6:09に発車する521レに乗って鹿児島方面に行った時だった。編成はDF50+客車7両で、夏休みでもあり結構な利用率だった。列車は都城を過ぎ、なおも山間部を延々と走り、駅でもないところに急に停車した、これが南霧島信号場だった。昭和41年の開設で、全体がカーブした標準的な信号場で、まだ4年しか経っていないので、すべてが新しい印象だ。カーブの向こうから、タイフォンを鳴らしながらDC急行が見えた(昭和45年8月)。