九州山地を横断する久大本線にはD60が使われていた。久留米側では朝夕に鳥栖区のハチロク牽引の列車もあったが、山間部は大分区のD60が客貨を一手に受け持っていた。D50を二軸従台車にしたD60は、少し前まで、九州では筑豊本線、日豊本線、本州では山口線、紀勢本線、磐越東線と各地で使用されていたが、次第に減じて、当時では、大分区と直方区に残るだけだった。
久大本線は高校生のときに全区間乗車して撮影に適した線であるとの認識はあったが、いざ行こうとしても撮影地ガイド的な情報がない。五万分一の地図で探し求め、見つけたのが由布院付近のΩカーブだった。今でこそ由布院付近は名立たる撮影地となり、また観光地としても著名になっているが、当時はまだ山間の秘湯であった。
由布院駅前に立つと、春霞に包また由布岳が聳え立つ。つい数日前の春の雪で頂上付近は白く化粧している。ここから、野矢、南由布に両方向へ90度近いカーブを描いている。野矢へは25‰勾配が続き、サミットとなる水分峠はトンネルで越えて野矢へ至っている。南由布方面とは線路がほぼ平行しており、はるか眼下に南由布を発車するD60が見え、以来、由布院を通って峠へ向かってくるブラストが延々と聞こえてくる。ひたすらトンネル方向へ歩き、やって来た下り列車をとらえた。門デフを備えたD6061の牽引であった。
余談ながら、この写真の一本前の列車を手前付近でとらえ、当時の「鉄道ピクトリアル」の鉄道写真コンクールに応募したところ、推選に入賞した。縦位置にして由布岳を大きく入れ、登ってくるD60を135mmで正面に入れた構図だった。応募したなかで、本命視していた写真が選外になり、なかばアテ馬的に応募した写真が推選となった。選者の高松吉太郎さんから「日本画を見るような柔らかさの中に力強さを感じる」とコメントをされ、なるほどそんな見方もあるのかと思ったものだ。以来、写真の評価など、十人十色だと思うようになった。
「亜幹線の魅力」、今では死語の、久大本線の味わいはこれに尽きると思います。
車窓風景は、旅情にあふれ久留米から草野や善導寺あたりの筑後の田園風景と大分から賀来や鬼瀬あたりまでの豊後平野に比べ、県境を越えた夜明けから始まる日田、森、豊後中村、由布院までの息をも尽かせぬ川と橋とトンネルと、遠くに見える久住の山々とのシンフォニーに旅人は魅了されます。
豊後森と言う支線を持つ小さな山あいの機関区に8620とキハ07という忘れられかけた「名優」の姿を見かけたとき、この旅の感動は頂点に達したのではないでしょうか。
豊後森の8620は僕が通っていた大分の中学への通学路で朝の通勤列車を
引く姿を良く見かけました。