広島駅に残る客車への給水設備

最近広島駅は橋上化され、南北の通り抜けが容易になり 大きな商業施設(EKIE)もできて様変わりしました。一方地上ホームに降りると昔のものが姿をとどめています。広島へ行った帰りには5番ホームで上り電車を待つのですが、5番ホームと6番ホームの間には長距離客車列車が走っていた頃の給水栓がいくつも残っているのが目にとまります。

今も残る給水栓  (平成29年9月23日撮影)

全国の幹線の主要駅では蒸気機関車への給水や炭庫の整備の長い停車時間中に客車床下の水タンクにも給水が行われていました。列車の到着に合わせて作業員がずらりと並んで待ち受け、一斉に給水する光景があったように思います。

6番線側にもずらりと並ぶ給水栓   通過して行ったのは下関?から来た回送5両編成

ご丁寧なことに朽ちたゴムホースもそのまま転がされているので、それと判ります。今も水が出るのかどうかはわかりませんが、今もこんなものが残っているのが不思議な気がします。その他にも例えば6番線ホームを良く見ると石積みの低いホーム跡があったり、宇品線ホーム(0番線跡)が残っていたりと興味が尽きません。もしこんな給水設備が残っているのを他の駅でも見かけられたら、是非レポートしてください。ちょっとした鉄道遺産です。

余談ながら、そんな時代には駅での停車中にはトイレを使わないのが国民の常識だったように思います。今から思えば「大らか」な垂れ流しの時代でした。

広島駅に残る客車への給水設備」への13件のフィードバック

  1. 西村さま
    そういえばかつては殆どの主要駅にありましたね。姿を消してきたのは長距離列車の削減~消滅と駅改良の結果なのでしょう。今やこの設備で給水する列車はもう無いのではないでしょうか。それにしてもいつも感心しますが、西村さんの目の付け所がシャープかどうかは別にして、細かい処にまで良く目を向けて観察しておられますね。そうして探せば同様なものがまだまだあるように思います。以前本欄に取り上げられたテルハもそうしたものですね。一つご紹介すると終端駅の機回し用ポイントも見かけなくなりましたが、一昨年18キップで訪れた参宮線鳥羽駅でこのポイントが残っているのを発見しました。駅本屋からすぐの行き止まり線の付け根に、横の機回し線へのものがありました。昔の京都駅山陰線ホームの北側付け根にもあったように思います。旅客用ホームと中一線挟んで荷物(貨物?)用のホームがあり、上りで到着したC57やDF50などがこの中線で折り返していました。これからはキョロキョロして探してみます。

    • 米手作市様
      まさにこれです。京都駅下りホームのようですね。九州に向かう急行列車でしょうか。マシ292は大ムコだったような・・・。食堂車とは言え飲料水でなはく、トイレ用でしょうか?いずれにせよ貴重な写真をありがとうございます。まさか給水風景の記録が出てくるとは思いませんでした。深謝!

      • マシ492名ナコで「さつま」です。
        場所は御説のとおり、京都駅です。
        マシ292は大ムコですが、ダブルルーフでした。

        • 米手作市様
          マシ292はダブルルーフでしたね。食堂車を組み込んだ急行「さつま」とはいつ頃の撮影なのでしょうか?

  2. 西村雅幸様
    いつものことで日時がはっきりしませんが、昭和40年前後です。
    で、39年の時刻表で見ましたら「さつま」には食堂車がありません。そこでもう一枚の写真を確認したら「増」のサボが入っていました。ということはなにかの理由で食堂車を増結したのでしょう。
    写真をご覧下さい。

    • 米手作市様
      またまた素晴らしい写真をありがとうございます。食堂車の増結とはどんな事情だったのか興味は尽きません。マシ49の屋根からは石炭レンジの煙らしきものが立ちのぼり、営業中のようですね。左のピカピカの車両はオロネ10でしょうか。もう一度こんな光景を見てみたいものです。

    • 急行「さつま」の愛称は、最初は昭和31年11月時刻改正(東海道線電化)で東京-鹿児島間で設定され、昭和33年10月時刻改正で門司港-鹿児島間に変更されましたが、昭和36年10月時刻改正で名古屋-鹿児島間に再度変更されました。この時点ではまだ食堂車は連結していません。

      問題の食堂車連結は、昭和39年10月時刻改正(東海道新幹線開業)から開始され、昭和40年10月時刻改正で愛称名もろとも消えて無くなりました。

      食堂車は通常、この時期でいいますと寝台車・ハザシ・1等車グループと2等車グループの境界に連結します。ところが、この「さつま」は1号車(スハフ43)と2号車(オハネ17)にはさまれて「増」号車になっていますがこれで所定なのです。「マシ49」なので「マシ」号車なのでしょう。これは冗談ですが珍しいケースですね。
      ですから米手さんの、このたった1年間しか存在しなかった食堂車付き急行「さつま」の写真は極めて珍しい貴重な写真なのです。
      米手さんの問題にはいくつも「落とし穴」があります。ワナにはまらないように気をつけましょう。

      • なるほど!
        そうだったんですか
        勉強になりました。井原さん、ありがとうございました。
        私はそんな腹黒のワルではありません。フェイクニュースを広げないで下さい。

        • 腹黒のワルなどと毛頭思っておりません。米手さんのお題は、「引っかけ問題やけどもそれは答案の質を高めるためのハードルやからコケずに注意して答えなさい」と言われているのだと思っております。
          それにしてもこのようなアブノーマルな連結位置の食堂車を撮影されたというのは何か米手さんと響き合うところがあったのでしょうね。

          • 私は“アブノーマル”でもありません。鉄鈍爺さんや前川ナントカさんよりもうチョット“マシ”です!。

      • 井原様
        マシの次位はオハネ17だったのですね。そういえば車体がボコボコのようにも見えます。オロネ10たったらもっときれいでしょう。

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