米手作市氏の誘いに乗る(Ⅱ)

毎朝掲示板を開けるのが日課であることは湯口先輩と同じであるが、朝食後6時30分に家を出て、京成バス、JR→メトロ→JRと乗り継ぎ、4月中旬からは更に新橋で「ゆりかもめ」に乗り換えてレインボーブリッジを渡り「お台場」まで1時間30分かけての通勤している。今回は本業多忙により若干乗り遅れてしまった。

雨宮製作所製の台車の件は前回(5月10日【13285】)で湯口先輩が解説されておられるので、関連事項について触れてみたい。

台車の実物は、湯口先輩が記述されている通り、東武博物館と上毛電鉄大胡車庫にそれぞれ保存されており、興味のある方は是非見学いただきたい。東武博物館には雨宮製作所の銘板も展示されている。(上毛電鉄大胡車庫の見学はイベント時以外は事前予約制)

 


上毛電鉄大胡車庫に保存されている台車(平成22年1月3日)

 


東武博物館に保存されている台車と説明板(平成22年5月20日)

花巻電鉄の車両について触れておられるが、この件について若干補足する。
花巻電鉄は西花巻~花巻~花巻温泉間の鉄道線と西花巻~西鉛温泉間の軌道線が存在した。実際の運行は花巻が起点で、軌道線が西花巻~花巻間に乗入れる形を取り、鉄道線の一部列車は西花巻発着で運行されていた。

雨宮製の板枠台車を履いていた車両は、鉄道線デハ1~4と軌道線デハ1、3~5である。鉄道線のデハ1~3は大正14年、デハ4は大正15年に作られたが、3と4が昭和6年8月火災で焼失し、台車を流用して半鋼製車体を新製した。木製のまま残った1と2は昭和34と35年に鋼体化が行われ、全金製の新製車体に乗せ替えてデハ21、22となり軌道線用となった。その際台車が補強されたため形が変化した。

車体幅が極端に狭い軌道線のデハ1、3~5の経歴は複雑で、デハ1、3、4は昭和6年8月火災焼失車の台車を流用して作られた半鋼製車、デハ5は大正15年製の木製車であった。晩年は鉄道線のデハ3、4も軌道線で使用され、本来の軌道線のデハ3、4と車号が重複した。

 
鉄道線用として製作されたデハ4(昭和41年9月3日)

 


湯口先輩が撮影されたデハ2を鋼体化したデハ22(昭和41年9月3日)

 
軌道線デハ5(昭和41年9月3日)/デハ4、5の2両作られたがデハ4は火災焼失のため半鋼製車体を新製した。

 
軌道線デハ1(昭和43年9月3日)/昭和6年焼失車の補充として新製し、消失により欠番となった1を付番

 
軌道線デハ3(昭和40年3月23日)/製作の経緯はデハ1と同じ。花巻駅近くの公園で保存されている。

 
軌道線デハ4(昭和41年9月3日)/デハ5と同時に新製したデハ4の焼失補充として新製。
前述の鉄道線デハ4も軌道線で使用されていたため、スタイルの異なる2両のデハ4が走行していた。

湯口先輩の記述の通り下野電気鉄道は改軌後、昭和14年に日本鉄道自動車が台車のみ引取り、木製車体と組み合わせて銚子電鉄ボデハ101として再起した。唯、昭和14年に木製車体を新製するというのは不自然で、窓配置を見ると1D2332D1と扉間の窓が分割されており、どこかの車体乗せ換えにより不要となった車体を化粧直しして売り込んだ可能性があると思っている。14年後の昭和28年に早くも半鋼製の新製車体に乗せ換えているが、車体が小さいため一貫して予備車的存在であった。写真は2009年8月11日「【4039】銚子電鉄を訪ねて(Ⅱ)」に掲載されているのでご覧いただきたい。
日本鉄道自動車が雨宮製台車を引取ったのは、自社ブランドの台車を製作するためにサンプル目的もあったのではないかと推測している。

昭和17年に納入した草軽電鉄のモハ101~105は、雨宮製類似の自社製の台車を履いている。昭和22年から順次栃尾鉄道(→越後交通栃尾線)に譲渡され、最終的に5両全車が譲渡された。

 
越後交通栃尾線サハ301(昭和48年4月29日)/元草軽モハ103→モハ208
(S25.4)→サハ301(S41.8)

 
サハ303(昭和48年4月29日)/元草軽モハ102→102
(S36.11)→ホハ29(S39.4) →サハ303(S41.12)

 
サハ306(昭和48年4月29日)/元草軽モハ105→モハ200
(S22.6)→サハ306(S41.12)

戦後では平成19年3月末に廃止された「くりはら田園鉄道」の前身、栗原鉄道が電化(昭和25年9月21日直流750V)に際して新製されたモハ2401、2402の2両の台車に使用された。但し、翌年増備されたモハ2403は通常のものになった。同鉄道は、昭和30年9月27日1067㎜に改軌され、ED20形電機は台車枠を広げて引き続き使用されたが、電車は僅か4~5年で失職して下津井電鉄で再起した。下津井電鉄では他車と共通運用するには制御器の交換等大幅な改造が必要なため電装解除してサハとして使用した。

 
サハ1(昭和44年3月18日)/元栗原モハ2401(電装解除されたのみで、車体はほぼ原形のまま使用されていた)

 
サハ2(昭和40年8月18日)/元栗原モハ2402(モハ104+サハ2+クハ25の3両固定編成化の際、車体に大幅に手を加えられた。昭和47年3月末、茶屋町~児島間廃止時にモハ102+サハ3+クハ22の中間に連結されていたサハ3と交代し、平成元年最後の新製車メリーベル号と交代するまで健在であった。

 
サハ2の台車(昭和44年3月18日)

 
【参考】サハ3(昭和44年3月18日)/元栗原モハ2403(モハ102+サハ3+クハ22の3両固定編成化の際、貫通幌の取り付け等が実施された)

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