先日、北海道の知人から届いた郵便物を見て驚きました。雄別鉄道の消印なのです。
これは一体何なんだと思って調べてみましたら、通称「風景印」という消印で、正式には「風景入通信日付印」と言うそうです。「日付印」は「ひづけいん」ではなく「にっぷいん」だそうです。この「風景印」は昭和6年に始まったそうですが、今まで全く意識したことがありませんでした。こうなると、全国にこんなように鉄道があしらわれた日付印はどれぐらいあるのかが気になります。そこで、その一例をご紹介します。
なぜか釧路に集中しているのは O氏の影響なのでしょうか。北海道から南下し、秋田まで来たところで止めておきます。秋田以南は読者の皆様でお調べ下さい。電子メールが普及し、郵便物が衰退の一途を辿る昨今です。とは言え、こんな消印があることで郵便物が増えるとは思いませんが、こんなたわいもないことが、実は今の世の中に大切なのではと思わされました。
西村雅幸さま
こんないい消印があるのを初めて知りました。デザインされている8722号機は昭和44年冬に我々3人が訪れた時には確か庫の中に居ましたね。デザインがC56の1001でないのが残念ではありますが。もう一つの雄別の「布伏内」は何と読むのでしょうね。ご紹介いただいた他のデザインを見ると、鉄道以外に題材が無かったからかと思うのは失礼でしょうか。
1900生様
早速のコメントありがとうございます。昭和44年冬には8721,8722の2両が雄別炭山の庫の中にいましたね。8722は現在も良好な状態で釧路製作所の前庭に保存されています。「布伏内」は「ふぶしない」で阿寒町にあります。雄別鉄道が釧路湿原の北縁を過ぎて、雄別炭山に向けて山あいに入るあたりの地名です。C561001や205号機が煙をあげていたあの山あいは原生林と化し、炭坑施設や病院が廃虚となっているようです。
ご無沙汰しています。これは博物館勤務I氏の仕掛けです。夕張周辺でもやってみたいと思います。
ooyubari9201様
御無沙汰致しております。8722を見せて頂いてから4年余りが過ぎました。早いものです。ところで、デジ青をご覧頂きありがとうございます。てっきり釧路の仕掛けは貴殿かと思ったのですが、I氏でしたか。夕張とくると「メロン」になりそうですが、メロンではなく「夕鉄」「大夕張」「真谷地」などを登場させて下さい。しかし、この風景印はどうすれば実現に至るのですか?
正式には「風景入通信日付印」。
wikiでは「郵押印には、消印の収集を目的とし郵便物を差し出さないで押印してもらう「記念押印」と、郵便物を差し出す際に押印してもらう「引受消印」の2種類がある。押印は風景印が配備されている郵便局の郵便窓口またはゆうゆう窓口で行われる。1通あたり切手または料額印面の合計を62円以上とした台紙・封筒・郵便はがき等が必要である」と説明されています。
図柄は各郵便局が申請し、変更もあるようです。
本日、タマタマ図書館で目にした「戦前の小型記念スタンプ集」(日本郵趣出版)を借りて帰ったら、ちょうど西村様の風景印のご投稿がありました。
同書によると西村様のお書きのとおり、風景印は昭和6年誕生で、関東州が発祥で国内は富士山から広がり戦前で1,500局に及んだ、とのことです。
昭和9年には、ローカルな行事、催し等を記念する「小型通信日付印」が始まり、鉄道路線の開通に際してもSLやガソリンカー等をあしらった魅力的なデザインのスタンプが多数作られ、同書で紹介されています。
昭和10年の同志社60周年に際しても記念スタンプが作られていたようですが、昭和14~15年頃には殆どが戦意高揚的なデザインのものになり、昭和16年には使用は中止になりました。
こんな事ができるんですか!
私は切手には興味がないので知りませんでした。
いまでも作れるんでしょうか?
宇都家さま
同志社の日付印があったとは、知りませんでしたね。しかも、西陣局ではなく、臨時に同志社内に郵便扱い所を置いて、スタンプを押印したのでしょうか。戦前にはスタンプブームがあったと聞きますが、大学の中まで設置されたとは…。絵柄を見ると、正門付近を描いたようです。
私はタマタマ図書館で「テーマ別風景印大百科 鉄道編」を見つけて、借りてきました。日本全国の郵便局にこんな鉄道関連の風景印があるのに驚きました。蒸機、新幹線、駅舎、駅前などの風景印が約1000点載っています。
これを見て私も集めたくなりました。駅のスタンプは状態が悪く、どうも集める気にはなりませんが、これならきれいな印を集められます。