昭和の電車 改訂版(5)南海電鉄11001系 投稿日時: 2019年7月13日 投稿者: 米手作市 この電車は、というより私にとって南海電鉄は最も遠い鉄道でした。 写真は一枚もありませんし知識もありません。 以前に投稿した「散歩道シリーズ」で菱屋の藤田さんが撮られた写真がありましたので再掲させていただきます。 どなたか他にも写真をお持ちでしたら往年の雄姿を見せてください。 関連記事: 昭和の電車 改訂版(139)ー南海電鉄モハ1251系ー 昭和の電車 改訂版(125)ー都電7000型8000型ー 昭和の電車 改訂版(76)ー仙台市電モハ300型ー 昭和の電車 改訂版(72)ー南海クハ2801型ー 昭和の電車 改訂版(69)ー名鉄モ400型ー 昭和の電車 改訂版(53)ー東急電鉄デハ3450型ー 昭和の電車 改訂版(22)ー和歌山電鉄クハ803号ー 昭和の電車 改訂版(21)ー近鉄 特モ2303号ー
例によってGordon Davis氏のカラーから、お目に掛けたく存じます。昭和31年5月、岸ノ里で撮影。この電車、実物には馴染みがないが、模型では子供の頃から知って居りました。TMS特集シリーズに、「スパイクから運転まで」があります。鉄道90周年に、晴海の鉄道博覧会で、小生が最初に買った鉄道本で、今でも持っています。これに、合葉博治・清治さんが、0番模型のペーパー製作記事を載せていて、感銘を受けました。と云う訳で、とても懐かしい車輛です。 返信 ↓
米手作市様 寝てるところを起こさんでください。白黒はうまく撮らないとその良さがよくわかりませんが、蒸機のカラーもいいものだと先日申し上げました。さて、南海11001系は私の好きな正面3枚窓貫通扉大型ライト付きで新性能車がデビューした頃の標準的な顏のひとつと思います。関先生おっしゃられるとおり男前にいまいちという印象でした。車内の豪華さですが、座席の窓の上あたりにも蛍光灯が付いていたような気がしますが定かではありません。戦前の2000系と共にこの車両も数回撮ったことがありますが、全て白黒なので遠慮します。 宮崎繁幹様 合葉博治さんのお名前が出てきました。大変親切で物腰の柔らかい方でした。南海は関西でも阪神間や京都の人には少し縁遠い存在でした。梅田~難波間を地下鉄に乗らないと行けない面倒臭さが足を遠のかせていたように思います。関西の人にとっては新幹線や東海道本線の車窓から見える小田急、京急以外の関東私鉄は縁遠い存在だと思います。相鉄、東急は多少見えても興味の対象でなかったのではないかと思います。 返信 ↓
準特急さん、 「座席の窓の上あたりにも蛍光灯が付いていたような気がしますが定かではありません」記憶はまだ確かです。 恥ずかしながら証拠写真をお目にかけます。唯一の南海の写真がコレ! 注釈:ロングシートに格下げ後の車内だと思います。戸袋のガラスに反射して写っているのが見えますか?窓上に並んでいる蛍光灯です。座っているのはどこかの中学生です。 返信 ↓
米手作市様 即返有難うございます。長髪につぶらな瞳、男前ですね。目を下に移すと革靴。差を感じます。同じ時代に私は阪神間のある有名な中学に通っていましたが坊主頭に細い目。JTBキャンブックス元編集長のOさんは後輩です。何が有名であったかはマルーンさんがよく知っておられます。話は座席上の窓付近にあったという照明のことですがウィキペディアによりますと荷棚下に読書灯が設置されていたとの記述がありました。関先生おっしゃる地味な外観よりも車内が豪華であった一面が感じられます。 返信 ↓
米手作市様 そうですネ。小生も南海は本当に疎遠でした。阪和線と同様、『遠い所』の電車という先入観が有って・・・。 遠い所と言いながらも、長じてからは国電ビイキだった事から阪和線には何度か訪問し、線路際も結構歩きました。 ご存知、阪和線は国電の中でも異色。それが又私を引き付けました。 しかしながら南海は『純私鉄』故、全力を阪和に集中していた様な感じでした。 準特急様 米手作市さんとの『白黒とカラ―の論争?』 興味深く読んでおります。 帰着する所は撮影対象が『SLか他の車輛か?』でしょうかネ。 小生の場合は、それに加えて『小遣いで左右』されましましたが。(笑) ところで、貴殿は阪神間の有名中学に通学したとの事。阪神間は小生もテリトリーでしたので、ついつい懐かしくて・・・。 で、西宮のK校、同じく西宮北部のK学院(坊主じゃ無かったかな?)、東神戸のN校、同じく神戸六甲道のR校、のどちらかでしょうか? ついでに、女子校では西宮北部のK女学院、東神戸のK女子、同じく神戸のS女学院、葺合区のS女子学園などが有りましたネ。 以上、とんだ脱線でした。(笑) 返信 ↓
河 昭一郎様 先日は楽しい時間を有難うございました。私は白黒特にトライXが好きでした。カラーは、フィルム代が勿体ないことと晴天でないと納得がいかないこと、保存が難しく湿気で大部分やられてしまったことなどでデジカメを使用するまでは躊躇気味でした。撮影対象は蒸機でも茶系の国電でもカラーで撮り、綺麗に再現されるものはいいなと思っております。 懐かしい阪神間の有名校の話が出てきましたが兵庫県は私学が優勢であったように思います。お酒で有名なN校を筆頭に甲子園球場近くのK学院、たぶん六甲道と思いますが、白い風呂敷が印象的であったR校、阪急今津線にもKW学院、K女学院、スポーツで有名なH学園などがありました。私のはKW学院の下にある普通の公立校です。神戸の女子校は疎いですがテニスで有名なS院とか西灘(王子公園)のベレー帽K女子は義姉と姪が行っていたので多少知っています。脱線して申し訳ありませんがまたいろいろとご教示下さい。 返信 ↓
黎明期の高性能電車は、どの車も華やかさがありましたね。 私が南海のこの車に乗ったのは、小学校低学年の頃、今存続が問題になりつつあるみさき公園に連れてもらった時のことです。ふだんターミナル駅で横目で見るだけの京阪特急に勝るとも劣らぬ座席に親子4人向かい合わせで、結構長い時間、さすがは特急だと(今思えば、みさき公園は行楽期休日の臨時停車? 車両も弟分の流線型「ヒゲ新」だった?)感激しながら乗っていた覚えがあります。当時の南海本線は特急の本数は少なく、帰路は同じ車両ながら急行で、停車駅も結構多かった記憶があります。 高性能車ではありませんが同型の(旧)12001系就役の頃に生まれた小生としては、これら黎明期の高性能車は親友のような親近感で接してきました。さすがに現役で活躍している車はなさそうですが。 返信 ↓
すみません、追伸です。 藤田様撮影の天下茶屋駅での急行は、12001系の4連ですね。(2両目、4両目はパンタがなく制御車ですので。) 11001型と同型車体ながら、2001型用の予備として残っていた吊掛200馬力のモーターを積んだMc-Tc固定の2連2編成です。細かく見れば「急」の円盤のフチが赤色のようですので、本来の急行(社内では甲急行と呼ばれていたらしい。)より停車駅の多い列車なのかもしれません。 返信 ↓
例によってGordon Davis氏のカラーから、お目に掛けたく存じます。昭和31年5月、岸ノ里で撮影。この電車、実物には馴染みがないが、模型では子供の頃から知って居りました。TMS特集シリーズに、「スパイクから運転まで」があります。鉄道90周年に、晴海の鉄道博覧会で、小生が最初に買った鉄道本で、今でも持っています。これに、合葉博治・清治さんが、0番模型のペーパー製作記事を載せていて、感銘を受けました。と云う訳で、とても懐かしい車輛です。
やっぱりカラーはええですね。
しかし、蒸機の写真はモノクロがいいと感じるのはなぜでしょう?
準特急さん、ゴメンナサイ!
米手作市様
寝てるところを起こさんでください。白黒はうまく撮らないとその良さがよくわかりませんが、蒸機のカラーもいいものだと先日申し上げました。さて、南海11001系は私の好きな正面3枚窓貫通扉大型ライト付きで新性能車がデビューした頃の標準的な顏のひとつと思います。関先生おっしゃられるとおり男前にいまいちという印象でした。車内の豪華さですが、座席の窓の上あたりにも蛍光灯が付いていたような気がしますが定かではありません。戦前の2000系と共にこの車両も数回撮ったことがありますが、全て白黒なので遠慮します。
宮崎繁幹様
合葉博治さんのお名前が出てきました。大変親切で物腰の柔らかい方でした。南海は関西でも阪神間や京都の人には少し縁遠い存在でした。梅田~難波間を地下鉄に乗らないと行けない面倒臭さが足を遠のかせていたように思います。関西の人にとっては新幹線や東海道本線の車窓から見える小田急、京急以外の関東私鉄は縁遠い存在だと思います。相鉄、東急は多少見えても興味の対象でなかったのではないかと思います。
準特急さん、
「座席の窓の上あたりにも蛍光灯が付いていたような気がしますが定かではありません」記憶はまだ確かです。
恥ずかしながら証拠写真をお目にかけます。唯一の南海の写真がコレ!
注釈:ロングシートに格下げ後の車内だと思います。戸袋のガラスに反射して写っているのが見えますか?窓上に並んでいる蛍光灯です。座っているのはどこかの中学生です。
米手作市様
即返有難うございます。長髪につぶらな瞳、男前ですね。目を下に移すと革靴。差を感じます。同じ時代に私は阪神間のある有名な中学に通っていましたが坊主頭に細い目。JTBキャンブックス元編集長のOさんは後輩です。何が有名であったかはマルーンさんがよく知っておられます。話は座席上の窓付近にあったという照明のことですがウィキペディアによりますと荷棚下に読書灯が設置されていたとの記述がありました。関先生おっしゃる地味な外観よりも車内が豪華であった一面が感じられます。
米手作市様
そうですネ。小生も南海は本当に疎遠でした。阪和線と同様、『遠い所』の電車という先入観が有って・・・。
遠い所と言いながらも、長じてからは国電ビイキだった事から阪和線には何度か訪問し、線路際も結構歩きました。
ご存知、阪和線は国電の中でも異色。それが又私を引き付けました。
しかしながら南海は『純私鉄』故、全力を阪和に集中していた様な感じでした。
準特急様
米手作市さんとの『白黒とカラ―の論争?』 興味深く読んでおります。
帰着する所は撮影対象が『SLか他の車輛か?』でしょうかネ。
小生の場合は、それに加えて『小遣いで左右』されましましたが。(笑)
ところで、貴殿は阪神間の有名中学に通学したとの事。阪神間は小生もテリトリーでしたので、ついつい懐かしくて・・・。
で、西宮のK校、同じく西宮北部のK学院(坊主じゃ無かったかな?)、東神戸のN校、同じく神戸六甲道のR校、のどちらかでしょうか?
ついでに、女子校では西宮北部のK女学院、東神戸のK女子、同じく神戸のS女学院、葺合区のS女子学園などが有りましたネ。
以上、とんだ脱線でした。(笑)
河 昭一郎様
先日は楽しい時間を有難うございました。私は白黒特にトライXが好きでした。カラーは、フィルム代が勿体ないことと晴天でないと納得がいかないこと、保存が難しく湿気で大部分やられてしまったことなどでデジカメを使用するまでは躊躇気味でした。撮影対象は蒸機でも茶系の国電でもカラーで撮り、綺麗に再現されるものはいいなと思っております。
懐かしい阪神間の有名校の話が出てきましたが兵庫県は私学が優勢であったように思います。お酒で有名なN校を筆頭に甲子園球場近くのK学院、たぶん六甲道と思いますが、白い風呂敷が印象的であったR校、阪急今津線にもKW学院、K女学院、スポーツで有名なH学園などがありました。私のはKW学院の下にある普通の公立校です。神戸の女子校は疎いですがテニスで有名なS院とか西灘(王子公園)のベレー帽K女子は義姉と姪が行っていたので多少知っています。脱線して申し訳ありませんがまたいろいろとご教示下さい。
黎明期の高性能電車は、どの車も華やかさがありましたね。
私が南海のこの車に乗ったのは、小学校低学年の頃、今存続が問題になりつつあるみさき公園に連れてもらった時のことです。ふだんターミナル駅で横目で見るだけの京阪特急に勝るとも劣らぬ座席に親子4人向かい合わせで、結構長い時間、さすがは特急だと(今思えば、みさき公園は行楽期休日の臨時停車? 車両も弟分の流線型「ヒゲ新」だった?)感激しながら乗っていた覚えがあります。当時の南海本線は特急の本数は少なく、帰路は同じ車両ながら急行で、停車駅も結構多かった記憶があります。
高性能車ではありませんが同型の(旧)12001系就役の頃に生まれた小生としては、これら黎明期の高性能車は親友のような親近感で接してきました。さすがに現役で活躍している車はなさそうですが。
すみません、追伸です。
藤田様撮影の天下茶屋駅での急行は、12001系の4連ですね。(2両目、4両目はパンタがなく制御車ですので。)
11001型と同型車体ながら、2001型用の予備として残っていた吊掛200馬力のモーターを積んだMc-Tc固定の2連2編成です。細かく見れば「急」の円盤のフチが赤色のようですので、本来の急行(社内では甲急行と呼ばれていたらしい。)より停車駅の多い列車なのかもしれません。
なるほどそうでしたか。
しかし、よく考えると南海は正面に車番を表示していないのですね?
ありがとうございました。
まほろばの鉄趣味住人様
今後も当時の高性能電車が登場しますのでお楽しみください。