昭和の電車 改訂版(88)ー相模鉄道クハ1110型ー 投稿日時: 2020年7月5日 投稿者: 米手作市 JRとの相互乗り入れで、いまや押しも押されぬ「関東の大私鉄」となった相模鉄道。 関連記事: 昭和の電車 改訂版(102)ー近鉄モ5621ー 昭和の電車 改訂版(99)ー東急玉川線デハ200型ー 昭和の電車 改訂版(86)ー大阪市電801型ー 昭和の電車 改訂版(81)ー京成電鉄1500型ー 昭和の電車 改訂版(75)ー相模鉄道キハ1000系ー 昭和の電車 改訂版(58)ー南海デニ502号ー 昭和の電車 改訂版(46)ー京阪びわこ号60型ー 昭和の電車 改訂版(3)阪神電鉄3011型
関先生が42201と42202の非総括編成に乗られたそうですが、私が訪ねたこの時には、42201は改造されキハ651となっていました。何のために改造したのか良くわからない、味気ない改造で、特徴ある流線形からカマボコのような切妻車になっていました。写真は同日、浜・八木蒔間で石岡に向かう姿です。キハ42202は改造されずに昭和51年7月22日に廃車となり、キハ651も同日廃車となって、東横キハ1型は姿を消しました。 返信 ↓
米手作市様 コロナとは無縁の片田舎で何とか元気に過ごしております。苦手な電車関連の記事には手が出ず、内燃車両なら少し反応できる私です。何でも今年の京都は祇園祭も中止だとか。ホームカミングデーも無いのなら、上洛の機会が遠のいた感じがしています。 返信 ↓
この車輛については、5年前の鉄ピク誌東急特集に記事を書いたので、掲載されなかった資料や写真が、手元に幾つかあります。順繰りにお目に掛けましょう。先ずは、東急の沿線案内(昭和12年7月現在)。各駅の記念スタンプを背景に、キハ1を俯瞰した図柄があしらわれ、東横・目蒲・玉川電車と3社を併記。池上電鉄は、この時点で既に目黒蒲田電鉄に合併(昭9.10.1)されていた。しかし目黒蒲田電鉄、(旧)東京横浜電鉄、玉川電気軌道は、未だ独立の企業体であった。その後、昭13.4.1に、玉川は東横に合併。更に昭和14年に至り、東横と目蒲が合併し、(新)東京横浜電鉄となる 返信 ↓
もう1枚、東急の沿線案内があります。こちらは、発行年月の記載がありませんが、標記が東横・目蒲電車と2社になっているので、昭13.4.1以降の発行と思われます。昭和9年開業の東横百貨店をモチーフとした見られる背景に、キハ1を配したもの。いまや、キハ1どころか、背景の百貨店(東急東横店)も、この春で閉店してしまいました。 返信 ↓
宮崎繁幹様 この車輌が東横を代表する車輌だったことが分かります。“ねずみ男”を彷彿とさせるデザインですが、当時は“東京のデパート”と同じぐらい時代の最先端だったのでしょう。ほほえましく思います。 ありがとうございます。 返信 ↓
“ねずみ男”とは! 京の御方の誉め方は、独特ですね?。引き続き、形式写真2点をお目に掛けましょう。先ず宮松金次郎氏が撮影した、東横に入線直後のキハ2を元住吉で撮ったもの。昭和11年5月2日撮影。大型の排障器が目立つが、軽量構造の台車を護るため、装備したのでしょうか。重連運転に備え、エアホースの連結栓が見えます。その脇の小穴がいくつも開いているのは、裏側にあるタイフォーンの音が、通るようにしたものです。 返信 ↓
宮崎繁幹様 貴重な記録写真を拝見させて頂きありがとうございます。 重ねて質問させて頂きたいのですが、これは単端式なのでしょうか?それとも向こう側も同じ顔なのでしょうか?西村さんが載せている写真に切り妻型の前面が写っていましたがどうなのでしょうか?なにか“ねずみ男”だけではなく京阪1000系の匂いもしてきました。 返信 ↓
米手さま いにしえの京都市電(京電)には、ターンテーブルがあったそうですが、東横電鉄の終端駅には生憎そういうものは、ありませんでした。この車輛は、単端式ではなく、両端式です! しかし証拠がないと、御納得いただけないかと存じますので、後年の関東鉄道(鹿島参宮鉄道)時代の、42202号の真横の写真がありますから、貼っておきます。ご覧の通り、両端に“ねずみ”が2匹居りますよ。 返信 ↓
宮崎繁幹様、西村雅幸様 やっぱり両端式でしたか。車端が絞られているので切り妻に見えるのか、とも思いましたが確信が持てずお尋ねしました。 ねずみ男は直感的にそう思ったので言いました。でも、似てますね! 返信 ↓
関先生の絵にある、相鉄の流線形電車(クハ1111~1115)時代は1949(昭24)年から2年と短く、1951(昭26)年に改造され、流線形前面を失ないます。その為、この2年間の記録は少なく、小生のコレクションにもありません。添付したのは、その後の、2500形(2501~2505)時代のもので、亡くなった小生の友人、山本明弘さん撮影です。流線形と云う大きな特徴を失くしたが、薄い屋根や、台車を見ると気動車の面影が残っています。 返信 ↓
宮崎繁幹様 この不人気な気動車を盛り上げて頂きまして感謝致します。 二社に引き取られていった後の人生がかなり違ったことが分かります。同じように改造されても、片や乱暴な切り妻型、片や丁寧な仕上がりの東急型と、「流転の人生」を見るようで感じるものがあります。 返信 ↓
私鉄の流線形気動車としては、西はデジ青の皆様が大好きな江若のもの、かたや東では、この東急キハ1が横綱と思っております。東国では、なかなかの人気だと思うが、今回は米手さまよりねずみ男の名を賜ってしまいました。さて長々のお目汚しも、今回を最後と致します。相模鉄道に転じた6輌は、事故で1輌が廃車となったが、残り5輌は年季を勤め上げ、更に第三の人生を歩みました。その中から、あまり紹介されない上田丸子電鉄へ行った2輌のうちクハ272(元東横キハ3、前相模クハ2501)の写真を貼っておきます。場所、年月日、撮りびと知れずの困った写真ですが、背景より上田駅と判ります。相模時代は、正面3枚窓のうち向かって中央と左側は中桟入りでしたが、上田に来てから1枚窓に改造し、少し近代化されたようです。では永らく御付き合い下さり、有難う存じました。 返信 ↓
宮崎繁幹様 大変お世話になりました。 しかも、これだけ系統立って変遷を記録した写真集をまとめて拝見できたのは驚きでありました。 デジ青も本望でございます。 今後ともお付き合いのほど、よろしくお願い申し上げます。 返信 ↓
関東の非電化大私鉄「関東鉄道」鉾田線でのキハ42201と42202の様子をご紹介しましょう。まずは石岡機関区で休むキハ42202です。撮影は昭和45年4月9日です。
コメント欄に写真を複数枚アップする方法がわからないので、コメントの連射です。同日 浜・八木蒔間を鉾田へ向かうキハ42202です。
関先生が42201と42202の非総括編成に乗られたそうですが、私が訪ねたこの時には、42201は改造されキハ651となっていました。何のために改造したのか良くわからない、味気ない改造で、特徴ある流線形からカマボコのような切妻車になっていました。写真は同日、浜・八木蒔間で石岡に向かう姿です。キハ42202は改造されずに昭和51年7月22日に廃車となり、キハ651も同日廃車となって、東横キハ1型は姿を消しました。
西村さん
投稿ありがとうございます。
前回はレスが全くなく、関東の、それも茨城では興味も沸かないのか、とガッカリしていたところ、今回は貴重な写真を公開頂き、感謝致します。
米手作市様
コロナとは無縁の片田舎で何とか元気に過ごしております。苦手な電車関連の記事には手が出ず、内燃車両なら少し反応できる私です。何でも今年の京都は祇園祭も中止だとか。ホームカミングデーも無いのなら、上洛の機会が遠のいた感じがしています。
ホムカミが中止ですか?
それは残念ですが、個人的に奥さんを連れて来て下さい。待っています。
この車輛については、5年前の鉄ピク誌東急特集に記事を書いたので、掲載されなかった資料や写真が、手元に幾つかあります。順繰りにお目に掛けましょう。先ずは、東急の沿線案内(昭和12年7月現在)。各駅の記念スタンプを背景に、キハ1を俯瞰した図柄があしらわれ、東横・目蒲・玉川電車と3社を併記。池上電鉄は、この時点で既に目黒蒲田電鉄に合併(昭9.10.1)されていた。しかし目黒蒲田電鉄、(旧)東京横浜電鉄、玉川電気軌道は、未だ独立の企業体であった。その後、昭13.4.1に、玉川は東横に合併。更に昭和14年に至り、東横と目蒲が合併し、(新)東京横浜電鉄となる
もう1枚、東急の沿線案内があります。こちらは、発行年月の記載がありませんが、標記が東横・目蒲電車と2社になっているので、昭13.4.1以降の発行と思われます。昭和9年開業の東横百貨店をモチーフとした見られる背景に、キハ1を配したもの。いまや、キハ1どころか、背景の百貨店(東急東横店)も、この春で閉店してしまいました。
宮崎繁幹様
この車輌が東横を代表する車輌だったことが分かります。“ねずみ男”を彷彿とさせるデザインですが、当時は“東京のデパート”と同じぐらい時代の最先端だったのでしょう。ほほえましく思います。
ありがとうございます。
“ねずみ男”とは! 京の御方の誉め方は、独特ですね?。引き続き、形式写真2点をお目に掛けましょう。先ず宮松金次郎氏が撮影した、東横に入線直後のキハ2を元住吉で撮ったもの。昭和11年5月2日撮影。大型の排障器が目立つが、軽量構造の台車を護るため、装備したのでしょうか。重連運転に備え、エアホースの連結栓が見えます。その脇の小穴がいくつも開いているのは、裏側にあるタイフォーンの音が、通るようにしたものです。
2枚目は、神中鉄道に譲渡後のもので、臼井茂信氏撮影。塗色が1色に変更されています。駆動輪にあった撒砂管は取り外されており、低プラットホームに対応し、扉にステップを追加してあります。
宮崎繁幹様
貴重な記録写真を拝見させて頂きありがとうございます。
重ねて質問させて頂きたいのですが、これは単端式なのでしょうか?それとも向こう側も同じ顔なのでしょうか?西村さんが載せている写真に切り妻型の前面が写っていましたがどうなのでしょうか?なにか“ねずみ男”だけではなく京阪1000系の匂いもしてきました。
米手さま いにしえの京都市電(京電)には、ターンテーブルがあったそうですが、東横電鉄の終端駅には生憎そういうものは、ありませんでした。この車輛は、単端式ではなく、両端式です! しかし証拠がないと、御納得いただけないかと存じますので、後年の関東鉄道(鹿島参宮鉄道)時代の、42202号の真横の写真がありますから、貼っておきます。ご覧の通り、両端に“ねずみ”が2匹居りますよ。
米手作市様
キハ651は両端とも切妻です。流線形では運転士の視界が狭かったのでしょうか?バッサリと切妻にした意味がわかりません。ついでに、ねずみ男も登場させておきます。言い得て妙ですネ。
宮崎繁幹様、西村雅幸様
やっぱり両端式でしたか。車端が絞られているので切り妻に見えるのか、とも思いましたが確信が持てずお尋ねしました。
ねずみ男は直感的にそう思ったので言いました。でも、似てますね!
関先生の絵にある、相鉄の流線形電車(クハ1111~1115)時代は1949(昭24)年から2年と短く、1951(昭26)年に改造され、流線形前面を失ないます。その為、この2年間の記録は少なく、小生のコレクションにもありません。添付したのは、その後の、2500形(2501~2505)時代のもので、亡くなった小生の友人、山本明弘さん撮影です。流線形と云う大きな特徴を失くしたが、薄い屋根や、台車を見ると気動車の面影が残っています。
宮崎繁幹様
この不人気な気動車を盛り上げて頂きまして感謝致します。
二社に引き取られていった後の人生がかなり違ったことが分かります。同じように改造されても、片や乱暴な切り妻型、片や丁寧な仕上がりの東急型と、「流転の人生」を見るようで感じるものがあります。
私鉄の流線形気動車としては、西はデジ青の皆様が大好きな江若のもの、かたや東では、この東急キハ1が横綱と思っております。東国では、なかなかの人気だと思うが、今回は米手さまよりねずみ男の名を賜ってしまいました。さて長々のお目汚しも、今回を最後と致します。相模鉄道に転じた6輌は、事故で1輌が廃車となったが、残り5輌は年季を勤め上げ、更に第三の人生を歩みました。その中から、あまり紹介されない上田丸子電鉄へ行った2輌のうちクハ272(元東横キハ3、前相模クハ2501)の写真を貼っておきます。場所、年月日、撮りびと知れずの困った写真ですが、背景より上田駅と判ります。相模時代は、正面3枚窓のうち向かって中央と左側は中桟入りでしたが、上田に来てから1枚窓に改造し、少し近代化されたようです。では永らく御付き合い下さり、有難う存じました。
宮崎繁幹様
大変お世話になりました。
しかも、これだけ系統立って変遷を記録した写真集をまとめて拝見できたのは驚きでありました。
デジ青も本望でございます。
今後ともお付き合いのほど、よろしくお願い申し上げます。